畔柳和代のレビュー一覧
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孤児となった主人公メアリは、インドから伯父の住むイギリスへ行くことになる。
到着した屋敷には、主人や使用人が決して近づくことのない、閉ざされた花園があることを知る。
これまで感じたことのない好奇心が、メアリを花園へと導くのであった。
花園がなぜ閉ざされたのか?
夜中に屋敷に響く鳴き声はいったい?!
メアリともう一人の人物が、ある目的を達成するために、使用人たちに勘づかれないよう立ち回るシーンが面白かったです!
小公女の作者さんなので、身構えて読みましたが、話はスッキリとしており、穏やかな気持ちで読むことができました!
とてもおすすめです!! -
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お話は超ストレートハッピーエンド児童文学なのだけど、ぼったぼたに涙流して読んだ。自分は最近ずっとお腹の弱さに悩まされ振り回される人生を送っているけど、そんな自分を救ってくれるような言葉がたくさんあった。
「ぼくはよくなった!よくなった!なんだかーなんだか、何か叫びたいーお礼とか、喜びの言葉を!」
病は気からってことですよ。美しい自然の中で思いっきり息しようぜ!ってことなんですよ。そしたら魔法は起きるんですよ泣
そして思い出の明日海さん退団公演の作品は絶対これを元にしているなと、リンクする箇所がたくさんあってそれも胸いっぱいになった。
美しく純粋な光は塞ぎ込んで硬くなった心と身体を優しくほぐしてくれる。
ディコンとそのお姉さんとお母さんがとっても良かったなぁ。本当に最後の方には読んでいて魔法がかけられた気分になった。
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ネタバレ1911 年発行。『小公子』『小公女』などの児童文学で有名なイギリスの作家フランシス・ホジソン・バーネットが描いた不屈の名作。
イギリス領時代のインドで暴君じみたわがままな少女として育ったメアリは、十歳にして突然孤児となり、イギリスに住む叔父に引き取られる。全てを呪うように生きるメアリだったが、閉ざされた庭園の鍵と、生き物を愛する少年ディコンとの出会いをきっかけに、世界の素晴らしさを知っていく。従兄弟のコリンとの大人たちを驚かせる秘密の計画は、運命に導かれるように美しい魔法を巻き起こす。
メアリははじめ、どうしようもなく生意気な子どもだ。常に苛立ち大人を狼狽させるのだが、読んでいて楽しく何度も笑った。そんな生意気なメアリさまが可愛く思えるのは、不幸な身の上のせいだけではない。メアリさまは態度は悪いが人間は悪くない。あまりにも正直すぎるのだ。啖呵のセリフからしても頭の良いことはわかるし、自分の間違いも認めることができる。従兄弟のコリンの方がよほど重症である。
メアリが出会ったころのコリンは妄想に囚われていて悲観的で、読んでいるとメアリさまにつられてイライラしてくる。そのコリンも友人と共に世界の素晴らしさを学ぶようになり、自らの生きる力に気づくシーンはとても感動的で、すべての子どもたちを祝福しているようだ。コリンが文字通り一人歩きするまでがこの物語のクライマックスであり、父親との和睦まではエンドロールみたいなものである。幼い息子を亡くした経験のあるバーネットは、生きる気力を無くした子どもを救いたかったのではないか。あくまで子どものための物語に終始している。
十年間誰も入ったことのない、扉のない庭というアイデアが素晴らしい。心理的な面では箱庭療法なども想起させるが、単にアイデアが良いだけではない。
児童文学の王道パターンに「行きて帰りし物語」がある。現実世界でうまく生きられない子どもが異世界に迷い込み、冒険をするなかで自分のトラウマに打ち勝ち、現実世界に帰ってくる。剣と魔法の異世界ではないが「誰も入ったことのない庭」は子どもにとって同じくらい魅力的な場所だ。「行きて帰りし物語」の異世界は主人公に勇気と自信を呼び起こさせる装置である。
更に児童文学のもう一つのパターンとして英雄譚がある。主人公が運命によって旅立ち、師の導きで一人前となって、市民を困らせる大きな問題を解決することで英雄となる。本作もある意味、英雄譚である。両親の死によって旅立ち、ディコンという師をみつけ、コリンの問題を解決することで、ミセルスウェイト邸に平和が訪れるのである。家庭の問題を英雄譚の形式にしたところに、『秘密の花園』というアイデアの奥深さを感じた。
