チャック・パラニュークのレビュー一覧
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ネタバレp.15 "もしきみが僕のところに来て、僕が知っていることを全部教えてくれと頼んだとしたら、僕はこう言うだろう。出版業界は生命維持装置につながれているような状態だよ、と。"
p.16 "「歳月に耐えて残るものは、堅い岩か言葉でできている」"
"FOR A THING TO ENDURE
IT MUST BE MADE OF EITHER GRANITE OR WORDS"
ロバート・ストーンの言葉。
P.23 "どんな書き手も三つの形式を使うべきだ。描写3、指示2、オノマトペ1を基本に、割合はお好みで。"
P.25 "カメラは小さな語り。ナレーションは大きな語りだ。"
p.27 ”アクションはそれ自体に説得力が宿る。”
"ACTION CARRIES ITS OWN AUTHORITY"
トム・ジョーンズの言葉。
p.41 "トム・スパンバウアーはいつもこう言っていた——「作家が書くのは、パーティに招かれなかったからだ」。だから、読者もまた孤独なのだということを心に留めておこう。"
p.46 "作家のペンだこは、格闘家のカリフラワー耳に相当する。ステゴザウルスの背中に並んだ骨板のように分厚くなったキングのペンだこは、ひび割れ始めていた。"
p.56 こんなイケてる作家でも、インターネットにしかフェイクがないと見なしている。オールドメディアがいかに嘘をつくか知らないのだろうか。
p.168 "ここで大事なのは、模倣は学ぶための自然な手段であることだ。"
強化学習はそうではない。
p.173 アメリカ人作家も海賊版に悩まされている。ブラジルとかロシアとか。コロンビア大学とか。
p.182 " 要するに、必勝法をきみに教えたところで、それは濫用されてやがて使いものにならなくなる。
とは言え、アメリカの読者がかならずのように好む、信頼できるパターンの一部をこっそり教えよう。”おバカ向け定番設定”とでも呼ぶことにしようか。
第一のパターンは、典型的なアメリカのベストセラーには、たいてい主要な登場人物が三人出てくるということだ。一人は規則を守り、内気で人当たりがよく、どこからみても”いい子”なキャラクターだ。二人目はその正反対で、反抗的ないじめっ子で、規則を破り、つねに厚かましくスポットライトを独占しようとする。三人目は物静かで思慮深く、語り手として読者に伝える役割を担う。
受け身のキャラクターは、何らかの形で自殺する。
反逆者は、何らかの形で処刑される。
そして思慮深い観察者は、ほかの二人の運命を見届けて知恵をつけ、教訓を世界に語り継ぐため、物語の舞台を去る。"
パラニュークの作品は、いつもほろ苦い。 -
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最初は正直、何が起きているのかよく分からないまま読み進めていた。語り手は支離滅裂、場面は断片的で、ファイト・クラブがいつの間にか組織化し、強襲集団のようになっていく展開。それでも読み進めるうちに、この「分からなさ」自体が、この小説の読書体験なのだと感じた。
強く印象に残っているのが、ハッセルに銃を突きつけ、獣医になりたいという夢を聞き出し、「それに向かって生きろ」と言い放って解放する場面。暴力的で危険な行為であることは間違いないのに、その言葉だけを切り取ると、私たち自身に向けられているように感じられる。
人は誰でも、「今ではない」「まだ時間はある」「いつかやる」と言い訳を重ねながら、本当にやりたいことから目を背けてしまう。その事実を、容赦なく突きつけられている。
『ファイト・クラブ』は、分かりやすい答えを与えてくれる小説ではない。むしろ、読み終えたあとに「自分はどう生きているのか」「本当に自分の人生を生きているのか」と問いを残す作品と言える。その問いが今も少し胸に残っている、そんな読後感。 -
