光瀬龍のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
20代半ばまでSFは苦手だと思っていたのですが、ハリソン・フォードを好きになり、スター・ウォーズ、ブレードランナーを観ていたら慣れた…というアマノジャク。でも、超少女明日香は大好きでしたが…宇宙、がピンと来てなかったのかもしれません。
萩尾先生の作品は、今さらこの5年以内に読みまくっていて、その流れで原作ものだから…と敬遠していた本作の「完全版」が出た、ということで読みました。
私が生まれる前に原作が書かれ、小学生のころ漫画化…
その内容の斬新さに驚きます。または、この50年ほど、何も変わっていないのかも…と。少なくとも環境破壊はほとんど改善されていない…
そして宇宙、無の概念、宗教のこと…
現世も「誰か」に操られている、見られている…という感覚は、自分の中にもあり…
死んだらどうなるのか…まだまだ考えると怖いです。
様々な神様モチーフも良かった。
私は宗教には深くかかわらず来たので、どれも良かったです。やさぐれたキリストも…(笑)
とてもおもしろかったです。
ビジュアルなしの原作を読むかどうかは検討中。
重くて厚いですが、ぜひ紙でお読みください。
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Posted by ブクログ
『百億の昼と千億の夜』に代表される光瀬龍の世界とは、私が思うに、とどめようのない衰退と絶望、そのなかでひとり抗う主人公というものだ。
かつて栄耀栄華を誇った世界である事が前提となるものの、必ずといって良いほど、作品のあちこちに、その世界が今吸いたいに向かっていること、滅びつつある事がうかがえる。
一方、短篇が多い光瀬龍の未来宇宙では、しばしば「東キャナル市」という火星の街が登場する。
この街もまた、かつては太陽系の中心都市ですらあったのに、今は見る影もない場所として描かれる。
たとえば、いったい誰を表したものとも知れない銅像の下でたむろする、老いさらばえたスペースマンたち。彼らの多くはサイボーグでもあり、もはやその時代では探検は行われなくなり、サイボーグの登場を必要とする場面もなくなってしまったのだ。
巻末にも収録されている、光瀬龍の幾つかあるあとがきの中で、この東キャナル市は、明確な設定がなく、夢の中に登場する街のように、どういう場所だかわかっているのに、どこか曖昧である、そんなところであるのだそうだ。
この選集には、『東キャナル文書』をはじめ、東キャナル市が登場する短篇や中編が選ばれているようで、その明確さと曖昧さがいずれも際立ち、読者を幻惑する。
幻のような火星人の存在が、東キャナル市と、「火星人の道」とともに現れては消え、消えては現れる。
いったいどれが真実なのか。それはなかなか読者の前に現れてはこない。
そのつかみどころのなさが、寂漠とした世界とともに、読む者を魅了してやまない。 -
Posted by ブクログ
「もしも、太平洋戦争で日本とドイツが勝利したら?」という、P・K・ディックの「高い城の男」の前段階のようなストーリー。
視点は主に3人である。それ以上は必要ない。そこがわかると、グイグイとストーリーに引き込まれていく。
そこまでに、大量の兵器の性能の話などが挟まれる上、光瀬龍らしく、というかハードSF作家らしく、マクロ視点の世界の情勢俯瞰が入ってくるので、若干とっつきは悪いかと思われる。
読み進めるうちに、ドイツと日本が戦争に勝利した現実と、それはおかしいのではないかと疑問を抱く読者と3人の登場人物の視点が一体化していくあたりは、この作品に没頭していくポイントとなるだろう。
最後の並行世界の辻褄は、分からぬでもないけど、無理に広げすぎたかなあとも感じる。 -
Posted by ブクログ
「百億の昼と千億の夜」は僕らの世代のSF原体験だ。「時をかける少女」や「謎の転校生」といった「少年SFシリーズ」で、ジュブナイルSFの面白さに目覚めた僕らは、成長すると共にもっと新しいSF、もっと面白いSFをがむしゃらに求め始めた。そんな時に出会ったのが本書だったのだ。作者の光瀬龍は「夕ばえ作戦」の著者としてお馴染みの作家だった。そして勇んでページをめくった僕の目に飛び込んできたのは、「寄せてはかえし、寄せてはかえし、かえしては寄せる波また波の上を・・・」という呪文のようなリフレインだったのだ。僕は焦った。これは「夕ばえ作戦」とは違う、何だか判らない、何だか難しい・・・
でも僕はその「判らなさ」そのものを愛したのだった。分からなくても何かとても貴重な体験をしているという確かな実感があったのだ。
大人になった今なら、この物語にもっともらしい理屈を着けることもできるかもしれない。だけどあの時の感覚を僕は信じている。あの時、あの独特のリフレインから感じとったことは間違い無く僕の血となり、肉となっているのだと。 -
Posted by ブクログ
プラトン、悉達多、ナザレのイエスなど歴史上の偉人と宗教の開祖たちの姿を通して、神とは何か、宇宙の終わりとはをSFの枠組みのもと、壮大なスケールで描いた大作。
なんとなく既視感を覚える場面もあるけれど、これこそが自分が触れて来たマンガ、アニメ、ゲームなどに影響を与えたのかな。ここで描かれたヴィジョンは非常に影響力が大きいと思う。
光瀬龍という作家の小説を本作で初めて読んだけれど、不思議な書き方をする作家だ、と読みながら考えていた。
夢か幻のような抒情性のある文体や場面。そこに本格的なSF設定が土台にすえられていて、奇妙な反応を起こしているよう。仏典で描かれた世界をSF的な設定とともに梵天王が語る場面などはとても面白い。
ただ気になったのは超越者の描き方が、人格をもち、ヒトにとって対話可能、理解可能な存在としていることか。最近のSFとはこのあたりが違う気がする。
最後のあしゅらおうの姿は忘れられない絵になるだろう。