あらすじ
的にあてることを考えるな、ただ弓を引き矢が離れるのを待って射あてるのだ、という阿波師範の言葉に当惑しながら著者は六年の歳月を過ごし、その体験をふまえて講演を行なった。ここには西欧の徹底した合理的・論理的な精神がいかに日本の非合理的・直観的な思考に接近し遂に弓術を会得するに至ったかが冷静に分析されている。
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「対話のない社会」で紹介されていた一冊。ドイツから日本にやって来て、知らない民族の精神性、その心の内をしりたいと弓術の世界に足を踏み入れたその時点で、すでに対話は始まっていたのだ。
かつての体験から否とせず、受け入れた師匠の方もまた対話を拒まなかったと言えるのだろう。
この対話性があればこそ、無我の境地、宇宙との一体感といった感覚に到達しうるのではないか。悟りはひとりでは開けない。
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日本人は何でも「道」にしてしまう。
茶道、華道、へたすればラーメン道、とか。
道、とはなんだろうか。ざっくり、ストイックに突き詰めて無我の境地に至る、みたいなことだと日本人なら感覚的に理解できる。
その中でも、弓道(弓術)というととくに何か神秘の香りがする。
ここに合理の権化のようなドイツの哲学者が挑戦した記録。
「・・・私が弓術を習得しようとした本来の問題に、先生はここでとうとう触れるに至ったが、私はそれでまだ満足しなかった。そこで私は、『無になってしまわなければならないと言われるが、それではだれが射るのですか』と尋ねた。すると先生の答はこうである。
『あなたの代りにだれが射るかが分かるようになったなら、あなたにはもう師匠が要らなくなる。経験してからでなければ理解のできないことを、言葉でどのように説明すべきであろうか。仏陀が射るのだと言おうか。この場合、どんな知識や口真似も、あなたにとって何の役に立とう。それよりむしろ精神を集中して、自分をまず外から内に向け、その内をも次第に視野から失うことをお習いなさい』
ーーー先生はこの深い集中に到達する仕方を教えた」(pp34-35)
弓の稽古を通じて、この若きドイツの哲学者の思索は、「無」とは何か、という(東洋的)心理に徐々に接近していく。
趣深いのは、日本だと師匠の指導に口をはさむなんてことはなかなかできないものだが、著者はガンガン自分の疑問を先生にぶつける。先生は当惑しながらも多くの文献に当たり、ときにはドイツ語も片言使いながら真摯に受け答える。
この師匠と弟子との対話の真摯さに深く胸を打たれた。
Posted by ブクログ
面白かった。こんな本もあるんだなぁと思った。
昭和初期、東北(帝国)大学に職を得たドイツの哲学者が、日本の文化を深く知るために弓術を習うという体験を本国で講演した時の日本語版。
日本の武術は禅の影響を受けているため、日本の神秘性を理解するには武術を習うことがよいと勧められて弓術を始められたとのこと。
しかし師範からの指導は「あなたは全然なにごとをも、待っても考えても感じても欲してもいけないのである。あなたがまったく無になるということが、ひとりでに起これば、その時あなたは正しい射方ができるようになる」…など欧州の論理的な哲学者にとっては理解し難い指導ばかりだが、それを少しずつ体得していく様子が大変面白く描かれている。
師範の言っていることが、よく言われる瞑想と似ているなと思ったら、スティーブ・ジョブズはこの本を元にした『弓と禅』の愛読者だったらしい。
言葉に表現しにくい日本の文化を著者はうまく表現している。論理的な外国の哲学者が日本文化を深く知ろうとしてくれたお陰で、日本の文化をとても面白いと思えた。せっかく住んでいるのだから、日本文化をもっと勉強してみようと思えた。
100頁もなくてすぐ読める。
Posted by ブクログ
ドイツ人がここまで素直に日本古来の弓術に専心してその本質を会得するとは、非常な驚きである。スティーブ・ジョブズが本書を愛読していたとのことであるが、西洋の人から見ると、本書で描かれたような道の究め方はある種神秘的に見えるのであろう。
Posted by ブクログ
今年読んで良かった本の1,2を争うかも。
ドイツ人が日本の弓道家に弟子入りして、
日本の深淵なる禅を学ぼうと試みたという話。
弓を射ることは弓と矢とをもって射ないことになり、
射ないことは弓も矢もなしに射ることになる。
身震いがした。
薄い本ながら内容は非常に濃いものになっている。
余裕のある字間で書かれた文章には雰囲気があり、
高潔な世界観がうかがえる。
阿波師範が語られる精神世界は
現代の日本において遠いものになってしまっている気がするのが残念だ。
日本人としてのアイデンティティを再認識させられる名著だと思う。
Posted by ブクログ
