ソローのレビュー一覧

  • 森の生活 (ウォールデン) 下

    Posted by ブクログ

    1100円

    447P

    再読
    2026/08/23

    「森に入り、必要最小限の物で、自分の手を動かして暮らす」という実践自体は、日本人にはそこまで突飛に見えない。里山生活、山村の自給、庵での隠棲、鴨長明や芭蕉、西行まで、自然の中で簡素に暮らし、世俗から距離を取る文化がすでに長くあるからね。

    ただ、ソローが当時のアメリカ社会に対して斬新だったのは、森暮らしそのものよりも、それを「近代的な労働・消費・所有への意識的な反抗」として行った点だと思う。土地を開拓して財産を増やすことが善とされた19世紀アメリカで、彼は逆に「人間は家や仕事を所有しているつもりで、それらに所有されている」と言った。西へ進み、自然を切り開く社会のただ中で、自然を征服せず、自分の欲望のほうを縮小した。

    日本の隠遁文学が、無常を知って世間から静かに退く方向だとすれば、ソローは森から社会へ向かってかなり攻撃的に批評している。だから生活の外形は日本人に馴染み深いけれど、その思想は「方丈記の庵に住むアメリカの反資本主義者」みたいな独特さがある。

    目    次
    森の生活(ウォールデン)(下)
    湖
    ベイカー農場
    より高い法則
    動物の隣人たち
    暖    房
    先住者と冬の訪問者
    冬の動物たち
    冬  の  湖
    ★春
    む  す  び
    解    説

    ヘンリー・デイヴィッド・ソロー
    (Henry David Thoreau、1817年7月12日 - 1862年5月6日)は、アメリカ合衆国の作家・思想家・詩人・博物学者。 アメリカのネイチャーライティングを確立し、またニューイングランド超絶主義を代表する人物の一人である。代表作『ウォールデン 森の生活』において、自然の中での簡素な生活と自己省察を記録し、近代以降の自然観・環境思想・ライフスタイル論に大きな影響を与えた。[1] また、エッセイ「市民の反抗」(Civil Disobedience)において、良心に基づく非暴力的不服従の正当性を論じ、後世の政治思想や社会運動に決定的な影響を及ぼした。[2]

    「ときどき、人間との交際やうわさ話にも飽き、村の友人たちの顔もひとりのこらず見てしまうと、私はいつも暮らしている場所よりずっと西のほうにある、この町でもあまり訪れるひとのない「すがすがしき森と新しき牧場へ 1」ぶらぶら歩いていったり、あるいは日没のころ、フェア・ヘーヴン・ヒルでコケモモやブルーベリーの夕食にあずかり、ついでに数日分のたくわえを摘み取ったりした。こうした実をひとから買って食べたり、市場へ出荷するために育てたりしている人間には、そのほんとうの味はわからない。それがわかる方法はたったひとつしかないのだが、そうするひとはめったにいないようだ。コケモモの味がどんなものか知りたければ、ウシ追いの少年かエリマキライチョウにでもたずねてみるがよい。自分で摘んだこともないのに、コケモモを味わったつもりになるのは、世間によくみられるまちがいである。コケモモはひと粒だってボストンに届きはしない。むかし、そこの三つの丘に生えていたことはあるが、以来、そこではまったく知られていない。この実でとりわけ風味のよい本質的な部分は、市場へ向かう荷馬車のなかで表面についている白い粉がこすれてなくなると同時に失われ、コケモモは単なる人間の飼料になってしまう。「永遠の正義」がこの世を支配しているかぎり、けがれなきコケモモのひと粒たりとも、田舎の丘から都会へと運ばれることはないのである。」

    —『森の生活 下-(ウォールデン) (岩波文庫)』ソロー, 飯田 実著

    「 ひろびろとした湖は、大気のなかにただよう精霊の存在を明らかにしてくれる。それはたえず上のほうから新しい生命と運動を得ているのだ。湖は大地と空との中間的な性質をもつ。地上では草と木だけが揺れるのに、ここでは水自体が風に吹かれてさざ波を立てる。光の縞やきらめきを見れば、風がどこを渡っているかわかる。湖面を見おろせるということはまことにすばらしい。やがていつの日か、私たちはこんなふうに大気の表面を見おろし、さらに名状しがたい精霊が、そこを吹きわたるのをまのあたりにすることができるであろう。」

