カルロ・ロヴェッリのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
「量子とはなんぞや」という疑問から本書を開いた。エンジニアの端くれとして日々データと格闘しているが、最先端物理の難解さに中盤までは頭を悩ませた。しかし、読み終えた今、胸を満たしているのは圧倒的な浪漫である。本書で「量子」の存在が、確率の雲のようにモヤっと腑に落ちた。驚いたのは、空間も時間も滑らかなものではなく、極限まで分解すれば映画のフィルムのような「離散的(コマ送り)」な粒だということだ。水も空間も光もすべて「場と粒」という同じ物質であり、時間はその場の関係性から後から発生している。このゲシュタルト崩壊のような宇宙の姿に鳥肌が立った。歴史好きの自分にとって、本書は古代ギリシャから続く「知性の紆余曲折の歴史」として最高に面白かった。今ある事象だけでなく、そこに至る経緯を知ることの大切さは、科学も人間の歴史も同じだ。例えば、古代ローマも初期は合理的で最善な選択(法やインフラ)をしていたが、政治に宗教を取り込んだ辺りから硬直化していった。物理学も「未来はすべて決まっている」という古い決定論に縛られていた時代は、冷たい宗教に似ていたかもしれない。しかし、量子力学が明かした現実の世界は違っていた。サイコロ1個のミクロの情報量すら、地球上の全データセンターで処理しきれない天文学的な量になる。人間を物理的にハッキングするようなSF的支配や瞬間移動が不可能なのは、宇宙がそれほど複雑で、規律ある確率で守られているからだ。パラレルワールドのような別の世界は存在しない。だからこそ、過去の経験値から明日を想定し、何者にも邪魔されずに自由意志で決断する「この瞬間」が、宇宙で唯一無二の価値を持つ。「完璧な正解が誰にもわからないからこそ、そういうこともあり得るという余白を持って楽しむ」。ロヴェッリの詩的で温かい文体から、そんな生き方の哲学を受け取った。世界の見え方が変わる、生涯忘れられない一冊。
-
Posted by ブクログ
ネタバレ量子論を論じた物理学者たちの思索を経由しつつ、量子力学という切り口から世界のすべてが相互作用によって成り立っている事を、形而上学としてではなく、あくまで科学哲学的な解釈として捉えようとしている本書。(垣根を越えようとしている?)
ただし、ここでいう"相互作用"というのは『華厳経』に由来する「一即一切・一切即一」に近い感覚です。「一つのものの中に全体が宿り、全体の中に一つが宿る」という華厳思想。すなわち世界を独立した実体の寄せ集めとしてではなく、すでに互いの中に互いが折り込まれているものとして見る事を指しています。
す〇ぢさんはこれを『サク〇ノ刻』だと仰いました。
(ヴィジュアルノベル)
本書を元に解釈すれば、「芸術」は個人の表現であると同時に、他者、過去、喪失、継承、さらには世界全体が、一つの形を通して映し現れるものである、と捉える事が出来ます。それは単なる自己表現ではなく、その人の生き様を通して世界そのものと接続するもの、という解釈です。
直哉や圭、他の登場人物達もまた、孤立した主体では無く、互いを映し合い、傷つけ合い、救い合いながら、世界という”網”の中で燃えています。芸術は、作者と世界と受け手が交差する、華厳的に言えば「珠玉」であり、一つの形の中に無数の関係が反射し、結晶したものとも言えます。
そして完成した「強き神」に奥行きはない。いや、全てを自足したものは強いのかもしれない。けれど、同時に閉じてもいる。だから本当に重要なのは、「弱き神」であること。まさに、”未完成の筆”であることです。
欠けていること、届き切らないこと。その未完成さこそが、他者を受け入れ、喪失を抱えつつも未来へ手を伸ばすための余白になる。完成したものはそこで終わる。しかし未完成なものは終わらない。閉じる事なく、別の生の中で反響し続ける。だからこそ、未完の筆は帝網に参加できる。
この所謂「帝網重々無尽」の感覚。「世界は独立した実体の集まりではなく、帝網のように相互に折り込まれた関係の網である」という世界像を、芸術と人物の生を通して描いた作品。それが『サク〇ノ刻』そのものであるという事。そう思えました。 -
