大野裕之のレビュー一覧
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ネタバレチャップリンとヒトラー
メディアとイメージの世界大戦
著者 大野裕之
岩波書店
2015年6月25日 発行
9月ごろに読んだ本。
著者は1974年生まれで、10年以上前に仕事でお会いした時にはすでに、若くして世界屈指のチャップリン研究家と言われていた。京都でミュージカル劇団も主宰している。
最初に著者は「本書は二人の伝記ではない。本書は、チャップリンとヒトラーの〈闘い〉を描く。」と宣言している。1889年に4日違いで生まれた2人は、20世紀でもっとも愛された男ともっとも憎まれた男になった。この本を読むまで、チャップリンの「独裁者」は喜劇というビジネスと多少の正義感で作られたように思ってい -
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同年に生まれた喜劇王チャップリンとヒトラーは、世界に対する表現行動から見ると対照的であった。本書は、主にチャップリンの『独裁者』が生まれるまでの創作過程を綿密に追うことで描いている。20世紀の2つの大戦をつなぐ時代にキャリアの成長期を経験した二人は、自分が世界に何をもたらしうるかについて、深く考え、実際に大きな影響を及ぼしたわけだが、そのベクトルは異なる向きであり、表現活動は対立せざるをえなかった。
本書は、最近「どこまで言って委員会」で露出の増えた大野氏の、芸術創造に関する学術の香りが漂う力作だと思う。クリエーターという人種が、一つの作品を作るためにどれだけ熟考を重ね推敲を繰り返し努力するも -
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右にヒトラー、左にチャップリンを配した表紙絵が印象的である。
映画『独裁者』(The Great Dictator)が公開された1940年のイギリスの雑誌("All Family News Magazine")の表紙絵である。
片や、20世紀最大の恐怖の独裁者、片や、数々の不朽の名作を生んだ喜劇王。
実はこの2人、1889年4月、わずか4日違いで誕生している。
長じて似たようなチョビ髭を生やした2人だが、その生涯が非常に異なることは周知のとおりである。
本作では、映画『独裁者』を軸に、チャーリー・チャップリンがアドルフ・ヒトラーに挑んだ「闘い」に迫る。
チャップリンが監督 -
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・チャプリンはキャラクターイメージの概念を発見した人物。肖像権確立させた。
・トーキーに対抗するために「街の灯」全般にみずから作曲した音楽と効果音をつけて「サウンド版」として公開した。チャーリが声を出した瞬間にそれまでのイメージを壊してしまうから。
・世界旅行中にしたためた「経済解決論」と題した論文でヨーロッパ通貨統合を唱えてその通貨を「リーグ」と名付けていた。
私は独裁者たちに関する映画製作を断念したという間違った新聞報道のためにはっきりと述べておきたい。
・「私は、この映画を作るというもとの決心から揺らいだことはない。私がこのアイデアを諦めたという類の報道は、過去・現在、そして未来において -
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<目次>
プロローグ
第1章 食のおねだん
第2章 季節のおねだん
第3章 絶滅危惧種のおねだん
第4章 舞妓・芸妓のおねだん、すなわち京都のおねだん
エピローグ
<内容>
大阪生まれ、京都の大学を出てそのまま京都に住む、脚本家・プロデューサーの方の本。芸術系の人で京都住まいが長く、著名になると、京都でも「顔パス」に近づくらしい。
それはともかく、あったようでなかった本。タイトルを真に受けてはいけない。お値段のこともあるが、京都の文化論になっている(と言っていいのだろうか?)。「レモンケーキ」と梶井基次郎の『檸檬』の関係、抹茶パフェの由来、柊屋とチャップリン、紅葉の隠れスポッ -
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京都という独特の土地柄を、「おねだん」という視点から、著者の言われるRPGという感覚で体験するように読むことができます。体験するようにすっと一気に楽しく読むことができました。京都に来て感じた違和感は、排他的だったり妙に優しかったりとありますが、その理由の一部を知ることができるのではないでしょうか。具体的に値段を知ることができる内容ではなく、京都でのいろいろな買物を体験できるという着眼点で、なるほどと思いながら読ませていただきました。いろんな京都本はありますが、それらとはちょっとずれた視点からの書き方であり、それゆえよりディープに京都を知ることができるのではないかと思います。
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4日違いで生まれた、チャップリンとヒトラー。髭のカタチが結びつけた、その因果をチャップリンの「独裁者」を軸に語り尽くしている。いちばんうなずかされたのは、「独裁者」のデタラメドイツ語に都合のいい通訳がついていることの指摘。ドキュメンタリー映画にはご都合は盛り込まれている、毒が含まれていることを、自らのテリトリーである「映像」をも笑い飛ばしながら、毒で毒を制している。マクルーハン尾「メディアはメッセージである」というコトバを引用しながら、ナチスの「ドキュメンタリー映画」が存在する、という時点でそこには洗脳の、愛国への盲進へのメッセージが含まれている。ラスト、ハンナが「HEAR」ではなく「LIST
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