    —『森の生活 下-(ウォールデン) (岩波文庫)』ソロー, 飯田 実著

    「そのころは、無為ということがもっとも魅力的で生産的な仕事だったのである。私はよく午前中にこっそりと村を抜け出しては、一日のうちでもっとも貴重な時間をそんなふうにしてすごすのが好きだった。金はなくても日のあたる時間と夏の日々はあり余るほどもっていたので、それらを惜しげもなく使ったのである。それに、私は仕事場や教師用の机の前でそうした時間をもっと費やさなかったことを、少しも悔やんではいない。ただ、私があの岸辺を去ってから、きこりたちはさらにひどく森を荒廃させてしまったので、森の小道をたどりながら木の間がくれに湖の景観を楽しむことなど、もう当分は望めなくなっている。私の詩神が、今後沈黙してしまうことになってもやむを得ないだろう。小鳥たちの森が伐り倒されているというのに、どうして彼らがさえずることを期待できようか?」

    —『森の生活 下-(ウォールデン) (岩波文庫)』ソロー, 飯田 実著

    「あるとき、私は偶然、虹のアーチのたもとに立った。虹は大気の低い層を満たし、あたりの草木を染めていた。私は色つきの水晶を透して眺めているようなまぶしさを感じた。それは虹の光の湖であり、そのなかで私はしばらくのあいだ、イルカのように生きた。もし虹が長くつづいていれば、私の仕事や生活にもいろどりを添えてくれたかもしれない。鉄道の土手道を歩いていたとき、私はよく自分の影のまわりに光の暈ができるのを見て不思議に思い、自分はきっと神に選ばれたひとりなのだと、うぬぼれてみた。私を訪ねてきたある男によると、彼の前を歩いていくアイルランド人たちの影にはそんな暈などかかっていなかったそうで、こうした栄誉に浴するのは、その土地に生まれついた人間だけだそうだ。そういえば、ベンヴェヌート・チェリーニ 3が回顧録に書いている。聖アンジェロ城に幽閉されていたころ、なにか恐ろしい夢か幻を見てからというもの、イタリアにいてもフランスにいても、燦爛たる光が朝な夕なに彼の頭の影の上にあらわれるようになり、とくに草が露に濡れているときなど、きわ立っていたという。これはおそらくいま述べた現象とおなじもので、私の場合もやはり朝方に、とくにはっきりと見られたが、別の時間にも たとえば月の輝く夜にさえ あらわれたのだった。ありふれた現象ではあるけれど、気づくひとは少ないので、チェリーニのように敏感な想像力の持ち主にあっては、迷信のもとにもなりかねないのであろう。しかも彼は、それをほとんどだれにもうち明けなかったと書いている。だが、自分は注目されていると意識する人間は、それだけでも選ばれた人間といえるのではあるまいか?」

    —『森の生活 下-(ウォールデン) (岩波文庫)』ソロー, 飯田 実著

    「もしわれわれが、あらゆる「自然」の法則を知っていれば、たったひとつの事実か、あるいは実際に起こったひとつの現象の記述を提示されるだけで、その時点に生じ得るすべての特定結果を推測することができるであろう。ところが現段階では、われわれはほんのわずかな法則しか知らないので、こうした推測の結果は、もちろん自然界の混乱や不規則性によってではなく、われわれの側が計算上不可欠な要素に対して無知であるために損なわれてしまうのである。法則と調和に関する人間の諸観念は、たいていの場合、発見できる実例のみに限られている。だが、一見矛盾しているようで、じつは一致している、さらに多くのいまだ発見されざる法則から生じる調和には、さらに驚嘆すべきものがあるのだ。特定の法則がわれわれの視点となっているところは、ちょうど、ある山の形は絶対にただひとつしかないのに、旅びとにとってはその輪郭が一歩ごとに変化し、無限の横  顔をもつことになるのと似ている。山を切り裂いたり、そこに穴をあけたりしてみても、山の全容を把握することはできないのである。」

