篠田英朗のレビュー一覧
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ハウスホーファーを始めとする大陸系地政学とマッキンダーなどの英米系地政学。大きく異なる二つの視点から歴史と現在の世界を概観する。そもそもの国家観や人間観という根本から異なるというのはなるほどと思ったし、その見方の違いによってアメリカのモンロー主義の意味合いやWW1参戦の捉え方も全然違ったものになるというのはわかりやすかった。地理的制約が政治や国際関係に影響を与えるというシンプルで確からしそうなメッセージを持つのにどこか胡散臭いイメージが拭えなかった地政学について、その経緯と理由も概ね理解できた(私は政治学部出身ですが地政学の授業なんてなかったですしね)し、どの辺りは有用なのかという部分も理解できて良かった。こうなると無茶な論理を展開している本も少し読んでみたい。
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「戦争の」とあるが、戦争に特化したわけではなく、現代の世界情勢を踏まえ地政学と各国の対外的国家戦略との関係を議論したもの。
大陸系地政学と英米系地政学の違いや、我が国を含む主要国が過去一世紀半にわたり、どちらの立場で行動してきたかをわかりやすく整理している。
我が国の現行憲法との関係にまで言及しているのは、著者の真骨頂か。
地政学は机上の仮説に留まらず、それに対する立場の違いが各国の国家戦略の違いとして明示的に現れるとの指摘は、ロシアによるウクライナ侵攻を考えれば正に的を射ている。
冊封体制への回帰を志向する中国や、イスラム原理主義は行動原理が従来の(欧米発の)地政学の前提とも微妙に異なっていて、その行く末は予断を許さない。
イランがウィグルのイスラム教徒を弾圧する中国と友好関係を結んでいることからすれば、実は案外実利的なのかもしれないが。 -
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篠田英朗(1968年~)氏は、早大政治経済学部卒、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス国際関係学Ph.D.取得、広島大学平和科学研究センター助手・助教授・准教授を経て、東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。その間、ケンブリッジ大学客員研究員、コロンビア大学客員研究員等も務めた。
本書は、近年関心が高まり、関連する書籍も多数出版されるようになった「地政学」について、理論的な枠組み・定義を示し、地政学的見地から、近代の戦争の歴史、日本の戦争、現代世界の戦争を考察したものである。
主な内容は以下。
◆地政学には2つの異なる枠組みがあり、ひとつはハウスホーファー、シュミット等による「大陸系地政学」、もうひとつはマッキンダー、スパイクマン等による「英米系地政学」である。前者は、有機体的国家観、大国の主権の重視、複数の生存圏の存在を前提にした秩序を志向し、19世紀ヨーロッパ公法に懐古的、反普遍主義的、反自由主義的で、多元論的世界観(圏域)を持つ。結果として、圏域拡張主義戦略をとる。後者は、地理的条件の重視、海洋の自由、海洋国家による陸上国家の封じ込めを志向し、現代国際法に親和的、普遍主義的、自由主義的で、二元論的世界観(海と陸)を持つ。結果として、同盟ネットワーク型戦略をとる。
