あらすじ
わが国の植物分類学を独力で切り拓いた巨人・牧野富太郎。幼少より植物に親しみ、小学校中退後の人生を独学による植物研究に捧げた彼は、権威による研究妨害や貧困に屈することなく、95年の生涯の晩年まで現役であり続けた。彼が採集した標本は実に60万点、命名した植物は2500余。「植物学の父」が独特の牧野節で綴る波瀾万丈の「わが生涯」。(講談社学術文庫)
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Posted by ブクログ
写真満載の『牧野富太郎――植物博士の人生図鑑』(コロナ・ブックス)をそばにおきながら読むと、理解も味わいもぐっと深まる。
牧野富太郎と言えば、なんと言っても写真だ。20年まえ彼の写真を最初に見た時に、仰天した。植物学者なのに、本の山に埋もれていたからだ。なんと、私費で集めた植物学関係の蔵書が2万5千冊! 植物標本の量もハンパではない(50万点!)。
小学中退。植物学にのめり込み、植物採集、標本作り、そして図鑑の出版。32歳で東大助手、51歳で講師(要は非常勤講師)。この自叙伝では、教授たちから受けたアカハラの話(研究室「出禁」)の話も出てくる。でも、不撓不屈。結局、教授たちが権威を笠に着たところで、本物の学識に勝てるわけがない。
第三部、娘から見た牧野富太郎がおもしろい。標本と蔵書の置き場所に困って、18回も引っ越しをしたという。しかもそれがいつも年の瀬!
どこか昆虫記のファーブルを思わせる。ファーブルも大学は出ていなかった。晩年まで研究に打ち込んだ(ファーブルは91歳、牧野は94歳)。子だくさん(ファーブルは10人、牧野は13人)で、始終お金に困っていた。でも、最後は研究用の自分の庭を手に入れた(ファーブルはアルマス、牧野は東大泉)。終わりよければ、すべてよし。
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「好きなことに邁進する」
彼の生き方が100年以上たった今、注目を浴びている。その秘密が、おおらかな人柄にあることを感じさせてくれる本でした。
とかく、周囲に気をつかって生きていく大切さを語られがちな現代とは異なる生き方も魅力でした。
園芸好きの私は、ドラマ開始早々のジャケ買い。大正解でした。
先日、練馬区の記念植物園にも行って、堪能してきました。
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高知旅行の際に牧野植物園でお土産として購入。
昔の人の自叙伝ということで読みづらいものを覚悟したが、かなり読みやすい部類だった。
小学校を中退した次のシーンがもう働いていたり、気づけば妻を娶って子供が13人いたりと、朝ドラではどのようにストーリーを補完したのかが気になった。
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牧野博士は奇人変人の類いである。宮沢賢治『毒もみの好きな署長さん』に出てくる署長さながらである。自分の好きなことのために、ひたすら植物のことに夢中になる。きっと天国でも、植物の採集をしているのではないか。
方言文化にも理解のある研究者は、今では珍しいのではないか?当時でも稀な人だったとは思うが。山を半分にして構造を知りたいというのは、時計弄りに辿ることも出来そうである。
ただ親の顔を知らないことと我慢づよいことは関係していそうだ。精神分析で解明できるのではないか?「いつまでもあると思うな親と金」というが、金を散財させてしまうのは金にも価値を持たせられなかったことではないか?親がいれば金にケチになるのかもしれない。
しかし、死ぬまで一つのことに集中していることと自信を持って好きだといえることがあるのは一つの理想形である。基礎学力があったこともさいわいしていると思う。漢学に素養があるのも自己形成しているのではないか。
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植物学の巨人、牧野富太郎。
なんでも近々、朝ドラの主人公にもなるらしい。
実家にもこの人の名前を冠した図鑑があったような記憶がある。
けれど、どんな人かは、この年になるまで全く知らなかった。
第一部はご本人の筆になるもの。
でも、七十代、八十代と別の時期に書かれているようだ。
同じ内容の重複がある。
第二部はいろいろな時期に書いた、内容もさまざまなもの。
お嬢さんの手になる回顧録も収録されている。
が、まあ、なんと磊落な人だろう。
文体も、書きぶりも自由な感じ。
(じゃがいものことを「馬鈴薯」と呼ぶのをずいぶん憤っているが、なぜいけないのかが書かれていないという、この自由さ!)