    —『森の生活 下-(ウォールデン) (岩波文庫)』ソロー, 飯田 実著

    「 私が森の生活にひかれた理由のひとつは、春の訪れを見るゆとりと機会がもてそうだということだった。湖の氷がついに蜂の巣状になりはじめると、私は歩きながら靴のかかとをそこへ踏みこませることができる。霧と雨とあたたかくなった日ざしとが、徐々に雪を溶かしてゆく。日はめっきり長くなった。これからは大きな火を燃やす必要はないので、もうこれ以上薪の山をふやさなくても冬が越せそうだ。私は、春の最初のきざしを見つけようと注意をこらす。やってきた渡り鳥がふと洩らす歌声や、そろそろたくわえがなくなっているはずのシマリスの鳴き声は聞こえないか、冬ごもりを終えたウッドチャックが、勇をふるって巣から出てくるところが見つからないかと。三月十三日には、すでにブルーバード、ウタスズメ、ワキアカツグミなどの鳴き声を聞いたあとだったが、湖の氷の厚さはまだ一フィート近くもあった。気候があたたかくなっても、氷は川のなかのように、みるみる水に溶けたり、砕けて流れ去ったりするわけではない。それどころか、岸辺の氷は半ロッドの幅で完全に溶けてしまっても、湖の中心部は、蜂の巣状のまま水びたしになった結果、足で踏み抜くことができるとはいえ、依然として厚さ六インチの氷におおわれていた。しかし、あたたかい雨のあとに霧でもかかると、おそらく次の日の夕方までには全部の氷が溶けて、神隠しにでも遭ったように雲散霧消してしまうだろう。ある年のことだが、私は氷が消えてなくなるわずか五日まえに、湖のまんなかを歩いて渡ったことがある。一八四五年には、ウォールデン湖は四月一日にやっと完全解氷した。四六年は三月二十五日、四七年は四月八日、五一年は三月二十八日、五二年は四月十八日、五三年は三月二十三日、五四年は四月七日ころであった。」

    —『森の生活 下-(ウォールデン) (岩波文庫)』ソロー, 飯田 実著

    「 湖では、一年間の現象が毎日小規模に起こっている。大まかにいえば、浅い水は毎朝、深い水よりも急速にあたたまる。もっとも、結局はそうたいしてあたたまるわけではなく、夕方になれば次の朝まで、さらに急速に冷やされるにきまっているのであるが。一日は一年の縮図である。夜は冬、朝と夕べは春と秋、昼は夏である。氷がきしんだり、とどろいたりする音は気温の変化を示す。寒い夜が明けてすがすがしい朝を迎えた一八五〇年二月二十四日、私はその日一日をすごすつもりでフリンツ湖へ出かけていった。斧の頭で氷を叩いてみると、ピンと張った太鼓の皮でも叩くようなドーンという音が、周囲何ロッドにもわたって鳴りひびくのを知っておどろいた。日の出から一時間ほどたったころ、湖は丘の上から斜めにさしてくる陽光の影響を感知し、ごろごろと鳴りはじめた。湖は目覚めたばかりの人間のように、伸びをしたりあくびをしたりしていたが、しだいに騒々しくなり、そんな状態が三、四時間もつづいた。正午になるとしばらく昼寝をし、午後は太陽の感化が弱まる夕方になってもう一度とどろいた。天候が順調であれば、凍った湖はきわめて規則的に夕べの時砲を撃ち鳴らす。ところがその日は、真昼になると氷に無数のひびがはいり、大気も弾力性を失ってしまったので、湖はまったく共鳴音を立てなくなった。おそらく氷を叩いても、魚やマスクラットが肝をつぶすようなことはなかっただろう。漁師たちの話では、この「湖の雷鳴」がとどろくと魚たちはすっかりおびえてしまい、 に食いつかなくなるそうだ。湖は毎晩雷鳴をひびかせるわけではないし、私はその時刻を正確に言いあてることはできない。しかし、私には天候の変化が感知できない場合でも、雷鳴がとどろくことがある。これほど大きく、つめたく、厚い皮でおおわれたものが、これほど敏感だとは、いったいだれが想像し得たであろうか?  とはいえ、ちょうど春がめぐってくれば芽がふくらむように、湖がとどろくときには、まちがいなくそれが進んで従う法則があるのだ。大地はあまねく生きており、小さな乳頭状の突起物におおわれている。最大の湖も、管のなかの水銀の粒とおなじように、大気の変化に対してはきわめて敏感なのである。」