薄い本ですが、読みごたえがあります。東洋的な精神文化の根本を「禅」の中に見出そうとする著者の思いが詰まった本です。心に残る一冊であることは間違いがありません。弓道とは、これほどまでに精神修養の面があるとは知りませんでした。日本人の深い精神性について知ると共に、日本人が古来から培ってきた自己の内面との邂逅が、仏教的な思想である「禅の思想」と繋がっていることを再認識しました。西洋人と東洋人の考え方の違いの根本を教えてくれる本です。この本をドイツ人のヘリゲルが書いたというのも凄いことです。ヘリゲルが晩年過したガルミッシュパルテンキルヘンは私が十数回訪れている場所であり、そういう事実を知れたことも嬉しかった。
Posted by ブクログ
「射るように射てはならない」「百発百中よりも百発成功」「有から無に入る道は、かならず有に復って来る」「逆の方向から考える(的の方が自分にくる?)」といった含蓄のある言葉が並ぶ。
体得にかなりの時間を要し、かつ、体験しないと領域においては、言葉による表現よりも、自分と向き合ってその所作を続ける"生活"を継続することが重要になる。これは研究にも当てはまる。
(自分の手中にないことなので)的に当たるか、その境地に生きている間に至るかは気にかけずに無心に矢を放つ様子は、ニーバーの祈りのようでもある。
Posted by ブクログ
昔の著書であるが、弓術に禅との関係性を実践から感じ取った1冊を読むことができてとても良い時間でした。
日本の良いところはまだまだたくさん身近にありそうです。 今日も座禅をして心と会話をします。
Posted by ブクログ
奇特なドイツ人哲学者が奇跡的に弓術を志し貴重な師匠に出逢い、その体験を帰国後講演したものを邦訳した奇書。この薄い文庫本の存在そのものが本書でも何回も繰り返される「非有の有」みたいに感じられます。堅牢な論理を背景に持つ学者が神秘的合一に魅入られ精神修養に立ち向かい理解より体感を重視する過程に煩悶していく様子が明瞭な言語で綴られていきます。哲学者のドイツ語を昭和初期の重々しい翻訳している文体もこの本の「らしさ」なのかも。しかも作者、星飛雄馬のようにまっすぐに悶え苦しんでいるし。ページ数の割に非常に濃厚で深淵です。戦前の武道を通したドイツ人の「Discover Japan」は今のわれわれにとっても日本をもう一度、知るきっかけになると思います。例えば6年後に行われるスポーツの祭典オリンピックにむけてわれわれは「的を狙わずに自分自身を狙いなさい。」にみたいなプレゼンテーションを世界に向けてできるのでしょうか?理屈関係なく何かに打ち込みたくなる熱い読書でした。
Posted by ブクログ
〈弓術〉と〈弓道〉は別である。
タイトルとしては〈術〉と書かれているのだが、この場合〈道〉という方が相応しいように思う。
ヘリゲル氏が弓と出逢ったことは、彼にとってどのような人生の変化をもたらしたのだろう。
無我でいること。
心で引くこと。
自分を射ること。
今の日本人でも疑問に思うに違いない。
最初、ヘリゲル氏は上手く出来ないことで技術を磨く方に躍起になる。
しかし、彼はその「?」から逃げることなく、悪戦苦闘しながらも「なぜか分からないけれど、なんとなく出来る」ようになっていく。それが、すごい。
そして、夜の場面。
真っ暗闇の中で、阿波師範が放った二本の矢に、読者も同じ驚きを覚えるのではないだろうか。
河合隼雄は、これを読むと日本人がオリンピックの場になると勝てないのは当然ではないか、と書いていた。なるほど。
向き合うものは、己自身である。
私たちはかつて「道」に関わることで一つの精神・心の在り方を学んできたと書かれている。
阿波師範は言葉で表すことは難しいとし、姿勢を見せ、型を真似ばせることで多くの人にそれを伝えた。
「技」というものがどれもスポーツ化していくことで、そうした形のないものの継承は、潰えていこうとしているのだろう。
非常に薄い本なのだけど、分かりやすく(けれどあっさりとは掴みにくく)、身が引き締まって、深く呼吸をし、自身ときちんと向き合いたくなる一冊である。
こういう本に出逢えることは、喜びではないだろうか。
Posted by ブクログ
そこで私は、「無になってしまわなければならないと言われるが、それでは誰が射るのですか」と尋ねた。すると先生の答えはこうである。ー「あなたの代わりに誰が射るかが分かるようになったら、あなたにはもう師匠が要らなくなる。経験してからでなければ理解のできないことを、言葉でどのように説明すべきであろうか。
森博嗣の「喜嶋先生の静かな世界」にてこの新書が引用されており、興味を惹かれた。
弓道を通して、ドイツ人から見た日本の神秘主義、禅に基づく精神性を探る旅である。
今まさに愛国心という言葉が議論されている。
戦後のジレンマにより、私達は愛国心とは、日本人とは、という議論を凍結してきたが時代は変わった。
私は海外に出て自分の無知を恥じ、やはり日本を知りたくなった。そういう若者は少なくとも私の周りには大変多いのだ。
精神性が失われつつある現代。
