【感想・ネタバレ】武士の娘のレビュー

あらすじ

杉本鉞子は、1873年、越後長岡藩の家老の家に生れ、武士の娘として厳格に育てられた。結婚によりアメリカに住むようになり、すべてがめずらしく目新しい暮らしの中で「武士の娘」として身につけたものを失うことなく、また自分にとじこもることもなく、みごとに自立した考えを身につける。今日に通じる女性の生き方を見る上にも、当時の風俗や生活のありさまを知るためにも、高い価値をもつ。

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Posted by ブクログ

明治期にアメリカへ渡った一人の女性の手記。異国に暮らすことで、かえって日本という国を考え、見返すようになったとの記述がある。日米両国の良さ、特徴を鋭く捉える感性は非常にスマートで、文章もみずみずしい。著者の生き抜く力、賢さを感じる。
(2019.2)

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2019年02月21日

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女優杏さんの『杏のふむふむ』で、この本に触れられており、興味を持って、購入。

読んでいて、とても新鮮だった、

幕末の武家の精神、教養の高さが出ており、また、躾の厳しさとそれに答える幼い作者の人格も素晴らしい。

ひとつひとつの文章が、読者に何か語りかけているようで、目の前に、作者がいるようで、ありありと感情が伝わってきた。

読み終わって知ったのだが、著者が渡米中に、新聞社に寄稿してまとめたのが、原著『A Daughter of Samurai』として、出版されたこと。

自分が読んだ本は、日本人による翻訳されたもの。

その翻訳された方は、大正時代の生まれの方で、辛うじて(?)江戸末期〜明治時代の激動の時代を肌で感じている人だろう。

そのためか、英語から日本語訳されたものであるにもかかわらず、原著者の言葉に近いものに感じる、

「武士の娘」として生きた筆者(杉本鉞子)の心持ち、姿勢、気品の高さがうかがえる一冊。

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2017年01月04日

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とても興味深かった。日本人の武士の娘として、厳しい躾を受け、そして海外での生活、そしてご主人を亡くされての生活。色々な立場に立たされながらも、悩み誇り高く生きられてるすがたがとても気持ちがよく読めた。また日本の伝統、歴史なども興味深い事がたくさん書かれていて私自身励まされることも!臍の尾が首に(著書では頭だけど)巻きついて生まれたものは、仏さまからのじきじきの御しめしを受けている…のくだりは、今読んだからこそ、とてもご縁を感じたり。出会えて嬉しい本でした!2016/4/7完読

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2016年04月07日

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平成の時代となり西欧諸国と文化もあまり変わらなくなった、「現在の一点的」な考え方では、理解できない人もあるかもしれないが、とても素晴らしい本だ。
下手な感想を書くと誤解されるかもしれないので、
一読していただくことを是非おすすめする。
文章をよんでこれほど「上品」で「凛」とした雰囲気を感じたのは初めてかもしれない。

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2016年02月02日

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 明治初期に旧長岡藩の家老武士の旧家に生まれ、お嬢様育ちの書者が生活習慣の違うアメリカに嫁に行くという。「当時婚約は、私個人の問題ではなく家全体にかかわる事と思っていましたから、誰方のところへと尋ねてみようと思いませんでした。まだ十三歳にも満たない私のことでございますから、何もかも人任せでありました。当時の女は皆こんな風だったのでございます」と書かれています。当然、婚約相手の顔も、知らないのです。等々
 アメリカへ渡った明治生まれの著者は、アメリカの習慣に染まることなく日本人の作法を一所懸命に説明するのは、この小説がアメリカで出版されたが故であります。現代では、かなりの面で日本文化や伝統が紹介され理解されているであろうが、著者がアメリカ人の奇異な側面も描き記されているのです。
 誇張ではなく、現代の日本人の忘れ去ってしまった習慣が否定ではなく、受け入れられる人は、その風習がわずかでも残っているなら共感できるが、今の若者には、想像も出来ないかもしれない。
 日本の作法は、感情を表に現さず辞儀(所作)と想いなのだろうと思う。
 著者は、数年間コロンビア大学で日本文化史の講義をされました。この本は、ドイツ、フランス、デンマーク、スエーデン等七か国語に翻訳され世界の多くの友を得たという。
 清らかで美しい日本語の文章に魅了され、期待を裏切らない名著であると確信します。