    —『森の生活 下-(ウォールデン) (岩波文庫)』ソロー, 飯田 実著

    「地面の雪がまだらに消えはじめ、あたたかい日が二、三日つづいて、その表面がある程度乾いたころ、折りから顔をのぞかせたばかりの、幼い春が芽生える最初のいたいけな兆しと、冬をしのいできた霜枯れの草木の堂々たる美しさとを比べてみるのは楽しかった。たとえば、ヤマハハコ、アキノキリンソウ、ハンニチバナをはじめとするしとやかな野草は、夏が来なくては美しさが熟さないようにみえて、そのじつ、この時期のほうが夏よりもかえって目立ちやすく、趣に富んでいることが多かった。さらに、ワタスゲ、ガマ、モウズイカ、ジョンズウォート、ハードハック、シモツケ、そのほか茎のしっかりしたいろいろな植物があり、いちばん早く渡ってくる鳥たちをもてなす無尽蔵の穀倉 少なくとも寡婦の「自然」が身にまとう、つつましやかな喪服 4 となっている。私は、とりわけ羊毛草の、弓なりに反った穀物の束のような先端部分に心をひかれる。それはわれわれの冬の記憶に夏を呼び戻してくれるし、芸術家が模写したがる形態のひとつでもある。この草はまた、すでに人間精神の内にあるさまざまな型に対して天文学がもっているのとおなじ関係を、植物界においてもっている。ギリシアやエジプトの様式よりも、さらに古い時代の様式である。冬の現象の多くは、いうにいわれぬいたいけなさと、壊れやすい優美さを底に秘めている。われわれはよく、冬の王が不作法で荒々しい暴君のように言われるのを耳にするが、じつは恋するひとのようなやさしさで、夏姫の髪を飾っているのである。」

    —『森の生活 下-(ウォールデン) (岩波文庫)』ソロー, 飯田 実著

    「 春が近づいたころ、私が腰をおろして読み書きをしていると、すぐ足もとの床下に赤リスが一度に二匹もぐりこんできて、それまで聞いたこともない、世にも奇妙なしのび笑いや、チュッチュッというさえずりや、旋回ダンスを思わせる声や、喉を鳴らすような音をしきりに立てた。私が床を踏み鳴らすと、彼らはいっそう大きな声でチュッチュッと騒ぎ立て、悪ふざけに熱中するあまり、恐怖も敬意もすっかりうち忘れ、人間に向かって、止められるものなら止めてみろ、とでも言わんばかりであった。おい、やめろよ 赤リス君 赤リス君たら。だが、彼らは私の言い分に耳を貸す気はまったくないのか、それともそんなものは頭から見くびっているのか、もはや手の施しようもないほど、つぎつぎと罵声を浴びせるのであった。  春いちばんのスズメ!  一年が以前にもまして、若々しい希望に燃えてはじまろうとしている!  ブルーバード、ウタスズメ、ワキアカツグミたちの弱々しい、銀鈴を鳴らすようなさえずりが、まだらに雪の消え残っている湿った野原を越えて聞こえてくる。冬の最後の雪片が、舞いおりながら触れあう音のように!  こんなとき、歴史や、年代記や、伝承や、文字で記されたあらゆる啓示がいったいなんだというのだろうか?  小川は春への祝ぎ歌と歓びの歌を口ずさむ。牧場を低く飛ぶハイイロチュウヒは、早くも目覚めたばかりのぬるぬるした生きものを探しまわっている。溶けかかった雪の崩れ落ちる音が、あちこちの谷間で聞こえ、氷は湖でどんどん溶けてゆく。丘の中腹では草が春の日のように燃えあがる ​ et ​ ​ primitus ​ ​ oritur ​ ​ herba ​ ​ imbribus ​ ​ primoribus ​ ​ evocata ​(「かくて草は、最初の雨にうながされ、いままさに萌え出んとする 5」)。あたかも大地が、戻ってきた太陽を迎えようと、内部の熱を送り出しているかのようだ。ただ、焰の色は黄色ではなく緑色であるが。永遠の青春の象徴である草の葉は、緑の長いリボンのように地面から夏に向かって流れ出し、たとえ霜に行く手を阻まれても、すぐまた前進し、地中にみなぎる新しい生命の力によって、去年、干し草として刈り取られた草の先端をもちあげる。草の葉は、小さなせせらぎが地中からにじみ出るように、着実に生長をつづける。この両者はほとんど同一といってよい。というのも、水が涸れてしまう六月の草の生長期には、草の葉がせせらぎの水路となるわけであり、年々、家畜の群れはこの永遠の緑の流れから水を飲み、草を刈る者は、そこからいち早く冬の飼料を み取るからだ。おなじように、われわれ人間の生命も、根元のほうまで枯れるだけであり、なおも永遠に向かって緑の葉を伸ばしてゆくのである。」

