浅見雅男のレビュー一覧
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明治以降の皇室通史かと思ったのだけれど、少々違った。でも、
これはこれで面白い。
明治以降の皇室について「皇室典範と宮家」「皇族という人々」
「皇室と結婚」「皇室と外国」「皇室と財産」の5章に分けて解説
している。
小泉政権下で女性天皇・女性宮家に関する議論が行われたが、
秋篠宮悠仁親王殿下ご誕生で皇統継承の心配が解消されて
から立ち消えになった。
しかし、振り返ってみれば明治からずっと皇統への不安は常に
存在していたんだ。
明治天皇の唯一の皇子であった大正天皇は幼少期より病弱で
あり、明治天皇はこれを心配されていた。だから、江戸期より
伏見宮、桂宮(三笠宮家次男の故・桂宮殿下とは無関係)、
有栖川宮、閑院宮の四親王家だった宮家は、明治期になって
急激にその数を増やした。
皇統への心配と、明治天皇の皇女の嫁ぎ先として新たな宮家が
必要だったからなのだが、この宮家急増が後に様々なゴシップを
も生み出す結果になる。
その一番の例が昭和天皇の后であった香淳皇后のご実家であった
久邇宮家。
当時、皇太子であった昭和天皇と香淳皇后のご婚約に対し、一部の
人々の間で「香淳皇后の家系に色覚異常の遺伝あり」を理由にして
婚約解消を迫った「宮中某重体事件」の概要は知っていた。
この時、大正天皇は既に病厚く公務から退いてはいたが、婚約解消
に抗議する手紙を久邇宮家は大正天皇宛にではなく、后である貞明
皇后宛に送っていたのか。
大正天皇を敬い、宮中の規律を重んじる貞明皇后を激怒させている
とは知らなかった。そりゃそうだよな。病床に就ているとは言え、大正
天皇はその位におわすのだから。
そうかと思えば早くから決まっていた久邇宮家の朝融王の婚約につい
ては相手方のありもしない噂を根拠に解消しようとするし。もしかした
ら、昭和天皇ご夫妻と貞明皇后との間がぎくしゃくしていたというのに
はこの辺りの事情もあるのかな。
天皇家をお守りするはずの皇族なのだけれど、明治・大正・昭和と、
天皇家を困惑させた皇族が必ずいたんだな。
ゴシップ多めなので皇室に興味のない人でも巻末の皇族の系譜図を
参照にしながら楽しめると思うし、明治の皇室典範を明治天皇自ら
反故にしている点にもびっくり。
近年の皇室では皇太子妃殿下と秋篠宮妃殿下の、ご実家の対比が
興味深かった。結婚に伴い宮内庁から支度金として3000万円と1000
万円が用意された。金額の違いは皇太子妃と宮妃の違いから来る
ものだが、紀子妃殿下のご実家・川嶋家は嫁入り道具購入の請求書
や領収書で清算することを希望し、全額は使用しなかった。
一方、東宮妃殿下のご実家・小和田家は現金で3000万円を受け取って
いる。ご成婚前、嫁入り道具のひとつとしてワイドショーなどで紹介され
ていたあの金箔箪笥もお支度金から購入されたのかしらね。小和田家
では受け取らな かったようだけれど。
尚、「明治天皇の玄孫」「旧皇族」「元宮家」などと言ってタレントまがいの
活動をしている竹田某。元皇族だったのは彼のおじい様であって、彼の
父親も臣籍降下してから誕生しているので「明治天皇の玄孫」以外は
詐欺行為である。 -
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日本の首相がコロコロと変わっていた頃、情報バラエティ番組で「戦後
の短命内閣」に必ず出て来たのか敗戦直後の東久邇宮内閣である。
日本の憲政史上唯一の皇族総理大臣であり、「一億総懺悔」を唱えた
人くらいの認識しかなかった。現在と違って戦前は宮家や皇族が多く
て覚えきれないのだもの。
最初で最後の皇族総理大臣であった東久邇稔彦王の、総理大臣辞職
までを描いたのが本書である。著者である浅見氏の作品はどれも饒舌
なのだが本書もそうだ。
稔彦王は102歳と長寿だったので、臣籍降下後までを浅見氏が描いた
のなら、とんでもないページ数になるんじゃないか。だって、本書でさえ
参考文献リストまで入れたら500ページ近いのだから。
父は久邇宮朝彦親王。宮家は長男が跡を継ぐのだが、明治天皇の皇女
の降嫁先確保の為にいくつかの宮家が創設された。朝彦親王の九男で
ありながらも稔彦王は独立した宮家を営むようになった。
それなのに「内親王との結婚は嫌」とか駄々をこねたりしているし、皇族
であるからこそ潤沢な予算を与えられているのに、事あるごとに「皇族、
辞めたい」と言い出すわでけったいなお人である。
フランスに留学させれば日本にいる時には味わえなかった自由な空気に
触れたせいか、なんのかんのと理由をつけて留学期間を伸ばそうとする。
日本政府が難色を示すと、またまた「帰国するから皇族辞めさせろ」と
脅しまくり。稔彦王帰国の説得には秩父宮殿下まで駆り出されている。
お気の毒である。秩父宮殿下が。
一言で片づけてしまえば「我がまま」。だけれど、その我がままを許さなけ
ればならなかった事情が当時の日本の皇族の在り方だったのだろうなとも
思う。
2.26事件の際、青年将校たちが秩父宮殿下を担ごうとしたように、クーデタ
ーを目論む輩が稔彦王に近づいたりして、木戸幸一や西園寺公望の秘書
であった原田熊雄をハラハラさせている。稔彦王自身、先鋭化していた
時代もあって昭和天皇批判なんてしちゃってるし。
戦後もさまざまなスキャンダルに巻き込まデているのは、稔彦王自身の
性格に拠るところが大きいのじゃないかと思った。
時系列が行きつ戻りつするので読み難さはあるものの、昭和史を生きた
皇族の記録としては為になる部分が多かった。