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映画「ファイトクラブ」が大好きで、原作も気になったので読んでみました。結論からいうと、人生のバイブルになるかもしれない1冊です。というと大げさに聞こえるかもしれませんが、これは小説という形を取った一種の思想書だと思います。我々の人生はどこにあるのか?何のために生きるのか?そういった誰もが一度は抱くであろう人生の問いに、暴力的かつ生々しく迫ったのがファイトクラブだと思います。漫然と生きている、人生に意味を見出せていない、生を実感できていない、自分の人生じゃない気がする、少しでもそう感じるならこの本はきっと心に響くでしょう。他人から人生を主導権を取り返し、自分の人生を歩み出しましょう。人生の主人公はあなたなのだから。
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ネタバレ私は野生を忘れた草食動物です。現代人に野生を取り戻させる圧巻の文学。
「私はジョーの前立腺です」から始まる、私は〇〇です、が好きだ。この構文、ファイト・クラブ構文と言っても良いのではないだろうか。(元ネタは雑誌みたいだけど)
ファイト・クラブの創設者、タイラーは「僕」のもう一つの人格だった、というところに何故気がつかなかったのだろうと思うほど、比喩やシーン転換が巧みだった。
そして、殴り合い、全身に怪我をしながらでないと到達できない境地。私たちはフィクションを通して、とても自分では体験できないあらゆる体験ができるのだが、この「ファイト・クラブ」の描写は、騒乱プロジェクトや、タイラーのキスなどは、私たちがどんなに賢ぶろうと、動物で、有機物で、暴力の本能を持ち、血を流し、汚物で世界を汚し、死ぬということを、これでもかと訴えてくる。私はジョーの荒れ狂う胆のうなのだ。
文明は、私たちを野生から遠ざけていく。本能に近い部分はより隠蔽され、私たちに刺激を与えるのはいつでも人工のものだ。それに抗うかのように、ファイト・クラブは、自らの肉体、血肉を使うことで、自分という人間と向き合う場なのだ。
頭に焼きついて、ファイト・クラブを、チャック・パラニュークの文章、世界を欲してしまう自分がいる。 -
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ネタバレこれはすごい。
一世を風靡した”ファイト・クラブ”。
当時映画は観た記憶はある。
とんでもなくかっこいいブラッド・ピット、激しい暴力性のイメージが強烈なまでの印象を残している。
が、それ以外の物語の部分となるとほぼ忘却の彼方。
原作を本で読んだこともなかったし、チャック・パラニュークの名すら意識したこともなかった。
最近、『ファイト・クラブ』の作者が長い空白の時を経て新作を出したと聞き、この機会に読んでみるかと手に取った一冊。
まず、度肝を抜かれるのがその文体。
最初は何を言っているのかほぼ頭に入ってこない。
何やら精神に異常をきたしているのか、薬でトリップしてしまっているかのような支離滅裂さと急速な場面転換。
ただ、注意深く、というかちゃんと言葉を沁み込ませて読んでいくとギリギリ理解できる。
理解できてくると、そのぶっ飛び具合が逆にかっこいいとさえ思え、クセになる。
なんとも不思議な文体だ。
デイヴィット・ピースとかジェイムズ・エルロイなんかを彷彿とさせるが、彼らともまた一味違う。
著者あとがきを読むと完全に狙った結果のようにコメントしており、ものすごい技術だと感じた。
そして、この文体を新訳で見事に表現しているのが池田真紀子さん。
最高です。
物語性としても、これはこの世界観に憧れ、かぶれる輩が多く出てくるだろうと思うような中毒性のある陶酔感が半端ない。
不眠症に悩みながらサラリーマン生活を送り、そこそこの暮らしをしているものの今ひとつ生きている実感が薄い主人公。
迫り来る死と向き合うことでその空虚さを埋めることが出来ると気付き、病を詐称し、様々な病気の互助グループ通いをするが、そこで出会ったマーラ・シンガー。
