渡邉義浩のレビュー一覧
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邪馬台国については、日本古代史学者や考古学者の間で議論が喧しいが、本書は、中国の三国時代の研究を専門とする中国史学者が、それらの議論を踏まえつつ、従来の議論とは違った視点で「魏志倭人伝」や邪馬台国について論じている。すなわち、「魏志倭人伝」が含まれる『三国志』という史料の性格に着目し、『三国志』を著した陳寿の偏向、曹魏の内政と外交、陳寿に代表される史家の世界観などに起因する倭人伝の歪みを取り除き、邪馬台国の真実に迫ろうとしている。
中国史の立場から、邪馬台国に関する議論に一石を投じる書である。西晋の司馬氏の祖である司馬懿の顕彰を意図するという『三国志』の史料的性格、また、その「倭人伝」への影響について、よく理解することができた。また、著者の「魏志倭人伝」の解釈は概ね納得できるものだと感じた。歴史学の王道的方法論である史料批判の良き実践例であると思う。 -
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三国志・・・
吉川英治の小説、三国志・・・
横山光輝のマンガ、三国志・・・
李學仁&王欣太のマンガ、蒼天航路・・・
北方謙三の小説、三国志・・・
三国志は読んだなぁ・・・
歴史小説や歴史マンガで避けて通れないのが三国志であります・・・
中国の話だけど、メジャー中のメジャー・・・
蒼天已死、黄天当立の黄巾の乱から、曹魏・蜀漢・孫呉の三国が鼎立し、その三国が(西)晋に天下統一されるまでの約100年の物語・・・
登場人物マジ多数マジ多彩・・・
その多すぎる登場人物が、各人野望や理想を胸に、武や智や義をぶつけ合い火花を散らすわけです・・・
人の世の浮き沈みってものを多士済々で豪快に彩って魅せて教えてくれるわけです・・・
この点が三国志最大の魅力ですよね・・・
熱い・・・
そして儚い・・・
三国志ヤバイぜ・・・
その、とにかくヤバイ三国志ですが・・・
現代日本で一般的に知られているのが吉川や横山の三国志・・・
そのもとになっているのが三国志『演義』ってヤツです・・・
三国志と三国志演義って何が違うのか?って言うと、演義の方は結構話を盛ったりされてる『お話』、歴史小説なわけです・・・
有名な言われ方で、演義は『7割の事実に、3割の虚構』と評されております・・・
三国志の方は『正史』・・・
実際の正しい歴史と言いたいところだけど、必ずしもそうというわけではなくて、三国を統一した晋の正統性を宣伝するための歴史書というもの・・・
正確な正しい事実だけが書いてあるというわけではない・・・
晋は曹魏から皇統を受け継いだので、曹魏を正統として書かれている・・・
演義は中国の歴史的な思想事情を背景に、蜀漢を正統として、かなーーーり蜀漢贔屓で書かれている・・・
蜀漢の劉備こそ正義で・・・
智のスーパースター諸葛亮・・・
義のスーパースター関羽・・・
悪者のスーパースター曹操・・・
物語の道化役として孫呉の面々という感じ・・・
では・・・
史実は?いったいどうだったのか?