大正時代の日本を興味深く思索していたドイツ人の著書は、私たちの思考に割りと近いのではないかと感じる。
一読の価値ある書である。
Posted by ブクログ
「あなたがそんな立派な意志をもっていることが、かえってあなたの第一の誤りになっている。あなたは無心になることを、矢がひとりでに離れるまで待っていることを、学ばなければならない」
「あなたは無心になろうと努めている。つまりあなたは故意に無心なのである。それではこれ以上進むはずはない」
「身を修むるを以て弓と為し、思を矯めて以て矢と為し、義を立てて以て的となし、奠めて而して発すれば必ず中(あたる)矣」
大好きです、この作品。背筋どころか、この身のすべて、未だかつてない感覚でピシッと伸びました。
もしも、読み返すことでここに書いてある世界が会得できるのなら、何千回だって読み返しを厭わない。
こんなにも凄い精神世界が現実にあるなんて、人間に与えられた可能性のなんと深大なこと。
ドイツの方の著作なのに、奇しくも先日読み終えたばかりの『禅的生活』という言葉なんかが文中に出てきて、その哲学的探究心のあまりの真摯さにわが頬を紅潮させたくらい。
最初に掲載されている写真、今まさに弓を射たんとするヘリゲル氏の姿は、もはや周囲の木々や空間と一体になり、何物にも感化されない無心の境地、そして不動の中心そのもの。まさしく“非有の中の有”。それが意味することの深奥さを思い、幾度見ても見飽きることがないのです。
大切な1冊になりました。
Posted by ブクログ
627円
68p
★再読
2026/08/19
オイゲン・ヘリゲル
(Eugen Herrigel、1884年3月20日 - 1955年4月18日)は、ドイツの哲学者。海外では日本文化の紹介者として知られている。特に弓道を通して禅をひろく海外へ紹介した[1]。1884年3月20日、リヒテナウに地元校の教頭の三男として生まれ、父の転勤でハイデルベルクに移る[1]。1903年にギムナジウムを卒業し、1907年よりハイデルベルク大学で神学を学び、1908年よりヴィルヘルム・ウィンデルバント、エミール・ラスク、ハインリヒ・リッケルトから新カント派哲学を学んで1913年に博士号を取得、1914年~1916年、第一次世界大戦に従軍後、ハイデルベルク大学に戻り私講師として哲学を講義した[1]。1923年には日本人留学生の大峽(大巌)秀榮とアウグスト・ファウストによる禅のアンソロジー“Zen: Der lebendige Buddhismus in Japan”(禅―日本における生ける仏教)の校訂を手伝った[1]。1924年5月に東北帝国大学に招かれて妻とともに来日、1929年10月まで哲学を担当、その間、同大学弓道部師範の阿波研造から弓道の指導を受けた[1]。日本から帰国後、エルランゲン大学で哲学正教授を務め、1937年にナチに入党、1938年に同大副学長に就任、1941年にはバイエルン科学アカデミー正会員となり、1944年に同大学長に昇任するが、1945年の終戦以降は正教授まで降格させられる[1]。戦後、非ナチ化法廷によって罪に問われ、「消極的な同調者」との判決を受けた[1]。1948年に教授を引退[1]。1955年、肺がんで死亡[1]。ユダヤ人哲学者ゲルショム・ショーレムは友人から聞いた話としてヘリゲルが確信的なナチであったことを指摘している[1]。ナチスの教育統制下にあった1944-1945年に大学学長の職にあったことなど、ヘリゲルのナチス関連情報は、現在(2002年時点)流布しているヘリゲルの著書の著者紹介からは抹消されている[1]。精神的な禅の体現者・紹介者のヘリゲルとナチスを関連づけたくない翻訳者や出版社らの手によって隠されたと思われる[1]。哲学者としてのヘリゲルは、精神生活の前提条件に「血統」と「人種」を置き、新しい反実証主義の哲学者としてニーチェを称揚した[2]。ニーチェの著作には「主人の精神と奴隷の精神」があるといい、その支配―被支配の関係をドイツ人とユダヤ人に移し、差別を正当化しようとした[2]。1923年には師のハインリヒ・リッケルトの依頼を受けて、第一次世界大戦で戦死したユダヤ人哲学者ラスクの全集(全3巻)を編纂刊行している。同じリッケルト門下で同僚のファウストやヘルマン・グロックナーからは、ヘリゲルの人間性に疑問が呈されていた[1]。ファウストはリッケルトや大峽(後述)から全幅の信頼をかち得たヘリゲルを嫌い、彼ら三人を生まれつきの役者と毒づき、ヘリゲルを芝居じみた計算高い人間、ほらふき男と断罪した[1]。なお、ファウストもヘリゲルと同時期にナチに入党し、より急進的活動家であったが、ナチス・ドイツ末期に自殺した[1]。1922年、ハイデルベルクの大峽秀栄のアパートでヘリゲルと日本人留学生たち。左から後藤富夫、藤田敬三、花戸龍蔵、大峽、ヘリゲル、三木清、羽仁五郎、熊代猪三雄、小尾範治。