杉本鉞子のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
英語で書かれた著書を日本語に翻訳した作品で、ぜひ原文も読んでみたいと思った。内容は本人の半自伝的なもののようだ。前半は日本での生活、後半は結婚して渡米した後の生活が描かれている。
武士の家の様子は非常に厳格で、きちんとしており、すごいと感じた。特に、お坊さんから勉強を教わる場面では、身動き一つせずに話を聞き、教える側のお坊さんも手と唇以外は動かさないという徹底ぶりである。このような苦しさを伴う修行は、心の成長につながると考えられていたようで、現代ではなかなか受け入れられないだろうが、その中でエツがしっかりと武士の娘としての礼儀を身につけている点は、とても素晴らしいと思った。
また、アメリカに渡ってからは、日本とアメリカの考え方や生活の違いを比較しながら、エツなりに深く思索している様子が印象的だった。その姿から、日本で武士の娘として受けた厳しいしつけが、彼女の思考や行動の土台になっているのではないかと感じた。
翻訳も素晴らしく、文章が、非常に自然で美しい。読後、感情のさわやかさが続く。 -
Posted by ブクログ
江戸時代の武家の師弟に対する教えの厳しさを改めて思いました。
家名を汚すこと無く人生をおくるための男子・女子を問わない決め事。
それに理屈無く従うという厳正なルール。会津藩の「什の掟』の最後、「ならぬことはならぬ」を思いました。
越後長岡藩は、徳川の三河以来の家来、牧野家であったということは、司馬遼太郎の「峠」で知っていました。
河井継之助と反駁した筆頭家老の娘さんであったということです。
平時であれば、依然として筆頭家老の家筋であることは、徳川家康からいただい由緒あるもののくだりが出てきていました。
そういう家系の武士の娘に対する教育、とにかく一貫しています。
だから、激動の時代、数奇な運命も堂々と乗り越えられたのでしょう。
読んでいて、爽やか、読み終わって爽やか、司馬遼太郎が激賞したのが理解できました(笑)。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ幕末の長岡藩と言えば河合継之助が有名だけれど、筆頭家老の稲垣家に生まれたお嬢さまが著者、杉本鉞(えつ)子だ。
最も彼女が生まれたのは維新の後だけれど。
しかし、戊辰戦争を捕虜としてではあるけれども武士として生き抜いた父と、万事に控えめで奥ゆかしいが芯の強さを持った母、武家の教示を最後まで持ち続けて祖母などに育てられた少女は、雪深い長岡でのびのびと少女時代を過ごし、武士の娘としてのたしなみと、変わりゆく世界への興味と、神仏や祖先への畏敬の念を持って成長していく。
一度もあったことのない男性と結婚するのは、当時の女性には当たり前のことだったが、当たり前でないのは相手がアメリカ在住の日本人であったこと。
武士の娘として日本の文化を徹底的に躾られてきた彼女は、アメリカの文化に触れ、その違いに驚きつつも柔軟に受け入れる。
”かつて、赤ら顔の異人さんや黒船の話に耳を傾けていたエツ坊は、今度は自ら黒船に乗って、異人さんの暮らす遠い国で新しい家庭を築くことになりました。そして、東も西も人の心は同じだという事実を学んだのです。しかしこれは、ほとんどの東洋人に、いや、西洋人にさえ隠された秘密です。(中略)赤ら顔の異人さんと神国日本の人びとは、いまだに心を通い合わせていません。大切な秘密が明らかにされないまま、船の往来だけがいつまでも、いつまでも続いています。”
劇的な人生を送った人ですが、それを感じさせないくらい人生を楽しんでいるのが素晴らしい。
アメリカの人たちに日本人とその暮らしを紹介した文章ですが、今となっては純粋日本人の私も知らないような日本古来の風習やその意味を教えてくれるのが大変ありがたい。
実に興味深く面白く読みました。 -
Posted by ブクログ
女優杏さんの『杏のふむふむ』で、この本に触れられており、興味を持って、購入。
読んでいて、とても新鮮だった、
幕末の武家の精神、教養の高さが出ており、また、躾の厳しさとそれに答える幼い作者の人格も素晴らしい。
