冷泉彰彦のレビュー一覧
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2016年のアメリカ大統領選挙。政治経験がなく、政策を語らず、暴言を吐くだけの泡沫候補だったはずのトランプがまさかの勝利。世論もマスコミも実績のあるヒラリーの圧勝という予想で一致していたはず。なぜ、トランプは勝利したのか。
在米ジャーナリストである著者の取材による選挙ルポを読んでいると、世紀の大逆転ドラマはヒラリー側の油断にあったのだろう。トランプには勝って当たり前。ヒラリー陣営は勝つことよりも、勝ち方の鮮やかさに主眼を置き、楽勝気分が漂ってしまった。そのうえ、対抗者のバッシングに徹するトランプとその支持者の選挙戦術の同じ土俵に乗ってしまった。ヒラリーはあくまでも政策で勝負すべきだった。
選挙直前になって、ヒラリーのメール問題が再びむし返され、それがヒラリーの敗因だったというのはわかりやすい説明だが、本書を読む限り、ヒラリーは負けるべくして負けたとしか思えない。
勝負事は油断したほうが負ける、という当たり前のことを思い知ったのが、今回の大統領選挙だった。 -
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上から目線の現代
「上からだな」。
そんなことを言われたことが何度かある。
私自身は誠実に対応していたつもりだったが、受け取った側にとってはそうではなかったようだ。
こらえつつも、そういうあんたの方が「上から」じゃないか、そう感じたものだ。
そんなやり取りの中、一体「私」と「あなた」の間には何が起きているのだろうか。
著者はその理由を、会話のテンプレートの消滅にあるとしている。
今まではとりあえずの無難な会話で、良くも悪くも「流す」事をしていた。
それが価値観の応酬になってしまい、真っ正面からぶつかり合うようになってしまったというわけだ。
なるほど、確かにそれはあるだろう。
どうやって会話を進めたらいいかわからない、でも相手の言っていることは自分とは相容れない、相手が主張するのだから自分だって主張していいはずだ.....
それが互いに譲り合うことをしないものだから、双方何とも腹立たしい気分になる、というわけだ。
事はテンプレートの有無だけの単純な問題ではないだろうが、価値観を認め合う文化が創られる前に、多様な価値観だけが増大してしまったということだろうか。
著者が示す、何もかも対等であればいいというわけではない、この指摘は真っ当なものだ。
タテマエとしては、皆が平等で、誰も見下してはならないしその権利もない、ということになるのだろうが、それをやればやるほど人間関係がぎすぎすしたものになっていく。
私が私が!このやり過ぎはかえって不平等を生み出すのではないか?
「上から目線」に着目した点は斬新だ。
例示も多く読みやすい。
しかし、何もかも上から目線がもたらしたといってしまうのは、いささか乱暴な気がする。
多少同意できない点はあるものの、現代の人間関係を考察するものとしては面白い。 -
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ネタバレ社会学の中のコミュニケーション論という位置づけになるでしょうか。
僕たちの会話の中から生まれる、「上から目線」や「見下された」という感覚。
それらが感情的な紛糾を生むことを解き明かすような本です。
最終章では、では、どうやってその「上から目線」による
コミュニケーションのうまくいかなさを解消するかという処方箋が出されています。
「上から目線」と言われれば、尊大な態度でものを言う人を思い浮かべるのではないかと
思うのですが、もっとデリケートなところでも無意識的に上から目線を感じたりするようです。
たとえば、本書で書かれているところでは、平和主義を唱える人が、その正しさを信じるがゆえに
平和を強く訴えると、それを聴く人の中には平和主義者のその強い口調を上から目線だととらえて嫌悪し、
平和主義自体も嫌悪するといった具合のプロセスがあるそうです。
また、他の例では、野良ネコに餌をやるタイプの人たちと、野良ネコを駆除しようとする人たちの間でも、
お互いに上から目線を感じ合うがために、対立を深めていく構図が説明されています。
