オイゲン・ヘリゲルのレビュー一覧
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奇跡的な名著です。
一方、歴史的にはじつに不幸な運命の書でもあります。
「弓術と言えば弓を一種のスポーツの意味にとり、したがって術をスポーツの能力の意味にとるのが、まず手ぢかなところではないだろうか。」
と、はじまる本書は、1926年(大正15年)たまたま来日していたドイツ人哲学者オイゲン・ヘリゲル氏が弓道家阿波研造氏に五年間「弓道」学んだを体験を母国ドイツで行った講演録の翻訳です。
ですから平易な文章でわずか一時間たらずで読み終えてしまいますが、
そこは当時一斉風靡した新カント派の哲学者、「弓道」修行から「禅」に至るまでの道程を西洋人に語っています。
鈴木大拙の「禅」岡倉天心の「 -
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「あなたがそんな立派な意志をもっていることが、かえってあなたの第一の誤りになっている。あなたは無心になることを、矢がひとりでに離れるまで待っていることを、学ばなければならない」
「あなたは無心になろうと努めている。つまりあなたは故意に無心なのである。それではこれ以上進むはずはない」
「身を修むるを以て弓と為し、思を矯めて以て矢と為し、義を立てて以て的となし、奠めて而して発すれば必ず中(あたる)矣」
大好きです、この作品。背筋どころか、この身のすべて、未だかつてない感覚でピシッと伸びました。
もしも、読み返すことでここに書いてある世界が会得できるのなら、何千回だって読み返しを厭わない。
こんな -
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ほんのれんラジオきっかけで気になっていたら、お気に入りの本屋さんで見つけたので連れて帰った。
ドイツの哲学者、オイゲン・ヘリゲルが、日本の禅に興味をもち、そのことから東北帝国大学講師として来日した際、「不立文字」の禅を西洋人、しかも哲学者が理解するのは難易度が高すぎるから、とりあえず弓道からどうか、というアドバイスに従って「弓禅一味」を信条とする弓聖、阿波研造を師として習い始める。
来日中の数年をかけて、無心になって的を射るその本髄を獲得していく過程が作者の素直な文章で描かれている。
言葉も通じない師とのやりとりもドラマチックで面白いが、やはり、日本の「道」が、禅に通じているという解釈、 -
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禅。
なかなか理解できない世界のことだったけど、禅や無心は経験しないことにはわからない、とのことなので読む時点ではそれでよいのかなと。
座禅?は心だけで行うので難しく、禅に至るにはヘリゲルさんが本書で習っている弓道をはじめ、剣道、華道、茶道…日本の道からは開けるし、それらは心と身を使うのでまだ入りやすいんだそうだ。
とにかく阿波師範が教師として優れているのはわかりました。
その言葉一つ一つに感じるものがある。
色々と思う1冊なので感想を書くと大変なのでこのへんで。この時点でわけわかんない文章になってるので(^^;
ちょくちょく再読してみたいと思います。興味深かった。
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ネタバレ論理的かつ合理的といわれるドイツ人である著者が日本の弓術から日本人に根付いている禅の精神を分析した本です。
現代の日本では弓道という単語を耳にする機会はありますが、弓術と言う単語を耳にする機会は少ないと思います。まず、この2つの違いはどのようなものなのでしょうか。この本によると、弓術は的を射る一種のスポーツであり体を鍛え筋肉で弓を引くものだと述べられています。一方で弓道は的を入ることが目的ではなく精神修行の一種であり、精神で弓を引くものだと述べられています。著者が弓術という単語を使用しているのは著者にとって自分の弓はまだ弓道の弓に達しておらず、的に当てようとするスポーツであると言う気持ち -
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全てに合わせながら、全てを自らに適応させる水のように「無心」になるにはどうすればよいのか。
ドイツ人哲学者であるヘリゲルが弓の修行を通じてそれを得るまでの過程を述べた本書は、外国人が禅を知るための本として、スティーブ・ジョブズも愛読していたと言うことで手に取ってみた。
原著は60年も前のものだが、この新訳では文章をより分かりやすく見直すとともに、師匠の阿波研造の解説も加えられており、背景を含めて弓と禅の理解を深めることができる。
そして、師匠からヘリゲルに送られた弓は、現在、円覚寺に蔵されているという。
弓をやったこともなく、「無心」になる経験は出来ずとも、本書を片手にいつか訪れて、それ -
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ドイツ人が禅の精神を学びたくて日本で弓術を学ぶという昭和初期の実話。
ほとんど無批判と言えるほどに日本の精神を持ち上げる様は読んでいて正直むず痒かったのですが、「的を狙ってはいけない。無心になりなさい。」という精神論を語る阿波先生に対して、「なにも考えず、狙わずにどうやって当てるのですか。」といかにもドイツ人らしい理屈で食らいつく語り部ヘリゲルという対比が面白かった。
そんな考え方の違いがありながらも、ヘリゲルがドイツに帰国する際には先生愛用の弓を託されるまでの良き師弟関係になれたのは、わからないことをごまかさずに「わからない」と言い、実直な対話を重ねた結果だと読み取れて両者に敬意を感じた