ひとつひとつの文章が、読者に何か語りかけているようで、目の前に、作者がいるようで、ありありと感情が伝わってきた。
読み終わって知ったのだが、著者が渡米中に、新聞社に寄稿してまとめたのが、原著『A Daughter of Samurai』として、出版されたこと。
自分が読んだ本は、日本人による翻訳されたもの。
その翻訳された方は、大正時代の生まれの方で、辛うじて(?)江戸末期〜明治時代の激動の時代を肌で感じている人だろう。
そのためか、英語から日本語訳されたものであるにもかかわらず、原著者の言葉に近いものに感じる、
「武士の娘」として生きた筆者(杉本鉞子)の心持ち、姿勢、気品の高さがうかがえる一冊。 -
Posted by ブクログ
明治初期に旧長岡藩の家老武士の旧家に生まれ、お嬢様育ちの書者が生活習慣の違うアメリカに嫁に行くという。「当時婚約は、私個人の問題ではなく家全体にかかわる事と思っていましたから、誰方のところへと尋ねてみようと思いませんでした。まだ十三歳にも満たない私のことでございますから、何もかも人任せでありました。当時の女は皆こんな風だったのでございます」と書かれています。当然、婚約相手の顔も、知らないのです。等々
アメリカへ渡った明治生まれの著者は、アメリカの習慣に染まることなく日本人の作法を一所懸命に説明するのは、この小説がアメリカで出版されたが故であります。現代では、かなりの面で日本文化や伝統が紹介され理解されているであろうが、著者がアメリカ人の奇異な側面も描き記されているのです。
誇張ではなく、現代の日本人の忘れ去ってしまった習慣が否定ではなく、受け入れられる人は、その風習がわずかでも残っているなら共感できるが、今の若者には、想像も出来ないかもしれない。
日本の作法は、感情を表に現さず辞儀(所作)と想いなのだろうと思う。
著者は、数年間コロンビア大学で日本文化史の講義をされました。この本は、ドイツ、フランス、デンマーク、スエーデン等七か国語に翻訳され世界の多くの友を得たという。
清らかで美しい日本語の文章に魅了され、期待を裏切らない名著であると確信します。 -
Posted by ブクログ
原題は「A daughter of the Samurai」で、自伝として書いたのではないから「The」ではなく「A」としたそうである。
著者は明治維新後の明治6年、長岡藩家老の家に生まれ、武家の娘として厳格に育てられたという。その後結婚のためにアメリカに渡るが、開放的なアメリカの風土にも順応しながらも、武家として身につけたものは忘れずに生活する。
この書は筆者が武士の娘として身につけたものや日本でのしきたり、思い出を英語で綴り、1923年からアメリカで雑誌に発表したものだ。その後7カ国語に翻訳されている。その後で日本語に翻訳されているのだ。
私はこれまでこんなにも詳しく当時の日本の姿を紹介したものを知らなかった。筆者は幼い日の出来事を事細かに覚えており、その内容からも教養の高さがうかがえる。当時の武家の生活の様子や町人の暮らしぶりが手に取るように分かる。
本書は先にアメリカで英語で出版され、後に日本語訳になっている。このような良書にもっと光が当てられるべきだと思う。ぜひ多くの日本人に読んでもらいたい一冊である。 -
Posted by ブクログ
旧長岡藩家老の娘として明治維新後に生まれた著者。長岡を離れ東京へ移り住み、さらには米国に住む日本人の元へ嫁ぐ…時代の大きな変換期を誇りと気概に満ち溢れた精神で生き抜き、新しい時代の扉を開けた著者の体験談は時代の変革の中でも逞しく生きた当時の名もない人達の姿を浮き彫りにする。
一般人の渡米などが珍しい時代としての体験談も貴重だが、本書の本質性は旧武士家族の絶え間無い気概と精神、時代物の読み物や劇では決して伝わらない生の武士の声だろう。過去の日本人がどのような価値観であったのか、何に正義を感じ何を恥じたのか…高潔で気高い精神や暮らしぶりの様子は現在の平坦に馴らされた世の中では絶対に発見できない事柄だろう。
過去の日本人が抱いていた貴重な精神を生に伝え、現在に残した功績は物凄い。 -
Posted by ブクログ
