牧野富太郎のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
写真満載の『牧野富太郎――植物博士の人生図鑑』(コロナ・ブックス)をそばにおきながら読むと、理解も味わいもぐっと深まる。
牧野富太郎と言えば、なんと言っても写真だ。20年まえ彼の写真を最初に見た時に、仰天した。植物学者なのに、本の山に埋もれていたからだ。なんと、私費で集めた植物学関係の蔵書が2万5千冊! 植物標本の量もハンパではない(50万点!)。
小学中退。植物学にのめり込み、植物採集、標本作り、そして図鑑の出版。32歳で東大助手、51歳で講師(要は非常勤講師)。この自叙伝では、教授たちから受けたアカハラの話(研究室「出禁」)の話も出てくる。でも、不撓不屈。結局、教授たちが権威を笠に着たとこ -
Posted by ブクログ
牧野富太郎(1852~1957)は、日本で最も著名と言っていいほどの植物学者です。牧野さんによる「牧野日本植物図鑑」などは、現在も植物の学習をする人にとっては、必要不可欠なものです。数多くの日本の植物を分類しまとめあげた方が書かれた、植物についてのエッセイを、再構成し一冊にまとめたものです。
小学校を中退したあと、学歴と言えるものがないまま、独学で植物の研究に没頭した方です。
その植物偏愛が激しく、この本の「植物と心中する男」では「私は植物の愛人としてこの世に生まれきたように感じます」とまで書かれています。
その牧野さんならではの観察眼と植物愛に溢れる文章で、様々な植物について書かれ -
Posted by ブクログ
牧野博士は奇人変人の類いである。宮沢賢治『毒もみの好きな署長さん』に出てくる署長さながらである。自分の好きなことのために、ひたすら植物のことに夢中になる。きっと天国でも、植物の採集をしているのではないか。
方言文化にも理解のある研究者は、今では珍しいのではないか?当時でも稀な人だったとは思うが。山を半分にして構造を知りたいというのは、時計弄りに辿ることも出来そうである。
ただ親の顔を知らないことと我慢づよいことは関係していそうだ。精神分析で解明できるのではないか?「いつまでもあると思うな親と金」というが、金を散財させてしまうのは金にも価値を持たせられなかったことではないか?親がいれば金にケ -
Posted by ブクログ
牧野富太郎博士の随筆集ですね。
朝ドラで、今話題になっている牧野富太郎博士(1862ー1957)の植物に関する随筆集です。
2002年発行です。実はその時に買って、一度は読んだ本です。朝ドラで思い出して、本の山から見つけ出しました。
とにかく博覧強記、歯に衣を着せぬ、ズバズバと巷の間違いを、検討違いを切って切りまくります。権威のある人物や著作でも、違うもの違う、学識に物を言わせて小気味良く理々正論を述べられています。
元々は、1947年に鎌倉書房から刊行されたもので、現書ではとてもではないが、絶対読み下せないところです。
講談社学術文庫は、大いに助かります。字が大きいのと現代仮名づかいで読みや -
Posted by ブクログ
牧野富太郎氏の書かれたエッセイをまとめられた本。
全編を通して彼の植物に対する知識と愛が溢れた一冊。
お恥ずかしながらあまり植物に詳しくないため本編に知らない名前の植物が出る度にネットで調べながら読んだのですが、普段道端に生えているのを何気なく見ていた植物だったりして、自分がいかに植物に対して無関心だったのかを思い知らされました。
雑草という草はないとはまさにですね。
最後に牧野富太郎氏の植物愛が全開だった文章を一部引用させていただきます。
気になった方は是非ご一読してみてください。
『面白いことは植物は人間が居なくても少しも構わずに生活するが人間は植物がなくては 生活のできぬことであ -
Posted by ブクログ
植物学の巨人、牧野富太郎。
なんでも近々、朝ドラの主人公にもなるらしい。
実家にもこの人の名前を冠した図鑑があったような記憶がある。
けれど、どんな人かは、この年になるまで全く知らなかった。
第一部はご本人の筆になるもの。
でも、七十代、八十代と別の時期に書かれているようだ。
同じ内容の重複がある。
第二部はいろいろな時期に書いた、内容もさまざまなもの。
お嬢さんの手になる回顧録も収録されている。
が、まあ、なんと磊落な人だろう。
文体も、書きぶりも自由な感じ。
(じゃがいものことを「馬鈴薯」と呼ぶのをずいぶん憤っているが、なぜいけないのかが書かれていないという、この自由さ!)
小卒 -
Posted by ブクログ
ネタバレ小学生の頃、学校の図書室にあった牧野富太郎の伝記を読んで、その植物への情熱に驚いた記憶がある。
というか、驚いた記憶しかなくて、内容は極めて不確かにしか覚えていなかった。
小学校を中退したのは家が貧乏だったから、と思っていたけれど、当時は結構なお坊ちゃんで、行きたくなかったから行かなかっただけ。
その代わり自分で植物だけではなく、物理や地学や地理なども自分で勉強した。
身体が弱かったのは幼少期までで、その後は人並み以上に健康であったこと。
なんだか勝手に牧野富太郎像を作り上げていたんだなあ。
小学校を自主的に中退したにもかかわらず、その後小学校で教師をしたり、後には東大で植物の研究