八木敏雄のレビュー一覧
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ネタバレラストシーンで思い出したのはジョジョの一部のラスト、あのシーンも棺桶で生かされるというメタファーがとても印象に残っていたのですが、この白鯨もそのような暗喩がありました。
しかもその棺桶は主人公の親友のクイークェグのもの。
分厚い三冊の上中下の冒険の物語は、終盤突然白鯨とぶつかり、あっさりと終わってしまいました。
粗削りな男が書いた男の物語なんだけど、どこかねちっこい感じが離れないなあ、と思っていたのですが、解説でイギリスではエピローグがない白鯨が発売されたと書いてあり、あの二ページのエピローグがなかった場合の事を考えた。
エイハブの怨念、鯨学、不吉な予兆、水夫たちのやりとり、重みを感じる長いページの末に船が沈没したところで終えるのも男らしくていいのかもしれない。滲み出る女々しさを払しょくしてくれる潔さがあるように思える。
三冊読み終えて、あの鯨の雑学やページ数を考えると、とてもすらすらと読めたように思えます。
偏に目標がしっかりと定まっていたからだと思います。
エイハブの怨念、そして白鯨への憎悪。これがこの物語の全てと言ってもいいと思うくらい。
エピローグ。棺桶で漂流したイシュメールはレイチェル号の息子への女々しい希望によって助けられた。
男らしい物語だと今まで思っていたのですが、実際は違うのかなと読み終えて感じました。 -
Posted by ブクログ
とても濃厚な読書体験であった。その要因は様々にあろう。真に迫った描写であったり、著者独自の思考論理であったり、衒学的な鯨知識であったり、卓越した文学的表現であったりと現代作家の小説にはない芳醇な体験を送ることができる。これが古典の魅力か。翻訳小説の魅力か。
正直、万人にはおすすめできない。読書初心者が読めば、その難解さに数ページで白旗を挙げる。強制されれば発狂するかもしれない。さらに物語とは関係ない鯨に関する説話や知識がひたすらに語られたりして、鯨に興味がない人間からすれば退屈に感じるだろう。なのである程度読書に慣れてきた頃合いに読んでいただきたい。人生に一度は読んだ方が良いとは思っている。それほどに文学している。
本書は刊行されたのが1850年代で、当時の日本でいえば開国もしていない江戸時代末期の時期である。そんな時代に日本からほど近い太平洋を舞台にして自然生物との激しい死闘が繰り広げられる物語を、遠く離れたアメリカの作家が実体験を元に描いていることに何かしらの因縁と浪漫を感じる。日本に開国を迫った理由の一つに太平洋での捕鯨活動の寄港地としての目的もあった。日本が鎖国をしている間に世界は鯨を捕るための大型船を作り大西洋、インド洋、太平洋をまたにかけて航海し、捕鯨活動から自国に大きな利益をもたらしている。この小説一冊だけでも文明の差を露骨にしている。
そういった背景を踏まえて本書と向き合うと、一小説と断ずることにささやかながら抵抗を覚える。私には一種の文献として捉えても良いように思えるのだ。
色々ごちゃごちゃ書いたが、言いたいことはたまには古典に触れるのも良いんじゃない、ということ。
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Posted by ブクログ
「白」の魔力を教えてしんぜよう。
そう言わんばかりに冒頭の章で「白」が持つ神秘性、潔白性、畏怖性、荘厳性などなど他の色には持ち合わせていない本質的な特別性が語られ、いかに「白鯨」という無限の可能性しか感じない存在の魅力を伝えんがせんとする姿勢は、文学の自由性を象徴しているかのようだ。普通の作家は白に注目して多角的に捉えて考察し紹介しようとはしない。
この他にも、捕鯨の仕方や捕鯨後の解体のやり方、鯨の器官に関する説明、鯨にまつわる神話の考察などなど、およそ捕鯨を目的とした航海物語の枠組みだけにはおさまらない小説となっている。いや、鯨に関する雑学本と言っても過言でない。
正直、読むのは中々にガッツがいる。翻訳本だし古いし、宗教や地理や歴史に浅いんだもの、「お前はとんだ無知人間だな」とひたすらボディーブローでサンドバッグにされていた。でも読み進めていくうちに慣れの影響か楽しくなってくるドM性も萌芽してくる。そう思わされるのは、間違いなく作家としての修辞や論理展開の緻密な言葉運びなのであろう。
もちろん、そもそもとして鯨に魅力を感じている自分もいるが、それ以上に著者の鯨に対する愛が迸っているのだ。執念といってもいい。あるいは小説というていを保った捕鯨の論文と言ってもいい。すなわち、1800年代の鯨捕りにとってのバイブルなのだ。
あぁ、メルヴィルよ。残すは下巻の一冊となってしまった。ピークオッド号の冒険もあと数日で終わってしまう。
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Q:なんでこの本を手に取りましたか?
