辺見庸のレビュー一覧
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映画とは異なっていた。映画は、施設で働く職員側(またその家族)からの視点で描かれていたが、原作の小説は施設に住む方からの視点で描かれている。
重度の障害を抱える方が、どのようなことを実際に感じているか思っているかはわからないが、この小説で書かれてるような詩情的ではないにせよ、それに近いことを感じてるかもしれないなと思った。
特に痛みの記載については、行動障害を抱える方の抱える痛みに近いものがあるとしたらと思うと、何とも言えない気持ちが湧き上がってきた。
この本を読んで、障害を抱える方への支援について偉そうなことを思ってきたかもしれないと、反省させられた。
何か結論やヒントが分かるわけではないが、思考や考えが変わるような、一読すべき良書と思った。 -
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上巻が長くきつくなかなか進まなかった。
何故自らが、存命中の父に問いただすことができなかったことを執拗に想像と状況的な判断で、おそらくこうであっただろうと、父も自分も打ち続けるのか、なかなかその文脈で寄り添う事が難しかった。
下巻になり、戦後70年代半ばまではまだ町中で見かけた傷痍軍人(本書にならうと、存在はみたことがあるからしっているがなんでそこにそのようにおられたかよくわからない小さな自分には、ショーイグンジンだった)
父親のスリッパで殴る発言、虐殺関係者に天皇が栄典、、数々の戦争犯罪行為を表彰栄典などなどされたものは取り消される事もなく、戦犯とされたもののうち今でいう上級市民のような上位のものは許される国政などの華やかなところに戻り繁栄つづけ、、、すっかり忘れていた、昭和天皇のアッソウと、文学のあや、広島の原爆投下はやむをえない、
など少し前ならみんなが知っていたような事を今は自分もすっかり忘れてしまっていて、戦後とか戦後民主主義という言葉の中で戦争を知らないなりに反戦の風景を自分なりに思い描いていたが今はそんな事誰も知らないし反戦とか軍備を持たないとか若い人にはわからないように、恥を知らぬ者たちに支配され長い年月、たかだか70年なのに、わからないように喧伝されこんな世の中になってしまった。
自分が小津安二郎に全く関心もなく好きではない理由もよくわかった。国立映像アーカイブの日本映画史の展示でも感じた通りであった。
空気と記憶の抜け殻、自問もしないし、自答もしない、何事もなく続いていく無責任の系譜。
自らを鞭打ち死んだ父親を鞭打ち、恥じて、
辺見庸が、堀田善衛や武田泰淳に学び続く細々としたもう一つの系譜、辺見庸考え省み慄き恐れ恥じる系譜を意識すること。今を何とかすること。できなくても忘れないこと思い出すこと思い出させることだけでも。
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ネタバレ本著の作者辺見庸が世界中を旅しながら”いまこの世界で人は何をくっているのか”をテーマに書いた「もの食う人びと」。
「反逆する風景」は、その「もの食う人びと」と表裏一体をなす作品。「もの食う人びと」が善なるもの、新聞的なもの、自己規制されたものであれば、対して「反逆する風景」は、悪なるもの、新聞には描かれないもの、規制をせず辺見庸が愛するもの。
表裏一体だからこそ、もの食う人びとを読んでからではないとこの本は味わえないし、もの食う人びとを読んだことがある人ならばこの本は必ず読んでほしい。
共同新聞の元記者である辺見庸が、新聞的ではないものを描こうとするこの本における挑戦は、同時に彼なりの日本のジャーリズム批判につながり、辺見のジャーナリズム感が出ている。
今日の報道では、ひとつの完結したストーリーを叙述し、メッセージを強調するために、数々の風景が捨て去られていく。あるいは、風景に無理やり意味を付与しようと試みる。しかし、風景がそうした意味づけや捨象に反逆する。「無駄」や「余白」を孕んだ風景こそが事実を補強し、あるストーリーの中で強烈に光を放つ。そして辺見はそれらに強い愛着を持つ。
辺見に反逆してきた風景の、おはなしである。 -
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ネタバレ重い重いテーマだけれど、知らないといけないと思った。今まで知らない世界だから、自分の中で無いと思っていたことがわかり、そんな自分にショックを受けた。
さとくんは障害に位置づけられるのではなく、これは思想だ、ということが印象深い。優生保護法という考え方があった。私が生まれた時にはまだ障害を持った人が学校にも行っておらず、それに疑問がなかった。出生前診断のこと。22週までは認められる中絶のこと。そして、戦争という名のもとに当たり前に多くの人が亡くなるのに、戦争犯罪は悪だ、という違い。日本も戦争で多くの人を亡くしてきた。その時代はそれが当然の思想。
何が良くて何がいけないのか、思想だから、ということでただ受け入れるのではなく、答えは出ないかもしれないけど考えることをやめてはいけない、と強く思った。 -
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重心とよばれる方々と関わる仕事をしています。
日常的に接する中で、彼、彼女らは確実に「人のこころ」を持っているし、むしろ、それがむきだしで、さまざまな忖度がないと思っています。彼らと好意をもって関わろうとしている人たちは、全員ではないにしろ、その忖度のなさに魅力を感じている人は多くいると思っています。
ただ、そういったある種、悲しいかな少数派の感覚をもった人の世界で生活していると、社会一般から、この世界がどう捉えられているかわからなくなり、それはそれで、平穏なことではないとも日々感じます。
