織田作之助のレビュー一覧

  • 六白金星・可能性の文学 他十一篇

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    久し振りのオダサク。論文は少し難しいところもあったものの、かなりツボ。オダサクと坂口安吾と太宰治が一緒に飲んでる場面など想像するだけで面白い。自分は自然主義文学が好きなのだが、オダサクはあまり良く評価はしてないようで。

    小説は全て面白かった。

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    2026年04月10日
  • 夫婦善哉 正続 他十二篇

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    『十銭芸者』を空想し、その十銭芸者を、「たまたま懐の景気が良い時」に、まねいて、まずしい饗宴をするルンペンたちの姿を、織田の、孤独な、やるせない、時には、じぶんで知りながら、無茶な事をしたくなる心が、しのばれたからである。

    宇野浩二「哀傷と孤独の文学」

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    2026年02月21日
  • 六白金星・可能性の文学 他十一篇

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    六百金星とアド・バルーンが面白かった!
    オダサク読んだことなかったけど文豪でこんなおもしろいのは最高!!
    人間の絶望より可能性を描く文学、活き活きとした昔の大阪の描写、大好きな作家になった!

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    2023年01月24日
  • わが町・青春の逆説

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    ネタバレ

    『わが町』
    家族愛と男の浪漫がある良い話で終わっててほっこりの宿酔がのこる。なんでこれ書こうと思ったんだろってニコニコしちゃった。『夫婦善哉』の別視点もあるのもめちゃくちゃサービスじゃんって喜んだ。君枝の青春に対する謙虚さ頑なさみたいなところに『姉妹』の伊都子に通ずるものを感じた。

    『青春の逆説』
    『雨』が元になってるのがわくわくした。学生時代よりも社会に出てからのが周りの環境のせいもあってか生活への刺激が多くて、これが豹一の青春てことなのかな。作之助自身のことをなぞってるようで、実際にはなかった夢みたいなのを豹一に詰め込んでるようで、いいなと思った。どんなときでも母のことを思い出されるのが郷愁なのかな。豹一の性格、行動がなんか身につまされる思いで読んでた。


    作之助はどのキャラのことも丁寧に扱ってて好き。それにやっぱりすごい「生」を感じる。どこまでもリアルに近いフィクションって言われてるけどその通りだと思う。

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    2022年12月16日
  • 六白金星・可能性の文学 他十一篇

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     1945(昭和20)年から翌1946(昭和21)年にかけての作品が収められている。1947(昭和22)年にまだ33歳にして早逝した作家なので、若いが「晩年」に当たる。
    『夫婦善哉』を中古の新潮文庫で遥か昔に読んだことがあるきりで、さして印象のない作家だったが、今回読んでみてとても良かった。読みやすい文章でしばしばユーモアをも交え、微妙で深みのある人間像を呈示する。特に「表彰」「六白金星」が非常に良かった。
     この世代の作家の文章は、先行する世代の文章とは何か根本的に異なって、実に読みやすい。太平洋戦争中から作品を発表した作家なのだが、私の目には「戦時以前」と「戦後」とのあいだに、日本文学の「文体」に大きな断絶があるように見える。そして後者の文章の「平易さ」(あるいは工夫の無さ)は後々に更に度合いを増して、こんにちのスカスカな文体へと一直線に変容してゆくように見える。
    「無頼派」と呼ばれる
     織田作之助(1913《大正2》-1947《昭和22》)、
     太宰治(1909《明治42》-1948《昭和23》)、
     坂口安吾(1906《明治39》-1955《昭和30》)
    の3人はどうやら実際に仲が良かったらしく、本書所収のエッセイ「可能性の文学」の中で3人が共に酒を飲みながら語り合う場面が描かれている。この3人は何故かみんな若死にしている(織田33歳、太宰38歳、安吾48歳)。
     本書の短編小説の深みのある味わいに心動かされたのだが、作家が文学観を明示したこのエッセイ「可能性の文学」も非常に興味深い。当時文壇で絶賛された志賀直哉を中心に、ほとんど宗教のように瀰漫した価値観に、織田作之助は全霊を込めて抵抗する。そうした「美術工芸品」のような小説価値は、世界近代文学から見るとほんの一部に限定されたものでしかない。「美術工芸品」としての完成は、もはやそこには「可能性」は残されていない。文学としての「可能性」、そして人間の「可能性」である。