Posted by ブクログ
いやはや難しい本。量子力学から哲学的な話まで、時間について言及されており、普通に考えれば、一般の人では到底理解できないことを、ギリギリ読めるレベルに落とし込んでいる。私的には本当にギリギリの理解。エントロピーあたりで若干挫折しそうになった。AIに相談しながら、エントロピーとは?みたいに質問して理解しつつ、相対性理論で立ち止まったり、右往左往したけど、何とか読み切った。書評としては詳しく書けるような言葉を持ち合わせて無いし、理解もできていない。ただ、物理学、量子力学は面白い、次は何を読もうかなと思わせてくれた。式とかはちょっと敬遠したいけど、本に出てきた偉大な科学者の人生を辿ったりしたい。科学は哲学的な面もからもアプローチできることは作者の著作で物凄く感じた一面。
-
Posted by ブクログ
面白かった。ほんとうに。「なぜ、過去を思い出すことはできても未来を思い出すことはできないのか。」
面白そうすぎる。けど全てを理解するのは難しかった。
私たちが感じる「過去から未来へ流れる時間」は、実は水が氷になったり、霧が集まって雲に見えたりするような、「マクロな視点でのみ現れる二次的な現象」であり、「時間が経過したから、ものが動いた」でなく、実際には「ものが動いた(変化した)という情報を見て、脳が時間を捏造している」という逆の視点であるということ。
「エントロピーが増大する」という変化は、私たちの宇宙において「秩序ある状態から、無秩序な状態へ向かう」という一方通行のルール。過去から未来を感じるのはこのエントロピーの変化があるからこそ。(なにかを育てるとかもそうなんかな)
もっと勉強したい。 -
Posted by ブクログ
たった150ページとは思えないくらい内容が濃かった。それぞれの章はほぼエッセイくらいであり、相対性理論や量子力学から見える世界観がなぜそうなのかを細かく詰めている余地はない、いわば結論と結論から見える世界の広がりに特化した本だが、表現が巧みで好奇心をくすぐる書き方になっている。センスオブワンダーのお手本。
入門レベルの話とはいえ読者を思考に促すことにかけては手を抜いておらず、時間は客観的には存在しない、熱があるところに時間は発生する、といった一見突飛もないフレーズから、時間、自我、自由といった物理学の哲学的な側面まで目配せしているため読んでいて頭の柔らかい部分がものすごく刺激される。
世界が実体のない相互作用のネットワークで、全てのものは物理法則に従うのなら自我と自由とは何なのか?という問いにその相互作用そのものが自我であり自由なのだ、とスピノザ的なアンサーを出してルクレツィウスの詩に繋げるラストのくだりはとても綺麗だった。 -
Posted by ブクログ
1章 所変われば時間も変わる
時間の流れは、山では早く 低地では遅い
低地では あらゆる事柄の進展がゆっくりになる
平地の方が地球の中心に近いから。
物体は 周囲の時間を減速させる。
巨大な質量の地球の周りでは 周りの速度は遅くなる。
ものが落ちるのは 時間の減速のせい
物体は時間がゆっくり経過する方に向けて動く
2章 時間には方向がない
過去と未来、原因と結果、記憶と期待、後悔と意図を分かつものは、基本法則のどこにも存在しない。
周囲に変化するものがまったくないのであれば、熱は、冷たいものから温かいものへ移れない。(クラウジウス:クラウジウスは 一方通行で不可逆な熱過程を測る量を考え出した。エントロピーと名付けた)
この法則が、過去と未来を区別できるただ1つの基本的物理法則。
他のどの法則でも、過去と未来は区別できない。
熱は分子の振動
じっとしている分子も他の分子の熱狂に巻き込まれ動き始める。ぶつかったり押されたり、熱くなる。
冷たいところから 熱い所へ熱が移ることはない
過去と未来が違うのは 私たちの視界が曖昧だから。
「特別」「秩序だっている」私たちがあらゆる細部に目配りすれば どの配置も特別である。
「特別」という概念は宇宙を近似的なぼんやりした見方で眺めたときにはじめて生まれるもの。
ボルツマンは 私たちが世界を曖昧な形で記述するからこそエントロピーが存在するということを示した。エントロピーが じつはたがいに異なっているのに私たちのぼやけた視界ではその違いが分からない配置数であることを証明した。