1873年(明治6年)に新潟・長岡藩の家老の娘として生まれ、武家の娘としての厳しい躾を身に着けながらも、数奇な運命?に導かれ、本来なら武家の娘としては身に着けるはずのない教養を身にまとい、結婚という転機で渡米し生活を送った著者。
その異国での生活において、「いろいろの方から日本についての様々な質問をうけました。私は、それを書きとめておき、お友達の問いにお答えする積りで書いた」のが、本書です。
本書の原稿は当時の雑誌「アジア」に英語で連載され好評を得、7ヶ国語に翻訳されました。本書の日本語への翻訳は大正時代に生まれた大岩美代氏が担われています。
こうご紹介すると、”日米文化比較論”的なものかと思われるかもしれませんが、本書はその限られた範囲に納まるものではありません。
本書は次の複数の視点において大変興味深いものです。
【1】日本近現代文化比較の視点
本書では、著者の幼少の頃の生活についてもとても詳細に記述されています。長岡藩家老の娘として生まれれたため、その生活からは当時の武家の躾・しきたり・習慣・道徳感などにおいて現代の我々が驚く内容を読み取ることができます。
そしてそれらの躾・しきたり・習慣・道徳感は現代の我々にもとても有益なものです。
本書の訳者は訳者あとがきにて次のように述べています。「大正の世に生まれた私は大変珍しく面白くまた有益に読ませて頂きました。」
大正生まれの訳者さえ感じた珍しさと有益さ。平成の世に生きる我々にとっては衝撃的とさえ言えます。
と同時に、我々日本人が近代において置き忘れた大切な宝の宝庫でもあります。
【2】アメリカ近現代文化比較の視点
著者が生活した近代アメリカの様子をうかがい知ることができます。
特に興味深いのは、著者がその初めての異国生活において決して憧れのようなものを抱くことなく、しっかりと地に足がついた視点でその様子を捉えていることです。
現代アメリカ人にとっても、とても貴重な資料であると言えます。
【3】日米近現代文化比較の視点
20世紀という日米関係が激しく動いた時代を振り返り、現代そして未来の日米関係を築いていくに当たって、著者があらわした激動前夜の草の根の日米関係を窺い知るに貴重な資料であると言えます。
著者は本書の最後でこう語っています。
「(前略)西洋も東洋も人情に変わりのないことを知ったのでした。けれども、これはまだ大方の東洋人にも西洋人にもかくされた秘密なのです。(後略)」
「あから顔の異人さんも、神国日本の人々も、今尚互いの心を理解しおうてはおりませず、この秘密は今も尚かくされたままになっておりますが、船の往来は今なお絶えることもございません。絶えることもございません。」
この原稿が世界に広まったあとの世界大戦の事実を鑑みるにあたって、この言葉の重みを感じずにはいられません。
そして、船が飛行機に変わり、世界中に通信網が発達した現代においても尚、この言葉は真実を語っていると思います。
本書に出逢えてとても幸せだと、素直に感じることができる一冊でした。 -
Posted by ブクログ
この本の存在も作者も全く無知の状態での読書。古本屋でなぜか惹かれて買ったもの。時々ある、わけもなく惹かれる本との出会いが大好き。
タイトル通り武士の娘として生まれ育った杉本鉞子のエッセイ。
私個人がエッセイはあまり好んで読まないから賭けみたいなところがあったけど、この本とても良かった。
アメリカの雑誌に連載していたらしく、つまり日本人が英語で書いたものを別の日本人が翻訳しているというもの。
訳者さんの言葉遣いがとても良くて、武士の娘っていうのがひしひしと伝わってきてとても良い気持ちだった。
ただあったことや思ったことをつらつらと書いているのではなくて、時系列ごとに、幼少期から結婚、子供が生まれてから…と流れがあったのも私にはすごく読みやすかった。
ただ、「日本人はこういうものなのです」みたいなことがよく語られるのだけど、それは作者のように身分の高い人達だけなのでは…?とか、庶民や日本人全員がそうなのですみたいなことを語っているのは少しうーむといったところ。
あと英語で連載されてて、アメリカ人は分かったのかな。
例えば人力車とか駕籠とか綿帽子とか打掛とか、絶対アメリカ人は分からないものとかって逐一全部注釈で説明されてたんだろうか?