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2015年08月05日

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越後長岡藩の家老の娘が、兄に売られて?アメリカに渡る。
その前のミッションスクールでの5年間のお礼奉公!
アメリカで当時の世界的ベストセラーを出版。

河合継の介には批判的。

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2013年12月30日

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 原題は「A daughter of the Samurai」で、自伝として書いたのではないから「The」ではなく「A」としたそうである。

 著者は明治維新後の明治6年、長岡藩家老の家に生まれ、武家の娘として厳格に育てられたという。その後結婚のためにアメリカに渡るが、開放的なアメリカの風土にも順応しながらも、武家として身につけたものは忘れずに生活する。

 この書は筆者が武士の娘として身につけたものや日本でのしきたり、思い出を英語で綴り、1923年からアメリカで雑誌に発表したものだ。その後7カ国語に翻訳されている。その後で日本語に翻訳されているのだ。

 私はこれまでこんなにも詳しく当時の日本の姿を紹介したものを知らなかった。筆者は幼い日の出来事を事細かに覚えており、その内容からも教養の高さがうかがえる。当時の武家の生活の様子や町人の暮らしぶりが手に取るように分かる。

 本書は先にアメリカで英語で出版され、後に日本語訳になっている。このような良書にもっと光が当てられるべきだと思う。ぜひ多くの日本人に読んでもらいたい一冊である。

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2013年10月25日

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素晴らしかった。武家社会の残り香をかぐことができるのはもちろん、筆者の新しい文化に対する謙虚で公正な姿勢は現代人でもなかなか得難いもの。これからますます読まれていくべき作品。

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2011年04月22日

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著書杉本鉞子さんは、日本の武士の古いしきたり、ものの考え方をニューヨークの新聞に掲載、数カ国語に訳されたそうだ。
印象に残ったのは明治維新の時自ら屋敷に火を放った母上の話。数世紀前のご先祖の側室が家来と不義密通し、手打ちにあった話。子供の教育はすごく厳しく、結納の日から、会った事も無い婚約者のために陰膳をそなえて,好物をこしらえて差し上げる練習をする事。
彼女は家老の娘なので、いくら落ちぶれても家に女中や乳母や爺やなどがいて豊かで、他の日本人より幸せだったのではないかと思う。

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2011年01月21日

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旧長岡藩家老の娘として明治維新後に生まれた著者。長岡を離れ東京へ移り住み、さらには米国に住む日本人の元へ嫁ぐ…時代の大きな変換期を誇りと気概に満ち溢れた精神で生き抜き、新しい時代の扉を開けた著者の体験談は時代の変革の中でも逞しく生きた当時の名もない人達の姿を浮き彫りにする。

一般人の渡米などが珍しい時代としての体験談も貴重だが、本書の本質性は旧武士家族の絶え間無い気概と精神、時代物の読み物や劇では決して伝わらない生の武士の声だろう。過去の日本人がどのような価値観であったのか、何に正義を感じ何を恥じたのか…高潔で気高い精神や暮らしぶりの様子は現在の平坦に馴らされた世の中では絶対に発見できない事柄だろう。

過去の日本人が抱いていた貴重な精神を生に伝え、現在に残した功績は物凄い。

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2010年06月15日

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1873年(明治6年)に新潟・長岡藩の家老の娘として生まれ、武家の娘としての厳しい躾を身に着けながらも、数奇な運命?に導かれ、本来なら武家の娘としては身に着けるはずのない教養を身にまとい、結婚という転機で渡米し生活を送った著者。

その異国での生活において、「いろいろの方から日本についての様々な質問をうけました。私は、それを書きとめておき、お友達の問いにお答えする積りで書いた」のが、本書です。