過去と未来は、ぼやけ(粗視化)と結びついている。
過去が「特別」な状況なのは 私たちの視野が曖昧だから
3章 現在の終わり
速度も時間の流れを遅らせる。
動いている人間はあまり歳を取らず 時の刻みが遅くなり 考える時間が少なくなり 持ち歩いている植物は発芽に時間がかかる。飛行機の時計は遅れる
「今」には何の意味もない
4光年先の星にいるお姉さんが 今何をしているのかを問うことは意味が無い
どの瞬間が今なのか
私たちの「現在」は宇宙全体には広がらない。
「現在」は 自分を囲む泡のようなもの
親子関係で確立されるタイプの順序を、「半順序」と数学者は呼ぶ
親子関係は ある順序(子孫の前、祖先の後)を確立するが、どんな2人をとっても順序が決まるわけではない
祖先からなる円錐型の過去があり 子孫で構成される未来がある。
宇宙の時間構造も円錐型。「時間的先行性」は円錐型の半順序。
宇宙の「現在」は存在しない
4章 時間と事物は切り離せない
「時間とはなんぞや」
アリストテレス⇒変化を計測した数。何も変化しなければ時間は存在しない。
時間は 事物の変化に対して己を位置づけるための方法、勘定と関連づけて自分の位置を定める手段 時間は 動きの痕跡
ニュートン⇒事物とは独立にそれ自身として流れる絶対時間が存在する
ライプニッツ⇒時間は出来事の順序でしかなく、自立的な実体としての時間は存在しない
「空間とは」
アリストテレス⇒空間は物体の順序でしかない。「場所」はそれを囲んでいるもののこと
何も無い空間は存在しない
ニュートン⇒ふたつの物体の間にも 空っぽな空間がある 様々な事物は「空間」の中に置かれていて その空間はたとえすべての事物が取り除かれて空っぽになっても存在し続ける。入れ物としての空間
アインシュタイン⇒時空は重力場、この場は物質がなくてもそれ自体として存在する。世界はキャンバスの上に描かれた絵ではなく キャンバスや層が重ねあわされたもの
場は絶対ではなく、一様でもなく 固定されてもいない。しなやかで伸びたり他のものとぶつかったり押したり引いたりする
5章:時間の最小単位
時間の本質について明らかになったこと⇒量子を考慮すると、一般相対性理論が残した一時的な足場が崩壊する
量子力学は、物理的な変数の粒状性、(ゆらぎや重ね合わせによる)不確定性、関係性(他との関係性に依存する事)の3つの基本的な発見をもたらした。
この世界は微細な粒で成り立っており、連続的ではない。量子(基本的な粒のこと)
電子がどこかに現れる瞬間と別のところに現れる瞬間の間には、電子の正確な位置は存在しない。確率の雲の中に散っているようなもので、位置の「重ね合わせ」状態にあると物理業界用語ではいう。
時空も同じで 揺らぐ。
ひとつの粒子が確率的に散って不確かになるように、過去と未来の違いもゆらぐ。
他の何かと相互作用する瞬間に限って 予測不能な形で不確かさが解消され定まる。
具体性は ある物理系との関係においてのみ生じる。
相互作用が起こると、持続時間は粒状になり、相互作用した相手との関わりにおいてのみその値が定まる。
第二部:時間のない世界
6章 この世界は 物ではなく出来事でできている
事物は「存在しない」。事物は「起きる」のだ
無数の出来事は 必ずしもきちんと順序づけられておらず、ごちゃごちゃと集まっているのだ
出来事は生じ変化していく。時間は変化を計測したもの
この世界における最良の語法は、不変性を表す語法「~である」ではなく、変化を表す語法「~になる」なのだ
この世界を出来事 過程の集まりと見ること
この世界は物ではなく、出来事の集まり
原子は、もっと小さな粒子で構成されている。
素粒子は、束の間の場の揺らぎでしかないことがわかっている
量子場は 相互作用や出来事について語るための言語規範にすぎないことがわかっている
物理世界が実体で構成されているとは思えない。
この世界は限りなく無秩序な量子事象のネットワーク
第8章 関係としての力学
世界を記述する時に 時間変数は使えない
共通の時間が無く 物事の進みやすい方向が特に存在しない世界の記述とは?