◆マッキンダーは、ユーラシア大陸中央部(ロシア等)を「ハートランド」、同外周部分を「インナー・クレセント」、その外側の島嶼地域(イギリス、日本、米国、オーストラリア等)を「アウター・クレセント」とする概念を示し、全世界の見取り図を描き出した。更に、ハートランドのような大陸の要素を持つ国家を「ランド・パワー」、大陸に属さない国家を「シー・パワー」と呼び、ランド・パワーが拡張戦略をとるのに対し、シー・パワーは、歴史法則的に、ランド・パワーの膨張を封じ込めるための戦略をとる、とした。
◆近世以降のヨーロッパの戦争は、大陸系地政学的発想で、ヨーロッパを一つの圏域と見做す国(ドイツ等)と、英米系地政学的発想で、バランス・オブ・パワーの社会と見做す国(イギリス等)の戦いであった。
◆東西冷戦は、ハートランド国家の典型であるソ連の膨張政策を、シー・パワーの代表であるアメリカが封じ込めた対立であり、冷戦の終焉は、シー・パワー連合がランド・パワー陣営を打ち負かしたという現象である。今般のロシアのウクライナ侵攻は、冷戦終焉後、旧東欧諸国に拡大したNATOが、旧ソ連構成国に影響を及ぼすに至り、生存圏を脅かされたとするロシアが起こしたものと見ることができる。
◆日本が明治期に結んだ日英同盟は、英米系地政学によるシー・パワーの同盟と説明された。第一次大戦後、日本は大陸に進出していくが、それはランド・パワーの性格を持ち始めたということであり、更に、大東亜共栄圏構想は、大陸系地政学による生存圏と呼ぶべきものだった。しかし、第二次大戦敗戦後は、日米同盟を軸とする英米系地政学に回帰した。
◆冷戦終焉以降、紛争が多発しているのは、西アフリカから、北アフリカ、中東、南アジアに連なる地域で、英米系地政学的に見れば、ハートランドから、アラビア、「南のハートランド(アフリカ大陸のサハラ砂漠の南側)」にかけて広がるイスラム過激派の拡張を、アメリカが封じ込める動きと見ることができる。また、旧ソ連外縁部における紛争は、大陸系地政学に沿ったロシアの拡張主義的な行動によるものである。
◆中国は、英米系地政学的に見た、ランド・パワーとシー・パワーの両方の性格を持った両生類なのか、大陸系地政学的に見た、アジアの覇権国なのか、まだ評価は定まらないが、英米系地政学の理論を体現する「自由で開かれたインド太平洋」と、新しい大陸系地政学の展開を予兆させる「一帯一路」が対峙する構図は、21世紀の国際政治の行方を決定づける最重要の国際社会の構造的対立の図式である。
説明は論理的で、読み進めるのに難はなかったのだが、私は読みながらひとつの疑問を感じていて、それは、現在シー・パワーの同盟ネットワークの一部を担っている日本としては、本書の中から、日本の考えが唯一の正解であり、他の考えを持つ国は全て間違っているという結論を読み取ればいいのだろうかということであった。
そして、それについては、著者は終盤で次のように書いている。「二つの異なる地政学のそれぞれの信奉者たちが、世界観の違いから対立を深めることは起こり得る。だがそのことも含めて、分析の視座として活用するのであれば、一般論として二つの異なる地政学のどちらが本当に正しいのかと思い悩みすぎる必要はない。二つの異なる地政学は、具体的な状況で、様々な程度の関連度を見せながら、複合的な分析の視座を提供する。」
地球には様々な世界観を持つ国が存在し、我々はそうした国々と共存していかなければならない。多様な視座を持つために、一読の意味のある一冊と思う。
(2023年7月了) -
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憲法学者(の主流)って、英米法の世界であるアメリカ人が作った憲法を、大陸法のコンテクストで読み解こうとして遊んでる莫迦揃いだったのか!
だまされた!
「自衛権」は国際法上の概念だから、憲法に記載する必要が無い。それで全て終わってるんじゃねえか!