本書の原稿は当時の雑誌「アジア」に英語で連載され好評を得、7ヶ国語に翻訳されました。本書の日本語への翻訳は大正時代に生まれた大岩美代氏が担われています。

こうご紹介すると、”日米文化比較論”的なものかと思われるかもしれませんが、本書はその限られた範囲に納まるものではありません。
本書は次の複数の視点において大変興味深いものです。

【1】日本近現代文化比較の視点
 本書では、著者の幼少の頃の生活についてもとても詳細に記述されています。長岡藩家老の娘として生まれれたため、その生活からは当時の武家の躾・しきたり・習慣・道徳感などにおいて現代の我々が驚く内容を読み取ることができます。

 そしてそれらの躾・しきたり・習慣・道徳感は現代の我々にもとても有益なものです。
 本書の訳者は訳者あとがきにて次のように述べています。「大正の世に生まれた私は大変珍しく面白くまた有益に読ませて頂きました。」
 大正生まれの訳者さえ感じた珍しさと有益さ。平成の世に生きる我々にとっては衝撃的とさえ言えます。
 と同時に、我々日本人が近代において置き忘れた大切な宝の宝庫でもあります。

【2】アメリカ近現代文化比較の視点
 著者が生活した近代アメリカの様子をうかがい知ることができます。

 特に興味深いのは、著者がその初めての異国生活において決して憧れのようなものを抱くことなく、しっかりと地に足がついた視点でその様子を捉えていることです。

 現代アメリカ人にとっても、とても貴重な資料であると言えます。

【3】日米近現代文化比較の視点
 20世紀という日米関係が激しく動いた時代を振り返り、現代そして未来の日米関係を築いていくに当たって、著者があらわした激動前夜の草の根の日米関係を窺い知るに貴重な資料であると言えます。

 著者は本書の最後でこう語っています。
 「(前略)西洋も東洋も人情に変わりのないことを知ったのでした。けれども、これはまだ大方の東洋人にも西洋人にもかくされた秘密なのです。(後略)」
 「あから顔の異人さんも、神国日本の人々も、今尚互いの心を理解しおうてはおりませず、この秘密は今も尚かくされたままになっておりますが、船の往来は今なお絶えることもございません。絶えることもございません。」

 この原稿が世界に広まったあとの世界大戦の事実を鑑みるにあたって、この言葉の重みを感じずにはいられません。
 そして、船が飛行機に変わり、世界中に通信網が発達した現代においても尚、この言葉は真実を語っていると思います。

本書に出逢えてとても幸せだと、素直に感じることができる一冊でした。

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2010年05月22日

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日本女性の、ものごとに対する鋭敏な感受性が記されている。私のまわりの古風なひとびとが、私が気にしないことを気にする、その根っこになるものの正体がわかったような気がする。

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2010年04月10日

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武士の娘として育てられたその躾けと礼儀作法に深く感銘。今だからこそ見直し取り戻すべき価値観だと強く思うわけだ。櫻井よし子さん推薦図書。

