冷泉彰彦のレビュー一覧
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【目次】
・1. 2012年、問われた選挙戦
・2. 空振りに終わった「チェンジ」のメッセージ
・3. 医療保険改革の政治的プラスマイナス
・4. オバマの経済製作、その失敗の本質とは?
・5. ウォール街選挙デモという「オバマ離れ」の光景
・6. なぜオバマはビンラディンを殺したのか
・7. 「アラブの春」を巡り、揺れ動いたオバマ
・8. オバマ政権の「2期目」はどうなる?
【ノート】
・アメリカ大統領の任期中の功罪など、なかなか知る機会もないので、よかった。
・アメリカ国民の空気感描写については、現地にいるからこそなんだろうが、なるほどと思わせる箇所と、ちょっと不当な一般化と思わせる箇所が混在していた。 -
Posted by ブクログ
映画を通してアメリカ社会の変遷を考えるとのテーマでいいのかな?
1997年公開の「タイタニック」から、2017年公開の「ワンダー・
ウーマン」までを、それぞれの時代のアメリカの政治や世相に
照らし合わせて著者が解説をしている。
共和党と民主党の2大政党制が生きているアメリカ政治を理解していない
と分かり難い部分もあるかと感じたが、映画作品自体の解説はこじつけ
部分も含めてなかなか面白かった。
西部劇の流れを汲む分かりやすい「正義」から、アンチ・ヒーローを
主役に据えた作品、圧倒的なヒーロー礼賛ではなくその闇の部分を
描く作品と、ハリウッドも社会の変化と共に映画作品自体を変化させ
ている。
なんて小難しいことを考えながら見てはいないんだけどね、私は。
でも、著者が指摘しているように1998年公開の「マーシャル・ロー」
は9.11後のアメリカを予言したような作品であるというのには納得。
所詮、映画や本というのは絶対的な理解の仕方があるわけじゃないので、
著者の解説もひとつの映画の捉え方と考えるのがいいのかもしれない。
アメリカ在住の著者だけあって、各作品の公開時のアメリカ人の劇場
での反応は興味深かったな。政治的スタンスで作品に対しての討論が
その場で起きるなんて日本じゃきっとないもの。 -
Posted by ブクログ
2016年のアメリカ大統領選挙。政治経験がなく、政策を語らず、暴言を吐くだけの泡沫候補だったはずのトランプがまさかの勝利。世論もマスコミも実績のあるヒラリーの圧勝という予想で一致していたはず。なぜ、トランプは勝利したのか。
在米ジャーナリストである著者の取材による選挙ルポを読んでいると、世紀の大逆転ドラマはヒラリー側の油断にあったのだろう。トランプには勝って当たり前。ヒラリー陣営は勝つことよりも、勝ち方の鮮やかさに主眼を置き、楽勝気分が漂ってしまった。そのうえ、対抗者のバッシングに徹するトランプとその支持者の選挙戦術の同じ土俵に乗ってしまった。ヒラリーはあくまでも政策で勝負すべきだった。
選挙直前になって、ヒラリーのメール問題が再びむし返され、それがヒラリーの敗因だったというのはわかりやすい説明だが、本書を読む限り、ヒラリーは負けるべくして負けたとしか思えない。
勝負事は油断したほうが負ける、という当たり前のことを思い知ったのが、今回の大統領選挙だった。 -
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上から目線の現代
「上からだな」。
そんなことを言われたことが何度かある。
私自身は誠実に対応していたつもりだったが、受け取った側にとってはそうではなかったようだ。
こらえつつも、そういうあんたの方が「上から」じゃないか、そう感じたものだ。
そんなやり取りの中、一体「私」と「あなた」の間には何が起きているのだろうか。
著者はその理由を、会話のテンプレートの消滅にあるとしている。
今まではとりあえずの無難な会話で、良くも悪くも「流す」事をしていた。
それが価値観の応酬になってしまい、真っ正面からぶつかり合うようになってしまったというわけだ。
なるほど、確かにそれはあるだろう。
どうやって会話を進めたらいいかわからない、でも相手の言っていることは自分とは相容れない、相手が主張するのだから自分だって主張していいはずだ.....
それが互いに譲り合うことをしないものだから、双方何とも腹立たしい気分になる、というわけだ。
事はテンプレートの有無だけの単純な問題ではないだろうが、価値観を認め合う文化が創られる前に、多様な価値観だけが増大してしまったということだろうか。
著者が示す、何もかも対等であればいいというわけではない、この指摘は真っ当なものだ。
タテマエとしては、皆が平等で、誰も見下してはならないしその権利もない、ということになるのだろうが、それをやればやるほど人間関係がぎすぎすしたものになっていく。
私が私が!このやり過ぎはかえって不平等を生み出すのではないか?
