丹野智文のレビュー一覧
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筆者の丹野智文さんは、39歳で若年性アルツハイマー型認知症を発症、それから12年の年月が経過しました。現在でも仕事を続け、認知症の啓発活動としての講演会に招かれるため全国を飛び回っています。丹野智文さんのように、認知症でも明るく楽しく過ごすにはどうしたらよいのか?そのヒントがまとめられています。
私は仕事柄、認知症の方に接する機会が多いんです。それと実母が認知症の診断を受けていました。若年性の認知症の方とはあまり接する機会はないけれど、高齢の認知症の方の思いをすべて聴かせてもらうことは難しいので丹野智文さんの本をこれまでにも何冊か拝読してきました。
丹野智文さん、実は2021年に顔面麻痺を発症してしまっていたんですね…笑顔を作れなくなった丹野智文さんは一時落ち込まれたようです。でも、周囲の人たちが笑顔は作れなくとも丹野智文さんだから…と理解を示してくれたことで前向きに過ごせるようになったとのエピソードもありました。
この作品は、今まで拝読したの本よりわかりやすいです。認知症本人に向けたもの、家族や支援者に向けたもの、対象者を替えて丹野智文さんが優しく語りかけてくれるような内容でした。今の私には、支援者に向けた部分で『支援と支配は紙一重』という言葉が心に残りました。できることまで奪うような支援は支配と同じなんですよね!
ふぅっ…今月は忙しくって本は読めてたけどレビューがなかなか作れなかったり、思うような“読活”ができなかったけたなぁ…。でもなんとかこの作品だけは「アルツハイマー月間」の9月中の投稿に間に合いました!ギリギリですけどね^^; -
Posted by ブクログ
認知症の当事者や治療(?)、ケアや社会的なサポートにあたる人たちによる本。どこかで見たようなコンセプトだけど、特徴的なのは当事者である丹野さんが編著として、藤田さんが著者としてかかわっているところだろうか。特に、藤田さんは長らく人権活動にかかわっていたそうで、こんなことを言っている(p.39)。
私は元々、人権活動に取り組んでいました。その経験がいまの活動に大きく影響していると感じています。子どものころは、とにかく人の後について、目立たないようにおとなしくしている子だったので、自分でもよく変われたなと思います。
おそらく、結婚して子どもが生まれ、自分が子どもたちを守る立場になったことがきっかけになったのだと思います。PTAや地域の活動を通してさまざまな人たちに出会い、自分がそれまで何気なく過ごしていた日常のなかに、さまざまな生きづらさを抱えた人たちがいることに気づかせてもらいました。「自分は直接的には差別をしない」という立場で、「よい人」として暮らしているという思いがあったのですが、「差別をする側に立つか、なくす側に立つか、あなたはどちら側に立って生きますか」と問われたときに、「差別をしない」という選択肢はないと気づかされ、衝撃を受けました。それから本格的に人権活動を始めました。
このように自分の生き方が変わっていったという経験があるので、認知症の問題についても、結局は「自分が動く」という選択をしたのだと思います。やはり自分自身が考えて行動していかなければ「差別をなくす側」に立ったことにはならないと思うからです。私がすべきことは何だろうと考えていくなかで、「認知症の本人として社会を変えるために発信していく」という結論に行き着いたのです。
藤田さんって認知症になる以前に、こんな生き方をしてきた人なのかと思ったし、非科学的かもしれないけど、なるべく人が認知症になっていま活動しているのだなあとも思った。
当事者のお二人の言葉や活動はなるほどと思わされるところがあるし、いわゆる教科書的な認知症の知識がいかに的外れなのかを感じさせる。これまでの蓄積からある程度の傾向はつかめるかもしれないけど、症状やそこからくる言動って一人ひとり違うし、けっこういろんなことがわかっていたり、思ったり考えたりしているのだろう。
丹野さんも「認知症の人に対して「認知症らしさを探していないか?」「認知症でもできることを探していないか?」と私たちに問うて」(はじめに)いるそうで、この言葉も至言。どうしても、当事者でない人たちは認知症の型にはめて安心しようというか楽に対応しようとしている部分があるのかも。決して怠惰や人権を無視してというわけではないのだけど。
著者たちが自分たちの未熟さや失敗経験をけっこう語ってくれているのも、わりと平たい目線で認知症の人とのかかわり方をあらためる糧になる。何となくだけど、この本の様々な立場の著者のうち、ケアや社会的サポートに当たっている人たちが、常に経験をもとに自問自答、試行錯誤しながら認知症の人たちと向き合っている感じがして、医師は自分がやっていることへの満足度が高そうな気がしてしまった。彼らの責任感や使命感の現れでもあろうけどパターナリズムを見るようでもある。