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2009年10月04日

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本書は、明治から昭和を生きた杉本鉞子が、大正末期に米国で出版し、ベストセラーとなった『A Daughter of the Samurai』の日本語訳である。
杉本鉞子は、1873年(明治6年)、旧越後長岡藩の家老・稲垣茂光の六女として生まれ、将来尼僧になる子として、生け花や裁縫などの女子教育のほか漢籍等の教育を受けて育った。10代で東京に出て、ミッション・スクールで英語を学んだ後、1898年(明治31年)、兄の友人で米国で美術商をしていた杉本松雄と結婚するために渡米。米国では、地元の名家ウィルソン家のサポートを受け、二人の娘にも恵まれたが、夫の事業の失敗により12年振りに家族で帰国したが、夫は盲腸炎で急死した。その後暫く日本に留まったが、1916年(大正5年)に再渡米し、収入を得るために新聞・雑誌等に投稿を続け、作家のクリスフア・モーレーの目に留まって、『武士の娘』を発表するに至った。また、コロンビア大学で日本語と日本文化の講座を7年間持った。1927年(昭和2年)に帰国後も、米国向けに英語の本の執筆を続けるなど、1950年(昭和25年)に亡くなるまで日米の架け橋となった。
本書の初出は米雑誌「アジア」の1923年12月~24年12月の連載で、1925年に単行本として出版。彼の『グレート・ギャツビー』と並ぶ同年のベストセラーとなり、異例の8万部が売れたという。また、独語、仏語等の7ヶ国語に翻訳された。日本語版は1967年出版。2015年にはNHKのドキュメンタリーでも取り上げられ、改めて注目を集めた。
私は以前より本作品のことを知ってはいたが、今般新古書店で入手し読んでみた。
まず驚いたのは、本作品の原書が英語であったことと、その作品が実に美しい日本語に訳されていることであった。前者については、執筆に当たり、本書にはほとんど登場しないフローレンス・ウィルソン(本書には、鉞子が間借りすることになったウィルソン家の未亡人が「母上」として頻繁に出てくるが、フローレンスは「母上」の姪にあたる)の手助けがあり、内容も、当時の米国人に受け入れやすいキリスト教的価値観を意識して書かれたという。そうした背景から、鉞子はフローレンスを共著者とすることを望んだが、当時の社会情勢などもあり、フローレンスが固辞したのだそうだ。また、後者については、翻訳者が生前の鉞子の協力を受けられた影響も大きいと思われる。
内容は、シンプルに言えば、武士の娘としての教育を受けた女性が、全くの異文化の地である米国に渡り、様々なカルチャーショックを受けながらも、日本人としてのアイデンティティを失うことなく、かつ、西洋の文化を吸収して、新しい自律・独立した自己を確立していく、という話なのだが、明治の時代に、一民間人の妻として米国に移り住んだ女性が日々出会うことは、現代の我々が安易に想像できるものではなかったはずだ。
作品中には、面白い場面・エピソードは事欠かないが、特に印象に残っているのは、すぐ隣(と言っても、小さな谷を一つ隔てた)に住んでいた引退政治家の娘ヘレンから、日本の女性や文化に対する率直で、ときに偏見すら混じったような質問をされても、卑屈になることなく、また、無用に美化することもなく、堂々と意見を交わす姿である。そうしたことを可能にした鉞子の性格・素養が、これだけの作品の執筆を可能にしたことを疑う余地はないだろう。
そして、今日、日本と西洋の物理的・精神的なギャップははるかに小さくなったが、本質的な文化の違いは、これからもなくなることはないだろう。そういう意味で、本書は、異文化に適応するモデルの一つとして、今後も読み継がれる価値のあるものに違いない。
(2024年12月了)

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2024年12月09日

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戊辰戦争の傷も残る明治6年に、長岡藩主の国家老の家に生まれた「武士の娘」の物語。当時としては当然に武家の礼儀や女性としての作法を仕込まれ育っていくが、兄の友人でアメリカで事業を行なっている日本人の元へ嫁ぐこととなる。2女を儲けるが夫を病で亡くし、帰国。その後娘が成長し、再びアメリカに移住する。この本は、米国での生活のために寄稿したものが本になったもので、日米の大きな違いに戸惑う様子などが生き生きと描写されている。特に興味深いのは当時の礼儀作法や先祖を敬う態度、冠婚葬祭の段取りなど、今では全く消えてしまったことが詳細に記述されいて新鮮。日米の違いだけでなく共通点も見いだすことができるが、当時と現代の違いや共通点も発見できてとても興味深い。

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2019年08月16日

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明治維新から間もなく新潟の長岡藩家老の家に生まれた著者。貿易商に嫁いだことがきっかけでアメリカに長く住み何を思うのか。
島崎藤村の夜明け前と同時代でも、家柄の違いが見えて面白い。江戸260年の泰平で蓄えた、あるいは煮詰めたものってすごい。

