辺見庸のレビュー一覧
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映画とは異なっていた。映画は、施設で働く職員側(またその家族)からの視点で描かれていたが、原作の小説は施設に住む方からの視点で描かれている。
重度の障害を抱える方が、どのようなことを実際に感じているか思っているかはわからないが、この小説で書かれてるような詩情的ではないにせよ、それに近いことを感じてるかもしれないなと思った。
特に痛みの記載については、行動障害を抱える方の抱える痛みに近いものがあるとしたらと思うと、何とも言えない気持ちが湧き上がってきた。
この本を読んで、障害を抱える方への支援について偉そうなことを思ってきたかもしれないと、反省させられた。
何か結論やヒントが分かるわけでは -
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上巻が長くきつくなかなか進まなかった。
何故自らが、存命中の父に問いただすことができなかったことを執拗に想像と状況的な判断で、おそらくこうであっただろうと、父も自分も打ち続けるのか、なかなかその文脈で寄り添う事が難しかった。
下巻になり、戦後70年代半ばまではまだ町中で見かけた傷痍軍人(本書にならうと、存在はみたことがあるからしっているがなんでそこにそのようにおられたかよくわからない小さな自分には、ショーイグンジンだった)
父親のスリッパで殴る発言、虐殺関係者に天皇が栄典、、数々の戦争犯罪行為を表彰栄典などなどされたものは取り消される事もなく、戦犯とされたもののうち今でいう上級市民のような上位 -
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ネタバレ本著の作者辺見庸が世界中を旅しながら”いまこの世界で人は何をくっているのか”をテーマに書いた「もの食う人びと」。
「反逆する風景」は、その「もの食う人びと」と表裏一体をなす作品。「もの食う人びと」が善なるもの、新聞的なもの、自己規制されたものであれば、対して「反逆する風景」は、悪なるもの、新聞には描かれないもの、規制をせず辺見庸が愛するもの。
表裏一体だからこそ、もの食う人びとを読んでからではないとこの本は味わえないし、もの食う人びとを読んだことがある人ならばこの本は必ず読んでほしい。
共同新聞の元記者である辺見庸が、新聞的ではないものを描こうとするこの本における挑戦は、同時に彼なりの日 -
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ネタバレ重い重いテーマだけれど、知らないといけないと思った。今まで知らない世界だから、自分の中で無いと思っていたことがわかり、そんな自分にショックを受けた。
さとくんは障害に位置づけられるのではなく、これは思想だ、ということが印象深い。優生保護法という考え方があった。私が生まれた時にはまだ障害を持った人が学校にも行っておらず、それに疑問がなかった。出生前診断のこと。22週までは認められる中絶のこと。そして、戦争という名のもとに当たり前に多くの人が亡くなるのに、戦争犯罪は悪だ、という違い。日本も戦争で多くの人を亡くしてきた。その時代はそれが当然の思想。
何が良くて何がいけないのか、思想だから、ということ -
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重心とよばれる方々と関わる仕事をしています。
日常的に接する中で、彼、彼女らは確実に「人のこころ」を持っているし、むしろ、それがむきだしで、さまざまな忖度がないと思っています。彼らと好意をもって関わろうとしている人たちは、全員ではないにしろ、その忖度のなさに魅力を感じている人は多くいると思っています。
ただ、そういったある種、悲しいかな少数派の感覚をもった人の世界で生活していると、社会一般から、この世界がどう捉えられているかわからなくなり、それはそれで、平穏なことではないとも日々感じます。
辺見先生は、人間のおどろおどろしい局面に入り込み、この一冊に表現してくださっています。
本来であれば、私 -
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語り手が障害を持っている主人公きーちゃんであるというのが新しい。きーちゃんの考えが淡々と述べられ、最初は読みづらさがあったがきーちゃんが考えているコト、きーちゃんのさとくんへの想いがしっかり頭に入り込んで終盤にかけての展開は息を呑んだ。
多くの人に一度は読んで重度身体障害者、施設スタッフの現状を考える作業をしてほしいと思った。
私は実際に重度身体障害者の方に会ったこともなければ介助をしたことがあるわけでもない。
テレビの中で施設の方が介助をしてるのを見たとしてもテレビで映せる綺麗な部分を一部分だけ。実際には想像もできないような神経が削られる出来事、場面がたくさんあるのだろう。
その事実が人格 -
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辺見庸(1944年~)氏は、宮城県石巻市生まれ、早大第二文学部卒、共同通信社の北京やハノイの特派員を務めた。外信部のエース記者として知られ、1979年に日本新聞協会賞を受賞(共同受賞)、1987年、胡耀邦総書記辞任に関するスクープにより、中国当局から国外追放処分を受けた(国外追放処分を受けるのは、ジャーナリストとしての勲章とも言われるらしい)。1991年、『自動起床装置』で芥川賞、1994年、『もの食う人びと』で講談社ノンフィクション賞を受賞。1996年、共同通信社を退職し、以降、フリーのジャーナリスト、小説家、詩人。
私は、著者の作品では、暫く前に『もの食う人びと』を読んで衝撃を受け、東日本 -
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相模原障害施設やまゆり園で起こった障害者殺傷事件をモデルとした物語。
身動きも出来ない「きーちゃん」は思う事だけは出来る。
そのきーちゃんの別人格「あかぎあかえ」や犯人の「さとちゃん」の思いで構成されていく。
非常に読みにくいが、その読みにくい文章で障害者の思い、障害者に対する思いを表現しているのだろう。
最後の数ページはさとちゃんが事件を起こしている時の思い。
「こころ」があるか無いかで殺すか殺さないか決めていく。実際の犯人は話せるか話せないかで決めていったらしい。
自分や家族が重い障害を抱えてない事に安堵する自分を見つめ直す作品でした。 -
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タモリさんが、昨年12月に「徹子の部屋」に出演しました。
黒柳徹子さんから「来年(2023年)はどんな年になるでしょう?」と訊かれ、タモリさんはやや間をおいて「新しい戦前になるんじゃないでしょうか」と答えました。
私は番組を見ていませんが、当時ネットでちょっとした話題になったのを覚えています。
この件は本書でも触れられており、辺見庸さんはタモリさんの発言に「そのとおりである」と全面同意しています。
実は辺見さんは、もう十年、いや二十年くらい前から、「今は新しい戦前なのだ」と言い続けてきました。
私は、辺見さんの指摘にいちいち得心しながら、頭の片隅では疑ってもいました。
それは少しオーバーなので -
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「自動起床装置」、日常生活には珍しいように感じるが、私も毎日起こしてもらっているスマホのアラームも似たようなものなのかもしれない。そういえば何十年も人に起こしてもらっていない。
一日のかなりの時間眠っているけど、人から見たら私の眠りはどんな風だろう。自分の眠っているとき、自分の意思が及ばない(むしろむき出しと言えるかもしれない)状態のため、それはとてもプライベートな姿だと感じる。また、「眠り」については考えても「起きる/起こす」ことについてはあまり考えたことがなかったことに気づいて新鮮で面白かった。
聡は自動起床装置の導入に危機を感じるが、それは自分の仕事を奪われるからではない。装置によって人