    <「可能性の文学」は果して可能であろうか。しかし、われわれは「可能性の文学」を日本の文学の可能としなければ、もはや近代の仲間入りは出来ないのである。
     小説を作るということは結局第二の自然という可能の世界を作るということであり、人間はそこでは経験の堆積としては描かれず、経験から飛躍して行く可能性として追究されなければならぬ。>(P362)

     そういえば日本社会・文化、日本人というものが、西欧と比べると確かに「ほんとうの近代化」を経ないまま未熟さに留まり続けたという現在の現実が、ここにも表現されているように思える。
     そして「第二の自然という可能の世界を作る」ということ、思うに音楽を作るということもやはりこれなのではないか、と感じ入った。
    「無頼派」の3人は3人ともに独自の魅力を持った作家たちだが、織田作之助に関しては、死ぬのが早すぎたという惜しまずにはいられない。

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    2022年12月16日
  • 六白金星・可能性の文学 他十一篇

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    ネタバレ

    作之助の作品全部大好き脳内お花畑ハッピー野郎です
    『アド・バルーン』がどちゃくそ好きで何回読んでも良〜〜〜!!!ってなります
    『髪』は「撲られたということをここで語ることでユーモアを生んでいる」って解説では言ってるけど、私はいつもユーモア以前に作之助のこと撲ったやつ地獄で待ってろよって思いながら読んでますユーモア無くてごめんなさいははは

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    2022年12月13日
  • 夫婦善哉 正続 他十二篇

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    佐藤氏の解説の「その文章に嘲笑はあったか。嫌悪はあるか。蔑みはあるのか。______ない。「市民」としての......」と続く云々の箇所でその通りだと思った。シリアスな話なのに思わずくすっと笑えたり、逆に笑いたくなるほど哀れでも真に迫ってるから一概に愚か者として扱えない登場人物に心寄せたくなったりする。
    作之助の作品は、「郷愁」と「青春」がぐるぐる廻って綿あめみたいに膨らんでいって作られていると思っている。

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    2022年12月13日
  • 夫婦善哉 正続 他十二篇

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    ○目次
    夫婦善哉/続 夫婦善哉/雪の夜/放浪/湯の町/雨/俗臭/子守唄/黒い顔/聴雨/勝負師/姉妹/木の都/蛍

    ○感想
    織田作之助の、自身が育った「大阪」の庶民を描いた「大阪」の小説と、読んでいて感じました。登場人物の多くは本当にどうしようもない人達が多いのですが、彼ら彼女らがその「大阪」人としての奥底の意地というか心性が、最後に気張った行動をとるのかなと感じました。
    なお、本書中に、自分自身が関西に住んでいたころに通ったことのある自由軒カレー等実在のお店も登場したりと、関西に住んでいる、または住んだことのある人には実感できることが多いかもしれません。

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    2019年11月20日
  • 夫婦善哉 正続 他十二篇

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    この歳になって、純文学にガッツリ嵌りました。
    ええ、某文豪ゲームのお蔭なのですが、こんなに読み倒して居るのは学生以来なんじゃないか…。
    昨秋ガラケーからスマホに替えて以来、青空文庫でどこでもこうした文学を読めるなんて、何て素晴らしい時代なのだろうとか噛みしめていたのですが、この『夫婦善哉』の続編は青空文庫に無かったんですね、残念。
    なので、コレクションも兼ねて久しぶりに紙の本を買いました。
    織田作『夫婦善哉』初読は十代の頃だったと思うのですが、只管蝶子さんが可哀想でならず、何が良いのかさっぱりわからなかったなと記憶していますが、この歳になって改めて読むと、しみじみと、染み入る様にくるものがありまして。織田作の作品には、多く「困った人たち」が登場してくるのですが、誰もかれもなぜか愛おしくなります。『天衣無縫』しかり。『六白金星』しかり。織田作自身と、その経験が下敷きになっているのだろうと思うだけでも、ファンとして作品に触れる事で幸せな気持ちになれます。
    ありがとう青空文庫(笑)

    この短編集には他に『蛍』も入っていて更に嬉しいです。寺田屋事件の話だと気付くのにだいぶかかりました。

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    2018年01月16日
  • 六白金星・可能性の文学 他十一篇

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    大戦前後の短編と文学論。短編は感触がとても良く好感度高め文学論に関しても共感度高め。志賀直哉はいい書き手だと思うけど指摘していることは正しいように思う。当初文学に抱いていた違和感がうまく書かれていたように思う。ここからいろんな本を読むことができる。いい感じで小説読む気分にさせてくれるそんなテキスト群

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    2017年12月18日
  • わが町・青春の逆説