    —『森の生活 下-(ウォールデン) (岩波文庫)』ソロー, 飯田 実著

    「たった一度のやさしい雨が、草の緑色をいっそう深めてくれる。同様に、よい思想が到来すると、われわれの前途は明るくなる。もしわれわれが、つねに現在に生き、天から降ってくるわずかな露の感化をもありのままに表白する草のように、わが身に降りかかるあらゆる出来事をうまく活用できるならば、また、過去の好機を見のがしたことのつぐないに時間を費やして、それを義務の遂行と呼んだりしないならば、われわれは幸福になれるだろう。もう春は来ているというのに、われわれは冬をさまよっているのだ。すがすがしい春の朝には、すべての人間の罪が許される。こうした一日は悪徳への休戦日だ。春の太陽が燃えているあいだは、極悪非道の人間も故郷に帰ることが許されよう 9。われわれ自身がもう一度無垢になれば、隣人の無垢性もわかるようになる。昨日あなたは隣人のことを、泥棒、酔っ払い、好色漢と考え、彼に対してあわれみと軽 しかいだかず、世のなかに絶望していたかもしれない。だが、この最初の春の朝、太陽が明るくあたたかく輝いて世界をもう一度創りなおそうとしているとき、のどかな様子で仕事に精を出しているその男と出会い、疲れ果て堕落した彼の血管が、いまは静かな歓びにふくらんで、新しい日を祝福しつつ、幼いころのあどけなさで春の影響を感じ取っているのを目にすれば、その男のあらゆる欠陥は忘れられてしまう。彼の身辺には、単に善意の雰囲気がただよっているだけでなく、たとえ生まれたばかりの本能のように盲目的で頼りないものであるにせよ、神聖な香気すら発散の機会をうかがっているようであり、しばらくのあいだは南の丘の中腹も、下品な冗談にこだまを返したりはしなくなるのだ。見れば、彼の節くれ立った外皮からは無垢な美しい若枝が吹き出して、生えたての草木のようにやわらかいみずみずしい姿で新たな年に挑もうとしている。こうした男も「主」の歓びにあずかっているのだ 10。なにゆえ看守は牢獄のドアをあけ放っておかないのか なにゆえ判事は事件を却下しないのか なにゆえ説教師は集会を解散しないのか!  それというのも、彼らは神が与えてくれる暗黙の教えに従わず、神が万人に惜しみなくもたらす許しを受け入れようとしないからである。」

    —『森の生活 下-(ウォールデン) (岩波文庫)』ソロー, 飯田 実著

    0
    2026年08月24日
  • 森の生活 (ウォールデン) 下

    Posted by ブクログ

    下巻は、「森の生活」というタイトルにふさわしく、森での日々の自然観察に多くのページが費やされ、その中で生まれてくる思索が見事に織り込まれていきます。上巻同様、時代も場所も国民性も違う現代日本の読者には、すんなりとは理解しがたい皮肉や暗喩や例え話がちりばめられているので、読みやすいとは言えませんが、じっくりと取り組んでみると、深い味わいがあります。ここで語られているような生き方をそのまま実行することは難しいし、その必要もないと思います(ソロー自身、この生活は一時的な、実験的なものでした)。ただ折に触れて読み返すことで、欲に目のかすんだ自分を引き戻すことができる、そんな書です。

    0
    2025年02月26日
  • 森の生活 (ウォールデン) 上

    Posted by ブクログ

    宝島社文庫の真崎訳で読み始めたのだが、意味の取れない文がけっこうあって、この岩波訳で読むとちゃんと意味が通るので、語り口は好ましかった(一人称が"僕"なところとか)のだが断念。これを書いたときソローは30代なわけで、若干支離滅裂なのは仕方なかろうと思っていたのだが、この岩波の飯田訳を読むとそんなことはないことがよくわかった。いろんな訳で読んで、"私"で訳しているものはどうも冷たい感じがして結局読み続けられなかったのだが、意外とこの飯田訳はしっくり来る。読み進めていくと、地の文に埋め込まれているもっとフランクな語りかけとコントラストをつけるためにそうしていることがわかる。
    注もとても充実していて理解の助けになる。注についても、既存の訳は人名とか動物や植物の紹介だけで、文中の一見よくわからない言い回しに意味があることを伝えてくれないので、けっこう画期的。地味だけど、この訳が決定版だと思う。
    その後、小学館文庫の今泉訳を手に入れたので並行して読んでみたのだが、今泉訳は明らかにソローの言っていないことまで言っている。なんかナチュラリストのバイブルを地で行くかんじで、こういうのを期待して読む人はいそうだけど、かなり捏造に近い。注は意外と充実してていいんだけどな。