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2017年01月04日

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ネタバレ

家老の娘だった著者が後年、商社マンの妻となり渡米し、米国で講演。
小さい頃の思い出をまとめて綴ったものという感じで、『武士道』の女性版のような哲学を期待していたが、アテが外れた。
ただ当時の雰囲気はわかるので、資料として読めばおもしろいかも。

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2015年09月02日

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明治6年、長岡藩家老の娘として生まれた杉本鉞子さんが英語で書いた自伝を訳したもの・・・本屋さんでふと目にとまった一冊。
 まさに古き日本の風習を厳しく躾けられた彼女の、日本でのそして結婚して渡ったアメリカでの日常生活が綴られています。

 仏壇と神棚のあり方(初めて牛肉を食べる事になった日は、牛肉が届く前から仏様を穢していけないと、仏壇にめばりをする!)、お正月の迎え方、嫁入り(結婚とは里方の家に死ぬことゆえ白無垢を着る。そしてそれは死装束となる)、お盆、お歯黒・・・四十路を過ぎて初めて知る風習も多くて、驚きの中読み進めました。

 今こそボーダレスな時代だけど、当時彼女がアメリカで感じた「異なる価値観」はそれはそれはすさまじいものであったと想像できるけど、それを決して拒絶せず、武士の娘としての自分の基準に照らしつつ受け入れるところは受け入れていく・・ブレないってなんて素敵♪なんだろう。

 あとがきで訳者の大岩美代さんがこう記している。
『明治100年を迎えようというこの時、様々な面で大きな断層が感じられるほどに変わってしまった若い世代の方々に読んで頂けたらと念じております』。
 これが昭和42年8月のこと。
 この平成の世を、もしご覧になったら・・・なんと言われるだろうか。

 もう少ししたら、娘たちにも薦めたい一冊です。

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2016年03月27日

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 前半部、武家の娘としての生活記録の部分をとても楽しく読みました。山川 菊栄の「武家の女性」のような感じで。

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2012年10月17日

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司馬遼太郎のエッセイで、この作品をしり読みました。
お歯黒、経帷子、陰膳などの昔の風習を知りました。とくに、お歯黒に関しては、ちょっとネットで検索したくらいでは出てこない、説明がされていました。

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2012年02月04日

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ネタバレ

お盆、忌みなどの古き日本の風習の徹底し、経を聞いては精神の安らぎを感じ、嫁入りとなれば蚊帳を縫い、布団をこしらえ(自分で!)、現代社会にはまず存在しないであろう武家の娘とその生き方。

でも決して「やりすぎ」とか否定的には感じない、むしろ欧米化というよりアメリカ化しすぎた女性が学ぶべきところは非常に多い。

筆者は嫁入りとともに未知の大陸アメリカに渡り、若くして夫を亡くし、後年になって本書を執筆している。
アメリカでもかなり愛読された一冊というくらい、アメリカ人からしても古き日本女性からは学ぶことが多いという評価を得ているので、

・自分の意見はガンガン言う
・男性の3歩後ろを歩くなんて言葉、私の辞書にはない

…などなど、キャリア志向の強すぎる(カ○マーさん)女性にはぜひ読んでほしい。

やっぱり日本の女性は大和撫子でなきゃ。

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2012年01月24日

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幕末賊軍側で戦った長岡藩の家老の末っ子として生まれたヨシ子は武士の家の厳しい教育を受ける。嫡男が家出し男としての教育(儒教)も受け、14歳で東京の女学校に進み、その後アメリカで生活していた杉本松雄に嫁ぐ。アメリカの女性と日本の女性の違い等を詳細に分析・記述されており、やはりアメリカも日本もベースになるところは同じと思う。女学校の途中受洗されキリスト教徒になるが江戸の武士の娘は失っていない。