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    不器用ながら規律規範から逆行して生きようとした青年を描いた『青春の逆説』。ほのぼのとした下町の情景を巧みに描きつつ、そこに住まう人々の暖かい交流を描いた『わが町』。

    短編小説を得意とするオダサクには珍しい、中編~長編の小説だ。
    じっさい作者はこの2作品に心血を注いでいたようで、『青春の逆説』が当局から発禁処分をうけた後は道頓堀~心斎橋界隈を放浪していたとかw

    オダサクの作風の一番好きなところは、浪華節を利かした愉快な関西弁。その情緒深い、ユーモアあふれる会話文に、いったいどのくらいの東京人が魅せられたことだろう?関西弁がとってもステキ。
    あと、作者の故郷への愛にほのぼのする。道頓堀・二ツ井戸・心斎橋・・・下町の盛り場の夜店、極彩色の行燈、どて焼き・豆板屋・こんぺいとう・しっぽまであんの入ったたい焼き・・・一文読めば一文に驚く(BY正岡子規)とはこのことだと思った。
    そしてオダサクの作品には、『放浪への哀愁』がしみじみと寂しく感じられる。これがデカダンスなんだな。

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    2014年05月02日
  • 夫婦善哉

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     「夫婦善哉」は、発表当時東京文壇から批判されている。皇国史観もなければ左翼思想もない、と。その言葉の裏には、この戦時下に「あかんたれ」の男が「しっかりもん」の女に浮気して、いちやいちやと食べ歩いているような小説はけしからん、との軍部の意向が反映していた。
     しかし、好いた同士は形式はどうあれ一緒にいたい、うまいもんも食いたいし、うまいもんに格式も何もないやないか、とズバリ本音を言ってのける織田作に、戦時下の大阪人は拍手を送った。

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    2012年04月24日
  • 青春の逆説

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    オダサクがこんな青春小説を書いていたなんて、知ってました?

    これなら、なにも背伸びして『夫婦善哉』なんか読まなくてもよかったのにと思いました。

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    2011年10月27日
  • 青春の逆説

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     あの織田作之助の作品が、「夫婦善哉」以外で文庫で読めるなんて嬉しい限りです。

     角川書店の関係者の方々、もっとアピールして下さい!

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    2017年08月15日
  • 六白金星・可能性の文学 他十一篇

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    頭が悪く、近眼で、何をさせても鈍くさいが、ハエを獲るのが巧い子供の話であるが、まるで吉本のコントのように間抜けである。

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    2010年03月13日
  • 夫婦善哉

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     とにかく疲れた。

    しっかり者の芸者蝶子が、駆け落ち相手である若旦那柳吉のしょうもない所業を許すたびに、「そんなの許すかなぁ。」とイライラし、終いに「(柳吉、)この甲斐性なしのアホが!」と何度言ったかわかりません(笑)。

    この作品が世に送り出されてから半世紀以上経つけど、人間なんてそう進歩しないもんさと思ったほうが、楽に生きられるぞ。と、作者 織田 作之助が語っているような気もしましたが・・・・

    あーーー、全くもって受け入れられないねっ!

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    2010年02月14日
  • 夫婦善哉

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    オダサクの小説はとにかくおもしろい。独特のリズムは関西人のDNAによるものか。商家の「ぼんぼん」柳吉と芸者あがりの蝶子はんとの結婚生活の物語。昭和14年頃に書かれたこの小説,柳吉に貯金を使い果たされた蝶子はんがよよよと泣き崩れたり堪え忍んだりするかと思えば大間違い,馬乗りになってダンナの首をしめあげるというたくましさ。柳吉は「うまいもの」に目が無く,「うまいもん屋」へ芸者時代の蝶子はんをしばしば連れて行くのだが,今でも大阪にあるおでんや「たこ梅」が既に登場している。