    0
    2025年12月14日
  • 森の生活 (ウォールデン) 下

    Posted by ブクログ

    上巻ですでに深い感銘を受けていましたが、下巻(後半)はさらに感銘を受けました。特に最後の章「むすび」はそこだけでも人生指南書としての価値があります。ソローは悟りをひらいた人、物事の本質を掴んでいる人、仏教的にいうならば、彼岸の智慧を得た賢者と呼ぶにふさわしいでしょう。俗世間の名声や権力、お金は虚飾であり、真の幸福は別の所にある。彼はそれを「実在」と呼んでいますが、2年にわたる森の生活でソローは「実在」についての確信を得るわけです。
    「汝の視力を内部に向けよ。やがてそこには、いまだ発見されざる、千もの領域が見つかるだろう。その世界を経巡り、身近な宇宙地理学の最高権威者となれ」
    「もしひとが、みずからの夢の方向に自信を持って進み、頭に思い描いたとおりの人生を生きようとつとめるならば、ふだんは予想もしなかったほどの成功を収めることができる」
    「われわれの内なる生命は、川の水のようなものである」
    これらは最終章に書かれているメッセージですが、最後のメッセージにありますように、この本自体があたかも川の水のようで、読者の心に潤いを(生命を)与えてくれる存在だと思います。何度も読み返したい本でした。

    0
    2023年05月02日
  • 森の生活 (ウォールデン) 上

    Posted by ブクログ

    いまから170年ほど前の米国マサチューセッツ州における著者の生活記録になります。まず感動したのが当時の写真が多数掲載されていること。ウォールデン湖、その周辺の森だけでなく、近くの町(コンコード)の当時の写真が掲載されていて、なんとものどかな雰囲気を漂わせています。そして著者のソローですが、ハーバード大学を卒業している「詩人博物学者」ということで、淡々と生活を記述するのではなく、ギリシャ神話の登場人物を持ってくるなどファンタジー小説のような味付けをしています。人間にとって本当の豊かさとはなにか、本当に必要なものはなにか、について考えさせられる本です。湖畔の山小屋で夜を明かし、早朝に小鳥の鳴き声や風のざわめきのなかを散歩をしているだけでどんなに心が豊かになるか、ということです。本書で興味深かったのは、ソローがたびたび孔子の論語を引用していることです。そのほかにも古代インドの叙事詩も引用することがありましたが、個人的にはなにか東洋的な価値観をソローから感じてそこは親しみを持ちました。下巻も楽しみです。

    0
    2023年05月02日
  • 森の生活 (ウォールデン) 上

    Posted by ブクログ

    心にオアシスを持つための助けになる本.

    ほとんどの現代人は社会生活を営んでいるが,実は人間に最低限必要なものはほとんどない.食料や寝床があれば十分なはず.というアイデアを,そのまま実践してみた近代の哲学者のウィットに富んだ自然と人間の観察録.

    この本を読むたび,だいたいの悩みはどうでもよくなってくる.どうでも良いことは忘れて,自分にとって大事なことだけに集中すれば良い.「何がどうでもよく,何はどうでもよくないのか」を見極めるため,今なら森に篭もらなくても,この本を読めば助けになる.

    0
    2020年11月17日
  • 森の生活 (ウォールデン) 上

    Posted by ブクログ

    名著です。何か、『隠遁生活のススメ』みたいな捉え方をされている向きもありますが、ソロー自身が

    『僕が森に行ったのは、思慮深く生き、人生で最も大事なことだけに向き合い、人生が僕に教えようとするものを僕が学びとれるかどうか、また死に臨んだときに、自分が本当に生きたと言えるのかどうかを、確かめるためだった。』

    と、本書で述べており、決して厭世思想ではありません。積極的に生きるための哲学として読まれることをおすすめします。

    0
    2020年09月13日
  • 森の生活 (ウォールデン) 下

    Posted by ブクログ

    名著です。何か、『隠遁生活のススメ』みたいな捉え方をされている向きもありますが、ソロー自身が

    『僕が森に行ったのは、思慮深く生き、人生で最も大事なことだけに向き合い、人生が僕に教えようとするものを僕が学びとれるかどうか、また死に臨んだときに、自分が本当に生きたと言えるのかどうかを、確かめるためだった。』

    と、本書で述べており、決して厭世思想ではありません。積極的に生きるための哲学として読まれることをおすすめします。

    0
    2020年09月13日
  • 森の生活 (ウォールデン) 下

    Posted by ブクログ

    ウォールデンの森での生活の秋から春へかけて、そして圧巻の「むすび」。生き方はこれしかないと思っていないか?労働の奴隷となっていないか?人間には野生という強壮剤が必要だ。生活をもっと単純化すれば、貧しさは貧しさでなくなり、弱点は弱点でなくなるという考えかたも理解できるし、そうできればと思う反面、やはり家族との生活はそこにはなかった点が最後までひっかかる。子供の生き方の選択肢を自由を考える場合、ミニマムな生活から他の生活を選ぶことは可能なのだろうか?他の人の税金によってなりたっている教育や医療やインフラを寄生虫のように使って、自分は自由に生きていると叫ぶのか?どのようにそうでない社会をつくっていけば良いのだろう。労働の奴隷にならないように心を保つ難しさなど肯定的にも否定的も考えさせられる生き方満載の、これは森の実践的哲学書なのだった。若い時に読みたかった。