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2012年01月14日

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明治維新の時にすでに生まれていた「武士の娘」が著した本。
前半は当時の「武家の歳時記」的な記述で、いかにも旧い「武家の女、または男に従属すべき女はかくあるべき」っぽい考え方に基づいて書かれている。
しかし夫となるべく人がアメリカでビジネスをしていることから、彼女も単身海を渡る準備をすべく東京の学校で英語などを学ぶなかで、キリスト教の考え方やアメリカの女性教師たちと出逢い、また渡米後の異国での結婚生活を通して、自分が育ってきた、そして疑うことなく信じてきた「旧い日本」、「女とはかくあるもの」という考え方を客観視しつつ「違い」を受け入れていく様子が非常に素直で興味深い。

「異なる価値観」を拒絶するのではなく、自分の判断基準に照らしつつ受け入れていく芯の強さ、自分の価値観をしかと持っている心の強さを感じる。

自分のアイデンティティ=価値観=軸をしっかり持つことの素晴らしさが感じられる本。

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2011年11月01日

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幕末時、長岡藩藩主の家老の娘に生まれ、渡米、シングルマザーとして二人の娘を育て、コロンビア大学で日本文化について教鞭を取る。

二つの関心がある。
先ずは、長岡藩家老稲垣茂光(上級藩士)の家に生まれて、その教育、躾、慣習について知ること。
特に当時は長岡藩は新政府軍と戦い、苦渋の選択を迫られていた。
稲垣茂光の杉本鉞子に対しての教育観が比較的現実的で、柔軟であったことが面白い。

二つ目は、当時は珍しかった米国での生活。
渡航前の日本での米国式の教育、キリスト教徒への改宗等、クロスカルチャー的に興味深い内容がある。
ただ、アメリカでコロンビア大学で教鞭を取る部分はカバーされていないので、残念。
また、アメリカで生活の糧を得るべく、英語で出版しているので、アメリカに批判的(例えば人種差別的なところ)は、触れられていないと思われる。

”武士の娘”として躾けられた内容、行動、姿勢は、一部は既に時代錯誤のところもあると思うのだが、その中でも現代社会としても意識すべきところがなにか、その観点で読み進めることが必要だと思う。

以下引用~
・私はおやすみなさいといい「きの字」に体を曲げて眠るのでした。武士の娘は眠る時、必ずこのきの字なりにならなければなりませんでした。
武士の娘は眠っている時でされも、身も心もひきしめていなければならないと教えられたものでございます。
男の子は悠々と大の字になって眠ることもゆるされましたが、女の子は必ず穏やか中にも威厳をそなえたきの字なりにさせられました。これが「御御の精神」を意味したものとされておりました。
(補足追加:「御御(おごう)」は、婦人を敬う二人称「御御前(おごぜ)」が音変化した言葉…という説が有力)

・私は、女の尊さを悟るにつれ、自由を愛し自由に向かって進む権利を信じていたのは若い頃のことで、真の自由は、行動や言動や思想の自由を遥かにこえて発展しようとする精神的な力にあるのだということが判りました。

・お辞儀は、唯、体を曲げる動作ではありません。それには、精神的な面もあるのです。父や妹、友達、召使、子供に向かっては、それぞれ異なったお辞儀の仕方がある筈です。
母が重々しい態度で、低いお辞儀をいたしました時、私にはそこに愛情がひしひしと感じられましたし、傍にいた人も、そのかくれた思いの深さを汲むことができたと思います。

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2024年11月17日

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杉本鉞子が自分のことを書いているのだが、一つ一つのテーマについて書かれている、これは伝記というよりエッセイに近いもの。語れらないこともある。
特に父親や夫を亡くしたことは、悲しみが深すぎたのか、多く語られていない。

祖母や使用人たちの物語を聞いて育ち、さらに仏教の教えも学んでいた幼少期。嫁入りが決まってから上京し、東洋英和に入学して学ぶ英語教育。英語を学ぶにも物語を愛した。結婚、渡米。出産、夫を亡くし、再び帰国。数年後再び渡米。ずっと深窓の令嬢で、召使に傅かれ、お金の心配もしたこともなかったであろう杉本鉞子が、その蓄えもほそぼそとしてきた時に、新聞社に投稿していたのが一連のエッセイだった。

