やはり鼻につく。最初の印象はこれだ。
著者はテレビ業界の美術スタッフであり、近年は作家やコラムニストとしても活躍している。が、彼はいつも「自称一般人」を貫こうとする。なんなら一般人よりも弱い人間であることをアピールしつつも、その文章の端々には普通では自分が溢れでている。
丸山町に事務所がある人間がどれだけいるのだろう?
1990年代2000年代の東京、渋谷六本木でテレビ関連の仕事をしている人は?
ミュージシャンの愛人をやってる女の子と遊び、ミュージシャンから怒号を浴びせられる?
ラジオに出演する、宇垣美里と共演する、どこかの社長のパーティーに呼ばれる。
もしかしたら、その一つ一つは誰にでもあることかもしれないが、この掛け合わせの中で、彼は「普通ではない」特別とも言える人間として構成されているんじゃないか。
著者のデビュー作で映像化もされるという「ボクたちはみんな大人になれなかった」でも思ったが、この弱さや平凡さを主張しつつも、「普通ではない」氏の日常を切り取って描かれるエッセイ集に、どこかイライラしつつ、また感傷的な表現に鼻白みつつ、時々発見する彼の痛み(もしくは痛みとは言えないレベルの苦々しい思い)に共感してしまう。全体の1%程度の共感。そのわずかな共感のために2冊目も読んでしまったわけだ。それを探すために読む価値がある、とまでは言わないが、ふと気が向いた瞬間に本を読みながら共感できる何かを探す、そんな時間を過ごすことには価値があるかもしれない。
さて、「普通かもしれないこと」の掛け合わせにより「普通ではない」人間として構成されている彼の物語りは、もしかすると「普通かもしれない」日常を生きている私を含めた多くの人々も過去の物語を掛け合わせていくと「普通ではない」日常を過ごしてきたことになるのかもしれない、と感じたことを最後に書いておく。もちろん、だから誰でも「特別」で「大切」な存在なんだとは口が裂けても言うつもりもないが。