    0
    2019年06月16日
  • 森の生活 (ウォールデン) 上

    Posted by ブクログ

    何より19世紀の人々も現代の我々より一層仕事や土地や様々なものに縛られ汲々と生きていた事に驚きます。 200年で進歩は無いのか? 
    自分で森の奥に家を建てて2年間暮らしながら思索を巡らすソロー。「訪問者」に出てくる樵が印象的。ミニマルな生活でいつも思うのは、1人で生活している人が実践する話だということ。家族、特に幼い子供や老人などと一緒の人達があえてこういう生活に挑んだという話は無いのか?子供や老人も余計なものというわけでも無いだろうに。でも、自由に生きられたらとも思う。自分の場合は引き換えに犠牲にしなければならないのは何だろう。

    0
    2019年06月01日
  • 森の生活 (ウォールデン) 上

    Posted by ブクログ

    稼ぐために稼ぐ、日々をただ忙しなく過ごす送る多くの人々への悲痛な思いを、自然に囲まれた中で淡々と語る。

    僕たちは、
    生きるために生きている。

    それを忘れてはいけない。

    0
    2017年11月30日
  • 森の生活 (ウォールデン) 上

    Posted by ブクログ

    ソローという人は今で言えば引きこもりかニートと言われかねない生活をしていた人だ。定職につかず結婚もせず、最小限の収入を得て多くの時間は思索にあてた。血がアウトドアの私はこの本を常に持ち歩いていた。

    0
    2015年09月06日
  • 森の生活 (ウォールデン) 上

    Posted by ブクログ

    これまでに出会った本の中でも、最高の部類に入る一冊。
    ついに自分がやらなければならない仕事に出会った人間は、生活必需品(衣食住燃料)以外に必要なものはない。いつの頃からか、屋根裏部屋で埃(誇り)を被っていた仕事着が一着あれば足りる。

    ■学び
    ①自分のやるべき仕事は、人には依存しないものがよい。(陶芸、執筆、研究)
    →地元の麦で美味しいビールをつくる。
    ※結果、誰かに喜んでもらえればよい
    ②自分のやるべきことはお金のイノベーション(ITで通貨を紙切れにする)
    →自給率の向上と物々交換の実現

    0
    2015年03月31日
  • 森の生活 (ウォールデン) 下

    Posted by ブクログ

    私にはほんとうの豊かさが味わえる貧しさを与えてほしいものだ。p48

    努力からは叡智と純粋さが生まれ、怠惰からは無知と肉体的欲望が生まれる。学究にとって、肉体的欲望とは、だらけた精神の習慣である。不潔な人間は例外なく怠け者だ。ストーヴにかじりついていたり、日だまりに寝そべってたり、疲れてもいないのにうつらうつらしたり。不潔さとあらゆる罪とを避けたければ、ウマ小屋の掃除でもなんでもいいから、一心に働くことだ。生まれつきの本性を克服することはむつかしいが、それを克服することが肝心なのだ。p93

    「汝の視力を内部に向けよ。やがてそこには、いまだ発見されざる、千もの領域が見つかるだろう。その世界を経巡り、身近な宇宙地理学の最高権威者となれ」p270

    【解説より】
    超越主義(transcendentalism):「実在を認識するにあたって、客観的経験よりも詩的直観的洞察力を重視する態度」p316 Cf. カント

    0
    2013年04月03日
  • 森の生活 (ウォールデン) 上

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    孔子「これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らざると為せ。是れ知るなり」p25

    家を建てるのに要した諸々の費用。p91

    一片の良識のほうが、月の高さほどもある記念碑よりも後世に残す値打ちがある。p106

    「この世に幸福な者がいるとすれば、それは広大無辺の地平線を自由に愉しむ者たちだけなのだよ」p156

    一日一日が、これまでけがしてきた時間よりも早くて、神聖で、曙光に満たされた時間を含んでることを信じない人間は、結局、人生に絶望しているのであり、暗さをつのらせてゆく坂道を転落しているのである。感覚的な生活がいったん中断されたあと、人間の魂、いや、むしろ魂の諸器官は、毎朝活力を取り戻し、そのひとの「霊性」は、ふたたび気高い生活を営もうと努力するのである。 p160

