戸高一成のレビュー一覧
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戦史家二人による対談。
戦史史料、文書、オーラルヒストリーについて、著者二人が日本軍について語る。 様々な事例をあげながら、旧日本軍の軍人達がどのような人たちであったのかを語っており、大変面白く読めた。 二人とも過去に軍人当事者に会う機会があり、資料や書き物だけではわからない雰囲気や性格、軍人気質に接することができた。 この先そういう経験を持つ人が少なくなり、史料を読むときに、文字に書かれたことだけを鵜呑みにすることを心配している。 また戦史についてはいろいろな本が出ているが、小説家では吉村昭と澤地久枝を高く評価している。 資料の付き合い方向き合い方が真剣なのだそうだ。 対談なので面白いエピソードが多く、知らなかった事実や見解の違い、俗説への批判、文人たちの考え方などいろいろと勉強になった。
ちなみに自分の家系では、祖父が軍人で輸送船に乗って何度も南方へ行っており、生還した運のいい人だったらしい。また母方の伯父は空母鳳翔の通信長だった。 伯父の紹介で父母が結婚し、自分がいる。 身内の人たちが戦争を生き延びてくれたから今の自分がある。 この本とは関係ない話だが、生きている時に話を聞いておきたかった。 -
Posted by ブクログ
「海軍反省会」も3巻目となり、個別参加メンバーの個性と主張がだんだんわかるようになってきたが、「開戦2年半で日本とアメリカの戦力差が二倍以上になっちゃう。これでは全然問題にならないという結論」であったにもかかわらず、「海軍」が「内乱を恐れて開戦に同意した」という証言には驚く。
これは、「当時の世界や日本の状況」に押し流されたと考えるべきか、「日本の政治システム」に問題があったと考えるべきか、読みながらいろいろ考えさせられてしまった。
それにしても、本書を読んで思うのは、これらの海軍関係者には、戦時には国家予算の8割以上という膨大な予算を使いながら「帝国の破綻」に突進したことへの深刻な自責の念は感じられないこととである。官僚とは無責任なものであるが、海軍士官も官僚的なのだろうか。
また、この戦争を招いた「帝国の大陸政策」への問題意識が低いことにもちょっと意外な思いを持った。
「満州事変」「三国同盟」などの流れがこの「戦争」へとつながったことは明らかだが、この海軍内部の証言は「時代の流れに押し流された」「ドイツが勝つと思っていた」である。
これは「言い訳」でしかないのではないか。もっと深刻な「自責の念」が吐露されるべきではないか。
これは同じ方向にどっと進む「日本人の国民性」という視点から見るべきなのだろうか。
いずれにしろ「海軍は行政機構の一部、陸軍を抑える役目を負わせるのは間違い」との責任問題で「軍部」を陸軍と海軍に分ける考え方は身勝手としか思えない。
これらの海軍関係者の陸軍嫌いの言動を読むと、「こんな意識で大戦争に突入した軍人を持った国民の不幸」としか思えなかった。
「大艦巨砲」や「潜水艦」、あるいは「レーダー・ソナー」などの「軍事」問題もそれなりに興味深いが、それよりもこの「反省会」を表に出すと「マスコミに利用されると困る」と言い合わせていることにも驚く。
この元軍人たちには、膨大な国家予算を蕩尽した「戦争」が多く歴史の教訓をも含んだ国家の貴重な「公有財産」であるという意識は全くなかったのだろうか。
戦後60年以上を経て、日本ではようやく冷静に「先の大戦」を見つめることができる時代を迎えているようにも思えるが、韓国や中国は、未だに「歴史認識」を日本に突きつけている。
本書は、当時をよく知ることができ、当時の「戦争と軍部の時代」を自分たちで考えることができる良書であると思う。次巻も楽しみである。 -
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本書は「海軍反省会」の2巻目で、内容は「戦略」「戦闘」多岐に渡るが、海軍内部でも「日本は負けるぞ、必ず。今のような航空兵力で勝てると思うかと地団駄踏んだ」幹部がいたとは驚いた。
