浅見雅男のレビュー一覧
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明治以降の皇室通史かと思ったのだけれど、少々違った。でも、
これはこれで面白い。
明治以降の皇室について「皇室典範と宮家」「皇族という人々」
「皇室と結婚」「皇室と外国」「皇室と財産」の5章に分けて解説
している。
小泉政権下で女性天皇・女性宮家に関する議論が行われたが、
秋篠宮悠仁親王殿下ご誕生で皇統継承の心配が解消されて
から立ち消えになった。
しかし、振り返ってみれば明治からずっと皇統への不安は常に
存在していたんだ。
明治天皇の唯一の皇子であった大正天皇は幼少期より病弱で
あり、明治天皇はこれを心配されていた。だから、江戸期より
伏見宮、桂宮(三笠宮家次 -
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日本の首相がコロコロと変わっていた頃、情報バラエティ番組で「戦後
の短命内閣」に必ず出て来たのか敗戦直後の東久邇宮内閣である。
日本の憲政史上唯一の皇族総理大臣であり、「一億総懺悔」を唱えた
人くらいの認識しかなかった。現在と違って戦前は宮家や皇族が多く
て覚えきれないのだもの。
最初で最後の皇族総理大臣であった東久邇稔彦王の、総理大臣辞職
までを描いたのが本書である。著者である浅見氏の作品はどれも饒舌
なのだが本書もそうだ。
稔彦王は102歳と長寿だったので、臣籍降下後までを浅見氏が描いた
のなら、とんでもないページ数になるんじゃないか。だって、本書でさえ
参考文献 -
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新書で「150年史」などというタイトルは大風呂敷を広げ過ぎであろう。内容は皇室典範、皇族の変遷、結婚、外交、財産などカテゴリー別にエピソードを集めた内容である。興味深かったのは、なぜ皇室とベルギー王室が仲が良いのかという下り。ナチスに屈服し、戦争責任を問われる立場だった父の譲位を受けたボードワン1世、そして、昭和天皇の息子である皇太子が、共に肩身の狭い立場から国際社会での地位向上を目指したという指摘はよく理解できる。江沢民に謝罪し、紀元節に反対した「赤い宮様」、三笠宮の事績もコンパクトに紹介されている。皇室にも相続税がかかり、昭和天皇の遺産は約20億円で、今上天皇が約4億3千万円を納税したこと
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いわゆる宮中某重大事件のほうは知っていたがこちらは知らなかったので、非常に面白かった。
いろいろな意味でデリケートな事柄ながら、史料に拠っていることと、著者の推測によることが明確にされていているのも好もしく、一方で読み物としての面白さ・読みやすさを損なったりはしていない。
それにしても、皇太子妃(将来の皇后)やその候補について、周辺の人々のなんと露骨に口さがないことよ。九条家のお姫さんに対してこれなんだから…。一方、現代語訳権記を読んでいるところなのだが、周囲の思惑による后妃たちへの様々な無礼はそれこそ王朝時代も似たようなものといえるし、例えば欧州の王配たちが晒された悪口等と思うと、洋の東西を -
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昭和天皇の妃・久邇宮良子女王(香淳皇后)が色覚異常の遺伝子を持っているとして、婚約解消に動いた山県有朋一派と反対派の攻防である「宮中某重大事件」の顚末と、良子女王の祖父で幕末の有力者だった朝彦親王、その子孫の邦彦王・朝融王の型破りな素行について記す。
前半は史料の引用が多く読みにくかったが、後半はとても面白かった。著者は色覚異常云々は口実で、山県有朋や貞明皇后が問題行動の多い久邇宮家を天皇の外戚に迎えることを避けたかったのが宮中某重大事件の真相と推測する。つまり、『闘う皇族』というタイトルは痛烈な皮肉だとわかる。
ちなみに色覚異常の遺伝子は良子女王の母方の旧薩摩藩島津家から入っておりそ -
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京都にあった学習院が華族の為の学校として東京に開校した
のは明治10年。
明治維新後、公卿家族の風紀の乱れ、知的能力の低下をどうにか
しないといけないと、宮内省所管の官立校としてスタートした。
皇族方が通う学校とのイメージが強い学習院の、その始まり
からの歴史を追ったのが本書。
なのだが、紙数のほとんどが戦前のお話。現在の学習院については
さらっと流しているので少々物足りなかった。
ただ、学習院=華族の学校とのイメージがあったので開校当初から
華族ではない階級の子弟にも入学が許されていたことは知らなかった。
でも、明治の頃は日本も階級社会。明らかに華族と非華族では