本作が古典となった今日でも、ここまで絶妙に構成された作品は少ないのではないだろうか。本作はキャラクターに魅力があるだけでなく、児童文学の構造をよく理解して創作されていて、物語の構成に無駄がなく、何度でも繰り返し読める強度がある。物語作りのひとつの教科書でもあり、不屈の名作という表現に何の誇張もない。
あまりにも”いぎいぎ”とした描写に、子どもの頃を思い出した人も多いだろう。私も昔、「秘密の公園」と呼んでいた他人の庭があった。今思えば花壇や井戸のポンプもあって、公園というには綺麗に手入れされ過ぎていたと思えるが、子どもの自分にはそんな広い庭があるとは知らなかったので公園だと思っていた。鉄格子でできた洋風の扉は、鍵が開いている時と閉まっている時があって、開いていれば勝手に入って手押しのポンプで水を汲んで遊んでいた。ある日、鍵が開いていたので後ろから来る兄に大きな声で「秘密の公園開いてるでー(ヨークシャー弁ならぬ関西弁)」と叫んだら、植え込みの影から笑顔のおじさんが出てきて「ここは公園じゃないよ」と教えてくれた。恥ずかしくて逃げ出したが、この世には公園のような庭があることを知った。
子どもには大人の目の届かない遊び場が必要で、その遊び場は大人たちが子どもたちのために残しておかなければならない。今では公園だけでなく山も川も全て管理しようとしていて、これでは子どもの感動を奪っているのではないかと思うが、それでも子どもは隙間を見つけて遊ぶのだ。大人はそれに手を貸してはならない。転ばないようにするのではなく、転んでも一人で立ち上がれるように大人は遠くから見守る。『秘密の花園』は大人の目線で読んでもやはり感動する。この作品は時代が変わっても変わらないテーマを魔法のように魅力的に描いていると思う。 -
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サリー的に。
「女性の」生き方という表現をすると、必要以上に区別すると感じるでしょうか。実は私もこどもを産むまではそう思っていました!でも、今では男性と女性には、かなり違う部分が多いことを認めています。差別を無くすために区別に目をつぶるのは愚かでした!女性の生き方について、示唆に富んだ話です。どうやって自分の幸せを探すのか考えさせられます。
私はさっそく夫にこの小説を読むように勧めました。もし理解できたなら、彼の世界はずっと視界良好になるでしょう。それ以上に私の娘たちに読んでもらう方がいいかもしれません。あの子たちがこれから飛び込んでいく世界だから。
あとがきを読んで作者の人生を知り、いたたまれない気持ちになりました。世界が明るいものだけで満たされていればいいのに。でも私は、小説のほうの幸せな読後感に浸りたいと思います。
ジョン・アンダーソンの詩が素敵でした。夫がこの本全体を理解できなくても、ここだけはわかってくれると思います!
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すごくよかった……
秘密の花園は子供の頃絵本で読んだ記憶があります。
蔦の絡まった扉にひっそりと鍵穴がついていて、特徴的な装飾の鍵で開けるっていうのにすごくときめきました。
内容は全然覚えてなかったんですが、コリンやディコンといった登場人物の名前は覚えていたので子供の頃の記憶は馬鹿に出来ないなと。
主人公のメアリが不器量で黄色い顔のすごく嫌な感じの子っていうのがよかった。
だいたい可愛くて素直な子が主人公じゃないですか(笑)
コリンも最初はガリガリでヒステリックで自己中だったけど、メアリと花園の力でどんどん変わっていきます。
2人とも甘やかされて育ったから単に性格が悪いというより注意してくれる人がいなかっただけなんですよね。
ディコンは天使みたいにいい子。
クレイブンさんの夢に奥さんが「花園よ!」って出てくるところがいい。
クレイブンさんには今までの10年を取り戻すべくコリンといっぱい話してほしい。
「魔法」の力で恐怖から解き放たれて幸せいっぱいなラストが素敵です。
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はらはらどきどきしないものを、本棚から探したら、なにこれめっちゃ面白い!!!!!