辺見先生は、人間のおどろおどろしい局面に入り込み、この一冊に表現してくださっています。
本来であれば、私たちのように彼らに好意的感情をもって、生活している人たちにもぜひ読んでもらいたいです。 -
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語り手が障害を持っている主人公きーちゃんであるというのが新しい。きーちゃんの考えが淡々と述べられ、最初は読みづらさがあったがきーちゃんが考えているコト、きーちゃんのさとくんへの想いがしっかり頭に入り込んで終盤にかけての展開は息を呑んだ。
多くの人に一度は読んで重度身体障害者、施設スタッフの現状を考える作業をしてほしいと思った。
私は実際に重度身体障害者の方に会ったこともなければ介助をしたことがあるわけでもない。
テレビの中で施設の方が介助をしてるのを見たとしてもテレビで映せる綺麗な部分を一部分だけ。実際には想像もできないような神経が削られる出来事、場面がたくさんあるのだろう。
その事実が人格や考え方を変えてしまうこともあるとは思う。
しかしどの命にも優劣はなく天秤にはかけてはいけない。これは当たり前。
問題と思ったのはこの重度身体障害者の介助をしているスタッフの心のケアがしっかり出来ているのか。さとくんのように現実を目の当たりにして心が壊れる瞬間が生まれてはいけない。あの事件が起こった容疑者側の背景にも目を向けたい。
日常的に入居者への虐待が行われてしまっている施設もあると言われてる今、しっかりとその根本に目を向けなければならない。互いが対等であり人としてあり続けるためには尊重が必要。その尊重を作るにはまず施設スタッフの気持ちに寄り添った働き方を作らなければならないのだと感じた。 -
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辺見庸(1944年~)氏は、宮城県石巻市生まれ、早大第二文学部卒、共同通信社の北京やハノイの特派員を務めた。外信部のエース記者として知られ、1979年に日本新聞協会賞を受賞(共同受賞)、1987年、胡耀邦総書記辞任に関するスクープにより、中国当局から国外追放処分を受けた(国外追放処分を受けるのは、ジャーナリストとしての勲章とも言われるらしい)。1991年、『自動起床装置』で芥川賞、1994年、『もの食う人びと』で講談社ノンフィクション賞を受賞。1996年、共同通信社を退職し、以降、フリーのジャーナリスト、小説家、詩人。
私は、著者の作品では、暫く前に『もの食う人びと』を読んで衝撃を受け、東日本大震災後には、石巻出身の著者が、日本を覆った空気への違和感を綴った『瓦礫の中から言葉を-わたしの〈死者〉へ』を読んで、目を見開かされたのだが、本書(講談社文庫版)については、今般たまたま新古書店で目にし、『もの食う人びと』と関連する作品と知って、手に取った。(尤も、改めて『もの食う人びと』をめくってみると、船戸与一が解説で『もの食う人びと』の本質を理解するための「絶好のサブ・テキスト」として、本書のことを詳しく書いており、当時は気付かなかっただけなのだが。。。)
本書は、1987~95年に「現代」、「朝日ジャーナル」、「中央公論」、読売新聞等の雑誌・新聞に掲載された評論・エッセイをまとめ、1995年に出版、1997年に文庫化された。(講談社文庫絶版後、2014年に鉄筆文庫で復刊)
本書について著者は、「『もの食う人びと』を補足し、表裏をなすもの」、また、「『もの食う人びと』で、私は概して自分の「善」なるもののみ作動させ、「悪」および善でも悪でもない他愛もないもの、ないしは無意識のあからさまな登場を禁じた」が、そのことに対する「落とし前」をつける必要があった、と書いている。
そして、本書には、上記の通り、様々な文章が入っているのだが、通底しているのは、表題作の「反逆する風景」に書かれた、「風景はしばしば、被せられた意味に、お仕着せの服を嫌うみたいに、反逆」し、「この世界には意味のないことだってあるのだ」ということを訴える、ということである。
新聞やテレビなどの組織ジャーナリズムは、その業として、物事を如何にシンプルにわかり易くするか(伝えるか)に苦心するものであるが、そもそも世の中の物事の多くはそんなにシンプルではないし、著者が強調するように、しばしば意味のないことすら含まれていることは事実である。私は、物事に意味を見出そうとすること、また、一見意味の無さそうな複数のことに因果を見つけ出して、より大きな意味を発見しようとすることが無駄だとは考えないが、そうしたアプローチを過信することの危険性は強く感じる。そうしたアプローチによって、人間社会の近代化が目覚ましい進展を見せたことは間違いないが、21世紀に入った現在、近代文明社会が様々な壁にぶつかっているのは、その手法に限界があるからなのだ。
著者特有の毒気の強い題材・表現に好き嫌いはあるような気がするが、物事の見方、感じ方をリセットするための強い刺激になる一冊とは言えるだろう。
(2024年1月了) -
Posted by ブクログ
相模原障害施設やまゆり園で起こった障害者殺傷事件をモデルとした物語。
身動きも出来ない「きーちゃん」は思う事だけは出来る。
そのきーちゃんの別人格「あかぎあかえ」や犯人の「さとちゃん」の思いで構成されていく。
非常に読みにくいが、その読みにくい文章で障害者の思い、障害者に対する思いを表現しているのだろう。
最後の数ページはさとちゃんが事件を起こしている時の思い。
「こころ」があるか無いかで殺すか殺さないか決めていく。実際の犯人は話せるか話せないかで決めていったらしい。
自分や家族が重い障害を抱えてない事に安堵する自分を見つめ直す作品でした。