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    2009年10月04日
  • 夫婦善哉

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    『私は目下上京中で、銀座裏の宿舎でこの原稿を書きはじめる数時間前は、銀座のルパンという酒場で太宰治、坂口安吾の二人と酒を飲んでいた――というより、太宰治はビールを飲み、坂口安吾はウイスキーを飲み、私は今夜この原稿のために徹夜のカンヅメになるので、珈琲を飲んでいた。話がたまたま某というハイカラな小説家のことに及び、彼は小説は女を口説くための道具にしているが、あいつはばかだよと坂口安吾が言うと、太宰治はわれわれの小説は女を口説く道具にしたくっても出来ないじゃないか、われわれのような小説を書いていると、女が気味悪がって、口説いてもシュッパイするのは当り前だよ、と津軽言葉で言った。私はことごとく同感で、それより少し前、雨の中をルパンへ急ぐ途中で、織田君、おめえ寂しいだろう、批評家にあんなにやっつけられ通しじゃかなわないだろうと、太宰治が言った時、いや太宰さん、お言葉はありがたいが、心配しないで下さい、僕は美男子だからやっつけられるんです、僕がこんなにいい男前でなかったら、批評家もほめてくれますよと答えたくらい、容貌に自信があり、林芙美子さんも私の小説から想像していた以上の、清潔な若さと近代性を認めてくれたのであるが、それにもかかわらず女にかけての成功率が殆んどゼロにひとしいのは、実は私の小説のせいである。同じ商売の林芙美子さんですら五尺八寸のヒョロ長い私に会うまでは、五尺そこそこのチンチクリンの前垂を掛けた番頭姿を想像していたくらいだから、読者は私の小説を読んで、どんなけがらわしい私を想像していたか、知れたものではない。バイキンのようにけがらわしい男だと思われても、所詮致し方はないが、しかし、せめてあんまり醜怪な容貌だとは思われたくない。私は一昨日「エロチシズムと文学」という題で朝っぱらから放送したが、その時私を紹介したアナウンサーは妙齢の乙女で、「只今よりエロチ……」と言いかけて私を見ると、耳の附根まで赧くなった。私は十五分の予定だったその放送を十分で終ってしまったが、端折った残りの五分間で、「皆さん、僕はあんな小説を書いておりますが、僕はあんな男ではありません」と絶叫して、そして「あんな」とは一体いかなることであるかと説明して、もはや「あんな」の意味が判った以上、「あんな」男と思われても構わないが、しかし、私は小説の中で嘘ばっかし書いているから、だまされぬ用心が肝腎であると、言うつもりだった。しかし、それを言えば、女というものは嘘つきが大きらいであるから、ますます失敗であろう。』――「可能性の文学」(太字は引用者)

    うひひ。腹イテー。ここんとこ、めっさ笑いました。

    …って、「可能性の文学」の主題はもちろん「オレ男前」なところにあるわけではなく、文学は人間の可能性を描くべきだ、ということがテーマになっていて、そして、そのことにより、日本の「可能性を全然描こうとしない、私小説たち」を、つまり、志賀直哉を頂点とする日本の文壇を批判している。織田作之助はこの「可能性の文学」を提唱した一月後に急逝していて、だから作者の書こうとしていた「可能性の文学(可能性をこそ描こうとする文学)」がついに陽の目を見なかったことがとても残念でならない。

    オダサクは自分の書くものなんてどれも嘘で、みんなでっちあげだということを強調していて、実際そうなんだろうなと思っていたんだけど、伝記によると、実はどれも ―自分の身に起きたことではないとはいえ― 本当のことだったという事実を知り、また驚いたわけです。

    彼が「可能性の文学」を記したのは太宰治が「如是我聞」で志賀直哉をクソミソにこきおろす1年半前。当時、文壇の頂点に君臨していた、いわば日本文壇における神だった志賀直哉を批判するということは、ものすごく衝撃的なことだったらしいです。

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    2009年10月04日
  • 五代友厚

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    東の渋沢、西の五代。
    大阪の商人たちを盛り上がらせ、国を開き、海外諸国と肩を並べるために明治へと時代を切り開いていく様は、五代なくしては出来なかったかなと思わせるほどでした。
    著者の五代愛がすごく伝わってきて、面白く読ませていただきました。

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    2026年06月03日
  • 天衣無縫 アニメカバー版

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    思いのほかエンタメっぽく読みやすかった。オダサクの大阪に対する愛が登場人物に詰まっていて故郷への愛をものすごく感じた。各話しっかりオチがあって、余韻が良い。付け加える一言でこんなにも印象が変わるのか、と思うほどその一言が上手い。
    内容は暗いはずなのに何故こんなにもカラッとしているのかと思うのが"夫婦善哉"
    最後にあぁ貴方が俗、、と突きつけられるのが"俗臭"
    芯に触れて初めてわかる今までを覆すかっこよさのある"天衣無縫"
    まさに人生"放浪"
    "女の橋"から"大阪の女"までの流れにある血筋。大阪の女ならではの強さ。
    恥をさらしたそのオチがおもしろいオダサク視点の"世相"
    ふわふわしたものを信じ抜く心温まる"アド・バルーン"

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    2025年02月07日