必要なのは、世界を実際に記述する変数、私たちが実際に感じ取り観察し最終的に測ることのできる量だ
(道の長さ体温 パンの重さ 空の色 星の数 竹のしなやかさ 喪失の痛み 時計の針の位置 など)
量や性質の観点から記述する。
互いに十分同期している変数が見つかったら、それらを上手く使って「いつ」について語ればいい。
( 例;次の満月の3日後 太陽が1番高いところにあるときに落ち合おう。時計の針が4:35を指した時に君に会いたい。)
「時間」という名前をつける必要はない。
科学をするにしても、これらの変数の間にどんな関係が存在しうるのかがわかればいい。
この世界の基礎的な理論は、このように構成されるべきなのだ。
量子重力の基本方程式は このようにして作られた。その式は時間変数を含むことなく、変動する量の間の有り得る関係を示すことで この世界を記述する。
この理論は、時間のなかで物事が展開する様子を記述するわけではない。
物事が互いに対してどう変化するか、この世界の事柄が互いの関係においてどのように生じるかを記述する。
「ループ量子重力理論の方程式」(筆者の研究分野)
場は、素粒子、光子、重力量子といった具合に粒のような形で現れる。
これら空間量子の相互のネットワークが この世界の空間を生み出しているというべきなのであろう。
相互作用こそがこの世界における出来事の発生であり、時間の最小限の基本形態なのだ。
時間は、方向があるわけでも一直線でもなく、アインシュタインが研究したなめらかで曲がった幾何学の中で生じるわけではない。
相互作用の力学は確率的だ。
ほかの何かが起きるとした時に、問題の何かが起こる確率は 原則としてこの理論の方程式で計算できる。
この世界で起きる全ての事柄の完璧な地図、完全なる幾何学を描くことは不可能だ。
この世界は互いに関連し合う視点の集まりのようなもので、「外側から見た世界」について語ることは無意味。なぜならこの世界には「外側」が存在しないから。
空間量子は空間的に「近い」という関係によって結び合わさり、ネット(網)になる。これをスピンネットワークと呼んでいる。「スピン」という言葉は 空間の量子を記述する数学から。
スピンネットワークの輪っかはループと呼ばれており、これが「ループ理論」という名の由来。
これらの網は離散的なジャンプによって互いに転換し合うが、この理論では「スピンの泡(フォーム)」という構造として記述する。
これらのジャンプが生じることで肌理(きめ)が現れ、その肌理が、より大きなスケールでものを見る私たちにはなめらかな時空構造のように見える。
この理論は、小さなスケールでは確率論的で離散的な揺らぐ「量子時空」を記述しており、そのレベルでは、狂騒的な量子の群れが現れたり消えたりしているにすぎない。
第三部 時間の源へ
※ 9.10章はまた読み直すこと
第9章 時とは無知なり
大理石のテーブルも、私たちが原子レベルに縮めば霧のように見えるはず。私たちはこの世界を大まかに切り分け、自分にとって意味のある概念の観点から捉えているが、それらの概念は、あるスケールで生じているのだ。
「高い」「低い」ということはどこから?
