鈴木芳子のレビュー一覧
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本書と同じ著者・訳者による、光文社古典新訳文庫の『読書について』(2013年)は以前読んでいた。両書ともに主著『意志と表象としての世界』を敷衍したエッセイ『余録と補遺』からの訳出である。『読書について』は、合計3篇収録され、解説を含んでも194ページと文量が少なく、読みやすかった。一方で、本書は解説込みで427ページと分量が多く、また、読みやすさも感じなかった。解説によると、『余録と補遺』中で、『幸福について』は、一番分量が多いとのことだ。
現代の目で見ると、文章が刈り込まれておらず、くどさを感じるところもある。たとえば、下記の文章はどう感じるだろうか。
したがって私たちの幸福にとって、気高い性格、有能な頭脳、楽天的な気質、心根が明るいこと、健康そのものの丈夫な体のような個人的特性にまつわる財産、つまり「健全なる身体に宿る健全なる精神」が、第一の、もっとも重要な財産である。(p30)
書かれている内容自体は、難しくもなく、納得できることだが、私は少々くどく感じる。古典新訳といえど、名文家として知られている哲学者による本なので、これ以上端的に訳すのは難しかったのかもしれない。
長々としているが、所々で気になる記述に出会う。たとえば、下記のような記述だ。
陽気さこそが幸福の実体(p31)
私たちの幸福の九〇%は、もっぱら健康を基盤としている。(p33)
このように読者の注意を引く個所は、読者が今関心を持っている事柄であったり、問題を抱えている事柄なのだろう。全体から有用だと感じた部分を捉えて読むのも、誤った読みかたではないだろう。
幸福については、つまり人生についての考察である。人生について考える人が読めば、何らかのヒントが得られるに違いない。 -
Posted by ブクログ
本著(下)はムルは子どもから大人になり、社会に揉まれ精神的に成長する姿が読み取れる作品である。猫視点で描かれているが、その様は人間社会のようで、現代の私たちにも充分響く内容である。
物語の後半でより顕著になり、幼さや理想主義から現実の複雑性との折り合いをつける知恵が表現されるようになることから、成熟描写が「経験を通じた内面の深化」として変化しているといえるだろう。
『ネコのムル君の人生観 (下)』で示される「成熟」の描写は、主人公ムルの若さ特有の軽率さや衝動から、経験と内面の成長を経て、自己理解と他者との関係性の深まりへと変化しています。下巻では、結婚や浮気相手との決闘、上流階級での体験といった外面的な出来事を通して、精神的な深みや限界の自覚、忍耐や共感の学びが強調されるようになるため、成熟が単なる大人になることを超えて「経験を通じた内面の深化」を読書体験を通じて得られるであろう。
著者の幻想的で人間味のあるムルを通じて今を生きる私たちの中にも成長を促す一助となる良書といえよう。 -
Posted by ブクログ
ショーペンハウアーの『余録と補遺』から、読書に関する3篇、「自分の頭で考える(思索)」、「著述と文体について(著作と文体)」、「読書について」を収録したもの。上記カッコ内のタイトルは岩波文庫版の訳である。
3篇のうち、「著述と文体について」が一番ボリュームがある。そこではまず、お金のために書かれた本だと気付いたら、その本をすぐに投げ捨てなさいと促している。その部分を引用しよう。
まず物書きには二種類ある。テーマがあるから書くタイプと、書くために書くタイプだ。第一のタイプは思想や経験があり、それらは伝えるに値するものだと考えている。第二のタイプはお金が要るので、お金のために書く。書くために考える。できるかぎり長々と考えをつむぎだし (中略) ただ紙を埋めるために書いているのがすぐばれる (中略) 書くべきテーマがあるから書く人だけが、書くに値することを書く。(p32-33)
今日の日本でも、特にビジネス書では、お金のために書かれた中身のない本が数多く出版されている。そういう本に当たると、うんざりさせられる。そういった駄本に時間とお金を浪費しないように、私たちは本を見分ける力を身に付けなければならない。
残りの2篇、「自分の頭で考える」と「読書について」に共通しているのは、多読への注意喚起である。
読書は自分で考えることの代わりにしかならない (自分の頭で考える、p11)
読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。他人の心の運びをなぞっているだけだ (読書について、p138)
そして、ここでも「悪書を読まないこと」の大切さを説いている。それでは、どのような本を読めば良いか?