1920年代のドイツはスーパーインフレ下にあり、為替による経済的恩恵に浴した日本人留学生は地元の大学の教員を家庭教師に雇うなどしており、ヘリゲルも大峽秀栄、天野貞祐、石原謙、 北聆吉、 三木清ら哲学系の日本人留学生と交流があった[1]。とくに大峽と北とは読書会を開く仲であり、学生時代から研究していたドイツ神秘主義をより深く理解する鍵として、二人から禅についての知識を得ていた[1]。大峽(1883年生)は東京帝国大学哲学科卒の教師で、文部省派遣の留学生であり、円覚寺の釈宗演の弟子釈宗活から印可を得た禅宗の在家信者でもあった[1]。ドイツ神秘主義のマイスター・エックハルトに惹かれていたヘリゲルは、その思想の根底にある自己から離脱(Abgeschiedenheit)する経験に至る方途がなく、その研究を断念していたが、大峡から禅仏教の存在を聞き、日本ではまさに自己からの離脱を眼目とする修行法の伝統が現代まで受け継がれていることに驚いたという[3]。ヘリゲルは1924年(大正13年)、東北帝国大学に招かれて哲学を教えるべく来日、1929年(昭和4年)まで講師を務める。二人の通訳には小町谷操三があたった[4]。1920年代当時は弓道家の政治家としては法曹会・検事総長の小山松吉(のちの思想検事・司法大臣)がおり、教育機関においても、1924年(大正13年)に都下学生弓道連盟(現東京都学生弓道連盟)設立、1930年(昭和5年)に日本学生弓道連盟(現全日本学生弓道連盟)が設立されるなど弓道の組織が著しく発展した。ヘリゲルは、阿波研造を師として弓の修行に励み、ドイツに帰国する頃には阿波から五段の免状を受けた。帰国後の1936年、その体験を元に"Die ritterliche Kunst des Bogenschiessens(騎士的な弓術)"と題して講演をする。1941年には日本でこの講演の邦訳『日本の弓術』(柴田治三郎訳、新版:岩波文庫)が出版された[5]。1948年には同じ内容をヘリゲル自身が書き改めた『Zen in der Kunst des Bogenschießens(弓術における禅)』が出版され、1956年には日本でその邦訳『弓と禅』(稲富栄次郎・上田武訳、協同出版のち福村出版)が出版されたほか、英訳、ポルトガル語訳も刊行された[6]。1953年にはドイツを訪問した鈴木大拙と会っている[6]。『Zen in der Kunst des Bogenschießens(弓術における禅)』は、無心を体験することに弓道の奥義があると唱えた師のもとでヘリゲルが弓道を学ぶ中で、身体遣いが変わり、精神集中を強め、技を深め、ついに無心の射を経験するまでの過程を整理して著したもので、ヘリゲルは意識を超えた無心の行為を「禅」と表現しており、弓道だけでなく華道や墨絵などの芸道でも奥義は無心となることだと説いた。そのため、本書は欧米では弓道の書というよりも、禅の何たるかを描いた書として読まれ[5]、1938年に刊行された鈴木大拙の『禅と日本文化』とともに禅への入門書として有名になったが、日本では、弓と禅を結び付けたのはこの時期の阿波らなど一部であるため、弓道を神格化するものであると批判も出た[3]。ヘリゲルは日本文化の根源に仏教や禅の精神性を見出したとしている。”Zen in the Art of Archery”には、阿波研造が1本目の矢に2本目の矢を当てた[7]際にichではなくEs(エス)(「それ」)が射るといったという有名なエピソード[8]がある。これに対し元ドイツ弓術連盟会長フェリックス・ホフ(Feliks F. Hoff)は、弟子がよいパフォーマンスを見せたときに「今のはよかった」という意味で発した日本語の「それです」をドイツ語: Esを主語にしたため意味が変わってしまったという説をとなえた[9][6]。日本に関係する著作としては、ヘリゲルが戦時中に執筆した未翻訳のエッセイ「国家社会主義と哲学」(1935、未公刊)、「サムライのエトス」(1944)、「日本民族の生活と文化における伝統」(1942)の3本が2006年から秋沢美枝子と山田奨治によって新たに紹介された[10][11]。「日本民族の生活と文化における伝統」の内容は、日本文化の伝統性、精神性、花見の美学、輪廻、天皇崇拝、犠牲死の賛美について論じたものだが、『弓と禅』で論じた高尚な日本文化論とは対照を為す玉砕の美学を語る点や、彼の信念であったはずの日本文化=禅仏教論には触れずに、そのかわりに国家神道を日本文化の精神的な支柱に位置づけている点に特徴がある[10]。当時の禅宗の影響が濃くうかがえる[12]。
柴田 治三郎
(しばた じさぶろう、1909年2月17日 - 1998年7月27日)は、日本の文学研究者、ドイツ文学者、東北大学名誉教授。1909年、青森県青森市生まれ。東北帝国大学法文学部ドイツ文学科を卒業。卒業後は母校である東北帝国大学助教授となった。後に東北大学文学部教授。1972年に東北大学を定年退官し、名誉教授となった。ドイツ語に長け、レーヴィット[1]、モーツァルト、ブルクハルトなどを翻訳した。東北大学史料館に「柴田治三郎文書」として小宮豊隆・河野與一らと交わした書簡、カール・レーヴィット関係の文書が保存・公開されている[2]。
