あらすじ
ソロー(一八一七―六二)は、ウォールデン湖畔の森の中に自らの手で小屋を建て、自給自足の生活を始めた。湖水と森の四季の佇まい、動植物の生態、読書と思索――自然と共に生きた著者の生活記録であると同時に「どう生きるべきか」という根本問題を探求した最も今日的・普遍的なアメリカ文学の古典。湖とその周辺の写真多数を収める新訳。
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下巻は、「森の生活」というタイトルにふさわしく、森での日々の自然観察に多くのページが費やされ、その中で生まれてくる思索が見事に織り込まれていきます。上巻同様、時代も場所も国民性も違う現代日本の読者には、すんなりとは理解しがたい皮肉や暗喩や例え話がちりばめられているので、読みやすいとは言えませんが、じっくりと取り組んでみると、深い味わいがあります。ここで語られているような生き方をそのまま実行することは難しいし、その必要もないと思います(ソロー自身、この生活は一時的な、実験的なものでした)。ただ折に触れて読み返すことで、欲に目のかすんだ自分を引き戻すことができる、そんな書です。
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上巻ですでに深い感銘を受けていましたが、下巻(後半)はさらに感銘を受けました。特に最後の章「むすび」はそこだけでも人生指南書としての価値があります。ソローは悟りをひらいた人、物事の本質を掴んでいる人、仏教的にいうならば、彼岸の智慧を得た賢者と呼ぶにふさわしいでしょう。俗世間の名声や権力、お金は虚飾であり、真の幸福は別の所にある。彼はそれを「実在」と呼んでいますが、2年にわたる森の生活でソローは「実在」についての確信を得るわけです。
「汝の視力を内部に向けよ。やがてそこには、いまだ発見されざる、千もの領域が見つかるだろう。その世界を経巡り、身近な宇宙地理学の最高権威者となれ」
「もしひとが、みずからの夢の方向に自信を持って進み、頭に思い描いたとおりの人生を生きようとつとめるならば、ふだんは予想もしなかったほどの成功を収めることができる」
「われわれの内なる生命は、川の水のようなものである」
これらは最終章に書かれているメッセージですが、最後のメッセージにありますように、この本自体があたかも川の水のようで、読者の心に潤いを(生命を)与えてくれる存在だと思います。何度も読み返したい本でした。
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名著です。何か、『隠遁生活のススメ』みたいな捉え方をされている向きもありますが、ソロー自身が
『僕が森に行ったのは、思慮深く生き、人生で最も大事なことだけに向き合い、人生が僕に教えようとするものを僕が学びとれるかどうか、また死に臨んだときに、自分が本当に生きたと言えるのかどうかを、確かめるためだった。』
と、本書で述べており、決して厭世思想ではありません。積極的に生きるための哲学として読まれることをおすすめします。
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ウォールデンの森での生活の秋から春へかけて、そして圧巻の「むすび」。生き方はこれしかないと思っていないか?労働の奴隷となっていないか?人間には野生という強壮剤が必要だ。生活をもっと単純化すれば、貧しさは貧しさでなくなり、弱点は弱点でなくなるという考えかたも理解できるし、そうできればと思う反面、やはり家族との生活はそこにはなかった点が最後までひっかかる。子供の生き方の選択肢を自由を考える場合、ミニマムな生活から他の生活を選ぶことは可能なのだろうか?他の人の税金によってなりたっている教育や医療やインフラを寄生虫のように使って、自分は自由に生きていると叫ぶのか?どのようにそうでない社会をつくっていけば良いのだろう。労働の奴隷にならないように心を保つ難しさなど肯定的にも否定的も考えさせられる生き方満載の、これは森の実践的哲学書なのだった。若い時に読みたかった。
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私にはほんとうの豊かさが味わえる貧しさを与えてほしいものだ。p48
努力からは叡智と純粋さが生まれ、怠惰からは無知と肉体的欲望が生まれる。学究にとって、肉体的欲望とは、だらけた精神の習慣である。不潔な人間は例外なく怠け者だ。ストーヴにかじりついていたり、日だまりに寝そべってたり、疲れてもいないのにうつらうつらしたり。不潔さとあらゆる罪とを避けたければ、ウマ小屋の掃除でもなんでもいいから、一心に働くことだ。生まれつきの本性を克服することはむつかしいが、それを克服することが肝心なのだ。p93
「汝の視力を内部に向けよ。やがてそこには、いまだ発見されざる、千もの領域が見つかるだろう。その世界を経巡り、身近な宇宙地理学の最高権威者となれ」p270
【解説より】
