江藤淳のレビュー一覧
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1967年に発表された、戦後評論における屈指の名著と言っても差し支えのない一冊。エリクソン『幼年期と社会』で語られている米国の母子関係というものを日本のそれと対峙させ、日本の戦後文学で家族というものがどの様に描かれているかを分析することで、その社会構造が持つ問題点を炙り出す。
本書では、日本の家族というものが農耕的・定住的な土壌による母子関係にあるものだと捉え、キリスト教のような絶対神というものが不在な故に父というものの象徴は欠けてきたのだと説く。そして、敗戦という経験が完全なる西欧化=母性の世界の崩壊をもたらしたにも関わらず、父というものは「恥ずかしいもの」として象徴されたままであり、人 -
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最近見た新聞の「書評欄」で紹介されていたので手にとってみました。
1960年代末ごろの講演録ですからかなり前のものです、しかしながら流石に江藤氏、小気味よい語り口で、なかなかに興味深い指摘が数多くありました。
本書の表題にもなっている「考えるよろこび」とのタイトルの講演では“ソクラテス”を取り上げて「フィロソフィア(知恵を愛する)」の姿勢の素晴らしさを語り、「二つのナショナリズム」をテーマにした講演では、“勝海舟”と“西郷隆盛”を対比させつつ、「国家理性」と「民族感情」について論じています。
採録されている6つの講演の中で語られるさまざまな氏の指摘やコメントは、半世紀近く経った現在にお -
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-人は詩人や小説家になることができる。だが、いったい、批評家になるということはなにを意味するであろうか。あるいは、人はなにを代償として批評家になるのであろうか-
「江藤淳」という人は、私の中で、かぎかっこ付きでくくりたくなるような人。賢いのか間抜けなのか、弱いのか強いのか・・・判断できかねて・・・思考停止。かぎかっこでくくって一旦保留したい。でも、、、「バカ」がつくくらい、My Wayを貫き通した人なんだろうな。
批評家小林秀雄について論じているこの一冊は、冒頭の一文からガツンとくる。これは、同じ批評家である、江藤自身への問いでもあり、いいかえると「私って何?私って何を代償に存在していいの -
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石原慎太郎は、昭和の時代における若者のアイコンであった
石原が何をやっても、世間はそれを支持した
江藤淳はそんな石原を評して、「無意識過剰」と呼んだ
にじみ出る石原の無意識が
日本国民のそれと自然に呼応しているというほどの意味である
敗戦後の、新しい日本を作り上げていこうとする若き大衆は
石原のような存在を求めたのだった
そう考えると、「万延元年のフットボール」を契機に
江藤淳と大江健三郎が決裂したのも無理のない話だった
三島由紀夫の死に先駆けて
英雄の死と、その神格化を書いた大江は
それによって
石原の、真に健康な肉体を、冒涜したも同然であったから
今では信じがたいことに
石原、大江と江藤 -
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江藤淳 小林秀雄 評伝 小林秀雄の批評構造を明確にして、そこに至るプロセス(宿命)や個々の批評の目線を論じていく構成。
中原中也、その恋人、ランボオにより 批評家 小林秀雄が誕生したというのは そうかもしれないと思うが、彼らとの葛藤や相剋から 死を所有したとする論調は 共感できなかった。以後、自殺の理論や死の所有と小林秀雄の批評と結びつけているのだが、小林秀雄の文章に 生の否定や死への情熱を感じるだろうか。どちらかと言うと、著者の江藤淳氏の文章に 虚無的な印象を受けるのだが。
小林秀雄の批評は「対象となる作者の心を通して 自分を見つめる構造を持つ」というのは、なるほどと思う。批評という