「 「弓術」と言えば、弓を一種のスポーツの意味にとり、したがって術をスポーツの能力の意味にとるのが、まず手ぢかなところではないであろうか。また日本の弓術家の驚嘆すべき業績について、その一端を知ることができると期待しはしないであろうか。日本の弓術家には、弓と矢の使用法に関して、本当に中絶したことは一度もない古い立派な伝統に頼りうるという便益がある。現にこの極東において、数世代以来ようやく戦時用としては近代的武器が古来の武器を駆逐したことは事実であるが、そのため古来の武器に親しむ風が絶えたわけではなく、それはさらに普及して、その後ますます広い範囲に行なわれている。そうするとあるいはここで、日本で今日いわば国技として行なわれている特別な弓の射方に関する叙述を期待する向きもあるかも知れない。」
—『日本の弓術 (岩波文庫)』オイゲン・ヘリゲル, 柴田 治三郎著
「ところがそれははなはだしい見当ちがいである。日本人は弓を射ることを一種のスポーツと解しているのではない。初めは変に聞こえるかも知れないが、徹頭徹尾、精神的な経過と考えている。したがって日本人の考え方によれば、弓を射る「術」とは、主として肉体的な修練によってだれでも多少は会得することのできるスポーツの能力、すなわち「中たり矢」がその標準と考えられるような能力ではなく、それとは別の、純粋に精神的な鍛錬に起原が求められ、精神的な的中に目的が存する能力、したがって射手は実は自分自身を的にし、かつその際おそらく自分自身を射中てるに至るような能力を意味している。」
—『日本の弓術 (岩波文庫)』オイゲン・ヘリゲル, 柴田 治三郎著
しかし今は、神秘的存在の本質の周りをいたずらに堂々めぐりするこの問題に、これ以上深く立ち入ることができない。もう一つ別な問題が解決を迫っている。先にも述べた通り、仏教は日本民族の文化と生活形態を広い範囲にわたって規定し、かつこれに特色を与えて来た。いわゆる悟りを開くのは、つねに比較的少数の人間に限られているので、仏教の作用はもちろん直接ではなく、いろいろの術を仲介としたのである。術と言えば、日本人はだれでも、少なくとも一つの術を習得して、生涯これを行なっている、と言うことができる。もちろんそれが墨絵の基礎となり出発点となる「書」の術に過ぎない場合もある。弓術はすべての上級学校で随意科目として教えられている。剣術も同様である。それゆえ、これらの術の精神に触れる者の数が非常に多いことは、言わずと知れたことである。ところがこれらの術は、いずれもその特性に応じて、いろいろと違った形で、またそれぞれ異なった程度に、仏教の精神を取り入れているので、それらの術の人心に及ぼす作用は一定の明白な現われ方を示すものとは、期待すべきではないであろう。
これらの術を会得すれば、平然としていても心にがなく、無心に行動しても意志が最後まで持ち耐えられ、無私な態度の中にも自己が確実に保たれるようになる、という見解がしばしば主張されるが、それは確かにその通りである。しかしそれは一つの副作用に過ぎなく、禅の雰囲気とはきわめて関係の浅いもので、他の場合にまったく異なった条件のもとにも現われうることである。無私の態度は、ヨーロッパ人の自己崇拝と異なり、日本人の精神生活にとって見きわめのつかないほどいちじるしいものではあるが、これさえも一概に仏教の成果と見ることはできない。その根元は元来日本の民族精神の中に求めるべきであり、しかもこれは自然ならびに歴史によって規定され、仏教と接触しない以前からすでに力づよい動きを見せていたのである。その後仏教が影響を及ぼし始めた時は、早くも一つの重要な足場が仏教に保証されていた。日本民族は仏教を自分に適合したもの、自分と精神的に親和性のあるものと考えたにちがいない。そこで日本民族にとっては、自然に成長して来た日本的存在様式の根本特徴が仏教によって承認されるのを見た上で、その後それを意識的に深めて行って身についた態度にするということだけが残っていた。もちろんそれだけでも十分ひろい意義のあることである。
大正十五年の春ごろだったと思う。ヘリゲル君が訪ねて来て、弓を稽古したいから、阿波先生に紹介してくれと言った。弓は日本人でも取りつきにくいものである。それを、どういうわけでやって見る気になったのかと思って、理由を聞いて見たところ、ヘリゲル君の言うには、自分はもう日本へ来て三年になる。そうして日本の文化について学ぶべきものがいろいろあることが、ようようわかって来た。殊に日本人の思想には、仏教、なかんずく禅宗の影響が非常にあるように見える。これを知る捷径は、弓道を学ぶにしくはないと思う。自分は妻と共に日本に来て、日本の文化にひたっているのであるから、日本にいる間に、その文化をできるだけ正確に豊富に理解することが、日本における自分たちの生活を、ますます意義あらしめることだと思う。