私たちを引っ張る地球に由来している。近くに大きな物体があるときに生じるものなのだ。
これらの例では、実際に存在するものが、より基礎的なレベルではそれらが存在しない世界から生じている。時間も同様に、時間の無い世界に「生じる」のである。
マクロな状態が定める時間
時間が決まるのは、単に像がぼやけているから。
ある相互作用によって粒子の「位置」が具体化すると、粒子の状態が変わる。
また、「速度」が具体化する場合も粒子の状態が変わる。
しかも、『「速度」が具体化してから「位置」が具体化した時の状態の変化』は『「位置」が具体化してから「速度」が具体化した時の状態の変化』と異なる。
「位置」と「速度」は交換出来ない。これを量子変数の「非可換性」という。
物理的な変数の確定は孤立した行為ではなく相互作用であって、相互作用の結果はその順序によって決まる。そして その順序が、時間的な順序の原始形態なのである。
コンヌは優美な数学として提示。「非可換性フォン・ノイマン環」という数学的な構造を定義。
物理的な変数の非可換性によって、暗黙のうちにある種の時間的な流れが定義されることを示した。
マクロな状態によって定められる時間と、量子の非可換性によって定められる時間は、同じ現象の別の側面なのだ。
量子の世界に固有の事物の不確定性は、ぼやけを生む。
そしてボルツマンのぼやけゆえに、この世界はたとえ測定可能なものを全て測定できたとしても、予測不能になる。
時間の核には「物理系がおびただしい数の粒子からなっている」という事実と、「量子的な不確定性」がある。時間の存在は ぼやけと深く結びついているのだ。
そしてこのようなぼやけが生じるのは、私たちがミクロな詳細を知らないから。「時間」は結局のところ、私たちがこの世界について無知であることの現れなのである。時とは無知なり。
私たちの現実の像がぼやけて不確定だからこそ、ある変数が決まる。
第10章 視点
過去と未来の違いはかつてこの世界のエントロピーが低かったという事実に起因しているらしい。
なぜ 過去はエントロピーが低かったのか。
エントロピーは 私たちが何を識別しないかによって変わってくる。それは私たちが区別できない配置の数によって決まるから。
まったく同じミクロな配置のエントロピーが、あるレベルのぼやけでは高くなり、別のレベルのぼやけでは低くなる。
速度のような相対的な量なのだ。
自分たちがどの変数と相互作用するか、つまり、私たちがこの世界のどの部分に属しているかによって変わってくる。
宇宙のエントロピーが最初は低く、そのため時間の矢が存在するのは、おそらく宇宙そのものの原因ではなく、私たちの方に原因があるのだろう。
私たちの宇宙との相互作用のあり方が特殊だったのだ。具体的なマクロの記述を決めるのは私たちである。
私たちは極めて特殊な部分集合を識別するようにできていて、そのせいで時間が方向づけられている。
なぜエントロピーが増えるのか。
シャッフルしたカードを用意し、最初の6枚を覚えておく。そしてシャッフルし それ以外のカードがその間に何枚入り込んだかを調べる。
最初はゼロ枚だったのが増えている。これがエントロピーの増大。
最初のカードの配置はランダムだった。前半部分のカードを記憶してその配置が特別だと宣言したのは私たちの方だ。
宇宙のエントロピーについても同じことが言えるのかもしれない。多分 宇宙は特別な配置にはなっていないのだ。
記述には視点がついてまわる。
この世界における私たちの経験が世界の内側からのものだということを忘れてはならない。
11章 特殊性から生じるもの
世界を動かしているのはエネルギー資源ではなく、低いエントロピーの資源。
地球のそばには低いエントロピーの豊かな源がある。その名は太陽。
生命はエントロピーを増大させるためのさまざまな過程のネットワーク。餌から低いエントロピーを得ている。 -
Posted by ブクログ
「ループ量子重力理論」というとんでもなく難解な話題なのに、カルロ・ロヴェッリ氏の手にかかればこんなにも分かりやすくなるとは。