「上から目線」に着目した点は斬新だ。
例示も多く読みやすい。
しかし、何もかも上から目線がもたらしたといってしまうのは、いささか乱暴な気がする。
多少同意できない点はあるものの、現代の人間関係を考察するものとしては面白い。 -
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ネタバレ社会学の中のコミュニケーション論という位置づけになるでしょうか。
僕たちの会話の中から生まれる、「上から目線」や「見下された」という感覚。
それらが感情的な紛糾を生むことを解き明かすような本です。
最終章では、では、どうやってその「上から目線」による
コミュニケーションのうまくいかなさを解消するかという処方箋が出されています。
「上から目線」と言われれば、尊大な態度でものを言う人を思い浮かべるのではないかと
思うのですが、もっとデリケートなところでも無意識的に上から目線を感じたりするようです。
たとえば、本書で書かれているところでは、平和主義を唱える人が、その正しさを信じるがゆえに
平和を強く訴えると、それを聴く人の中には平和主義者のその強い口調を上から目線だととらえて嫌悪し、
平和主義自体も嫌悪するといった具合のプロセスがあるそうです。
また、他の例では、野良ネコに餌をやるタイプの人たちと、野良ネコを駆除しようとする人たちの間でも、
お互いに上から目線を感じ合うがために、対立を深めていく構図が説明されています。
「上から目線」を軸にさまざまなディスコミュニケーション事象を見ていくと、
実にいろいろなケースが該当するんですよねぇ。もう日常茶飯事です。
趣味の世界でもなんでも、「上から目線」、具体的には
「(年季の入った私は)あなたとは違うんです」という目線が、関係に不協和音をうむ。
そして、コミュニケーションにおいては価値観論争というものが危険とされてました。
その危険とは相手から嫌悪される「上から目線」を感じさせる
断言口調を連発せずにはいられなくなる点にあるそうです。
そうですよねぇ、自分の価値観が正しいですから、さらに、
いきなり自分が善であり相手が悪でありという立場にしてしまいますし。
曲のソロのところになるとステージの中央に飛び出してくるギタリストのように、
みんながなってきたのかもしれないですね。自己を尊重するのはいいことだけれど、
自己を高みにのっけるくらいまで重くとらえるのはどうかと思うところです。
「誰にも汚されないわたし」なんてありえないからです。
きっと、経済的に豊かになって、IT革命が起きて、個性の尊重と育成が行われて、
個人の主人公感っていうものが強くなったためにこういう社会の流れになったんだと
僕は思います。
本書で取り上げられた「上から目線」と、以前このブログで紹介した
槙田雄司さんの『一億総ツッコミ時代』で取り上げられた「ツッコミ過剰」を
併せて考えてみると、今の多くの日本人の心性というものがみえてくるような気がします。
はーっ、面倒くさいもんですね、人との関係性のあり方と言うものは。
そうはいっても、それはそれ、もっと良くなるための過渡期の事象だと
とらえたいですね。 -
Posted by ブクログ
上から目線とは「現場、実態も分からないのに勝手なことを言う指導者」「分からない人に対して、偉そうにもの言う態度」に対する批判めいた言葉である。日本全体の空気が、この批判を恐れていると著者は言う。
政治の世界で、現与党の民主党を見てみると「小沢的 ビール箱演説の演出」 「鳩山的 ”国民の皆様方の・・・・・させて頂きます”口調」 確かに、視線を徹底的に下に下に落として批判を受けないようガードをしている。
しかし、そろそろその空気も終わるだろう。実行力の無いだけで、下から目線をしておけば間違いないだろう的な姿勢はスキャンダルこそ逃れるものの人気は上がらない。橋下市長に人気が集まるのように、実行力のある指導者であれば上から目線でも構わないという空気に変わりつつある。
日常生活では、「正社員- 非正社員」 、「一部上場ー非上場」、「出身大学の序列」 のような上下関係を匂わせるような発言はタブーとされると著者いう。 これは世の中の風潮以前の問題な気もするが、著者のいうことでもっともなのは、人との関係を会社名や役職、出身校等で判断する部分する下らなさをつぶやいていても非生産的であるという点。
人間の関係に上下関係ができるのは当たり前なのだから、まずは「すべての人が対等である」という精神的な意味での前提に立つ、その上で局面局面で必要な上下関係は生産的な行動を生む為にも必要である。 理解ある上司や、分かったふりの上っつらの人間関係では何も生み出さない。