ピーター・シンガーのレビュー一覧
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ネタバレ動物の苦しみに配慮すべきだ、という。それは、人間の平等を基礎づける理論が、動物にも拡大されるべきだという主張でもある。
様々な角度から論証がなされているが、特に印象に残ったのは冒頭の功利主義的論証だ。苦しむ能力を唯一の基準とし、それを有する主体に平等に配慮すべきであり、動物も苦しむからだという。
なぜ苦しむ能力の有無で線を引くのか?それ以外の基準で、万人の平等と衝突しないものを探すのは難しい。例えば、もし認知能力の差を理由に差別を認めるなら、幼児や障がいを負った人への差別をも許容してしまう。人種や性別による線引きも論外だ。(何が最善の基準かは、演繹的には証明されないのかもしれない。そうだとしたら、今ある選択肢からどれかを選ばざるを得ない問題なのだろう。私は上の基準より納得いくものを挙げられないが、代案は提出されているのだろうか?)
ここで、苦しむ能力を他の基準(理性や言語使用、自己意識など)と並列される基準のひとつとするのでなく、あくまで唯一の基準とした点は注意すべきだろう。これは、他の基準が優先されることで、苦しむ者の中の一部が排除されてしまうことを避けるためだ。
また、動物に苦しむ能力があることは、科学的に示されているという。著者は「科学者がそう言っている」というだけでは終わらせない。私のような生物学に全く無知な人間にも分かるように、「科学的」とはどういうことか、なぜ動物がそういう感覚を持つという仮説に説得力があるのか、を示してくれている。
以上の二点(苦しみへの平等な配慮と、動物が苦しむということ)を認めるなら、動物の苦しみにも配慮しなくてはならない。
これを読んだ直後は、納得した、ように思えた。ただ疑念もある。私は自分に危害を加えてくる人間に対して、あるいは虫(痛みを感じる証拠がいろいろと挙がったとして)に対しても、積極的に苦しみを減らし幸福な生を送ってほしいとは思えるだろうか。そうでなければ、私は豚や牛が愛らしいものと思っているから、その保護に同意できただけではないのか。苦しみの能力ではなく、結局のところ自分は主観的感情で線を引いている気がした。
著者は、個人の感情に訴えることで、主張が受け入れられるかどうかは個人の自由、という問題になってしまうことを避けたかったらしい。そうではなく、事実と論理に基づき、それが正しいという意識で以て行動を変えたいという。
私のような感情的な読者に対し、著者はどう思うのだろうか。
さて、著者は動物の苦しみへの配慮の具体的行動のひとつとして、菜食への移行を挙げる。
採食が実際に動物の苦しみを減らす、という現実的な効果への言及には、強く行動を促された。いわく、私たちが動物の肉を買わなければ、販売店は発注を減らす可能性があり、(不買行動にはその期待値がある)それは工業的畜産で苦しみに満ちた生を送り殺される動物の数を直接減らす、という。対して肉を買うことは、メーカーに資金を与え、それを使って工業的畜産の残酷さを覆い隠し、禁止法の成立を阻むという形で、動物の殺害を支援する。
私は正しいと信じつつも、無力感を言い訳に行動に移さないことが多々あった。選挙も、環境問題もそういう面がある。肉食においては、そうした言い訳は通じないようだ。
しかも、菜食は他の価値を犠牲にするものではない、例えば、動物の苦しみと人間の苦しみのどちらかを選ばざるを得ない、といった問題ではないようだ。
動物を食べなければ人間が飢える、というのは全くの間違いだ。畜産動物が摂取するカロリーが全て肉に変わる訳がなく、菜食を選択した方が食料は増える。そればかりか、肉食は環境さえ破壊する。
つまり、肉食と菜食の選択は、譲れない大事な価値の選択ではない。動物の想像を絶する苦しみと死、それに加えて食料や環境を犠牲にすることと、人間の味覚の満足との選択だということだ。ここでは倫理学の複雑な議論は必要ないようだ。 -
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ネタバレ著者は反種差別理論の基礎に功利主義や平等のモラルの思想を自明的に置いているが、僕はそれらは自明ではなく丁寧な論証を要する部分ではないかなと思った。一方で細かいところを抜きにすれば、この本には読者を菜食主義に傾かせる十分な啓蒙の力があると感じた。
ユダヤ教の人間は動物を支配する立場にあるという信仰とギリシアで育まれた人間中心観の思想とが合わさり、ローマの自分の共同体に属さない者を害する風習を経て、キリスト教の人間が動物に優越し動物は人間に利用されることを目的とするという教義が普及し、現代の種差別的な価値観へと繋がっている。