あと、当事者が著者に入っているのはよいと思うけど、丹野さんも藤田さんも若年性認知症の方なので、高齢の当事者もいるとよかった。ある意味、人生の半ばで認知症になった人と高齢で周りに同じような人がたくさんいる認知症の人とではおかれた状況が違う気がするから。それと、女性の著者が藤田さんと六車さんしかいないのもどうなんだろう。当事者は男女1人ずつだけど、その他の著者は直接的にケアや社会的サポートにあたっているのは女性のほうが多い(はずな)ことを考えるとバランス悪くもったいない。 -
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湖永さんの「オレンジランプ」のレビューを読んだのがきっかけで手にしました。ありがとうございます。筆者の丹波智文さんは、「オレンジランプ」のモデル、39歳で若年性アルツハイマー型認知症の診断を受けられれた方です。
著者の丹野智文さんは、車のセールスマンで仕事にやりがいを感じていました。同じ職場の女性と結婚し2人の女の子にも恵まれ充実した毎日を送っていました。ここ数年で記憶力が悪くなったと自覚し、検査を受け若年性アルツハイマー型認知症の診断をされたのが39歳…子どもたちは中学1年生と小学5年生…え??すごく大変なんじゃない!!と感じました…。丹野さんも、将来が不安と眠れず泣きながら過ごした夜もあったようです…。でも丹野さん自身の人柄の良さもあってなんでしょうと思うんですけど、職場や家族、そして当事者組織などから、あたたかく受け入れてもらえているんです。そんな環境であるから、認知症の進行速度もゆっくりなんでしょうか…若年性認知症は進行が早く2年ほどで寝たきりになる…それが間違った情報であること、診断から4年経っても周囲の理解があって自分が笑えていれば大丈夫、周囲の無理解と自分自身へのやるせなさからうつ状態になってしまうような状況になることが問題だと話されます。丹野さんの笑顔はとってもステキなんですよねぇ~!!
丹野さんは、自分のような当事者の支援にあたりたいと、「オレンジドア」という支援組織を立ち上げます。その活動の中で、スコットランドに飛び、当事者支援について考えるきっかけを得ます。スコットランドでは、①ストレスをなくす②不安をなくす③自立の手助けをする、というもので、日本では③が守る(なんでもやってあげる)となってしまっているのではないか…と提起します。認知症だからできないだろうと、なんでも手を出すのではなく、できそうなことはなるべく当事者にさせてほしいし、大変なところだけを手伝ってほしいと言います。ついつい、手を出してしまうだけでなく、当事者の話をさえぎるとか代弁しちゃうとか、そして聴かないのはもってのほかと…、あぁ…思いあたります…。反省…。
そういえば、認知症の治療薬が承認されたとのニュースがありました!!朗報ですね!保険がちゃんと効いて、困っている方へきちんと行きわたりますように…。 -
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ネタバレ認知症になった御本人の著書。
本人が発信する新しいタイプの本であり、たぶん多くの人にとって驚くことばかり。
現状を見て判断ではなく、認知症として最悪の場面を想定してアドバイスされる。迷子になるから外出させないのではなく、文明の利器ITを駆使する(例えばライン電話)、自分は認知症であり困っていると書いた名刺サイズのカードを持つ。覚えていなくてもアラームをかけ薬の服用忘れを防ぐ。時計の読み方がわからなくなるので、読み上げるアプリを使う。洋服の着方がわからなくなる(文面からよく理解できなかったが、どこの穴に頭を入れるか?ということか)ときのため自分用に印を付ける。スイカを何枚か持ち見つけられないパニックを防ぐ。などなど
なるほどと思うことも、でも同意できないことも書かれていたが、当事者にしかわからない生の声を知った。
身近な人が同じ病で退職し、何年も介護され、最後は…というのを知っているだけに、どちらの気持ちも大切にすることは本当に難しい。
ハード面、電球を人感センサー付に変える、ガスからIHなどの変更は家族みんながメリットを享受できるはず。
自分自身がITを受け入れ馴染んでおくことも大切だと思った。
どんな立場の人にも読んでほしい本。
関係ない、と思う人にも知っておいてほしい知識だと思った。
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ネタバレ本作、筆者の丹野智文氏が若年性アルツハイマー型認知症の当事者として、300人超の仲間との対話から得たリアルな声を綴る一冊。
認知症になっても「何もわからなくなるわけではない」とし、周囲の"やさしさ"が当事者を追い詰める現実を指摘。偏見を脱し、工夫することでよりよく生きる道を示す、当事者の視点からの社会への提言を行うもの。
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認知症の方(本作中では「当事者」、以下当事者)の生の声を届ける本作、結構考えさせらえました。
人間は急には変わりません。変化は徐々に来るものです。ところが、認知症と判断されると、危ない・危険だ、心配だから、という掛け声ともに、自由も尊厳も一気に奪われる。
