三浦雅士のレビュー一覧
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貨幣論などで著名な経済学者岩井氏による本です。本とは言っても全編通して対談形式になっています。雑ぱくな感想について。まず対談形式であればさぞ読みやすいだろうと思って読み始めましたが、内容がかなり高度、というか空中戦すぎて理解しながら読み進めるのにそこそこ時間がかかりました。また主役が岩井氏で「聞き手=三浦雅士」となっていますが、三浦氏は「聞き手」の領域を大幅に超えて「話し手」にもなっていました。これは良かったと思う箇所もありましたが、「しゃべりすぎでは?」と感じる箇所も多々ありました。個人的に岩井氏の主張にもっと誌面を割いてもらいたかったので、聞き手は聞き手らしくもっとシンプルに切り返してもら
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ここ一年ほど、昔よく読んでいた石坂洋次郎のことが気になり出して、全集はないかと探したりしていたのだけれど、全集は出ておらず、昔よく読んでいた新潮文庫のシリーズも入手が楽ではない状態になっていて、「あ、石坂洋次郎って忘れられた作家になってたんだ」と気づかされた。
そんな折、三浦雅士氏が編集した短編集と、評論がここへきて続いて出版されていることを知った。
本短編集の表題作の乳母車」は、かつてーー30数年前ーー読んだ時も「続きが読みたい」と思わされた記憶が薄らとある作品だったけれど、そのほかの作品には馴染みがなかった。当時の僕は、長編好みで、短編には興味があまりなかったのだ。
今回、久しぶりに石 -
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本書では資本主義の本質を探るだけではなく、ポスト資本主義の社会についても考察していく。著者はこれまで「貨幣」とは何か、を再三追求しており、その命題に対して著者は「貨幣は貨幣だから貨幣である」という結論を出す。これはマルクスの「価値形態論」を批判し追求した結果、貨幣の本質が自己循環論法であることを証明した。また貨幣のみならず、「言語」と「法」の実態についても本書で繰り返し考察される。著者によると、これら三つは、それ自体には物理的な力を持たないが、社会的実在、すなわち社会的動物としての人間が、これらを媒介することで、人間が人間として存在するのだという。言語は意味を、法は権利と義務を、そして貨幣は
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こういうバリバリ経済学者の経済の本はほとんど読んだことがなかったし、難しいところも多くてよくわかってない部分も沢山ある。それでも、何か知的興奮があったし、「もっと知りたい」という思いにさせられた。
経済って、もっと血が通ってなくてお金のことばっか考えてるんじゃないの?という私の経済学に対する幼稚なイメージをいい意味でぶっ飛ばしてくれた。
経済を考えてると、そんな哲学的問題に行き着くの?!法人の存在の仕方は人間存在の仕方とニアリーイコール?!「信託」の始まりはなんと修道院にあった?!経済の話とカントヘーゲルロールズアリストテレスってそんなに関係あるの!?…等々、新鮮な驚きのオンパレード。
岩井克 -
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ネタバレ・モードリス・エクスタインズという人が『春の祭典』という本を書いています。バレエの本というよりは、第一次大戦前後のヨーロッパ社会の姿を浮き彫りにした本ですが、そこに『春の祭典』初日の状況が描かれています。というより、どうしても描けないということが描かれているのです。その場に居合わせた人々の証言がてんでんばらばらで、検証しはじめると、どの証言が正しいのかわからなくなってしまうというのです。ただ、ものすごい事件であったことだけは分かる。これはどういうことかといえば、歴史的な事件というのはほんとうは人間の心のなかでしか起こらないということなのです。そして、人間の心のなかで起こる以上は、その意味は決し
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哲学的人間学やフーコーの権力論・制度論の発想にもとづいて、身体についての考察を展開している本です。
人間は環境世界から離れてしまったことである種の「過剰」をかかえ込むことになり、それが人間の文化を可能にしたと考えることができます。著者は、ルイス・マンフォードなどの議論を参照して、このような発想を受け入れるとともに、人間の身体にくわえられる加工や装飾もまた、このような発想のもとで理解することができると考えます。また本書の後半では、近代に入って教育、労働、軍隊などの領域で、身体や動作に対する制御がいきわたっていったことが、さまざまな具体例とともに明らかにされています。
こうした議論は、80年代 -
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三浦雅士という希代の知の達人をインタビュアーに迎え、岩井克人が経済学を超えた思想界の巨人であることを示した対談集。
現代思想の編集長時代に、岩井を発掘したのも三浦だった。
言語•法•貨幣の存立する根拠が、自己言及的循環論にあることを示すだけでも驚くが、資本主義(貨幣)、国家(法)を超える道を市民主義に見出す。
彼の論理構成が、柄谷行人のそれとあまりに似ていることに驚く。
自己循環論を根拠とすることから資本主義は、ハイパーインフレーションの危機を抱えており、国家は集団ヒステリーという自己崩壊(パニック)の危険を有している。
現代思想のもっとも重要な問題がどこにあるのかを明確に指し示す。 -
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ー 身体が過剰な意味の場所でなくなったのはつい最近のことなのだ。人はタブラ・ラサの状態で生まれてくるが、生まれてきたその場所は濃密な意味の磁場なのである。人はほとんど生まれてきたその瞬間に強力な意味の磁力を浴びせられる。その社会の言葉によって、表情によって、仕草によって染めあげられるのである。
身体がたんなる身体、だからこそ貴重な身体と見なされるようになったのは、いったいいつの頃からなのか。そしてそれはどのような背景を、どのような意味をもつのか。この半世紀、日本人の身体は大きく変わったといわれるが、それは身体をめぐるタブーからの解放となんらかの関係があるのだろうか。あるとすれば、それはどのよ -
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1. 「身体の零度」を読む
著者は、衣服は寒さを防ぐために発明されたものではない、刺青と同じく機能を持った装飾が起源だと言う。
だから、衣服は衣装なのだ。
装飾であった衣装が寒さを防ぐ機能的な衣服となったのは近代になってからなのだ。
まさに、衣服の見方が転換される視点だ。
軍隊は、武器が必要だ。
軍隊が、産業を推進することは今も昔も変わりはない。
近代の機械的工業生産を生み出したモメントのひとつが軍隊だった。
そして、近代機械工場の労働者の理想的身体のモデルも規律化された軍隊だった。
身体を規律して変容させる仕組みを暴いたのはミシェル•フーコーだが、三浦はフーコーの方法論を踏まえて、軍隊の規