現代では、動物擁護の価値観は徐々に広まってきているものの、動物を過剰に傷つけるような実験の材料としたり被畜産動物を肉や卵を生産する機械としたりする種差別的態度は依然強力である。
私たちにできることは、工場的畜産物の摂取を控えることで反種差別的態度を体現することである。 -
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シンガーがどのような議論で動物権利論を提起したのかを知りたいなと思っていたところ、都合よく改訂訳が出たので読んでみた。
功利主義的な基盤に基づく「なぜ動物の苦しみを減ずるべきか」といった議論と、その推進を妨げるイデオロギーとしての種差別を論ずるパートに始まり、実験動物や畜産動物において非合理的な苦しみを与えられる動物たちの実例を紹介し、再度種差別イデオロギーの構築の史的分析に入る。
多角的に種差別に基づく動物虐待行為を論じており、その筆致も明快である(分析哲学的な明快さ)。だが、その明快さに少し違和感を感じる側面もある。
色々な意味で難しい古典だと感じた -
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ネタバレ人々が動物性食品を止めるべき主な理由は動物への配慮、気候変動対策、自分の健康への問題、生鮮市場における感染症の4点が挙げられる。
動物に苦しみをもたらす慣行を支持したくないからベジタリアンになるのであれば、中枢神経系がないハマグリやホタテ、良い生の鶏の卵を食べるフレキシブルなヴィーがんは問題にならない。
動物の解放運動は他の解放運動と異なり、搾取される側である動物が組織的な抗議をしないこと、抑圧する側に属する集団の構成員のほぼ全てが抑圧に直接加担している受益者であることなどから、不利である。
畜産を止めれば、浮いた飼料生産により、地球から飢餓と栄養失調はなくなる。すなわち、動物の解放は人間の解放につながる。
ベンサム「各人を一人として数え、誰も一人以上としては数えない」 -
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「効果的な利他主義」とは寄付者の情けに訴えるチャリティではなく、費用対効果の高い方法で命を救い苦痛を減らすことを証明できるチャリティに寄付を行うことを指している。本書の中で紹介されている事例として、収入の大半を寄付する人、より多くの寄付を行うために高収入を得られる職業に就くもの、腎臓等身体の一部を赤の他人に提供するもの等々があった。これらは極端な例だとは思うが、少なくとも自己満足ではなく、命を救うために最も効果的なチャリティを選んで寄付をすべしという提言は納得。私は本書でいうところの「寄付することで気分が良くなり、その効果は問わない」寄付者で、さらに「こうした寄付はたいてい10ドル以下の少額で、それを処理する費用が寄付の効果を上回ることは、よく考えればわかるでしょう。」にまさに該当したので、とりあえず寄付額の引き上げをするところから始めることにします。
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私たちは自分にできるいちばんたくさんのいいことをしなければならない。盗まず、騙さず、傷つけず、殺さないと言う当たり前のルールに従うだけでは不十分で、世界をよりよいものにするために尽力すべしと言う 「効果的な利他主義」の話
与えるために稼ぐ、腎臓提供をする等 他者を気にかけ、そのために自分の人生を大きく変えることをいとわない人達。 度が外れていると感じるケースの紹介もあり、感心する。
慈善団体が効果的にチャリティーを使っているかを評価する組織、ギブウェルを調べてみたが、英語しかなく、チャリティー先としてもあまり私に合うなと言うものでは無かった。
【今後私が頑張ること】
私に出来ることを考えらた(そして実行しよう)
・おこずかいの3%を寄付する
・献血に行く
・ボランティアに参加する
と思ったが、こう決めてただ毎年ルーチンとしてやるのではなく、「世界を良くするために自分はなにが出来るだろう?」と継続的に考えることが一番大切なのではないだろうかと思い至る。
・ 「世界を良くするために自分はなにが出来るだろう?」と継続的に考える -
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オーストラリアの倫理学者である著者が効果的な利他主義とは何かについて自身の見識やデータをもとに書いた一冊。