しかし、著者自身、稔彦王があまり好きではないのかな。文章から対象へ
の愛情が感じられなかった。読んでいても確かに稔彦王みたいな人が
身内にいたら嫌だろうなとは思った。
だって、皇族だからこそ好き勝手できたはずなのに「特別扱いは嫌」で
臣籍降下を切り札にするのだもの。 -
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新書で「150年史」などというタイトルは大風呂敷を広げ過ぎであろう。内容は皇室典範、皇族の変遷、結婚、外交、財産などカテゴリー別にエピソードを集めた内容である。興味深かったのは、なぜ皇室とベルギー王室が仲が良いのかという下り。ナチスに屈服し、戦争責任を問われる立場だった父の譲位を受けたボードワン1世、そして、昭和天皇の息子である皇太子が、共に肩身の狭い立場から国際社会での地位向上を目指したという指摘はよく理解できる。江沢民に謝罪し、紀元節に反対した「赤い宮様」、三笠宮の事績もコンパクトに紹介されている。皇室にも相続税がかかり、昭和天皇の遺産は約20億円で、今上天皇が約4億3千万円を納税したことなども興味深く読んだ。途中、東宮批判が入るのは、筆者岩井氏の思いが強く反映されていると言えよう。
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いわゆる宮中某重大事件のほうは知っていたがこちらは知らなかったので、非常に面白かった。
いろいろな意味でデリケートな事柄ながら、史料に拠っていることと、著者の推測によることが明確にされていているのも好もしく、一方で読み物としての面白さ・読みやすさを損なったりはしていない。
それにしても、皇太子妃(将来の皇后)やその候補について、周辺の人々のなんと露骨に口さがないことよ。九条家のお姫さんに対してこれなんだから…。一方、現代語訳権記を読んでいるところなのだが、周囲の思惑による后妃たちへの様々な無礼はそれこそ王朝時代も似たようなものといえるし、例えば欧州の王配たちが晒された悪口等と思うと、洋の東西を問わないのかもしれない。別に皇室や王室じゃなくても、ヨメに対するシュート・コジュート的言説のすさまぢさってことかも…。それが皇・王室の話になると、皇統の継承という大義によって、周辺(現代だと国民みんな!)までシュート根性でいろいろ言いたくなっちゃうんすかね。
意外にも、明治天皇や伏見宮といった家父長が、この件に巻き込まれた女性(特に禎子女王)に対してきめ細かい心配りをしているのが救いだった。 -
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昭和天皇の妃・久邇宮良子女王(香淳皇后)が色覚異常の遺伝子を持っているとして、婚約解消に動いた山県有朋一派と反対派の攻防である「宮中某重大事件」の顚末と、良子女王の祖父で幕末の有力者だった朝彦親王、その子孫の邦彦王・朝融王の型破りな素行について記す。
前半は史料の引用が多く読みにくかったが、後半はとても面白かった。著者は色覚異常云々は口実で、山県有朋や貞明皇后が問題行動の多い久邇宮家を天皇の外戚に迎えることを避けたかったのが宮中某重大事件の真相と推測する。つまり、『闘う皇族』というタイトルは痛烈な皮肉だとわかる。
ちなみに色覚異常の遺伝子は良子女王の母方の旧薩摩藩島津家から入っておりそのこと自体は事実。ただし反対派は長州閥の思惑などわからずに純粋に「一度内定した婚約を取り消すなどもってのほか」との理由で抵抗した模様。だが大正天皇も最初の婚約を解消している前例がある。皇太子妃選定の話は面白い。
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京都にあった学習院が華族の為の学校として東京に開校した
のは明治10年。
明治維新後、公卿家族の風紀の乱れ、知的能力の低下をどうにか
しないといけないと、宮内省所管の官立校としてスタートした。
皇族方が通う学校とのイメージが強い学習院の、その始まり
からの歴史を追ったのが本書。
なのだが、紙数のほとんどが戦前のお話。現在の学習院については
さらっと流しているので少々物足りなかった。
ただ、学習院=華族の学校とのイメージがあったので開校当初から
華族ではない階級の子弟にも入学が許されていたことは知らなかった。
でも、明治の頃は日本も階級社会。明らかに華族と非華族では
授業料の有無等の違いもあったし、気位だけは高いお坊ちゃま・
お嬢ちゃまのあいだで華族以外の階級の子弟が通うには辛い
ことだったんじゃないかと思った。
編入後、中退して他へ転出しているとはいえ、あの東条英機も
一時は学習院で学んでたんだね。この東条英機をはじめ、何人
かを取り上げてそれぞれのケースを紹介しているのだが、申し訳
ないがこの部分は飽きる。
個人のケースに紙数を割くより、戦後から現在までの学習院を
もう少し描いて欲しかったな。本書の中でも触れられているが、
秋篠宮家の眞子・佳子両内親王は大学は他校を選んでいるし、
悠仁親王は幼稚園から学習院を選ばなかった。
それに「皇族でも特別扱いはせず」だった学習院なのに、東宮家の
愛子内親王に限ってはかなりの特別扱いがなされているのでは
ないか。今上陛下なんてこの「特別扱いはせず」が原因で学習院
大学を中退なさっているのだから。
参考になったのは女子学習院の開校にあたっての下田歌子の
尽力くらいかな。「女の子には教育より花嫁修業」の時代だった
ものね。
皇族の数も少なくなって、学習院もその在り様を変えて行くのだろう
な。「華族・皇族の学校」の看板もいつかなくなってしまいそうだね。