杉本鉞子のレビュー一覧
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江戸時代の武家の師弟に対する教えの厳しさを改めて思いました。
家名を汚すこと無く人生をおくるための男子・女子を問わない決め事。
それに理屈無く従うという厳正なルール。会津藩の「什の掟』の最後、「ならぬことはならぬ」を思いました。
越後長岡藩は、徳川の三河以来の家来、牧野家であったということは、司馬遼太郎の「峠」で知っていました。
河井継之助と反駁した筆頭家老の娘さんであったということです。
平時であれば、依然として筆頭家老の家筋であることは、徳川家康からいただい由緒あるもののくだりが出てきていました。
そういう家系の武士の娘に対する教育、とにかく一貫しています。
だから、激動の時代、数奇な運命 -
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ネタバレ幕末の長岡藩と言えば河合継之助が有名だけれど、筆頭家老の稲垣家に生まれたお嬢さまが著者、杉本鉞(えつ)子だ。
最も彼女が生まれたのは維新の後だけれど。
しかし、戊辰戦争を捕虜としてではあるけれども武士として生き抜いた父と、万事に控えめで奥ゆかしいが芯の強さを持った母、武家の教示を最後まで持ち続けて祖母などに育てられた少女は、雪深い長岡でのびのびと少女時代を過ごし、武士の娘としてのたしなみと、変わりゆく世界への興味と、神仏や祖先への畏敬の念を持って成長していく。
一度もあったことのない男性と結婚するのは、当時の女性には当たり前のことだったが、当たり前でないのは相手がアメリカ在住の日本人で -
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女優杏さんの『杏のふむふむ』で、この本に触れられており、興味を持って、購入。
読んでいて、とても新鮮だった、
幕末の武家の精神、教養の高さが出ており、また、躾の厳しさとそれに答える幼い作者の人格も素晴らしい。
ひとつひとつの文章が、読者に何か語りかけているようで、目の前に、作者がいるようで、ありありと感情が伝わってきた。
読み終わって知ったのだが、著者が渡米中に、新聞社に寄稿してまとめたのが、原著『A Daughter of Samurai』として、出版されたこと。
自分が読んだ本は、日本人による翻訳されたもの。
その翻訳された方は、大正時代の生まれの方で、辛うじて(?)江戸末期〜 -
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明治初期に旧長岡藩の家老武士の旧家に生まれ、お嬢様育ちの書者が生活習慣の違うアメリカに嫁に行くという。「当時婚約は、私個人の問題ではなく家全体にかかわる事と思っていましたから、誰方のところへと尋ねてみようと思いませんでした。まだ十三歳にも満たない私のことでございますから、何もかも人任せでありました。当時の女は皆こんな風だったのでございます」と書かれています。当然、婚約相手の顔も、知らないのです。等々
アメリカへ渡った明治生まれの著者は、アメリカの習慣に染まることなく日本人の作法を一所懸命に説明するのは、この小説がアメリカで出版されたが故であります。現代では、かなりの面で日本文化や伝統が紹介 -
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原題は「A daughter of the Samurai」で、自伝として書いたのではないから「The」ではなく「A」としたそうである。
著者は明治維新後の明治6年、長岡藩家老の家に生まれ、武家の娘として厳格に育てられたという。その後結婚のためにアメリカに渡るが、開放的なアメリカの風土にも順応しながらも、武家として身につけたものは忘れずに生活する。
この書は筆者が武士の娘として身につけたものや日本でのしきたり、思い出を英語で綴り、1923年からアメリカで雑誌に発表したものだ。その後7カ国語に翻訳されている。その後で日本語に翻訳されているのだ。
私はこれまでこんなにも詳しく当時の日 -
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旧長岡藩家老の娘として明治維新後に生まれた著者。長岡を離れ東京へ移り住み、さらには米国に住む日本人の元へ嫁ぐ…時代の大きな変換期を誇りと気概に満ち溢れた精神で生き抜き、新しい時代の扉を開けた著者の体験談は時代の変革の中でも逞しく生きた当時の名もない人達の姿を浮き彫りにする。
一般人の渡米などが珍しい時代としての体験談も貴重だが、本書の本質性は旧武士家族の絶え間無い気概と精神、時代物の読み物や劇では決して伝わらない生の武士の声だろう。過去の日本人がどのような価値観であったのか、何に正義を感じ何を恥じたのか…高潔で気高い精神や暮らしぶりの様子は現在の平坦に馴らされた世の中では絶対に発見できない事 -
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1873年(明治6年)に新潟・長岡藩の家老の娘として生まれ、武家の娘としての厳しい躾を身に着けながらも、数奇な運命?に導かれ、本来なら武家の娘としては身に着けるはずのない教養を身にまとい、結婚という転機で渡米し生活を送った著者。
その異国での生活において、「いろいろの方から日本についての様々な質問をうけました。私は、それを書きとめておき、お友達の問いにお答えする積りで書いた」のが、本書です。
本書の原稿は当時の雑誌「アジア」に英語で連載され好評を得、7ヶ国語に翻訳されました。本書の日本語への翻訳は大正時代に生まれた大岩美代氏が担われています。
こうご紹介すると、”日米文化比較論”的なもの -
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本書は、明治から昭和を生きた杉本鉞子が、大正末期に米国で出版し、ベストセラーとなった『A Daughter of the Samurai』の日本語訳である。
杉本鉞子は、1873年(明治6年)、旧越後長岡藩の家老・稲垣茂光の六女として生まれ、将来尼僧になる子として、生け花や裁縫などの女子教育のほか漢籍等の教育を受けて育った。10代で東京に出て、ミッション・スクールで英語を学んだ後、1898年(明治31年)、兄の友人で米国で美術商をしていた杉本松雄と結婚するために渡米。米国では、地元の名家ウィルソン家のサポートを受け、二人の娘にも恵まれたが、夫の事業の失敗により12年振りに家族で帰国したが、夫は -
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戊辰戦争の傷も残る明治6年に、長岡藩主の国家老の家に生まれた「武士の娘」の物語。当時としては当然に武家の礼儀や女性としての作法を仕込まれ育っていくが、兄の友人でアメリカで事業を行なっている日本人の元へ嫁ぐこととなる。2女を儲けるが夫を病で亡くし、帰国。その後娘が成長し、再びアメリカに移住する。この本は、米国での生活のために寄稿したものが本になったもので、日米の大きな違いに戸惑う様子などが生き生きと描写されている。特に興味深いのは当時の礼儀作法や先祖を敬う態度、冠婚葬祭の段取りなど、今では全く消えてしまったことが詳細に記述されいて新鮮。日米の違いだけでなく共通点も見いだすことができるが、当時と現