    【朝、起きているということ】p161
    『ヴェーダ』にも、「すべての叡智は朝とともに目覚める」とある。詩や芸術、もっとも美しく記念すべき人間の行動は、この時間にはじまる。
    道徳の向上とは、眠りをふり払う努力にほかならない。
    肉体労働をやれる程度に目覚めている人間ならいくらでもいるが。だが、知性を有効に働かせることができるほど目覚めている人間となると百万人にひとりしかいない。

    【森で生活をした理由】p162
    私が森へ行ったのは、思慮深く生き、人生の本質的な事実のみに直面し、人生が教えてくれるものを自分が学び取れるかどうか確かめてみたかったからであり、死ぬときになって、自分が生きてはいなかったことを発見するようなはめにおちいりたくなかったからである。人生とはいえないような人生は生きたくなかった。

    迷子になってはじめて、つまりこの世界を見失ってはじめて、われわれは自己を発見しはじめるのであり、また、われわれの置かれた位置や、われわれと世界との関係の無限のひろがりを認識するようにもなるのである。p304

    「政(まつりごと)をおこなうのになぜ刑罰を用いる必要があろうか?徳を愛せ。さすれば民もまた徳を慕うだろう。君子の徳は風のごとくであり、小人の徳は草のごとくである。風が草の上を吹き渡れば草はなびく」『論語』p307

    0
    2013年04月03日
  • 森の生活 (ウォールデン) 上

    Posted by ブクログ

    <28歳となった年、私は森に入った・・・2年2ヶ月2日の間の、自給自足による森での生活。>

    ヘンリー・デイビット・ソロー

    大きな物事が起こると価値観ががらりと変わることは良くあります。
    ひどく個人的な話なのだけれど、私にとって(私たちにとって?)3・11の東日本大震災はそういう“大きな物事”の一つに数えることができます。

    あの日、私たちの豊かで便利な生活は、非常に大きなリスクのもとに成り立っていることがわかりました。
    もともと頭では理解されていたものかもしれません。
    しかしそれが実際に起こった、肌で感じるものとなった。

    そして月日が経つにつれ、さまざまな考えが頭に浮かびます。
    「私たちは間違っていたのだろうか?」
    「利便を求めすぎていたのではないか?」
    「違った道があるのではないか?」

    その答えの一例をソローはこの本にあげています。

    美しいウォールデン湖のほとり、森での自給自足の生活を通じ、
    本当の豊かさ、人生をどういきるべきかを彼は述べています。

    神々しいまでの含蓄にあふれた言葉の数々・・・
    美しい森の中の風景、朝日、氷の張った湖・・・

    今読んでよかったし、これからも読み続けるでしょう。
    人生において必読の一冊。

    0
    2012年03月05日
  • 森の生活 (ウォールデン) 上

    Posted by ブクログ

    大学生の頃に始めて読んだのだと思う。所々なんとなく鼻に付くところもあるけど、今でもたまに手にとって読めるようにしてある。論語、ブッダの言葉、自省録とこれが定番化している。

    0
    2011年06月06日
  • 森の生活 (ウォールデン) 下

    Posted by ブクログ

    理想の生き方を実践するために森に小屋を立てて2年間暮らした中で得たソローの経験と思想。
    饒舌ながらも、くだけた流麗な語り口でさらさらと読める。ダジャレも見事な翻訳。

    美しい自然描写もあれど、力点はあくまで人はどう生きるべきかという問答。

    ウォールデン湖のように青いけど、少しばかりの生きる勇気と知恵を与えてくれる書物。

    0
    2010年08月28日
  • 森の生活 (ウォールデン) 下

    Posted by ブクログ

    上巻に引き続き、具体的な植物や動物の名前などを多々用いて彼の体験した生活を臨場感も持って伝えているが、あまりにも具体的すぎて植物図鑑を読んでいるような気持ちになってしまう。
    しかし、所々、この世界に生きている人間として学ぶべき事をしっかりと記してくれている。

    0
    2023年04月09日
  • 森の生活 (ウォールデン) 上

    Posted by ブクログ

    まだ途中だけど面白い
    テーブルの上に飾っておいた石灰石に「いや気がさして窓のそとへ投げ捨ててしまった」り、「(列車で)ビロードのクッションの上でひしめきあっているよりは、カボチャの上に座り、それを独占しているほうがずっといい」とか、本気なのかふざけてるのかどっちなんだ

    0
    2022年08月23日