明治に生まれ、アメリカに暮らした杉本鉞子の、女性としての意識の移り変わりや戸惑い。または江戸時代から受け継がれ、変わらないものが、祖母、母、姉によって受け継がれていく。その対比が印象深い。

翻訳は英語から日本語へと、杉本鉞子自身が一緒に翻訳に協力したことが、訳者のあとがきに書かれている。その翻訳も大正時代なので、当時の空気を残した文体になっていることが、時代に合っていて独特の雰囲気を醸している。

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2023年02月23日

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【文章】
 少し読み辛い
【気付き】
 ★★★・・
【ハマり】
 ★★★・・
【共感度】
 ★★・・・

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2017年12月09日

Posted by ブクログ

父親が武士出身で、明治時代武士という職業・階級が無くなってからの家族の生活を書いた自伝的小説。アメリカの雑誌に連載されたのが反響を呼び、大正時代に7か国語に翻訳されたという。著者は日本人だが、本書は英語で書かれ、日本語に逆翻訳されている。
当時の上流の生活を知る、とても貴重な資料と呼ばれているそうだ。侍としての特権階級が無くなった後も、ある程度いい生活を送った著者。古き良き時代を懐かしむ前半と、家族に決められた結婚で、夫の仕事に同伴しアメリカに住むことになり、そこでの子育てを書いた後半から成る。
今の価値観からすると、やはり家族が決めた人と顔も見ないで結婚することを受け入れるのがすごいと思う。そういうものだと子どものころから思っているので、ホームシックにもならないそうだ。アメリカに渡り、カルチャーショックを受けつつも現地での生活に順応し、帰国後アメリカに帰りたがる子どもたちを連れて再びアメリカに移り住み自分で稼ぐところに女性の強さが見える。
すごいな、とは思ったが、冗長で読み終わるのに時間がかかった。

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2017年04月18日

Posted by ブクログ

桜庭一樹さんのフェア「さくらばほんぽっ!」にておすすめされていたものを購入。『本に埋もれて暮らしたい』掲載のものです。
私は女性を描いた作品がすきだし、昔の文化や言葉遣いで書かれたものもすきだしいいなーと思って買ってみましたが、やっぱりよかったです。
訳されているので勿論書かれたときのままの言葉ではないんだけど、それでもうっとりしてしまう。昔の、育ちの良い家庭での話し言葉って読んでいていいなあって。身に染みこんで自然に綺麗に使っている雰囲気が。

厳格な家庭で育って、当時にしても割合古風とも言える考え方を持っていた「エツ坊」が、新しいものをも受け入れる力にも優れていてすごいなあと思いました。流されるだけではなく、きちんと受け止めて解釈するというか。でも意外とエツ坊がしっかりしただけの人じゃなくて親近感。安易な思いを反省したり。

引用部分はアメリカの「母上」の言葉。たとえがぴっしりその通り!と思ったわけではないんだけど、表現がいいなあと思って心に残りました。花にたとえているところがいい。咲く土壌があって、環境が変化すれば咲く様子も変化する。それぞれに合う育ち方や風土がある。
日本文化について、あり方について考えることもできる作品でした。

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2011年09月01日

Posted by ブクログ

明治四年、旧長岡藩の家老の家に生まれた娘さんが、武士の暮しを色濃く残した躾を受け、やがて兄の決めた許婚のいるアメリカに渡り、アメリカの文化に触れ、また日本に戻り、そして娘たちをつれて再度渡米するまでの私小説。エッセイ?
「武家の女性」が大好きなのだが、「武家の女性」が、下級武士の家庭での暮し振り、日常生活や仕事のことを国内むけに描いているのに対し、こっちの「武士の娘」は米国で発表されたせいか随分と毛色が違う。
下級武士の生活誌が主眼におかれているのが「武家の女性」、江戸の色濃い明治に生まれて躾けられた女性が、その目でどう米国を見、感じたか追体験できるのが「武士の娘」なのかもしれない。

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2011年07月21日

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