江藤淳のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
1967年に発表された、戦後評論における屈指の名著と言っても差し支えのない一冊。エリクソン『幼年期と社会』で語られている米国の母子関係というものを日本のそれと対峙させ、日本の戦後文学で家族というものがどの様に描かれているかを分析することで、その社会構造が持つ問題点を炙り出す。
本書では、日本の家族というものが農耕的・定住的な土壌による母子関係にあるものだと捉え、キリスト教のような絶対神というものが不在な故に父というものの象徴は欠けてきたのだと説く。そして、敗戦という経験が完全なる西欧化=母性の世界の崩壊をもたらしたにも関わらず、父というものは「恥ずかしいもの」として象徴されたままであり、人工的な環境だけが日に日に拡大していった結果、家族というものから様々な問題が生じてきていると喝破する。
僕らは戦後日本の歴史というものについてほとんど知らない。それは幾つもの断絶を抱えたまま、放棄されている。そんな中で、戦後という枠組で一つ言える事があるとすれば、それは絶えず「家族」というものが問題を抱え続けたままでいるという事だろう。そう、一人の人が同時に父であること、夫であること、男である事というのは等号が成り立つけれども、母である事、妻であること、女であることというものには決して等号は成り立たない。そして、この不均衡な構造こそが、今も多くの問題を生み出している。そう、決して等号が成り立たないものを相手に求めようとするのは、やっぱり無理なんだよ。
著者は本書で述べる。成熟するというのはなにかを獲得するのではなく、喪失を確認することであり、その空洞のなかに沸いてくる「悪」を引き受ける事であると。僕らはこのような問題を乗り越えて、成熟に辿り着くべきだろうか。それとも、その成熟が西欧的価値観である事を考え、成熟するのではなく別の道を考えるべきだろうか。いずれにせよ、戦後論から現代の家族論、果てはオタク論にまで射程を捉えた、読まれるべき一冊。 -
Posted by ブクログ
戦前から戦後、現代に至るまで各分野の知の巨人らが述べた良書である。
多様な著者の文学研究以外の物理学や法学、社会学など様々な研究で得られた知見と知のバトンを次世代に受け継ぐ本である。
興味があれば、中学生からでも読み始めている人は多いだろう。研究者とは「研究しない自由はない」と本著で述べている通り、全ての学問に対する研究に責任があると説く。第一線で活躍していた研究者の言葉を聞き、現代の価値観や様式、世界規模での情勢をその時の生きた時代の研究者へバトンは渡され、人類は発見と修正を繰り返しながら前に進んでいく。世界は広い、本著でも紹介されきれない研究者は山ほどいるだろう。そして、今生きる現代の次世代の優れた研究者も生まれ始めているだろう。この連鎖は昔も今も未来も変わらない。
研究ということを人類が放棄しない限り、未来永劫続くだろう。
本著は主に今研究している人とこれから研究者になろうとしている次世代への期待を込めた良書であり、知的発見と好奇心をくすぐられる内容となっている。研究という中だけでは留まらず社会貢献をしてその研究が生活に浸透したとき、誰かの心に知的好奇心に響いたとき、研究という知の結晶のバトンは繋がれていくのだ。 -
Posted by ブクログ
本書に掲載された最終講義について一言ずつ。
桑原武夫…仏文学者以上に隲蔵さんの子息、というイメージが強い。垣根を越えた研究という事では共同研究も論語の著作も同じなのかも知れない。
貝塚茂樹…大学者一族の一角、湯川秀樹は弟。東洋史学者の模範的な最終講義だと思う。
清水幾太郎…60年安保前後で言論が大きく変わった、という印象の人だが、コントに興味を持つ面白い講義だった。
遠山啓…存じ上げない方だったが、数学論がほんのちょっと分かった気がした。
芦原義信…ゲシュタルト心理学から都市空間を観るのは面白い。
家永三郎…教科書検定裁判の人、として子供の頃から名前は知っていた。大人になってから読んだ戦争責任は興味深かった。
猪木正道…独裁とは、その独裁を必要としないような状態を作る為の非常手段である、か。
梅棹忠夫…民博の父。関西のアカデミズムを代表する1人。
江頭淳…慶応と奥さんが大好きな人だったんだな、と思う。奥さんを亡くして生きる糧を見失ったのか。