「上から目線」を軸にさまざまなディスコミュニケーション事象を見ていくと、
実にいろいろなケースが該当するんですよねぇ。もう日常茶飯事です。
趣味の世界でもなんでも、「上から目線」、具体的には
「(年季の入った私は)あなたとは違うんです」という目線が、関係に不協和音をうむ。
そして、コミュニケーションにおいては価値観論争というものが危険とされてました。
その危険とは相手から嫌悪される「上から目線」を感じさせる
断言口調を連発せずにはいられなくなる点にあるそうです。
そうですよねぇ、自分の価値観が正しいですから、さらに、
いきなり自分が善であり相手が悪でありという立場にしてしまいますし。
曲のソロのところになるとステージの中央に飛び出してくるギタリストのように、
みんながなってきたのかもしれないですね。自己を尊重するのはいいことだけれど、
自己を高みにのっけるくらいまで重くとらえるのはどうかと思うところです。
「誰にも汚されないわたし」なんてありえないからです。
きっと、経済的に豊かになって、IT革命が起きて、個性の尊重と育成が行われて、
個人の主人公感っていうものが強くなったためにこういう社会の流れになったんだと
僕は思います。
本書で取り上げられた「上から目線」と、以前このブログで紹介した
槙田雄司さんの『一億総ツッコミ時代』で取り上げられた「ツッコミ過剰」を
併せて考えてみると、今の多くの日本人の心性というものがみえてくるような気がします。
はーっ、面倒くさいもんですね、人との関係性のあり方と言うものは。
そうはいっても、それはそれ、もっと良くなるための過渡期の事象だと
とらえたいですね。 -
Posted by ブクログ
上から目線とは「現場、実態も分からないのに勝手なことを言う指導者」「分からない人に対して、偉そうにもの言う態度」に対する批判めいた言葉である。日本全体の空気が、この批判を恐れていると著者は言う。
政治の世界で、現与党の民主党を見てみると「小沢的 ビール箱演説の演出」 「鳩山的 ”国民の皆様方の・・・・・させて頂きます”口調」 確かに、視線を徹底的に下に下に落として批判を受けないようガードをしている。
しかし、そろそろその空気も終わるだろう。実行力の無いだけで、下から目線をしておけば間違いないだろう的な姿勢はスキャンダルこそ逃れるものの人気は上がらない。橋下市長に人気が集まるのように、実行力のある指導者であれば上から目線でも構わないという空気に変わりつつある。
日常生活では、「正社員- 非正社員」 、「一部上場ー非上場」、「出身大学の序列」 のような上下関係を匂わせるような発言はタブーとされると著者いう。 これは世の中の風潮以前の問題な気もするが、著者のいうことでもっともなのは、人との関係を会社名や役職、出身校等で判断する部分する下らなさをつぶやいていても非生産的であるという点。
人間の関係に上下関係ができるのは当たり前なのだから、まずは「すべての人が対等である」という精神的な意味での前提に立つ、その上で局面局面で必要な上下関係は生産的な行動を生む為にも必要である。 理解ある上司や、分かったふりの上っつらの人間関係では何も生み出さない。 -
Posted by ブクログ
人と人との間に生まれる見えない「空気」。日本独特のこの「空気」というものがなぜ生まれるのか、これが現代の日本人のリレーシップやコミュニケーションにどう影響し、されているのかを解説した本。
特に最近よく「KY」などという言葉が使われるけれど、日本人ほど空気という見えないものを人との関係であったりコミュニケーションをとることにおいて重要視している人種はないだろう。この空気の傾向がどう変化し、歪んでしまっているのか、現代のコミュニケーションについての課題に、色々な局面から分析しているのがとても興味深い。
ただし、ところどころに入る会話のサンプルが、実際に起きたものではなく、想定できるものが使われていることから、なんとなく現実味がなく、単に筆者がすでにもっている議論に持っていこうとしている、と感じる箇所がいくつかあった。
実際にあるものではなく、「空気」について議論するのは難しいとは思うけれど、もう少し実際の何かをベースに議論されていると、説得力があったのでは。