杉田俊介のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
なかなか読むのに時間がかかったが、面白い本ではあった。
特に最初の2章が良かった。常々葛藤していたこと、『交差的な複合差別」、が、書かれていた。
ーーーーーーーー
多くの人は、複数の社会的アイデンティティを持ち、特権集団(支配集団)と劣位集団(従属集団)のいずれにも属しうるし、ある面では支配的だが他面では被支配的でもありうるからです。
ーーーーーーーーー
男性ではないが、ある場面では、この本の言うところの“支配集団“であったりすることで、どう向き合うことが「正しい」のか葛藤することが多いゆえ。
なお、中盤はいささかマジョリティ男性の今後にやや楽観的すぎるように感じ、終盤は世界に対してやや悲観的すぎるようにも感じたが、他の文献への入門としても、面白い本でした。
#マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か #metooに加われない男たち #杉田俊介 #読書記録 -
Posted by ブクログ
アルバム「昭和」まで聴いていた。その後の長渕はどこか暴力的になり、マッチョになり、「右」にみえたりしてどんどん遠ざかって行った。最近、その「昭和」までの長渕を二十数年ぶりにまた聴くようになった。そうした機会にこの本を手にとった。長渕本人について何も知らなかったから。著者も同じような時期に長渕を聴いていたが、同じ違和感を感じていた。どういう経緯をたどって長渕が変わったのかが書かれてあり、長渕への違和感や疑問も率直につづられていた。長渕本人にもインタビューしていた。終章は難解だったが、長渕本人の理解を深めることができた。長渕の新曲を平成に入ってほとんど聴かなかったが、東日本大震災について歌った「いのち」という曲を聴いた。とても感動した。
-
Posted by ブクログ
長渕剛のデビューの頃は小学生で、それから20代初めのころまでよく聴いたアーティストの一人でした。それが、彼が役者をやり始めたころから、音楽も美しさよりもささくれだったものが目立ち始め、やがて暴力や薬物の事件もあって、彼の音楽からは離れていきました。今は、たまに昔の歌を思い出したように聴くことがある程度で、ほとんど聴いていません。
著者は、これと同じような長渕体験をしてきたと本書で語ります。しかし、著者は長渕に対して感じる違和感を突き詰めようとします。劣等感、見栄、正義感、寂しさなど。
本書は著者が長渕に対して抱いていた違和感が、2015年の富士山でのライブで解消するところでクライマックスを迎えます。また、長渕へのインタビューは、長渕の人となりが垣間見えて興味深い。
評論としてはまとまりに欠けるところがあると思いますが、長渕剛という人に関心がある人には、面白い一冊かと。 -
Posted by ブクログ
タイトルに引かれて読んでみたんだけど、正直なところ小難しくてわたしにはよくわからなく、斜め読みに終わってしまったという感じ。
でも、とかく男は正しさを主張したがるけど、「正しい男」ではなく、弱さを見せることができ、他者の弱さも受容できる「まっとうな男」になるべきだというのはうなずける。とはいえ、「まっとうな男」でなく「まっとうな人」でいいんじゃないのとも思うけど。
この本は基本的に「私たち」という人称で書かれている。「私たち」とはマジョリティ男性である私たちということだろうけど、ちょっとズルいな、腰が引けてんじゃないのと思う。同じことを『さよなら俺たち』という本でも思ったんだけど、「私たち」「俺たち」とすることで広く「達(たち)」に訴えかけたり、「達」の意見表明という色合いがつくけど、こういうのって一緒くたにしていいものなのって思うからだと思う。「たち」にすることで自分が直接矢面に立つのを避けているような。自分の意思・意見なんだから「たち」はなくていいんじゃないだろうか。男ってよく「男はみんなエッチなことばっか考えてんだよ」みたいに、自分を含む自分たちを囲いたがるけど、そういうのと同じ感じがしてしまって残念。 -
Posted by ブクログ
正に学ぼうという感覚で。先輩から借りました。
少なくとも自分より圧倒的多くの知見に触れてきた人が現在ホットなジェンダー的話題をどのように捉えているのかが気になって。
以下、感想。
自分は無意識の優生思想がある人間なのでしょうか。学び続ければそれは無くなるのでしょうか。
都合の良いところだけ切り取って男女平等だ!とか自分も言っちゃってるのかな、、なんだかゾッとした。
自分は異性愛者ですが、仮に愛する者に女性らしい何かを求めたとしてそれは何だ。それを何と捉える。
日常に活かしきれない内容だなぁという正直な印象だけど、活かしきれないのは自分の知見の無さなのかなぁとも思うわけで、なんだか釈然としないのです。
映画を用いた説明はとても興味深く面白かった。
全体的に思想つよっ!でも目を背けてはいけませんね。 -
Posted by ブクログ
