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Posted by ブクログ
日本人は何でも「道」にしてしまう。
茶道、華道、へたすればラーメン道、とか。
道、とはなんだろうか。ざっくり、ストイックに突き詰めて無我の境地に至る、みたいなことだと日本人なら感覚的に理解できる。
その中でも、弓道(弓術)というととくに何か神秘の香りがする。
ここに合理の権化のようなドイツの哲学者が挑戦した記録。
「・・・私が弓術を習得しようとした本来の問題に、先生はここでとうとう触れるに至ったが、私はそれでまだ満足しなかった。そこで私は、『無になってしまわなければならないと言われるが、それではだれが射るのですか』と尋ねた。すると先生の答はこうである。
『あなたの代りにだれが射るかが分かるようになったなら、あなたにはもう師匠が要らなくなる。経験してからでなければ理解のできないことを、言葉でどのように説明すべきであろうか。仏陀が射るのだと言おうか。この場合、どんな知識や口真似も、あなたにとって何の役に立とう。それよりむしろ精神を集中して、自分をまず外から内に向け、その内をも次第に視野から失うことをお習いなさい』
ーーー先生はこの深い集中に到達する仕方を教えた」(pp34-35)
弓の稽古を通じて、この若きドイツの哲学者の思索は、「無」とは何か、という(東洋的)心理に徐々に接近していく。
趣深いのは、日本だと師匠の指導に口をはさむなんてことはなかなかできないものだが、著者はガンガン自分の疑問を先生にぶつける。先生は当惑しながらも多くの文献に当たり、ときにはドイツ語も片言使いながら真摯に受け答える。
この師匠と弟子との対話の真摯さに深く胸を打たれた。
Posted by ブクログ
面白かった。こんな本もあるんだなぁと思った。
昭和初期、東北(帝国)大学に職を得たドイツの哲学者が、日本の文化を深く知るために弓術を習うという体験を本国で講演した時の日本語版。
日本の武術は禅の影響を受けているため、日本の神秘性を理解するには武術を習うことがよいと勧められて弓術を始められたとのこと。
しかし師範からの指導は「あなたは全然なにごとをも、待っても考えても感じても欲してもいけないのである。あなたがまったく無になるということが、ひとりでに起これば、その時あなたは正しい射方ができるようになる」…など欧州の論理的な哲学者にとっては理解し難い指導ばかりだが、それを少しずつ体得していく様子が大変面白く描かれている。
師範の言っていることが、よく言われる瞑想と似ているなと思ったら、スティーブ・ジョブズはこの本を元にした『弓と禅』の愛読者だったらしい。
言葉に表現しにくい日本の文化を著者はうまく表現している。論理的な外国の哲学者が日本文化を深く知ろうとしてくれたお陰で、日本の文化をとても面白いと思えた。せっかく住んでいるのだから、日本文化をもっと勉強してみようと思えた。
100頁もなくてすぐ読める。
Posted by ブクログ
薄い本ですが、読みごたえがあります。東洋的な精神文化の根本を「禅」の中に見出そうとする著者の思いが詰まった本です。心に残る一冊であることは間違いがありません。弓道とは、これほどまでに精神修養の面があるとは知りませんでした。日本人の深い精神性について知ると共に、日本人が古来から培ってきた自己の内面との邂逅が、仏教的な思想である「禅の思想」と繋がっていることを再認識しました。西洋人と東洋人の考え方の違いの根本を教えてくれる本です。この本をドイツ人のヘリゲルが書いたというのも凄いことです。ヘリゲルが晩年過したガルミッシュパルテンキルヘンは私が十数回訪れている場所であり、そういう事実を知れたことも嬉しかった。
Posted by ブクログ
奇特なドイツ人哲学者が奇跡的に弓術を志し貴重な師匠に出逢い、その体験を帰国後講演したものを邦訳した奇書。この薄い文庫本の存在そのものが本書でも何回も繰り返される「非有の有」みたいに感じられます。堅牢な論理を背景に持つ学者が神秘的合一に魅入られ精神修養に立ち向かい理解より体感を重視する過程に煩悶していく様子が明瞭な言語で綴られていきます。哲学者のドイツ語を昭和初期の重々しい翻訳している文体もこの本の「らしさ」なのかも。しかも作者、星飛雄馬のようにまっすぐに悶え苦しんでいるし。ページ数の割に非常に濃厚で深淵です。戦前の武道を通したドイツ人の「Discover Japan」は今のわれわれにとっても日本をもう一度、知るきっかけになると思います。例えば6年後に行われるスポーツの祭典オリンピックにむけてわれわれは「的を狙わずに自分自身を狙いなさい。」にみたいなプレゼンテーションを世界に向けてできるのでしょうか?理屈関係なく何かに打ち込みたくなる熱い読書でした。
Posted by ブクログ
〈弓術〉と〈弓道〉は別である。
タイトルとしては〈術〉と書かれているのだが、この場合〈道〉という方が相応しいように思う。
ヘリゲル氏が弓と出逢ったことは、彼にとってどのような人生の変化をもたらしたのだろう。
無我でいること。
心で引くこと。
自分を射ること。
今の日本人でも疑問に思うに違いない。
最初、ヘリゲル氏は上手く出来ないことで技術を磨く方に躍起になる。
しかし、彼はその「?」から逃げることなく、悪戦苦闘しながらも「なぜか分からないけれど、なんとなく出来る」ようになっていく。それが、すごい。
そして、夜の場面。
真っ暗闇の中で、阿波師範が放った二本の矢に、読者も同じ驚きを覚えるのではないだろうか。
河合隼雄は、これを読むと日本人がオリンピックの場になると勝てないのは当然ではないか、と書いていた。なるほど。
向き合うものは、己自身である。
私たちはかつて「道」に関わることで一つの精神・心の在り方を学んできたと書かれている。
阿波師範は言葉で表すことは難しいとし、姿勢を見せ、型を真似ばせることで多くの人にそれを伝えた。
「技」というものがどれもスポーツ化していくことで、そうした形のないものの継承は、潰えていこうとしているのだろう。
非常に薄い本なのだけど、分かりやすく(けれどあっさりとは掴みにくく)、身が引き締まって、深く呼吸をし、自身ときちんと向き合いたくなる一冊である。
こういう本に出逢えることは、喜びではないだろうか。
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