外国人のうちには、長いあいだ日本に住みながら、日本の良いところを理解しようと試みないで、つとめて故国の生活から離れまいとする者がある。郷に入って郷に従わないことは、自分の生活を不自由にし、不満足にし、かつ貧弱ならしめるものである。だから自分は、妻には日本画と生け花を習わせている。そうして生け花の先生が来る時には、自分も傍で説明を聞いているわけだが、今度は自分と妻と二人で、弓道を習って見たいのだ、ということであった。そうして生け花の先生が来る時には、千葉胤成教授(前東北帝国大学教授、現満洲国建国大学教授)が通訳をしてくれるので、大変ありがたいが、弓の方は君が通訳をしてくれまいか、とのことであった。
「そうして彼は私に、日本人の物の考え方は、西洋人とおそろしく反対だと言い出した。ヨーロッパ式な考え方をしていたのでは、ことごとくが不可解である。日本人の思想を理解するためには、まったく逆の方から考えなければ駄目だと言った。また日本人はよほど直感がすぐれているに違いないとも言った。 ヘリゲル君は、おそらくこのころから従来の考え方をやめて、まったく逆の方向から思索を錬りつつ、弓道の研究に精励したものと見え、巻藁に向かった時にも、的に向かった時にも、先生が例の am grössten の賛辞をたびたび与える日が続くようになった。そしてそのころから、「分からない」 ( unverständlich) とか「信じられない」 ( unglaublich) とか言うことが、ようやく少なくなって行った。」
—『日本の弓術 (岩波文庫)』オイゲン・ヘリゲル, 柴田 治三郎著
「ヘリゲル君の弓道に対する理解が深まるにつれて、ヘリゲル君は、弓道の精神が、中世ヨーロッパの神秘的な伝説に似たところがあると言い出した。弓は的を射るものではなく、弓も的もまったく悟道の手段にすぎない、的を射るのは自分の魂を射貫くことであるという点なぞ、非常に中世的なものがあると言った。そうしてある年のクリスマスに、ヘリゲル君は、わざわざドイツから聖フーベルツスの伝説を取り扱った名画の、大きな写真版を取り寄せて、これを先生に贈った。これは猟犬をつれて狩に出かけた騎士が、森の奥で、角の間に後光のさした金の十字架をいただいている鹿に出合い、 座してその十字架を礼拝している図である。」
—『日本の弓術 (岩波文庫)』オイゲン・ヘリゲル, 柴田 治三郎著
「ヘリゲル君は、その射が進むにつれて、だんだんと興味が深くなり、熱心の度も加わって行った。夏休の避暑地にも、弓と巻藁をたずさえて行くのが常であった。また阿波先生との師弟の交わりも、非常に深くなって行った。先生はヘリゲル君が外国人でありながら、その哲学的思索力によって、弓道をよく理解することにはなはだ感心し、敬意を払うとともに、ヘリゲル君はまた阿波先生を、比類なき弓道師範であると真に思って、先生に師事していた。だからヘリゲル君が塩釜海岸の高山海水浴場に一夏をすごした時には、阿波先生がわざわざ出かけて行って、巻藁の前で、おたがいに片言交じりの日本語とドイツ語で、弓道の話をしたくらいであった。」
—『日本の弓術 (岩波文庫)』オイゲン・ヘリゲル, 柴田 治三郎著
「もともと原文は日本の弓道をまったく知らない外国人を目あてとした講演である。」
—『日本の弓術 (岩波文庫)』オイゲン・ヘリゲル, 柴田 治三郎著
「この訳書の原文は、一九三六年(昭和十一年)二月二十五日ベルリン独日協会でドイツ人のために行なわれた講演の原稿で、元の標題は Die ritterliche Kunst des Bogenschiessens すなわち字義どおりには「騎士的な弓術」となっている。「騎士的」とは「日本武士の精神をあらわした」というほどのことを意味するつもりだったかも知れないが、この修飾語では、全文の内容の展望に不当な限定を加えるおそれがあると考え、私はこの翻訳に、より適切だと考えられた『日本の弓術』という標題を与えた。」
—『日本の弓術 (岩波文庫)』オイゲン・ヘリゲル, 柴田 治三郎著
「第二章は本章の根幹をなす部分で、極言するならば、読者は第二章を味読するだけでも、著者の言おうとすることが、おおよそ理解できると考えられる。一つのヨーロッパ、いなドイツの、徹底的に合理的・論理的な精神が、どのようにして日本の非合理的・直観的な思考と実践に接近し、摸索、探求、懐疑、絶望、また探求を重ねながら、ついに所期のものを体得するに至ったか、その経過を、冷静に分析しながら、ここに描写している。そこには大きなうねりのある一種のドラマさえ感じられる。」
—『日本の弓術 (岩波文庫)』オイゲン・ヘリゲル, 柴田 治三郎著