新刊書、流行りの本ではない。また、偉人について論じた本でもない。
アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲルの以下の警句を引いて、偉人自身が書いた本を読むことを薦めている。
古人の書いたものを熱心に読みなさい。まことの大家を。現代人が古人について論じたものは、たいしたことはない。(シュレーゲル「古代の研究」)
(読書について、p146)
そして、重要な本は「続けて二度読むべきだ」としている。その理由はもちろん、理解が高まるためである。
たしかに、現在でも読み続けられている古典は、時の審判を経たものなので、本当に優れていることが証明された本である。本書も古典のひとつだが、このような古典を繰り返し味わうのが一番効率が良い読書といえるだろう。
本書を強引にひと言でまとめると、「売れている本ではなく、古典を繰り返し読んで、自分の頭で考えよ」ということになる。
以上のように読書に関して様々な示唆を得られる本であるが、ショーペンハウアーの自己弁護にも見えた。自著の『意志と表象としての世界』が売れず、くだらない本が売れていることへの批判とも見て取れるのである。
最後に、別訳の岩波文庫 青 (斎藤忍随/訳)の文体について、違いを書いておく。
2024年の現時点ではどちらの文庫も現役本であるが、どちらを読むか迷った際の参考にしていただければ幸いである。
以下は出だしの部分である。内容は同じなので、読みやすい方、好きな方を選んでほしい。
【岩波文庫 青 (斎藤忍随/訳)】
数量がいかに豊かでも、整理がついていなければ蔵書の効用はおぼつかなく、数量は乏しくても整理の完璧な蔵書であればすぐれた効果をおさめるが、知識のばあいも事情はまったく同様である。
【光文社古典新訳文庫 (鈴木芳子/訳)】
どんなにたくさんあっても整理されていない蔵書より、ほどよい冊数で、きちんと整理されている蔵書のほうが、ずっと役に立つ。同じことが知識についてもいえる。 -
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下巻では、1787年6月から1788年4月にかけての第二次ローマ滞在が報告される。
絵画修業に励むとともに、引き続き古代遺跡の探訪や美術鑑賞、植物観察を精力的に行うゲーテだった。
そしてまた、様々な見聞の経験からインスピレーションを得て、中断していた作品、『イフィゲーニエ』『エグモント』『タッソ―』といった作品を完成させることができたし、”美しいミラノ娘”と呼ばれる女性との純愛と言うべきロマンスが、彩りを添える。
また、かなりの分量を費やしローマのカーニバルの様子が詳細に描かれるのだが、臨場感ある描写で、あたかも自分も現場でその様子を見ているかのような感覚を抱かせるゲーテの筆は流石だ。
「ローマで私ははじめて私自身を発見し、はじめて私自身とひとつになって幸福かつ理性的になった」(384頁)とゲーテは言う。このイタリアへの旅がゲーテにとっていかに大きなものであったか、それを端的に示している言葉だ。
ゲーテの旅は今から200年以上も前のものだが、果たして彼のように若々しく瑞々しい旅をすることはできるだろうか。とても羨ましく思えた。 -
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長年の憧れの地イタリアに旅立ったゲーテの、1786年9月から1788年4月にローマを去るまでの2年弱の紀行の記録。出発したとき彼は37歳だった。
上巻での行程は、おおむね次のようなものだった。
カールスバートから秘かに出立し、ブレンナー峠を越えてイタリア入り。ヴェローナからヴィチェンツァ、パードヴァを経てヴェネツィアに2週間強滞在。フェラーラからボローニャ、フィレンツェ、ペルージャ、アッシジ、テル二とほとんど素通りし、ローマに10月末に着、そしてここに4か月ほど滞在する。そこからナポリへ行き、1か月ほど滞在。さらに船でシチリアに渡り40日ほどかけて島内を一周する。そしてまた船でナポリに戻り、しばし滞在の後、1787年6月再びローマに入る。
各所各所における出来事や住民に関する記述もないではないが、自然や古代遺跡、絵画や彫刻、建築、演奏会や演劇など、ゲーテが関心を持った幅広い分野についての見聞や率直な感想が記される。また自然科学、特に植物と岩石、鉱物に関心を持っていたので、ヴェスヴィオ登山を敢行した際の、火口付近や噴火の状況、溶岩の様子などが臨場感をもって語られる。
もちろんゲーテはすべてを無条件に受け入れる訳ではないが、イタリアでの見るもの、聞くものへの憧憬をストレートに語る姿勢はとても好ましく思われるし、新鮮な眼で対象を見る鋭い観察がとても印象的。
ローマは当然として、ゲーテの文章を読んでいると、ナポリがとても素晴らしい場所に感じられた。
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初めてのショーペンハウアー。思ったほど厭世的じゃないなと思っていたら、解説にも彼の「生の否定者」というような一般的なイメージは誤解の色が強いということが書かれていた。それどころか「生の哲学」の系譜の始祖であるらしい。驚いた。まあでも、あくまで思ったほど厭世的でないというだけで、かなりのひねくれ者という印象は免れ得なかったが。
中身は概ね同意したい内容であったけれど、無能な人に対する当たり方が天分は生まれで決まると言いながら異常にキツイのは気になった。もう少し詳しい論拠が知りたいと思う箇所も結構あった。「意志と表象としての世界」がさらに読みたくなったが、、読み切れる自信なし。