とまあ色々考えたりもして、それもまた面白い読書だった。 -
Posted by ブクログ
本書は、明治から昭和を生きた杉本鉞子が、大正末期に米国で出版し、ベストセラーとなった『A Daughter of the Samurai』の日本語訳である。
杉本鉞子は、1873年(明治6年)、旧越後長岡藩の家老・稲垣茂光の六女として生まれ、将来尼僧になる子として、生け花や裁縫などの女子教育のほか漢籍等の教育を受けて育った。10代で東京に出て、ミッション・スクールで英語を学んだ後、1898年(明治31年)、兄の友人で米国で美術商をしていた杉本松雄と結婚するために渡米。米国では、地元の名家ウィルソン家のサポートを受け、二人の娘にも恵まれたが、夫の事業の失敗により12年振りに家族で帰国したが、夫は盲腸炎で急死した。その後暫く日本に留まったが、1916年(大正5年)に再渡米し、収入を得るために新聞・雑誌等に投稿を続け、作家のクリスフア・モーレーの目に留まって、『武士の娘』を発表するに至った。また、コロンビア大学で日本語と日本文化の講座を7年間持った。1927年(昭和2年)に帰国後も、米国向けに英語の本の執筆を続けるなど、1950年(昭和25年)に亡くなるまで日米の架け橋となった。
本書の初出は米雑誌「アジア」の1923年12月~24年12月の連載で、1925年に単行本として出版。彼の『グレート・ギャツビー』と並ぶ同年のベストセラーとなり、異例の8万部が売れたという。また、独語、仏語等の7ヶ国語に翻訳された。日本語版は1967年出版。2015年にはNHKのドキュメンタリーでも取り上げられ、改めて注目を集めた。
私は以前より本作品のことを知ってはいたが、今般新古書店で入手し読んでみた。
まず驚いたのは、本作品の原書が英語であったことと、その作品が実に美しい日本語に訳されていることであった。前者については、執筆に当たり、本書にはほとんど登場しないフローレンス・ウィルソン(本書には、鉞子が間借りすることになったウィルソン家の未亡人が「母上」として頻繁に出てくるが、フローレンスは「母上」の姪にあたる)の手助けがあり、内容も、当時の米国人に受け入れやすいキリスト教的価値観を意識して書かれたという。そうした背景から、鉞子はフローレンスを共著者とすることを望んだが、当時の社会情勢などもあり、フローレンスが固辞したのだそうだ。また、後者については、翻訳者が生前の鉞子の協力を受けられた影響も大きいと思われる。
内容は、シンプルに言えば、武士の娘としての教育を受けた女性が、全くの異文化の地である米国に渡り、様々なカルチャーショックを受けながらも、日本人としてのアイデンティティを失うことなく、かつ、西洋の文化を吸収して、新しい自律・独立した自己を確立していく、という話なのだが、明治の時代に、一民間人の妻として米国に移り住んだ女性が日々出会うことは、現代の我々が安易に想像できるものではなかったはずだ。
作品中には、面白い場面・エピソードは事欠かないが、特に印象に残っているのは、すぐ隣(と言っても、小さな谷を一つ隔てた)に住んでいた引退政治家の娘ヘレンから、日本の女性や文化に対する率直で、ときに偏見すら混じったような質問をされても、卑屈になることなく、また、無用に美化することもなく、堂々と意見を交わす姿である。そうしたことを可能にした鉞子の性格・素養が、これだけの作品の執筆を可能にしたことを疑う余地はないだろう。
そして、今日、日本と西洋の物理的・精神的なギャップははるかに小さくなったが、本質的な文化の違いは、これからもなくなることはないだろう。そういう意味で、本書は、異文化に適応するモデルの一つとして、今後も読み継がれる価値のあるものに違いない。
(2024年12月了) -
Posted by ブクログ
戊辰戦争の傷も残る明治6年に、長岡藩主の国家老の家に生まれた「武士の娘」の物語。当時としては当然に武家の礼儀や女性としての作法を仕込まれ育っていくが、兄の友人でアメリカで事業を行なっている日本人の元へ嫁ぐこととなる。2女を儲けるが夫を病で亡くし、帰国。その後娘が成長し、再びアメリカに移住する。この本は、米国での生活のために寄稿したものが本になったもので、日米の大きな違いに戸惑う様子などが生き生きと描写されている。特に興味深いのは当時の礼儀作法や先祖を敬う態度、冠婚葬祭の段取りなど、今では全く消えてしまったことが詳細に記述されいて新鮮。日米の違いだけでなく共通点も見いだすことができるが、当時と現代の違いや共通点も発見できてとても興味深い。