彼女も自分と同じ詐病と確信する。
なぜなら、自分と同じく複数の互助グループで見かけるから。
彼女が居ると見透かされているようで互助グループの活動に没入できない。
何とかマーラと話を着けようと近づくが、あえなく交渉決裂。
そんな中、出会ったタイラー・ダーデンというカリスマ男。
最初はウェイター業の中で行うちょっと過激ないたずら(と言うには悪意ありすぎだが)と少人数での”ファイト・クラブ”の開催を共に行い、やや歪んだ方法で人生の彩りを取り戻して行くのだが、次第にエスカレートし、コントロールが効かなくなって行く。。。
”生”を実感するために繰り返す、正気とは思えない暴力、悪事の数々、狂乱。
ともすると、足を踏み入れてしまいそうになる危うさを牽引力とするカルト的でパンクな唯一無二の物語。 -
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ネタバレあ〜とか、う〜とか、思わず唸ってしまうほどの、陰鬱な描写や展開があり、精神的負荷がかかりすぎて、読み終わるのに時間がかかった。
その癖に、最後に謎の爽快感がある。
最悪なのに、最高。そんな変な小説。大好きです。
文は短く、テンポが良くて読みやすい。声に出して読みたい日本語。
フォスターとミッツィの運命が、段々と引き寄せられ、遂に交差する感じがたまらなかった。
途中で挟まる、謎の雑誌の内容に気づいた時や、見覚えのある描写が出てきた時、先の展開が予測された時、前のページに何度も戻り、確かめた。
待てよ、ロートンって…嘘だろ、そういうこと?
ん?真珠のネックレス…うわー。
え?シェローってもしかして…
フォスター、その先は地獄だぞ…
的な。
こんな身近で全部重なるわけないだろ、と思うかもしれないが、それは全部陰謀だから。
是非ハリウッドで映画化してください。 -
Posted by ブクログ
この本。最初から最後まで面白かったかと言えば、そうではなくて、どちらかといえば、後半から急速に面白くなってきたという具合でした。
そのため、おそらく読む人を選ぶ作品であるだろうし、駄作と見られても仕方がない表現も一部あり、それらのデメリットを乗り越えた名作、という表現がこの作品について書ける、ネタバレなしの書評かな、と思います。
実はこの作品、出会ったきっかけはMr.Childrenの『ファイトクラブ』という曲から始まり、実際にその映画があったことから映画を見て、原作を読んだ、という経緯を踏んでいます。
大まかなあらすじと結末は、映画で既に知っているので、だからこそ、改めて読み切ることができたかもしれません。
主人公の「ぼく」と、「ジョン・タイラー」。
制度の中に生きる自分と、自由に生きる「タイラー」。
タイトルである、「ファイトクラブ」はどのようにしてできて、そしてどのような結末を迎えるのか。
世紀末の退廃感、主人公の不安を、ぐるぐる感じながら、刺激的な表現にちょっとクラっとしてしまいました。
後半で明かされる、びっくり仰天な事実から加速する物語の面白さをぜひ。 -
Posted by ブクログ
私の人生はどこに向かっても、この本はバイブルとしたい。
ファイトクラブの映画のレビューで「かっけえ、これは男の映画だ」というレビューが割と多く、とても残念に思っていた。映像にするとタイラーが格好良すぎて、過激なシーンの本質がお洒落さに変わってしまうんだなあと、メッセージ性があるストーリーなだけに、残念に感じていた。でもそれは監督であるデヴィット・フィンチャーの力量が、あまりにも凄まじいが故の事象だとも思う。
小説だとカルピスの原液くらい濃く、何を言いたいかが切実に鋭利に伝わってきて良い。
原作者のチャック・パラニュークが何を思って書いたのか、詩的な文や直接的な皮肉が混じった言葉で、独特の世界観を通して視えるのが面白い。
この小説を読んだから、私はなにかしら人生を変えようとは思わないけど、自己崩壊を投影させて、現実の自分を見直すのにはいいのかなって思う。 -
Posted by ブクログ
えっっっも!
