古川薫のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
『留魂録』は、吉田松陰が1859年10月27日に死刑判決を受けて即日処刑された、その前日に江戸小伝馬町の牢獄で書き上げた遺書である。本書には、『留魂録』本文のほか、解題、史伝が含まれ、松陰の生涯と時代背景についても詳しく解説されている。
松陰は、同じ遺書を二通書き、一通は萩の高杉晋作、久坂玄瑞らに届けられたが、その後所在不明になり、今日その正確な全文が伝わっているのは、牢名主であった男が自分が出獄した後、1876年に元長州藩士の元に届けた、もう一通によるものである。
『留魂録』の中で最も心に残るのは、穀物の収穫に例えて死生観を語った第8章、「(現代語訳)今日、私が死を目前にして、平静な心境でい -
Posted by ブクログ
ネタバレ文章で読んでいるだけでも教育者としての凄さが伝わってくる。諄々と諭すような講義を面と向かって学んだときの感化力は相当大きいのだろうなあと思った。ただ、松陰先生は行動に関しては粗忽なくらいに機を見ずにやっちゃう人だったのか?友人の仇討旅行につきあう約束をしたけど藩からの手形が間に合わなくて脱藩したり、黒船に乗せてもらおうと小舟で近づいたり、門下生に檄文飛ばして皆から諌められて錯乱したり、あげくに幕府が気づいていない計画倒れに終わったことを披露して死罪になった。革命の種子を蒔く人は、キレキレの頭の良さと、同じくらいにキレた行動をする人なのだろうなあ。
-
Posted by ブクログ
ネタバレ吉田松陰の遺書「留魂録」の全訳・解説の本です。以前読んだ「世に住む日々」を深掘りする意味で読みました。「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置まし大和魂」という有名な書き出しで始まる。歴史的な価値のあるものなのだろうが、その内容は死を前にして少し女々しい感じもしてしまう。又幕府につかまり、余計な事までしゃべってさらに刑を重くし遂には死罪となるくだりなど「なぜ」そんなにしゃべってしまうのかと思ってしまう。改革実行者というより師として卓越した先見性と指導力があったのだろうと思う。その後の松下村塾ほとんどの塾生は戦死、自刃しているが、彼らは師の意志をついで幕末から明治維新にかけて、歴史を動かす人々とな
-
Posted by ブクログ
江戸末期から明治にかけての短編歴史小説集。
「春雪の門」 愛した人と刃を交えることになった姉妹のお話。
「玉かんざし」 不世出の剣士、島田虎之助の最期。
「夜叉と名君」 薩摩の名君、島津斉彬の夜叉の顔とは。
「冬の花」 長府藩に殺害された中山忠光と下関の豪商・白石正一郎との縁とは。
「青梅」 高杉晋作をとりまく正妻・雅子、おうの、望東尼について。
「春雨の笛」 福岡脱藩、平野国臣と白石正一郎について。
「歳月の鏡」 明治末年まで店を構えていた京屋と幕末の剣客・野々村勘九郎のつながりとは?
この中の「夜叉と名君」は薩摩のお話。古川さんの薩摩モノは初めて読みましたのでちょっと驚きました。
薩摩