そういえばあしながおじさん、好きでした。
小公女も若草物語も秘密の花園も響かなかったけど、あしながおじさんだけ好き。とても好き。
この好みって人格に影響を及ぼしている気がする。
孤児院の経営に悪戦苦闘するサリーを応援したくなる。
人と人との対峙、以外のやつですね。
てゆうかジュディよりサリーの方が好きかも。
正直、あしながおじさんは途中で飽きちゃったのですが(好きとは。。。?)、
続のほうはもう終わらないでほしい、もっとサリーの活躍を見たい、これから楽しいことたくさんあるのに、という気持ちであっという間に読んでしまいました。
勇気があって怖いもの知らず、でも馬鹿じゃない。
素敵なことをどんどん思いついて行動に移して、優しくて思いやりがあってユーモアもある、こんな赤毛の女の子になってみたい。
たくさんけんかしてはしゃいで頭を捻って助け合って、ああ!素敵すぎて書ききれない。
にしても時代のせいか名前がださいよ!
もっとゼルダとかは20年くらい後か、サリンジャーは名前の付け方がかっこいい。ゾーイとか。
孤児院、ですね。何かできることがあれば行動したくなりました。
ソーシャルワーカーはそれはそれは大変だろうけれど、サリーが言うみたいにお休みの日だけ遊びに連れて行ってあげる、花嫁修行があるのなら、父親になるための教育だってあっていいはずだ、ってすごくいいと思う。
もちろん現代から見れば差別的だったり、お百姓さんの奥さんとして来てくれた人に子守を任せるのは図々しいというか契約違反では?とか思うことはあれど、
ある意味今より自由に行動して良い時代だったのかも。
だから夢中になれることに出会えるって最高。
ちなみにわたしのは角川文庫なのでこれではなくて、翻訳も町田日出子と村岡花子。
主に町田日出子が訳したらしいのでカタカナも多い。村岡花子はあんましカタカナ使わないような印象。
古すぎてバーコードもついていなかったのでこちらで登録。
新刊リストはシアーロック•ホウムズの冒険ですって。誰が訳したんでしょう。
普段読み終わった本は片っ端から売っぱらう、なんなら上巻だけでもというせっかちぶりなのですが、これは売らないで持っておこう。
たまにしか行かない古本屋は大人向けの文庫はとても少ないのに、あんまり品揃えが良いので読んでは保管用にしてしまう。
相性が良いのでしょうか。
今年は良い本にたくさん出会えているけれど、これがベストかもしれない。
相手に理想を押し付けられるとき。
ああ、この人は私自身のことは見ていないんだな、と思う。
逆も然り。なのにすぐ忘れてしまう。
肝に銘じておこう。 -
Posted by ブクログ
主人公のセーラ・クルーは環境の変化により、自分の立場や身なりが
異なるものになっても『心』までをそれに染められず、
気品と気高さを無くさず振る舞う、精神力の強さを印象づけます。
逆にセーラの周囲のキャラクターは、子どもはともかく、
大人まで自分の態度をブレブレで変化させる不安定さで、
俗世の人々の移ろいやすい心との対比がなされています。
相手の立場によって態度を変えることの卑しさは、作品を通して
俯瞰的に見れば良くないこととして映りますが、
自分たち一般人も無意識のうちに同じことをしていないでしょうか?
立場の弱い相手に対して高圧的に振る舞う姿も、
お金持ちのワガママにおべっかを使う姿も、
ここで描かれている醜い人間模様となんら変わりはありません。
小公女の存在を高めているのは、必ずしもお金などの財産を
持つからではなく、立場の弱い使用人や、今日食べるものにも
困る乞食に対しても態度を変えず、使用人としての忙しい生活の中でも
勉学に勤しみ、自らを高めようとする小公女としての心を持つ者としての
振る舞いがあってこそ、そこに自然と幸運が集まってくる。
ここが作者様のメッセージなのだと思います。
仮にセーラが作中でインドの紳士と会えない未来があったとしても、
彼女はミンチン女学院の枠におさまるだけでなく、
必ずなにがしかの成功をおさめることでしょう。
小金持ちの成金を夢見るのもいいですが、どうせ生きるなら
すこしでも小公女の心を宿してみたいものですね。