本書は裴松之の注釈など、三国志に関する様々な史料を基に・・・
演義ではこうだけど、正史ではこうで、さらに史実ではこうだった、とそれぞれの違いをクッキリ浮かび上がらせてくれる・・・
浮かび上がってくるのは・・・
曹操の抜きん出た果断さと異能さと先進性・・・
周瑜、魯肅の有能さと大戦略・・・
水と魚に例えられる劉備と諸葛亮の実は微妙な緊張感漂う関係性・・・
袁紹や袁術、公孫瓚、孫権などの君主と、張昭や陸遜、荀彧などの名士たちとの君臣の力関係、間合いの取り方・・・
などなど、とても面白い・・・
魯肅は想像以上の戦略家だったようで、えー、演義の扱い酷すぎない?とツッコミ入れたくなったほど・・・
天下三分の計って、本当の意味でのものは魯肅が生み出した革新的な戦略だったんですね・・・
それから蒼天航路が(盛りすぎだけど)比較的史実に近い感じだったんだなぁ、とも思いましたわ・・・
儒教思想、そして漢という国の粘り強さというか、当時の人たちへの浸透の凄さというのも意外でしたね・・・
後漢って末期でもはやボロボロで、簡単に曹魏に取って代わられたという印象だったけど、どうしてなかなか一筋縄ではいかない漢や儒への強烈な信奉というか、愛着というか、そういうのがあったんですね・・・
後漢だけでも約200年続いたわけで、それだけの年数の間で慣れ親しんだものを替えるってのは、乱れきっていたとしても難しいもんだっていうのが分かるし・・・
曹操っていうのはだから余計にスゲー人だなって感心しましたよね・・・
いやー、比較して見ていくので、演義、正史、史実の違いが分かりやすいし、何故違うのか?何故そうなったのか?っていう背景も解説してくれるんで、とても興味深かった・・・
史実で見ても三国時代ってのは面白いですわ・・・
やっぱり三国志はヤバイ・・・ -
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一般に荒唐無稽な通俗小説とされる「三国志演義」。本書ではまず、漢王朝の思想的根幹をなし、その後も代々の中華王朝で称揚されてきた倫理哲学である「儒教」を理想化するツールとして「演技」が成立したことを紹介。さらに、その元となったとされる「正史」も含めた諸書の中で魏呉蜀その他の勢力のがどのような扱いを受けているかを検討し、そもそも「正史」 ですら執筆者の特定の王権への偏向を内包したものであることを明らかにする。「儒教」的・「漢」的なものを保存し後世に伝達する者を称え、そうでない者を貶めるという、「正史」という字面とは裏腹の偏向性が、これらの諸テクストを彩っているというのが面白い。
「漢とローマは、それぞれ中国とヨーロッパの古典「古代」なのである」。この著者の言葉が、「漢」王朝が単なる一王朝としての存在を超えて、二千年の古来から現代にいたるまで中国人の思想にいかに深い影響を与えているかをわかりやすく伝えていると思う。 -
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名士論。後漢三国時代を名士論で解き明かす。晋代には彼らは貴族となる。地元の有力豪族にして、儒学を収めた名士は、特に高名な名士から評価をもらい、その名士グループに所属する。彼らは時に敵対陣営に所属しながらも連絡を取り合い、また主君に推薦するなどして影響力を行使した。また有力な名士はその一族がついてくるので、無視しえない力をもった。代表的な所で荀彧や周瑜など。彼らが戦いに与えた影響をみていく。個人的には三国鼎立を創り上げた魯粛、劉備政権を益州に確立させた法正、儒家の理想の聖漢一統の実現を目指した諸葛亮、理想と現実の狭間で苦しんだ荀彧などが面白かった。
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三国志に登場する軍師34人について、演義と正史のエピソードを交えて紹介する本です。
軍師についての総論の後、国別に一人一人紹介していくわけですが、一番面白いのは実は総論でした。
一般的には、軍師というのは、文官のイメージが強いと思います。しかし、中国では平時には文官、戦時には武官どちらともなれる存在であることを主張します。
そして、何より、軍師になるような人物は、名士と呼ばれる中国内の有名人ネットワークを駆使しており、そのネットワークには派閥があったと語っています。そして、三国時代とは、名士の派閥間、および名士と主君の主導権争いの歴史であったことが示されます。