もちろん戦後だいぶ経ってからの発言ではあるが、本書の、時には露骨な迫真の論議を読みながら、巻末の発言者の当時の階級と年齢、兵学校卒業年次を逐一照らし合わせる読書作業は実に充実した時間となった。
発言者の立場と個性・主張がそれぞれわかるようになると、一層面白かった。
「戦闘」についての詳細な論議や「情報」「兵站」「特攻」「砲術」「潜水艦」等々の多岐に渡る論議も、それぞれ興味深く読めた。やっぱり「専門家」である。内容は深いが、古い見解に固執している参加者も中にはいる。
それにしても、本反省会の提唱者である「野元氏」や他の参加者の凄さである。
発言当時、70代から80代の高齢でありながら、これだけの内容を語る「知性」。
当時の「日本海軍」が第1級の人物を集めていたことが伺える。ひとりひとりは決して愚かではなかったということは、やはり「負ける戦い」に突入していった理由は、別のところにあったのだろうか。
しかも「野元氏」はこの反省会の内容に危機感・不満をもち、「反省会運営方法の見直し」すら提案している。しかし、この「反省会」を積極的に発表して歴史に活かすことは全く考えていなかったようである。
結果的に、このテープが発掘されてはいるが、彼らは貴重な歴史の教訓が「年寄りのよもやま話」で終わってしまう事への危惧は持たなかったのだろうか。
まだまだ、次巻が楽しみである。本書を高く評価したい。 -
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先の戦争については、「なぜあんな無謀な戦争に突入したのか」との疑問をつねづね持っていたが、本書を読んで、専門家である「海軍士官」たちが当時どのように考え、どういう問題意識を持っていたのかがよくわかる思いがした。
本書の内容は、さすが大官庁「日本海軍」であるだけに、内容は多岐にわたっている。
しかし、「反省会」と名付けられた会議での詳細な論議を読むと、海軍の多くのシステムが多くの問題点を内包しつつ、情勢に押し流された様子は伺えるものの、戦後出席者たちが「失敗の原因」を真剣に追求し、認識を共有していたようには思えない。
彼ら「海軍」の専門家において、「戦争へと向かった道」や「海軍のありかた」についての深刻な反省は、この会議までほとんどなされていなかったのだろうか。
少なくとも本書の内容は、「多くの意見」が出ているといえば聞こえはいいが、「敗北へ至った道」への考察を全員が共有しているようには思えなかった。
本書は、旧海軍士官による迫真の「反省会」であると思うし、よくこの資料が残っていたとも感嘆するが、同時に「戦前・戦中」の日本をどう捉えたらよいのかという「時代の認識」が当事者「海軍士官」でさえ、戦後の長い期間を過ぎても成熟していなかったということではないかと思えた。
専門家ですらこうなのだから、現在の日本において「先の戦争とその時代」への「歴史認識」が成熟していないと言われるのも無理もない。
それでも、「陸軍と右翼による内乱を避けるために海軍は開戦に応じた」とか「軍令承行令」という日本海軍のシステムの問題点とかの多くの知見は実に興味深い。
本書は、現在第4巻まで発行されているが、次巻以降を読むのが楽しみである。本書を、歴史を知ることができる本であると高く評価したい。 -
Posted by ブクログ
●:引用 →:感想
●アメリカの国民は、義務として兵役につき、戦争に参加している。同時にすべての兵士は国家に対して、生命の安全に関して最善の努力を払うことを要求する権利を持っている。もし一人の兵士が戦死すれば、その遺族はその兵士の死が”意義のある死”であったかどうかを知る権利を持っていた。それがアメリカという国家と国民の契約だった。(略)また、海軍の内部でも同じような契約があった。「義務を果たした者には名誉を、果たさなかった者には罰を」である。すべての失敗について責任者がきびしく失態や怠慢を追求され、それぞれ処分を受けたものである。