荻原魚雷のレビュー一覧
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ネタバレ"八方ふさがりになっているのだから、余り大きなことを考えたり、志したりしない。自身の能力を超えた仕事を自惚れ強くも背負いこみ、自分がつぶれるのはかまわぬが、他人もひっぱりこんで他人をつぶしたり、傷けたりすることは御免だと思っているということである。そういう自惚れにおちいらぬように、これは自分に向って厳しくありたいと思っている。"
「参加しない」ことは、生きやすい世の中にするための一つの手段だと思うし、実際にそういうマインド(行動にできているかはわからない)で生きている。けれど、なぜ積極的に参加しないのだという世間や自分の声は気にしてしまうし、「参加しない」ことに固執して、 -
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【滝なんかエッサエッサと働いているようだが、眺めている分には一向変化がなく、つまり岩と岩の間から水をぶら下げているだけの話である。忙しそうに見えて、実にぼんやりと怠けているところに、言うに言われぬおもむきがある。私は滝になりたい】(文中より引用)
何もしないことの素晴らしさを説いた表題作品を含む短編小説集。何もしない、何もしたくない人間の目に映る社会の厳しさやおかしさを見事に捉えた一冊です。著者は、海軍体験を踏まえた『桜島』で注目を集めた梅崎春生。
なにかと心がささくれ立つニュースや出来事が多い毎日に効いてくる処方箋のような作品。肩の力をふっと抜くことのできるエッセイ調の小説の数々が、現代 -
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随筆と私小説で編まれた作品集。生き続けることが、書き続けることであった方なんだなと感じる作品世界。書けなくなる時期もあるのだけれど、周囲の家族や友人達の支援、本人の努力によって乗り越え、穏やかな老年に至る。「人間を信ずる」(p215)。「他人の批評で右往左往していたら何も出来ない」(p237)。「自分が感動したことを自分流に書く」(p250)。「今在るもののすべてと、できるだけ深く交わる」(p283)。閑な老人になるには、確固とした信念と努力の積み重ねが必要なのだな。編者の荻原魚雷の解説によると、1972年刊行の『閑な老人』とは三篇しか収録作が重ならないらしい。いずれオリジナル本も読んでみたい
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昭和17年の「防波堤」以外は1947(昭和22)年から1964(昭和39)年にかけて書かれた梅崎春生の、随筆/エッセイおよび、それが小説的形態を取った作品を収めたアンソロジー。
読んでいるとユーモアがあってなかなか笑える文章が多い。このような文章の雰囲気は、昔大好きでよく読んでいた北杜夫さんのエッセイにも通じるものがあり、やはり戦前戦時の日本文学の随筆とは違っていて、太平洋戦争から東京大空襲・敗戦を境として明らかに世代・文化の断裂が生じていたのだと改めて感じた。
ことに「猫と蟻と犬」にはとても笑った。
さて著者は一時期以来身体が弱く、また神経症なのか、やる気の出ず朝から晩まで横臥しつつ -
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心に効いてくる。
本質に怠惰な無気力な視線からついてくる。
今まで本を読んでいて初めての感覚で、
語彙が足りなくて今の感情をうまく表現できないのが悔しい。
やっぱり冒頭の詩で、ものすごく惹きつけられるなあ。
怠惰な視点で、日常の細かい出来事を鋭く突きながら語る、洞察力の鋭さ。
それをちゃんとユーモアで包んで言葉にしているからただの怠け者とは訳が違う。
人間のどうしようもない怠け癖を肯定していないようでしてくれているようで。
時代が古いからシチュエーションは違えど、、、
荻原魚雷いわく、筋金入りの傍観者。
怠惰な日々の中にも文学がある。
勇気づけられる本。 -
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ネタバレいい文章だなあ うまいなあ うまいこと落ちをつけるよねえ と感心しながら読んだエッセイ。
近頃ネットの情報満載の文章ばかり読んでいたため、このうえなく癒やされ心地よかった。
この人のエッセイは、つらつらとあちこち寄り道しながら思いつくまま書いているようでいて、実のところものすごく計算された構成になっている。
文章作法を研究したところで、常人はこんなふうに洒落た感じに主張をユーモアでカバーしながら書くはなれ技は無理だ、と思う。
もてたんだろうねえ
飲む打つ買う をどこまでも上品に嗜むタイプ
と文章からわかってしまう。
ミソジニーなだけでなく、今日なら差別的として校閲で直されそうな表現も -
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随筆+短編小説集。自身を怠惰だと自嘲しているものの、著者が生きていた時代背景を考えつつ本書を通読すると、怠惰であることが許されない世相を、必死の努力で怠惰に生きていた、ということがひしひしと感じられる。若い時には西欧の芸術に遊んでおきながら晩年に俳句や擬古文に耽る先人たちを嫌悪し、「私は日本人であることよりも、人間であることに喜びを感じたいのだ」(p99)と宣言する『哀頽からの脱出』、戦時中にも居酒屋の開店待ちをする行列が出来ていたことがわかる、当時の横寺町の名物酒場であったお店の客層の描写も楽しいルポ『飯塚酒場』、怠惰であることからの著者なりの決別の過程が描かれた『防波堤』が読み応えあり。
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文学を志しながらも無軌道な生活を送り、長男としての役割も果たさず親族とは絶縁状態になってしまった著者だったが、再婚を機に生活を立て直し、芥川賞受賞など作品も評価されてくる。しかし、終戦前後の長い病臥生活。
漸く回復してからの過去を振り返って思う妻や子どものこと、親や神主だった祖父のことなど。
また、生活の周りの自然を興味をもって眺め、淡々と文章に綴った「苔」や「閑な老人」。(残念ながら苔や木々、蛾や尺取虫、これらに関心を持って相手をしようとする境地には至っていない)
そして「狸の説」。関口良雄『昔日の客』で知った古本屋店主関口と、尾崎士郎や尾崎一雄たち文士の親密さが、本編にも良く表