A:なんかクジラの本が読みたくなったあぁぁ。
てな感じで読み始めた世界の名作小説「白鯨」。
うん、シンプルな題名。それゆえか覚悟も気迫も孕んでいることを窺える。
皆さんは白鯨と聞いてどういうイメージを抱くだろうか。私は怪物や伝説、神話など、どこか神秘性を帯びたものを想起する。少なくともひ弱なイメージはないだろう。ゲームでいえばラスボス待ったなし。そしてこの小説は伝説的な尾ひれがついたその白鯨に立ち向かおうとする物語である。おらワクワクすっぞ。
本作は発表が1851年と、ペリー来航の2年前の幕末期直前の時期であり、作中でも「日本の開国は目前にせまっている」とあり当時の雰囲気を生々しく感じることができる。
とても文学的で難解な表現や多種にわたる語彙もあったりして、正直子どもにおすすめできるレベルではない。一見して理解できないところも幾つもある。なので十分に理解できている訳ではない。でもそれでもいい、と思わせる面白さがある。まだ上巻しか読んでない段階だが、数年後にまた再読しようとすでに決めている。捕鯨のための船に乗船するまでに200ページ以上あるのだが、それでも面白くて読んでしまう。乗船前からすでに冒険物のワクワク感が滲み出ている。これは海外の作品だからだろうか。とにかく予期せぬ展開が続々と出てきて続きが気になるのである。
注意点
これは岩波文庫版であるのだが、冒頭に船の絵や航路図、登場人物の紹介があり、なんて親切なんだ(これと装丁が気に入って選んだ)と思って登場人物の紹介を読んでみたらガッツリ誰がどうなるかといったネタバレの記述がされていた。
「読んじゃったよ···」と意気消沈したが中身は楽しく読めているので「まぁいいか」と途中から吹っ切れて気にならなくなったが、これから読むかもしれない紳士淑女の皆々さまには、十二分に注意されたし。
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モービイ・デックが哀れだ。
何故こんなに漁師達の目の敵にされて、追いかけ回され銛を投げ付けられなければならないのか。
読み終えて、底なしの虚無感に襲われる。
激闘が終わって船長エイハブは死に、白鯨モービイ・デックは多くの銛や絡まる綱を引き摺りながら全身に傷を受け、満身創痍で広い大洋のなかを彷徨う。
怒るモーデイ・ビックの反撃で、エイハブは帰りを待つ若い妻と娘を残してボートと共に海の藻屑と消える。すべてを見届けて語り部となるイシュメール以外、乗組員は皆因縁の死闘に巻き込まれて、それぞれの人生を強制的に遮断される。
ピークオッド号はナンターケットから半年かけて大西洋やインド洋を通り日本沖で漁を重ね、大量の鯨油を積んで赤道直下の決戦場に到着する。
鍛冶屋は銛を研ぎ、エイハブの義足を作り直し、大工は水葬用の棺桶修理もして決戦に備える。途中同じナンターケットのレイチェル号が寄ってきて、船長から白鯨との戦いで行方不明になった息子二人の共同捜索を必死に懇願されるが、エイハブは断り、モーデイ・ビックの追撃を続ける。先を暗示する現象や乗組員の不気味な行動が続くうち、とうとう「仇敵を大洋の囲いに追い込む」。
下巻は95章から135章まで、細切れの短い章建てでキレよく書き連ね、前半の悠長な解説と細部にわたる分析を経て、後半は動的な緊迫感で読者を巻き込み、ともに闘う高揚感を盛り上げる。
最後には荒波のなか白鯨モーデイ・ビックが怒りの形相で読者をも水浸しにする勢いで、真っ逆様に迫って来る。海の総力戦は二人の決闘で天井を打つ。白鯨だけが生き残り、棺桶を浮輪にしたイシュメールを残して船員は皆滅び、船の残骸がどこまでも続く静かな海にたゆたう。
読者を引き込む凄まじい表現力だ。
すべての叙述がリアルで、この死闘に収束すべく構成されている。
マッコウ鯨漁の壮大な叙事詩であり
名作古典の名に恥じない圧倒的な長編大作である。 -
Posted by ブクログ
いままで新潮文庫で挫折、岩波の阿部知二訳で挫折してきたのが、講談社文芸文庫の千石訳では面白く一気に読んだ。岩波で新訳が出て、『白鯨』の研究書も出している八木敏雄訳となれば読まないわけにはいかないだろう、と出た時に購入したのだが、「わたし」という一人称になじみきれず挫折。(千石訳は「おれ」)
とは言うものの、あきらかに今までの訳よりも厚く、おそらくその理由のひとつであろう注釈の充実を考えるともう一度取り組んでみようと最近思い立って読んでみた。
「わたし」はいまだになじみきれないが、こういうちょっと冷静なかんじのイシュメールもまぁいいのかも。 -
Posted by ブクログ
『白鯨』新訳版、その中巻です。
上巻はイシュメールが船出するまでを描いて「物語」然としたところがありましたが、中巻はだいぶ趣が異なります。捕鯨船での日々、マッコウクジラとの死闘、そして鯨にまつわる衒学的・百科全書的な語りと、まさに鯨尽くし。特に第八十七章「無敵艦隊」は、鯨のユートピアとでも言うべき光景を描いていっそ幻想的ですらあります。
イシュメールの語りが「イシュメール自身」から「全知全能の第三者」まで自在に行き来するのも面白いところ。一人称から三人称への振り幅が大きく視点がころころ変わります。最初は読み辛いと感じるかもしれませんが、慣れてくるとこれがまた楽しい。イシュメールの視点と神の視点へ、また神の視点からイシュメールの視点へと行ったり来たりを繰り返すことで、捕鯨船ピークオッドの様相が立体的に浮かび上がってきます。
狂える船長エイハブ、高貴なる野蛮人クィークエグら、登場人物の魅力も相変わらず。特に、楽天家の航海士スタッブは諧謔においても捕鯨においても中巻の主役ともいえる活躍を見せてくれます。軽口を叩きながら離れ業をやってのけるスタッブの姿は必読かと。
上巻に引き続き、お勧めします。