本書を読んで、利他主義の素晴らしさや効果的な利他主義の様々な選択肢を知ることができました。
同じ寄付でも多くの人を救うことのできるものを選ぶことの大切さを学ぶことができました。
そんな本書の中でも先進国よりも途上国に寄付する方が効果的であることは印象に残りました。
本書を読んで、効果的な利他主義という新しいムーブメントを通して自分に何ができるのか改めて問い直すきっかけとなり、他人を助けることについて多くの示唆を与えてくれる一冊でした。 -
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プリンストン大学教授の哲学者、倫理学者による「寄付」についての本。端的に言えば「同じ寄付をするなら、そのお金が一番人や動物の苦痛を減らし、幸福を増やす施策に寄付すべき」ということでしょうか。
読み終わって思ったことは3点。
1. 寄付というマーケットのアメリカでの大きさと、寄付って何なんだろうということ
2. ベジタリアニズムを選ぶ理由は「動物の苦痛を減らすため」ってどうなの?ということ
3. 何でも定量化して、比較できるようにしようというチャレンジは大事だなぁということ
1.については、「寄付のやりかた」が議論されるくらい、アメリカでは寄付というものが一般的だということ。訳者あとがきでは、日本における寄付も決して少ないわけではないということが触れられていましたが、アメリカとは寄付への考え方が違うような印象を受けました。
昔読んだマンガで、「良い大人が、本当に人を助けたかったら自分で働け」なんてセリフがあったのですが、本著の例は自分で高給の仕事に就いて寄付を増やしている訳で。ただ、理想の形は働くことのその内容が社会貢献になっていることでしょうか。
2.については、本著ではそんな主張があったのですが、だったら動物を苦痛なく殺せるのなら食肉は問題ないということ?そもそも食事だけが環境負荷を与えているわけではないでしょうに、肉は食べないけど豪華なバスルームの家に…とか。あるいは、肉を全く食べなくなったら家畜は絶対量が激減したり、廃墟となった農場周辺の環境が変わるだろうし、種も無くなるかもしれない。結局は、環境に与える負荷の罪深さを認識しながら生きていくことが大事なのでは。
3.については、本著で取り上げたような寄付の施策の比較は物理的にかなり難しいことで、どうやるの?って話になるのですが、それを実際にやり遂げた例が挙がっていて、最初から諦めるのではなくて、まずは取り組んでみることは大事だな、と感じました。
個人的には、本著の主張に全面的に賛成!という感じではないのですが、それでも色々なことを考えるきっかけになる本でした。 -
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効果的な利他主義は間接的に自分に恩恵がある。
収入の1割を貯蓄、1割を寄付。
ビーガンになることも世界のためにできること。
貧しい人がなくなることが大事、貧富の差が開くことが悪いわけではない。
他者への臓器提供。
費用対効果の高い方法でチャリティに寄付する。
情に訴えるチャリティではない。
共感的関心は低いほうが効果的な利他主義になりやすい
トロッコのジレンマでも冷静に判断できる人。
数字を重要なものと認識する=共感ではなく理性で寄付する。
特定の人を助けるのではなく、多くの人数を助けることに興味がある。
小口の寄付者は、心のぬくもりを求める、だけ。
消費における快楽の踏み車。寄付は失うものが多いとは感じない。快楽の踏み車から抜け出す方法。
チャリティに寄付した人と幸福度の高さには相関関係がある。臓器提供者の自尊心が高まる。
他者への思いやりから生まれた行動であれば、その人の得になることでもいい。
同じ金額でも、貧困国のほうが救う命の数は多い。
他の人が気にかけないところに寄付する。
失明治療と美術館建設への寄付を比べる。
どちらが恩恵を受ける人数が多いか、恩恵の量が多いか。
ギブウェルと動物チャリティ評価協会。チャリティーの効果の評価。
途上国への寄付のほうが効果が高い。数多くの行為を行う団体は効果全体がはっきりしないので評価しない。
学校の普及には、教育で賃金が上がることを親に納得させることが一番効果的。
女性は男性ほど攻撃的ではないため、女性の発言力が高くなれば、核戦争のリスクも減る。女性の教育で、子供の数が減り、子どもたちは健康的になる。
効果的な利他主義のすすめ
多くの組織に少額の寄付をすることは心のぬくもりを求める、だけ。効率的ではない。