(略)法廷で戦友のミスを追及することはアメリカ人にとっても、もちろん愉快なことではない。しかし今後、同じ過誤が繰り返されないために必要不可欠なこととされたのだ。ひるがえって、日本海軍のケースはどうであったろうか?(略)日本海軍の指揮官や高級幕僚が戦闘の重要な局面で重大な錯誤や失敗をおかし、以後の選挙区をきわめた不利なものとしたケースはミッドウエー作戦にとどまらず、海軍甲事件・海軍乙事件・台湾航空戦・レイテ沖海戦での栗田艦隊の反転など、枚挙にいとまがない。にもかかわらず、それらのケースの責任者で直接処分された者がいないということは、いったい何を意味するのだろうか。太平洋戦争における日本軍の反省を記した書籍や雑誌を見ると、個々の戦闘の戦術的巧拙についての評価、あるいは戦略的な総論に偏したもの、または日本人の国民性、というような茫漠としたものなどが多く、将兵の義務、責任、そして権利といったものについての考察は、ほとんどない。しかし、軍隊の本体が人間の集団である以上、将兵の一人の人間としての権利と義務に基づく立場の確立こそ、精強な軍隊の第一歩であると考えるべきであり、日本軍についてもこの観点からの研究が必要と思われる。
●戦争に至る原因の多くは、古来変わるものではなく、基本的には、国家間の政策、利害の衝突に過ぎない。これは、本質的には、外交交渉で解決されるべきものであり、戦争は、いわば交渉失敗の結果なのである。こう考えるとき、日英同盟を結び、米国における親日世論誘導を行い、ロシアの外堀を埋めた状態で闘った日露戦争と、日英同盟を失い、米国の対日世論の悪化に対策を打てず、あらゆる対外交渉に破れて開戦に踏み切った太平洋戦争を比較すれば、日本に、初めから勝利の可能性は無かったと言っても過言ではない。このような外交的敗北によって始まった太平洋戦争は破滅的な敗北で終わり、日清戦争に始まった、日本の五十年戦争も幕を閉じたのである。
●山本は、理詰めに根気よく説得するタイプの指揮官ではなく、「断固たる決意」の表明のみによって反対論をねじ伏せるスタイルで構想を実現した。(略)それだけでなく、自分の心中を他人に理解させようと努力するより、「判らない人間には説明は不要」と考える性質の人間であったようである。(略)この点については、山本の出身中学の後輩にあたる半藤一利(作家)による次のエピソードが興味深い「山本五十六は典型的な越後人であり、人見知りで口が重く開放的な正確にはほど遠いですね(後略)」(略)山本の処世訓として「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば人は動かじ」という言葉はあまりにも有名であるが、どう考えても山本本人のキャラクターを表したものとは考え難い。
●真珠湾攻撃構想時の山本の真意は、文言にあるような「桶狭間とひよどり越と川中島合戦とを合せ行う」という不退転の決意ではなく、一貫して「日米衝突は避けられるものなれば、此を避け此の際隠忍自戒、臥薪嘗胆すべき」という避戦にあったとみてもよい。そして実際には、山本は真珠湾攻撃もやりたくなかったのではないか、海軍中央に日米戦回避を説くための切り札として提唱したものの、内心では作戦の成功に懐疑的であったと考えられるのである。
●アメリカの手強さを正確に認めていた山本が、「衆人環視の前で戦艦を撃沈すれば講和に応じるであろう」などと、なぜ単純に考えたのであろうか。これでは、アメリカを正しく認識していたとは到底いえない。この点について半藤一利氏はかつて、「(略)山本五十六は知米派と言われていたけれども、アメリカ人で山本の友人というのは聞いたことがない。(略)」と語っている。きわめて示唆に富んだ観察といえるだろう。(略)このことも、「知米派山本五十六」という評価の疑わしさを示している。
●山本自身、ラバウルに行くことについては、参謀に、「ニミッツはハワイで指揮しているというのに、なんで自分はラバウルなんかに行くのだ」と不満を漏らしていた。
→”前線視察での戦死=部下思いの結果”もまた伝説、虚像なのか。→真珠湾作戦におけるハワイ日系人の犠牲も納得できる?