一人での外出は禁じられ、遊びに行くことも禁じられ、外部の人は「サポート」と称し、当事者本人ではなくその家族と話す。
認知症とは言え、別に全てが出来ないわけでもないし、全てを忘れたわけでもない。その中でやる気や工夫は概ね否定され、怒られ、叱られる。反論はしたいけど、家族や周囲も当事者の為にやっているし、当事者も家族らに迷惑をかけて申し訳ないと思っている。だからうまく言い返せない。
でも本当に悔しくて不安な思いをしているのは本人だって、分かっていますか? という話。
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確かに、認知症というと、家族の平等性は失われてしまうのでしょう。
成人であれば、序列こそあれ、家族は概ね平等というか、まあ一個人として対等な関係が維持されると思います。しかし、認知症になるとお世話する側・される側という一方向性が固定的になり、認知症当事者の話は傾聴されない傾向にあるのではないでしょうか。
反省してしまいますね。
私の父親84歳も、認知症気味で、食欲が止まらず、一回の食事は1.5H以上で、延々と食べている印象。その父の前で、「ほら、お父さんの食欲は異常だから」とうっかり発言し、家内に肘打ちされました。
そう、それだって聞こえているのかもしれません。分かっているのかもしれません。高度経済成長期を支えた我慢強い元サラリーマンが気丈に聞き流しているだけなのかもしれません。
父が母のお世話で嫌がるのは、もうおなかいっぱいだというのにお皿に勝手に取り分ける。あるいは、ワイン(脱アルコールですが)が飲みたいのに「もうやめておこう」と止められること。で、きっと母にはには相手の気持ちとか状況とかを知ろうという気持ちは薄い可能性があります。あくまで母の判断しかない。
本人の気持ちは確認していない(怒るまではお世話する側の意見しか通らない)。
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だからこそ丹野氏は、著書の中で当事者の話を聞こうと提唱しています。
私も感じましたが、おそらくこの傾聴の態度が多くの場合決定的に抜けているのだと思います。
人間、診断が下ったことで100が0になるわけではありません。徐々に90、80と下がっていくのかもしれません。そうした能力の逓減を、当事者との会話を通じて家族も社会も受け入れられたら、それは住みやすく皆が幸せな社会に一歩近づくのでしょう。
もちろん簡単ではなく、むしろムズカシイんでしょうが。
でも認知症当事者の生きづらさは、ノーマライゼーションが進む昨今では大規模かつ例外的な事例なのかもしれません。
労働だって、所謂LGBTQの人も過ごしやすかったり、オンラインでも働けたりと、多様化し開かれてきました。
私のデキの悪めの部下さんも、私の方がもう話したくなくなっちゃったんですが、じっくりお話をしないといけないのでしょうねえ、なんて卑近な話にも連結してきます…。
でもそうやって、多くの人を巻き込んで、会話して、確認して、それでやり方を変えて行かないと、みんなの幸せ度は上がらないのでしょうね。
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ということで認知症当時の心の叫びともいえる一冊でした。
家族の「心配だ」というひとことで自由も尊厳も奪われるという話が随所に出てきます。子どもを見守る親、部下を指導する上司、そのほか様々な関係に類比的に応用できます。
つまり、構造的関係の力を利用して相手の話を聞いていないのでは?ということ。
もろもろ身につまされる読書体験でありました。反省。 -
Posted by ブクログ
前作からそんなに大きな内容の変化はないように感じました。それだけ、著者の丹野智文さん、認知症の進行を抑えられて日常生活も変わらずに送られているんだなって…そう思うと嬉しくなりますね。
著者の丹野智文さんは39歳で若年性アルツハイマー型認知症との診断を受けた方です。この作品では、前作のような丹野智文さん自身が今感じていることとして、同じように認知症の診断を受けられている“当事者”と、家族を含めた“支援者”に期待することなどをまとめた内容になっています。前作からのその後というよりは、前作が経過を含めた入門編、でこの作品は応用編のような印象です。私みたいに、“支援者”のつもりでいる方には、ちょっぴり読んでいてキツク感じることもあったです。
“当事者”ができていることまでやってしまわないで…、そして“当事者”が工夫してもできずに手を貸してほしいところを手伝ってほしい…。“当事者”の思いを尊重して、治療や介護に対しては説明を“当事者”にもしてほしい…。あまり前にことなのに、改めて読んで思い知らされる感じでした。
認知症治療薬については、その効果を疑問視しているようです。もう診断を受けられてからかなりの年数が経過していることもあるし、記憶力が戻るというのは怪我が治ることとは違い目に見えません。その効果があることを願いながらも、今の症状は認めて工夫しながら自己決定することで、自分にとって良い生活が送れればいいと考えているようです。
「安心して認知症になれる社会」作っていきたいですね!