メイクアウィッシュ財団は、相手の顔が見えるため多くの人が寄付をするが効率的ではない。
工場を建てて貧困から救い出し、その利益をさらに投資に回すなら、効果的な利他主義者といえる。
受けての受け取るべきものより多くを失うまで寄付するか。
ギブウェル=チャリティーの評価をして効率的な寄付ができるサイト。
ギブダイレクトリー=アフリカに使い道を公開して寄付を募る。
慈善団体で働くよりも、金融業界などで働いて得たお金を寄付するほうが効果的。
費用対効果が高い寄付をするべき。=先進国の貧しい人よりアフリカの子供たちが先=効率的。
トロッコのジレンマ=功利主義と考え方は同じ。
共感よりも論理に動かされるべき。お金の使い道を考える。自分の子供と他人の子供と同じ。
特定の誰か、を助けるより助ける人数を知りたがる。人数が多いほうが幸せになれる。
自分の寄付は犠牲ではない。快楽の踏み車から抜け出して、人を救うことに喜びを見出す。=自己犠牲ではなく自己の欲求に従っているだけ。
乞食にものを与えたホッブスと同じ論理。自分がいい気持ちになるために与える。利他主義と同じこと。
ロックフェラーフィランソロピーアドバイザーズは間違っている。貧困緩和が入っていない。
事前活動家なら、最も効果的な寄付をするべき。貧しい国のほうが、より多くの人を救える。
誰かの人生を永続的に大きく変えられる、ことこそ大きな喜びである。
ペットの犬猫を救うより、畜産動物を救うほうが効果的。工場畜産動物を減らす=ビーガンになる、か無駄に死なない家畜を救う。
巨大な隕石に当たる可能性は、10万年に一度かそれよりも低い。
目に見える命と目に見えない誰かの命を同じに扱うためには、論理的客観的な思考能力が必要になる。直感に従ってはできない。
自分ができるいちばん大きな影響を与えられる分野を選ぶ。 -
Posted by ブクログ
被災地に募金したり、恵まれない子供たちへのチャリティー活動に参加した事がある人は多いと思うが、自分が行った寄付が実際どのように使われているのか、調べる人少ないはずだ。本作はチャリティーの定量的効果を、哲学的な視点を用いて考察した一冊である。
アメリカには、同じ額の募金をするならどの団体に寄付すれば効果的なのか、そのような事が気になるあまり、慈善団体を評価する会社を立ち上げてしまった人がいる。また、より多額の寄付を行いたいために、高額な報酬が得られるウォール街の金融企業に勤める人もいるらしい。
そもそもアメリカ人と日本人の間には、寄付に対する考え方の違いのようなものがあるのではないかと感じた、上手く説明できないが国の成り立ちや宗教なんかも大きく影響しているのかもしれない。施しの気持ちが美徳であるという日本人的感覚からすると、神主に賽銭の使い道をたずねるような話で、効果的な利他主義という考え方には少し違和感を覚える。
でも慈善事業やチャリティー活動に積極的な国民性など、アメリカに見習うべき点も多いのかなと思った。 -
気分悪くなってやめにした
お高い本なので、とりあえず試し読み。
作者氏、魚が嫌いみたいです。
肉とか魚とかが、魚がタコになっている。
たこ焼きには当たり外れがあるので特に東日本では食おうと思いませんが、
タコの美味いのを食ったことがないらしい。
可哀想な人です。ユダヤ教徒?海では鱗がついた生き物以外食えないそうな、
傷んだシャコでも食って腹壊したのかしら。
もっとも、隣人食い物にする方がはるかに罪深い気がする。
魚食うやつはタコ、あたしゃ魚食わないから知らねえ、のスタンスです。
缶詰、瓶詰めの不味そうな魚しか食ったことがないかもと考えると、
料理の腕は重要なのでしょうね。改めて可哀想になってきました。
気分が悪くなる料理を想像するのは精神衛生上良くないので、やめにします。
苦しむの定義が出てくるらしいのですが、よくわからんですね。
パンやアルコールの生産に使われるイースト、単細胞は使役に当たらない?
納豆菌も該当しますね。餌くれて増やされて、オーブンで焼かれるとか、胃袋で溶かされるとか、
苦しくないなら問題ないと、よくわからん。
ウニって美味しいですが、筆者は間違い無く食べた事ないでしょうね、
口にするのも汚らわしいなのでしょう。
目も耳もなくて口に入れられるものを口にして、長生きする個体は100年以上生きるそうです。
幼生の時はプランクトン扱いですが、もちろんしゃべくる舌なぞついてません。
脊椎動物ではないので考えたりするのかな、こうした生き物は苦しんだりするのですかね。
なんか魚食う日本人はタコと同じだから勝手に食ってろとか言われそうですが。
そういえばタコもイカも脊椎動物ではなかったな。目は性能のいいのがついてますが。
まあ、まあ、お好みで