著者オイゲン・ヘリゲル Eugen Herrigel は、一八八四年、ハイデルベルク近くのリヒテナウに生まれた。ハイデルベルク大学で、初め神学を学び、のちに転じて、ヴィンデルバント、ラスク、リッカートに就いて哲学を学んだ。哲学ドクトルの学位を取って学籍を離れた翌年、一九一四年、第一次世界戦争の勃発とともにただちに従軍、一九一九年、それが終結するまで五年間も軍務に服した。復員の後ふたたびハイデルベルク大学に戻り、その後同大学で私講師となって、新カント学派の立場から講義をした。一九二四年(大正十三年)五月、招かれて東北帝国大学講師として、夫人グスティ Gusty とともに来日、哲学とギリシャおよびラテンの古典語を担当した。 五年間の滞日中、阿波研造範士に就いて弓道を修行し、同時に夫人は、遠州流から出てのちに本原流を唱えた武田朴陽の許で生け花と墨絵を学んだ。一九二九年(昭和四年)八月東北帝大を辞して仙台を離れ、十二月帰国する前に、ヘリゲルは弓道五段の免状を与えられ、同時に夫人は、朴陽から昇月の号を贈られ、生け花師匠の免状を授けられた。
ちなみに夫人グスティは Zen in der Kunst der Blumenzeremonie. Der Blumen-Weg. Das Glück des Blumenstellens(生け花儀式における禅。花の道。生け花の喜び)を著し、鈴木大拙氏の序文を付して出版した。 第二次大戦に敗れた直後のドイツでは、当時の日本と同じく、勝者のむき出しの力が横行した。ヘリゲルはエルランゲンに新築したばかりの住宅を、突然アメリカ軍に接収され、多数の貴重な財物を掠奪された。中にはかけがえのない日本の思い出の品々、阿波範士から贈られた弓などもあった。ヘリゲルは、すべてを掠奪にまかせて、一九五一年、淡々とした様子でエルランゲンを引き揚げ、バイエルン・アルプス山中はオーストリアの国境近く、ミュンヒェンから南西約百キロの、ウィンタースポーツと保養の町ガルミッシュ・パルテンキルヒェンにたどり着き、質素なパンシオンの二階二た間で余生を送ることになった。
Posted by ブクログ
論理的かつ合理的といわれるドイツ人である著者が日本の弓術から日本人に根付いている禅の精神を分析した本です。
現代の日本では弓道という単語を耳にする機会はありますが、弓術と言う単語を耳にする機会は少ないと思います。まず、この2つの違いはどのようなものなのでしょうか。この本によると、弓術は的を射る一種のスポーツであり体を鍛え筋肉で弓を引くものだと述べられています。一方で弓道は的を入ることが目的ではなく精神修行の一種であり、精神で弓を引くものだと述べられています。著者が弓術という単語を使用しているのは著者にとって自分の弓はまだ弓道の弓に達しておらず、的に当てようとするスポーツであると言う気持ちがあったため弓術という単語を使用しているのではないかと思います。
この本では日本語は文章の裏に隠れた意味が多くあり、西洋人にとってはそれがわかりづらいとあります。この隠れた意味を読み取ることこそが禅ではないかと思います。そして、禅の終着点は己を消して流れに身を任せる状態、いわゆる無心であると思います。己を消すには己を知らなくてはなりません。その手段が日本の道とつくものではないかと思います。弓道、柔道、華道、茶道など様々なものがありますが、全てにおいて型というものが重要視されています。これは己の身を律しようとすることにより、自分の身の隅々を知り、最終的に自分の心を知ることが可能だからではないかと私は考えています。
この本の著者は西洋の方です。西洋の方から見たら日本の武道は理解しづらいものなのかもしれません。著者は日本に滞在し武道を学ぶことによって日本人を理解しました。他国を理解するには本や映像を見るのではなく現地に足を運ぶことが重要であると私は考えています。西洋に一度も行ったことがないのに西洋哲学を語ることは可能なのでしょうか。東洋に行ったことのない人間が東洋の考え方を語ることは可能なのでしょうか。私は現地の風土や香りなどを知ることなくその土地の文化や考えを語ることは難しいのではないかと思います。だからこそ、この本の著者のように実際に現地に赴き、その土地の文化を学ぶフィールドワークのような行動が大切なのだと思います。
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ドイツ人が禅の精神を学びたくて日本で弓術を学ぶという昭和初期の実話。
ほとんど無批判と言えるほどに日本の精神を持ち上げる様は読んでいて正直むず痒かったのですが、「的を狙ってはいけない。無心になりなさい。」という精神論を語る阿波先生に対して、「なにも考えず、狙わずにどうやって当てるのですか。」といかにもドイツ人らしい理屈で食らいつく語り部ヘリゲルという対比が面白かった。
そんな考え方の違いがありながらも、ヘリゲルがドイツに帰国する際には先生愛用の弓を託されるまでの良き師弟関係になれたのは、わからないことをごまかさずに「わからない」と言い、実直な対話を重ねた結果だと読み取れて両者に敬意を感じた。