・9条1項は、1928年不戦条約の焼き直しであり、国連憲章2条4項を国内法で裏付けるするもの
・9条2項は、「国権の発動たる戦争」を否定したものであり、常に国際法に合致する形でのみ武力行使を行い、決して国権の発動たる戦争を行うことのない組織としての自衛隊は、9条2項の言う「戦力」ではなく合憲。
・「交戦権」はもはや現代国際法には存在しない概念。 -
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最初の第一部が理論の説明でとっつきにくかったが、地政学自体は大風呂敷の議論で、英米系も大陸系も難しいものではない。
本書の特徴的なところは、その切り口でウェストファリア以降の欧州、明治以降の日本、冷戦、ウクライナ戦争の構図、中国の一帯一路とFOIPなど当てはめて議論しているところ。
個人的に特に面白かったのは、①日本の近代史が英米系→大陸系→英米系の地政学的施策になっていたということ。②日本は大陸に絡め取られて大失敗したが、アメリカのアフガン戦争・ベトナム戦争も小失敗だが同じということ、③中国はランドパワーではなくスパイクマンの言う両生類。ロシアとは根本的に行動原理が違う、といったあたりか。
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篠田先生の、憲法論を読んだことなければこれからでもいいかも。
主張自体はこれまでのまとめみたいかな、と思ったが、そもそも集団的自衛権という発想が、新興国アメリカのモンロー主義からであり、ヨーロッパにはなかったというのが驚きであった。
いわゆる孤立主義ではなく、旧世界の汚れたヨーロッパ主義でうちに絡んでくんなというのがモンロー主義。
ヨーロッパでは大国のバランスオブパワーがルールであり、小国の主権は尊重されず、つか、喧嘩して負けるならそれは自分を押し出す主権がないのだから国ではないという発想。
倉山先生の本ではウィルソン大統領は、稀代の悪魔ということになっているが、なるほど、こういう観点もあるのか、つか、こっちが一般なのか。
何より、日本の憲法学と憲法学者の異常がこれでもかと前面に押し出される。
これは、この通り。法学部で漫画を描いていた頃から、何言ってんだこいつらと思ってはいたから。
読みやすい。 -
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本邦憲法学者による日本国憲法に対する専断をその歴史、背景、あるべき解釈も含めて鋭く解体する。
旧帝国憲法で主流となったドイツ国法学派が新憲法への移行時にその勢力を維持すべく、本来(英)米法、国際法に由来する新憲法を強引にドイツ国法学の文脈で解釈したのがすべての捩じれの発端。
国際法体系にはない統治権、生存権というドイツ国法学由来の概念を持ち出し、「八月革命」なる架空の概念をでっち上げ、現憲法における自衛権を制限した。
国家を擬人化するドイツ国法学体系に基づけば生存権に裏付けられた自衛権の存在は自明と思われるが、なぜ個別的自衛権のみを許容し集団的自衛権を否定するのか。
自らの政治力維持のため「抵抗の憲法学」なる神話に縋り、半世紀以上に亘り国政や司法を壟断してきた東大法学部系憲法学者たちの責任は重い。 -
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戦後、抵抗の憲法学は憲法の表と裏をうまく操りながら、憲法の狭い理解での解釈を定着させつつあるのだと理解した。
憲法は国連憲章、国際法の実情を踏まえて解釈する必要がある。
ドイツ国法学の解釈に頼ることも不適切だ。
憲法を素直に読むことの必要性を改めて感じた。
憲法は少なくとも一部の限られた憲法学者の解釈のために存在するわけではない。
筆者は国際関係学中心の専門的な知見と、憲法についても独自に深い洞察を加えながら、非常に素直に憲法を解釈していると感じた。
改憲するのかどうかは別として、憲法について議論することは有意義だ。本書をきっかけにあらゆる分野の人が憲法について再考することを祈念する。 -
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国際政治学者の篠田英朗氏と経済評論家の上念司氏の対談本。
コロナの不安だけを煽るマスコミを尻目に「日本モデル」を冷静に評価する。日本のマスコミは政府の成果は無視し、至らないところだけを批判する。コロナだけではなく、安倍政権批判や憲法9条問題にも通じる。
篠田氏の「国権の発動たる戦争」と国際秩序を守るための「制裁としての武力行使」は違うという理論は、伝統的な東大憲法学を超えて憲法改定しなくても、自衛権も集団的自衛権も合憲と解釈できるというのは目から鱗。憲法9条改正議論はマスコミの大ネガティブキャンペーンになるに決まっているので、憲法改正の議論と合わせ、是非この解釈もメジャーになってほしい。 -