超越主義(transcendentalism):「実在を認識するにあたって、客観的経験よりも詩的直観的洞察力を重視する態度」p316 Cf. カント
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理想の生き方を実践するために森に小屋を立てて2年間暮らした中で得たソローの経験と思想。
饒舌ながらも、くだけた流麗な語り口でさらさらと読める。ダジャレも見事な翻訳。
美しい自然描写もあれど、力点はあくまで人はどう生きるべきかという問答。
ウォールデン湖のように青いけど、少しばかりの生きる勇気と知恵を与えてくれる書物。
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上巻に引き続き、具体的な植物や動物の名前などを多々用いて彼の体験した生活を臨場感も持って伝えているが、あまりにも具体的すぎて植物図鑑を読んでいるような気持ちになってしまう。
しかし、所々、この世界に生きている人間として学ぶべき事をしっかりと記してくれている。
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前半に比べお説教が影を潜め、生き生きとした森の動物たちや、冬の湖の美しい描写には心を洗われた。森の中で静かに生活をしていたのかと思っていたけれど、大変活動的で恐れ入った。蟻たちが繰り広げた大戦争についての描写は臨場感満点でお見事でした。
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静かに自然と共に生活する豊かな日々が語られる。愛情あふれる動物たちの観察がおもしろい。欲のためにあくせく働いて自らを酷使する私達に何のための仕事か立ち止まるきっかけを与えてくれる本。それにしても彼のギリシャ・ラテンや聖書、インド・中国の古典に精通した教養は素晴らしい。
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19世紀のアメリカにおいて、資本主義の発展について、原初的であるからこそ本質的な洞察をかいま見ることができる著書。その意味において、現代人にとっても大いに示唆的。しかしこの本の眼目はまだ残されていた広大な自然、その中での生活のありようを感じることができることだろう。
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自然があってこその人類の繁栄である。それを忘れてしまった社会に向けて異議を論じている。ソローが実際に2年間、森で自給自足した足跡を読むことができる。
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20170503 ようやく上下巻読み終えた。自分のこれからの生き方の参考にと思って読み始めた。比喩には付いていけないが気持ちでわかる部分が多い。本当に理解するにはどこかで一度一冬過ごしてみないとダメなのでは。機会を作ってやってみるか。
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米国の作家ヘンリー・ソローが、マサチューセッツ州ボストン郊外のウォールデン湖のほとりで過ごした2年2か月の生活を綴り、1854年に発表した作品の下巻。
著者は、本書に以下のような様々な思いを記している。
「私は、一等船室に閉じこもって旅をするよりも、平水夫としてこの世界のマストの前に立ち、甲板上にとどまりたいと願っていた。そこにいると、山あいを照らす月の光がじつによく見えたからである。いまとなっては、もう船室におりてゆく気にはなれない」
「なぜわれわれは、こうもむきになって成功をいそぎ、事業に狂奔しなくてはならないのだろうか?・・・めいめいが自分の耳に聞こえてくる音楽にあわせて歩を進めようではないか。それがどんな旋律であろうと、またどれほど遠くから聞こえてこようと。リンゴやオークの木のように早く熟成することなど、人間にとっては重要ではない」
「仮に私がクモのように、終日、屋根裏部屋の片隅に閉じこめられていたとしても、自分の思想を失わないでいるかぎり、世界は少しも狭くなりはしない」
そして、「私は、森にはいったときとおなじように、それ相応の理由があって森を去った。おそらく、私にはまだ生きてみなくてはならない人生がいくつもあり、森の生活だけにあれ以上の時間を割くわけにはいかないと感じられたからであろう」と決心する。
「新たな夜明けが訪れようとしている。太陽は明けの明星にすぎない」
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仕事に打ち込むこと、自分のペースを保つことなど、今に通じるものを感じます。
さすが古典の名著というところでしょうか。
自然に対する細かな描写などは、著者の自然への愛情を感じることができました。
しかし大変なボリュームや膨大な脚注など、やっと読み終えたというのが正直なところで、己の不勉強さを嘆きます。