いしいしんじのレビュー一覧
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能も狂言も人形浄瑠璃も見たことないので、
実際にどのような”動き”をするのかは全く想像するしかないのですが。
後書きでは「舞台での人形は本当に死ぬ。首が飛ぶ、崖から落ちればそのまま動かなくなる」とありそれを想像しながら読むと心に迫ります。
【「能・狂言」新訳:岡田利規】
能「松風」
磯に立つ一本の松の木。
行平中納言の一時の寵愛を受けた二人の女の情念。
能「卒塔婆小町」
若き日は美しかった。
その昔戯れに扱った男の怨念が憑り付いて、
いまでは卑しく年を取った。
能「邯鄲」
”邯鄲の夢”の能舞台化。
狂言「金津(かなづ)」
「はい、こうして登場したのが誰かと言いますと、金津と -
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「手品師の舞台は、演芸小屋や劇場にかぎらない。私たち手品師は、この世のどんな場所でも、指先からコインをひねりだし、カードを宙に浮かせ、生首のまま冗談をとなえつづけなければならないのだ。いうなれば私たちはみな、そろいもそろって、目に見えない六本目の指をもっている。手品師たちのその見えない指は、この世の裏側で、たがいに離れないよう、密かに結ばれあっているものなのだよ」
ファンタジーの名手いしいしんじの傑作長編。
山間の村にただひとつあるプラネタリウム。そこに捨てられた双子のテンペル・タットルを中心に悲喜こもごもの人間模様を綴る。
剣も魔法も出てこないけど、この人の書く本はすべからくファンタジーだ -
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今思うと笑っちゃうけど、幼稚園児の頃だと思うけど、よく押し入れに閉じこもった。真っ暗な中で何してたんだろ?よく思い出せないけど、何だか想像上の自分の世界を作って、そのなかで、誰かに話かけたりしていたような、ぼんやりとした記憶がある。親でもない、兄弟でもない、現実の友だちでもない“その誰か”と、心のなかで話続けていたような・・・
この物語の主人公の「ぼく」は、その生まれもった体格などから、小学校で同級生や先生から何となく「へんてこなもの」として遠ざけられる。それは、最初の方は、ほとんど独り言だけってことからもわかる。
そんなとき、ぼくは屋根裏で「へんてこなひと」に出会えるようになる。とん、たた -
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フォロワーさんからオススメして頂いた、初いしいしんじさん。
「でも、それ以上に大切なのは、それがほんものの星かどうかより、たったいま誰かが自分のとなりにいて、自分とおなじものを見て喜んでいると、こころから信じられることだ。そんな相手が、この世にいてくれるってことだよ」
泣き男が言ったこの台詞が、この小説の一番ぐっとくる部分だと思う。
幼い頃に双子が見たプラネタリウムの星空は、双子にとっての暖かくて大切な思い出で、道は違えどしっかりと受け継いで人に伝えていく。お父さんと双子とプラネタリウムと、それを取り巻く人間模様の、優しさで溢れるお話でした。 -
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まず、とても面白いし童話なんだけどそこらの童話とは内容のスケールが桁違いに広い
結局クーツェは「あ〜」って感じなんだけど、もちろん登場人物は個性的で魅力的で、いろいろな人間が居る様にいろいろな人生があるんだよって言われてる気もした。
ねこには才能があったといえば簡単だけど、周りの雑音に左右されずに個性を追求する芯がなかったらみんなと同じで、本当は強い人間なんだけど一見弱い感じなのが不思議だった。
楽しい作品で童話チックで細かくというか隅々までねこの故郷や挑戦するために訪れた大都会も描かれててすごくキレイで、特に故郷はねこが羨ましいほど美しい! -
Posted by ブクログ
何が書いてあるのかよくわからない。でも、とても大切な何かが書かれていることはよくわかる。
字幕なしで知らない外国語の映画を見ている感じる、と言えば伝わるだろうか。
読みはじめてすぐ、あ、これは『みずうみ』で変わった方のいしいしんじだ、と分かる。何が変わったのか、うまく言えないけど何かが変わった。
『みずうみ』を読んだ時には「ついていけない、理解できない」としか思えなかったが、『四とそれ以上の国』では「理解はできない、でもわかる」に変わった。
おそらく、いしいしんじさんの「その場小説」を体験したから。出かけて行ったその場でその場所にちなんだ短編小説を即興で作って朗読する、というものだけど、そこで