派閥間の競争は、国家間のみならず、国家内部(例えば魏内部だけでも複数の派閥がある)でもあったことを本書では示しています。名士の派閥は、大きくは、儒学的な価値観を漢王朝維持に置くか、新王朝を立てる方に置くかに別れます。
この時代においては、名士の派閥の力に抗するのは容易ではなく、かの諸葛亮でさえその呪縛から逃れられませんでした。それどころか、自分の派閥を拡大させようとさえしており、劉備との主導権争いすら演じているというのです。
軍師達は、名士であるが故に人望とネットワークがあり、君主は彼らを臣下に持つことにより、民からも認められ国を治めることができたのです。しかし、軍師達は自分の持つ理想の儒学国家を目指しました。ここに、君主と軍師の対立の構図が浮かび上がります。
本書では、名士を軸にして、魏が孫呉と蜀漢を滅ぼし中国統一を成し得た理由、その後司馬家により簒奪を許す結果となった理由をも解き明かしています。 -
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昔から広く読まれ,今も小説(吉川英治),漫画(横山光輝),ゲーム(?)で大人気の三国志。曹操,関羽,諸葛亮の三人を中心に,『演義』と正史(含裴注)がどう描くか見比べながら読む。
まず三国志のテキストがどう変遷していくのかを確認。西晋の陳寿が著した『三国志』に,劉宋の裴松之が注をつけた。そしてこの正史や口伝をもとに,明の羅貫中が虚構を取り混ぜた『三国志演義』としてまとめて,これが普及した。『演義』も様々にテキストが変わっていく。羅貫中の作は散逸してしまっていて,たくさんの異本が残っている。20世紀の日本では,明の李卓吾本が,吉川英治の小説を通して受容されたが,中国では,李卓吾本から派生した清の毛宗崗本が決定版である。
毛宗崗本では,曹操,関羽,諸葛亮を「三絶」と称して強調する。順に,「奸絶(奸の極み)」,「義絶」,「智絶」とする。小説『三国志演義』はもともとフィクションを交え,悪役曹操,義の人関羽,天才諸葛亮をデフォルメして庶民にウケやすい物語にしたが,毛宗崗本はその完成版ともいえる。
陳寿の『三国志』は簡潔で,例えば結構有名な登場人物趙雲についての伝がわずか2tweet分しかない。246文字。これに裴注は『趙雲別伝』1096字を補っている。裴松之が陳寿のとりこぼした史料を拾ってくれたおかげで,後世に伝わった史実は少なくない。
このように『三国志』と裴注は,比較的当時に近い時代に,残っていた史料をもとに書かれている。これに対して,『三国志演義』は,おもしろおかしくストーリーを仕立てて,三国志の物語を広めようという意図のもとに作られたので,虚構がかなり盛り込まれている。
例えば曹操による有名な呂伯奢殺害事件というのがある。これは董卓暗殺に失敗した曹操が逃亡中,父の友人である呂伯奢一家を殺害した事件。これは陳寿『三国志』になく,裴注が補った三史料も家人殺害しか載せていない。曹操の奸を強調するのは『演義』特に毛宋崗本からである。正史『三国志』は曹操の魏を正統とする立場で書かれているので,曹操を悪く書かない。それに対して『演義』は漢王室の流れをくむ劉備を正統とするので,曹操は徹頭徹尾悪として描き,劉備の蜀は善,孫権の呉は道化として描いている。あからさまに一般受けを狙っている。
関羽については,主人である劉備に対して義であるのみならず,曹操に対しても義であることが示されて「義絶」が強調される(顔良を斬って劉備のもとへ帰るエピソード)。「智絶」諸葛亮などは,策謀だけでなく,魔術をつかって風を起こしたり,人知を超えた活躍をさせられる。
「死せる孔明,生ける仲達を走らす」は三国志の終わりごろのエピソードと記憶されるが,これは『演義』から。諸葛亮の死は,約百年続いた三国時代のちょうど中間くらいだが,民間受けを狙う以上,ここをクライマックスにしない手はない。
結局,三国志は正史に始まり,いろいろと変容を受けて小説『演義』にまとまり,登場人物の役回りも決まってきて物語は分かりやすく,魅力的になり,日本でもそのように受容され消化されてきた。正史そのままでなく,このように純化・洗練されてきたからこそ,今に至っても根強い人気があるのだと思う。おそらく今でも(ネット時代の今だからこそ?)三国志はさらなる変容を受けてまた違った読み方ができるようになっているのだろう。まったくフォローできていないが。