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いやよかった。道は、単なる技術論で極めることはできなということを、著者が実際に弓術の稽古の中でわかっていく様子がよい。道を極めるものの姿勢を再確認させられた好著。
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「技術論」にばかり目がいき、「道」という考え方を見失いつつある日思考が西洋化してきているわれわれ日本人にオススメの一冊。こういうものが感じ取れる日本人でありたいと思う。
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的を意識し、狙って射るのではなく、
無意識の中で矢を放つ。
まさに東洋の神秘。
「禅」が何かも分からない時に、
弓を引いていたのが懐かしく思いました。
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2025.6.14(土)
柳宗悦の著書に登場したヘリゲルが気になったため手に取った。「禅」って簡単に言う現代だけどそんなもんじゃなさそうだ。無我を体験してみたい。
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著者がドイツに帰国してからの講演原稿であり、興味深い記録であるとともに、「新版への訳者後記」でヘリゲル氏の生涯についても書かれており、一連の書物の理解に役立った。
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大正から昭和にかけて東北帝大に滞在したドイツ人哲学者(作者)が,日本をより深く知ろうと考え,弓道(本書では弓術と表記)を学ぼうと決意,幸い日本でも指折りの指導者から学ぶことができることとなった.
武道はどれもそうだと思うのだが,その根本には禅の思想が深く絡んでいる.我々も普段は意識しないが禅の思想に無意識に絡め取られている.これに論理や合理を生業とする哲学者がいどむのであるから,なかなか難題である.
しかし,かれは5年間これに真摯に取り組み,帰国時には5段と認められ,指導者からは秘蔵の日本刀も贈られた.
こういった到達点は作者の努力のたまものであるのだが,一方,指導者にも恵まれたこそであるともいえる.
35年前の高校生時代に弓道部に所属していたおかげで,書いてあること(弓術の神髄)はよくわかる.また,当時上達できなかった理由もよくわかったように思う.
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ヘリゲル氏が書いてるとこより、後半の日本の方が書いてるところが読みやすかったけど、色々と感心する内容だ。
ネットなんかで「〜の方法」みたいなのが検索すれば出てくる世の中になったからこそ
「いや、もう感じるしかないんやで」みたいな、弓を極めるみたいな経験って大事なのかもしれない。
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ほんよもで紹介されていて、弓道経験者と気になって読んでみました。
競技者だったので、求道としての弓道は共感できないところもあるけれど、面白かった。
離れがどういうものなのか悩む著者に、そこが分からないのかと新鮮。
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本編としては”騎士道的な弓術”と題してなされた講演内容。これは角川ソフィア文庫の"弓と禅"に付録されている講演録と同内容。ただ、本著は著者が日本で弓を習っているときに通訳をしていた人が書いた”ヘリゲル君と弓”や訳者のあとがきが、同じ物語を視線を変えて見えるようで面白く読めた。
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高校時代は弓道部でした。精神性に興味があったというより、的に当てるというゲーム性や女の先輩の袴姿が良いなと思ったのが動機でした。
これを読んで、ああその感覚分かる!というのもありながら一方で弓道が本来目指すものを考えると、三年間とい限られた時間しかない高校に弓道部を設けることの意義に疑問が生じるのでした。
高校時代にこれを読んでいたら何が起こっていたのでしょうか。
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弓道の世界がこれほど高い精神性を持つものとは知らなかった。しかも日本語を解さないドイツ人が、その精神をここまで理解するとは。師との交流がストレートに記録されている。
弓と禅も読んでみたい。
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論理的なドイツ人哲学家が、日本の不可解な哲学に出会い、理解を深めていく話。
弓術の師匠と海辺の避暑地で、片言のドイツ語と片言の日本語で語り合う場面はBL的な世界を連想してしまう。