「時間は存在しない」と言われると「そんなわきゃない!」と否定したくなるが、昔(という概念もまやかしだが)の人々は天動説や地球平面説を信じ、アインシュタイン氏でさえ「神はサイコロを振らない」と量子的ふるまいに否定的態度を取った。ひょっとすると「(その頃にはそう呼ばないかもしれないが)昔の人って時間が存在すると思ってたらしいよ」となるかもしれない。
氏によると時空は重力場の「量子的重ね合わせ」であり、我々が「時間」と思っているものはエントロピーの低い状態を拙い脳が「(秩序だった)特殊(な過去)」と「ぼやけ(粗視化)」て認識しているからであると言う。つまり時間に前後関係はなく、電子とエントロピーの相対的関係性が存在するのみであるという。完全に理解できたわけではないが、なんとも知的好奇心を刺激される話ではないか。
また、詩文の引用を多用しており、アウグスティヌスの歌は「時間の認識」という一文も良い。 -
Posted by ブクログ
生命化学系の大学生である私にとって、量子論との出会いは量子化学だった。本書を読んで量子論の始まりには行列力学と波動力学という二大巨頭があったことを知った。またシュレディンガーの波動方程式は量子の不連続性をなくしたいという思いが含まれていたようだ。式を追うだけでは把握しきれない科学者のドラマや気持ちを本書では描き切っている。
そして量子論を解釈するため、著者はナーガールジュナ(龍樹)に行きつく。龍樹によればいかなる視点も別の視点との関係性抜きでは存在しえないという。量子論の結果が古代の仏教哲学と呼応しているようにみえるところが面白い。
本もまた、他の本との繋がりが本質的であるといえるかもしれない。この本を読んでいるときも、かつて読んだ本や読んでいないが知っている本が頭の中を巡った。さらに本それ自体を完璧に読むことはできず、読み手の経験により読み方が異なるという立場から、本もまた絶対的なものでなく読み手との関係性により成り立っているといえる。 -
Posted by ブクログ
以前、本書の著者であるカルロ・ロヴェッリの『時間は存在しない』に非常に感銘を受け、他の著作も読んでみたいと思っていたので、物理学についての入門書である本書なら気軽に読み進められそうだと思い購入。
『時間は存在しない』もそうだったように、本書を読み始めてまず感じるのは、その文体の読みやすさである。
相対性理論や量子力学も含めた最新物理学について、7つの章(講義)に分け、どんな読者でも理解できるように優しく(時には詩的に)語りかけてくるのだ。
巻末の訳者あとがきにもあるように、本書は2015年にイタリアの出版界のベストセラーランキングにおいて(科学書カテゴリではなく)総合1位を獲得したというのも頷ける。
第6回講義では、太古の昔から哲学者や物理学者の間で議論され、自分も以前から関心のあった"時間"について述べられている。
特に「過去」と「未来」に関して、著者はボルツマンの熱力学の見地から「過去と未来の間の違い(未来と過去を区別する根本的な現象)は、熱いものから冷たいものへの熱伝導である」と言い切っており、熱力学、統計力学、エントロピー理論などについてさらに興味が沸くとともに、シンプルな結論付けはいかにも物理学者らしい見解だとも感じた。
ただ、誰もが身近に感じながらもその正体を暴くことができない"時間の流れ"については、その謎を解く鍵は熱であるとしながらも、最新物理学の理論でも明らかになっておらず、ブラックホールのメカニズムが解明されれば時間の流れとは何かが判明するだろうと述べており、このような未来へのロマンを感じさせる論調が多くの読者に受け入れられたのかもしれない。
本書は第6回講義までに、数式等を使わずに最新物理学についてわかりやすく解説されており、それだけでも一読に値するが、最後の第7回講義では、人類と自然との関わりについて、人類が抱く飽くなき知的欲求の素晴らしさ、物理学を学ぶ意義などが述べられて締めくくられている。
専門分野を基に、ただ真理を追究することに邁進する学者は数多いるだろうが、それだけでなく、大局的見地、哲学的見地、そして芸術的見地から物理学の素晴らしさや自然の美しさを世に広めることのできる著者と訳者に改めて敬意を表したい。
150ページ程度の文庫本ではあるが、物理に挫折した高校1年の時に読みたかったと心底感じた1冊であった。