木田元…ハイデガーがほんのちょっと分かった気がした。メルロ=ポンティという響きが何か好き。
加藤周一…在校生だったのに何故この最終講義の存在を知らなかったんだろう…
中嶋峰雄…この方も存じ上げなかった。文明の衝突論を批判しているが、ここに来て又衝突論の有用性が唱えられている。難しい。
日野原重明…おじいちゃんアイドル、というイメージが強すぎたが、後生に残る医学者なんだよな。
ジュンク堂書店大阪本店にて購入。 -
Posted by ブクログ
最近見た新聞の「書評欄」で紹介されていたので手にとってみました。
1960年代末ごろの講演録ですからかなり前のものです、しかしながら流石に江藤氏、小気味よい語り口で、なかなかに興味深い指摘が数多くありました。
本書の表題にもなっている「考えるよろこび」とのタイトルの講演では“ソクラテス”を取り上げて「フィロソフィア(知恵を愛する)」の姿勢の素晴らしさを語り、「二つのナショナリズム」をテーマにした講演では、“勝海舟”と“西郷隆盛”を対比させつつ、「国家理性」と「民族感情」について論じています。
採録されている6つの講演の中で語られるさまざまな氏の指摘やコメントは、半世紀近く経った現在においても見事に生き続けていますね。 -
Posted by ブクログ
-人は詩人や小説家になることができる。だが、いったい、批評家になるということはなにを意味するであろうか。あるいは、人はなにを代償として批評家になるのであろうか-
「江藤淳」という人は、私の中で、かぎかっこ付きでくくりたくなるような人。賢いのか間抜けなのか、弱いのか強いのか・・・判断できかねて・・・思考停止。かぎかっこでくくって一旦保留したい。でも、、、「バカ」がつくくらい、My Wayを貫き通した人なんだろうな。
批評家小林秀雄について論じているこの一冊は、冒頭の一文からガツンとくる。これは、同じ批評家である、江藤自身への問いでもあり、いいかえると「私って何?私って何を代償に存在していいの?」という究極の問いかけに思える。
応えとしては、何かに対して「批評」「評価を加える」ということは、自身の能力というより「存在」=「生命」そのものを賭して行うもの、ということ。
潔い。
私などがこの本に対してレビューをかくのはおこがましい。
人を指導する、少なからず影響を及ぼす立場にあるマネジメントの立場にある方々にご一読いただきたい、と思う。 -
Posted by ブクログ
「成熟と喪失」、この近代化と敗戦が日本人にもたらした家族観・価値観の転換を先駆的に描いた傑作においては「他者」そして「自由」論を前提として議論が進められていることを以下に示したい。
まず、次のような一文がある。
「母が「教育」と規律という「公式」の期待を強調すると、彼はそのかげで安心して女との関係のなかに際限のない「自由」を味わえる。」
これが表しているのは、「何からの自由」である。つまり、母の束縛が存在するからこそ、彼は自由という素晴らしい感覚を味わうことができているということができる。
また、次のような一文がある。
「「成熟」するとは、喪失感の空洞のなかに湧いて来るこの「悪」をひきうけることである。実はそこにしか母に拒まれ、母の崩壊を体験したものが「自由」を回復する道はない。」
子供が大人になること、成熟すること、それは自身を守ってくれていた母を喪失し、1人立つことであるが、別の言い方をすれば、自身を束縛していた母を喪失し、「何からの自由」の「何か」を失い、一旦は「不自由」になりつつも、母に拒まれ、或いは母を拒んだ自身に対して「罪悪感」という新たな束縛を与えることで、再度「自由」になるということである。
つまり、「成熟すること」=「再度自由になること」というのが本書の著者江藤淳の主張である。
江藤は本書で批評対象として小島信夫「抱擁家族」を引用しているが、江藤は抱擁家族の主人公、俊介が妻に母としての役割を求めようとするのを「血縁以外のものを血縁に同化させようとする衝動」と評し、よって彼の「自由」には「他人」がなく、グロテスクな「自由」と批評する。これも「何かからの自由」という前提の元では自明のことであり、つまり血縁しかないところ、「他者」なきところに「自由」は成立しないのであるし、また、これを求めつづける俊介はいつまでも「母」から卒業できず、「成熟」できていないのである。