小卒の学歴で「帝国大学」の学者のお歴々に伍して成果を挙げ続けるのは痛快だ。
七十歳を超えても、日中は観察、毎日夜中の二時まで原稿を書く生活をしても健康。
なんという人だろう。
土佐の醸造業を営む、裕福な家庭で生まれた。
が、両親とは幼いころに死に別れ、やがて家業も整理せざるを得なくなる。
それでも、幼いころから好きだった植物一筋。
八十歳を超えても、やりたいことがあり、気力も体力もあるという人生は、すごすぎる。
恋女房の妻とは13人もの子供をもうけ、それだけでも大変なのに、研究には多額のお金がかかる。
借金額も相当なものだったようだ。
一時期は寿衛子夫人が待合を経営して家計を支えていたという話もある。
ちなみに、この件が大学にも知られ批判をされても全く悪いと思っていない。
すがすがしい。
最近、朝井まかてさんが牧野博士を主人公にした小説を出したと聞く。
そちらもいずれ読んでみたい。
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小学生の頃、学校の図書室にあった牧野富太郎の伝記を読んで、その植物への情熱に驚いた記憶がある。
というか、驚いた記憶しかなくて、内容は極めて不確かにしか覚えていなかった。
小学校を中退したのは家が貧乏だったから、と思っていたけれど、当時は結構なお坊ちゃんで、行きたくなかったから行かなかっただけ。
その代わり自分で植物だけではなく、物理や地学や地理なども自分で勉強した。
身体が弱かったのは幼少期までで、その後は人並み以上に健康であったこと。
なんだか勝手に牧野富太郎像を作り上げていたんだなあ。
小学校を自主的に中退したにもかかわらず、その後小学校で教師をしたり、後には東大で植物の研究をして学位を取ったりして、その才能は間違いないのだけど、この本を読んで思ったのは、人間付き合いの下手くそさ。
もちろん彼を庇護したり彼に師事したり友情を育んだりしている人は多くいるけれど、大学の研究室でことごとく上司に嫌われるというのは、彼の方にも問題があったのではないのかなあ。
権威におもねらないと言えば聞こえはいいけれど、上司に対して見下すような態度を取っていたのではないか。
というのも、文章の節々にそのような思いを感じとれてしまうから。
天才からすると世間的に権威のある人でも、才能がなければただの人なんだろうけれど、往々にしてそういう人の方が他人の評価に敏感なので。
小学生の時にはわからなかった、そういう読み方をしてしまう自分が淋しくはあるけれど。
この本は自叙伝として書かれた本というよりは、発表された多くの文章の中から自身について語っているものを選んで編集したもののようで、同じ出来事が何度も繰り返し出てくることに食傷。
また、最後の章は牧野富太郎の娘が父について語っているものなので、これまた自叙伝とは言えないと思う。
Posted by ブクログ
自伝として評価するならば辛くせざるを得ない。
自分の興味・関心のあること、恨み骨髄な出来事だけを語っていて、偏りがひどいので。
山梨に疎開したこととか、満鉄に招待されて吉林省の山桜を調査したこととか、それなりのトピックかと思うけど自伝としては語られない。
まあそういう偏執的なところが学者らしくて面白いことは面白いけど。
第1部「牧野富太郎自叙伝」はそんな感じ。
第2部「混混録」は第二次世界大戦後(すでに84歳)に書かれたエッセイ集みたいなものだが「こだわり」が見えて面白い。
第3部「父の素顔」は晩年の研究を補助した研究者でもある次女が書いたもので、牧野の人物像をもっともバランスよく描いている。