とにかくその一言に尽きる。あまりに繊細な文体、エモーショナルな展開、新奇性のある言葉選びに驚いた。カルト的人気があるというのは知っていたけどこれは納得。
一見視点があちこちに映っているような主人公の言葉選びは、でも読み進めていくうちに主人公のキャラクターに没入させられる。
繰り返す退屈な昼間と刺激的な夜。でもやがて昼間は夜に引き摺られるように不穏さを増して加速していく。夜の加速はそれ以上で、物語後半でも加速は止まるどころか増していき、ラストはそのまま窓の外に勢いよく飛び出していくような疾走感が残る。
ラストの数行に選ばれた言葉のエモさ。
繰り返される「ファイトクラブ規則第一条」のキャッチーさ。
最高の本だった。
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「自分が愛する人と、その人が愛する人は、決して、決して一致しない」
『ファイト・クラブ』以前に書かれたチャック・パラニュークの処女作。事故で顔を失った元カバーガールの「わたし」は、美しきドラァグクイーン・ブランディに新たな人生を与えられる。性的倒錯者の男性セスを加えた三人は、富裕層の屋敷から盗んだ薬物を売りさばきながら旅を続けるが……
本作は物語のラストシーン、燃え盛るウェストヒルズの大豪邸から幕を開ける。物語は現在の「わたし」が死の淵にいるブランディに対して過去の出来事を回想する形で語られるが、その時系列は錯綜しており直線的でない。作中で「ファッション雑誌のカオス」に例えられるハイパーリンク的な語りの手法は、現実世界の混沌を明確にする。我々は商用にパッキングされた出来事をインプットするのでなく、与えられたパーツを組み合わせ事実を読み取らなければならない。作中ではあらゆる物事が偽装され、見かけどおりの真実など存在しない。構成は細分化されているが、ストーリー自体はサスペンス調のロード・ムービーといった感が強く、物語が進展するたびに「わたし」の過去に関する真相が明らかにされるのでテンポよく楽しめた(中盤の叙述トリック的などんでん返しは確かに衝撃的だ)。
パラニュークの文体は非常に独特である。思考を許さず畳みかける短文の連続。固有名詞と猥語のマシンガン。頭の中のフォトグラファーが語り手の感情を代弁し、そのたびにフラッシュが焚かれる。狂った比喩が世界を侵食する。性差や人格の境界は取り払われ、読者は悪夢の閉回路へ追い込まれていく。恐ろしい出来事を冷静に描写する「わたし」は、その醜悪な外見を隠すためベールを身に着けている。膜を通じて世界と対峙するかぎり「わたし」は誰にも見られることなく、観察者として存在できる。
主人公がベール越しに過去からの逃避を試みるのと同様に、「わたし」を取り巻く人々も何かから逃避している。旅を続ける三人は固定的な存在でなく、八ヶ月で全ての細胞が入れ替わる人体のように名前や肩書を次々と交換する。両親は息子を失った事実から逃避し、元親友のエヴィも退屈な日常からの逃避を望んでいる。ただし逃避の先に待ち受けてるものは破滅でしかない。「人生の土台を過去や現在に置いてはいけない」のである。パラニューク作品には常に破滅への欲求と死の影がつきまとう。分割された出来事は加速し、やがて最期の瞬間へと収束していく。悪夢を超えた先の未来で“見えない怪物”である「わたし」が下した決断は、肥大化する現代的な自己中心主義への警鐘ではないだろうか。 -
Posted by ブクログ
エドワード・ノートンが好きで見た映画「ファイト・クラブ」、未成年だった当時の私には、派手な殴り合いや血まみれの顔しか印象に残らなかった、、、。
なので、再度本でしっかり読んでみよう!と、思い立ったが吉日すぐに購入。
、、、喧嘩だけの話じゃ全然無かった。
整合性がとれない部分や、全然感情移入できない人々、でも何故だか次が知りたくてページを捲る手が止まらない止まらない。
ぼくは〇〇の〇〇です。
ぼくが青年を脅すシーンが1番好きかもしれない、私も銃を突きつけられ脅されないと動けないかもしれない。
これはフィクションだけど誰にでも当てはまる話なのかもしれない。
だれにでもぼくとタイラーはいるのかもしれない。