学術的な内容を期待して読み始め、最初のほうは「うんうん」と頷きながら読んでいましたが、だんだん「?」になってきて、あとがきに「エッセイ」とあってズッコケてしまいました。まあ、自分が勝手に期待して読んだだけなので、杉田さんが悪いわけではありませんが・・・。
杉田さんの男性問題三部作のうちの、既刊の2部を読んでみる必要はあるかもと思いました。
自分は中年独身男性なので身につまされつつも、結婚には向いてないと気づいてもう生涯未婚かなと腹をくくり始めているので、開き直りつつ、でも女性に不快感を与えないように清潔感のあるおっさんを目指そうと思っています。嫌われたくはないけど、好かれる必要もないので、空気のような目立たない存在を目指そうと思ったのでした。 -
Posted by ブクログ
#MeToo運動や男性社会への疑義の風潮などに迷いや戸惑いを覚えているマジョリティ男性に向けて、男性問題について考える足場を作ることを意図した本。
全体的に理解はできるが納得しがたい感じだった。これでは、従来から著者と同じような考えを持っている人の考えを固めることにはつながっても、フェミニズムに一定理解を持ちつつも戸惑いを覚えているマジョリティ男性という本来届いてほしい層には、本書の内容は届かないんじゃないかと思う。
まず、入門書的な文体と謳ってるけれども、全然そんなことはなく、多くのマジョリティ男性にはハードルが高い内容であることが気になった。また、全体的に観念的で、日々の暮らしの中でまずどうしていったらよいかが不分明である。そして、反資本主義的姿勢が強く、最終的に(マルクス主義とは異なるとはいっているが)階級闘争に結びつけるなど、いわゆる「左翼」風味が強すぎて、多くの人はついていけないと思われる。
ただ、賛同できない部分はあるにせよ、決して内容が悪いというわけではなく、フェミニズムや男性問題について考えるための材料には富んでいる。特に、「ズートピア」、「ジョーカー」、「パラサイト」などの最近の映画をフェミニズムの観点から読み解く試みは興味深かった。 -
Posted by ブクログ
「非モテ」という男性たちの悩みは、同情を受けにくい。日本社会が男性優位につくられているのは火を見るよりも明らかだし、中には女性たちに対して身勝手な要求や逆恨みを募らせるような有害なタイプもある。「勝手に悩んでろ」と上野千鶴子氏が乱暴に切り捨てるのも無理はないか。
だがフェミニストたちには、男性たちの自己嫌悪が見えていないと、著者は森岡正博の言を引きながら言う。たしかにそうかもしれない。高い自殺率にみられるように、男性たちが女性たちにくらべて、自分の弱さを認めにくく助けを求めにくいということはある程度知られており、だからそのような男らしさの縛りから抜け出そうと、メンズリブは言ってきた。
しかし著者が縷々述べる苦しみは、一般に流通した「非モテ」男性像をはるかに超えた深刻さを呈している。男である自分の容姿や性的身体を嫌い、抑圧的な社会集団の一員である自分を呪う。その自己否定は、「男になんて生まれてこなければよかった」と思ってしまったり、自分の子どもが「男でなければいい」と願ってしまうほどで、とても「勝手に悩んでろ」などとはいえない。
ウーマンリブは、男性中心社会において価値が低いものとされる女性性と女性としての自分にとことん向き合いもがくところから始まった。そうしてフェミニズムが解体してきたロマンチックラブイデオロギーやルッキズムという自縛装置に、むしろ男性たちがこれほど深く絡めとられているとはまったく予想外だった。
本書は、愛する女性パートナーと出会い子をもうけてもなお若い頃から苦しめられてきた「非モテ」という名の自己嫌悪から長く抜け出すことができなかったと告白する著者が、自己解放のために考え、同じ悩みを抱えた男性たちに向けて、他者や自分に攻撃を向けることなく、「弱く価値のない自分」に向き合おうと訴える。特に第1章は、引用されている漫画も含めて、かなり切実であり衝撃的でもあった。
一方でどのような男性たちが、なぜそのような隘路に陥ってしまうのか、他の男性性や女性性との関係といったことについては、あまり納得のいく分析は提示されていない。長いこと男性性と結び付けてこられた学業や社会的な達成、経済的自立が、新自由主義的な社会の中でますます競争的になり達成が難しくなっていくときに、「なにもない自分」を承認するという課題が、異性愛的なかたちでしか示されていないという問題が大きいと感じるが、別のアプローチで考えてみる必要がありそうだ。 -
Posted by ブクログ
まえがきにある著者の言葉、「多数派の「男」である以上、女性解放や#MeTooに直接自分の声を重ねたり、性差別に対する怒りを主張する資格があるのか。自分たちの特権や思い込みを突き崩される痛みや葛藤なしに、社会批判的な言葉を口にできるのか。それもまた、女性や性的マイノリティ当事者の声を代弁したり、掠め取ったり、盗用したりすることではないのか。」に、女性であるわたしもなんだかとても共感できるのだった。女性として嫌な目にあうこともあるけれど、それほどひどい目に遭ってこなかった(これから遭う可能性はいくらでもあるが)自分としては、著者の言うように近年の動きの中で、なんだかとても居心地の悪い思いをしていたから。