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現行憲法はアメリカが起草した。日本国民が憲法制定権力者ではない。アメリカによって作られた現行憲法は無効である。この都合の悪い事実を覆い隠すための奇妙な説が「八月革命」説。ポツダムを受諾した8月に、天皇が神意に基づいて日本を統治する神権主義から、(国民が自らの意志で?)国民主権への転換・革命が起こったと考える。p.129『ほんとうの憲法』
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国際的にみて、かなり異様な第9条がなければ、こうした憲法論議もなかった、というか不要だったわけで、そういう意味で極めてローカルな話題であり、いくら議論に熱が入っても、どこか空しさが漂う。普遍性を持った未来志向の議論に感じられない。多くの国において解決済、というか問題にもならない論点。解釈をめぐる憲法の訓詁学。不毛の時間。 -
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この本は憲法解釈を題材に、通説的かつ固定的な解釈に対して幅広い視点で素直に解釈することの大切さを教えてくれる。
焦点は主に日本国憲法の前文と9条の解釈である。
現在の日本国憲法に対する解釈は19世紀ドイツ国法学に基づいたものであり、さらには憲法学者内で独自に決めた通説が反映されている。
一方、著者は国際政治学者として国際法や国際社会の歴史を前提に解説する。
現在の憲法解釈がいかに狭い分野で解釈されているのか理解できる。
憲法前文を素直に読めば、いわゆる三大原理(国民主権、基本的人権の尊重、平和主義)は自明ではない。
⇒たしかに、小学生か中学生の時に憲法前文は暗唱させられ三大原理が大事だと習ったが、前文と三大原理の関係に違和感を覚えた。この本を読んでその違和感がすっきりした。
憲法9条は国際法と憲法制定時の歴史背景に基づいて素直に読めば、国連憲章を念頭に、国際社会における戦争や戦力についての当たり前の考え方を言っているだけである。日本国憲法制定以前から、国際社会はいわゆる戦争を禁じていた。そして、自衛権(個別、集団関係なく)は当然認めている。日本国憲法では、あらためてそのことを明確にしただけとも言える。
⇒イデオロギーを背景に偏った解釈があることは認識していたが、異なる学問分野から根拠を持って違う解釈が加えられたことは爽快に感じた。
全体感想
固定的な観念に対して幅広い視点で素直に解釈することは重要だと感じた。
学術的な専門家の意見や解釈は重要だが、それにとらわれるだけなのは危険だと感じた。
分野や対象にもよるが、なにものも学問のための学問に(あるいは特定のイデオロギーのためのものに)なってはいけない。ある程度応用的分野の学問ならば、国や社会にどういったメリットデメリットを及ぼすのかも想像して研究を進める必要がある。
特に、この本のテーマは憲法学である。日本という国をデザインする唯一の法的な根拠を、一部の学者の解釈にとらわれるだけでは心もとないと感じた。
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Posted by ブクログ
ネタバレ本書は日本国憲法の解釈の変遷をつぶさに読ませてくれた。
政治の都合による解釈、憲法学者のロマン主義による解釈、それがすべてであって、憲法の精神などというのは解釈する人間の言説にすぎないと思い知る。
この事実を見ると、現在戦われている憲法解釈、改憲論争など本当にどうでもいい感じがしてくる。ばかばかしい、としか言いようがない。
政治に都合がよく、憲法学者が容認し、世論が同調すれば、いかなる解釈も合憲になりそうだ。
著者が言うには
日本国憲法は世界的に見て特別なものではない。
もともとが国連憲章とアメリカの憲法思想に基づいて起草されたものである。
つまり英米的な、字句に捕われないスタイルの憲法であるのに、日本の憲法学者の伝統で大日本帝国憲法の形を引きずり、ドイツ国法学的な字句解釈に終始する解釈をやっているのが、そもそもの間違いであると。
その観点からすると、現在やっている憲法論争はまったくお門違いということになる。
なんだかなあ、憲法改正国民投票に備えたいだけという一般人としては、もう憲法の本を読むのはこれで終わりにしてもいいな と心底思いました。
一般人に必要なことは、憲法改正を考える時、字句の矛盾がどうとかいいう小難しい議論に深入りするのは騙されに行くようなもの。
シンプルに、これまともだわ と思うところへ一票投じれば良いだけだと思いました。