大沢章子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ『ザ・シークレット』や『こうして思考は現実になる』を読んできて、潜在意識の存在を信じていたけど、
今一度じっくり取り組んでみようと思って手に取ってみた。
他のスピリチュアル本と異なっていると思ったのは、
他の本は大抵、『イメージング、アファメーションすれば潜在意識が叶えてくれる』とだけ書いてあったものが、
”なぜそうなのか”というところを言及していたところ。
意識=CPU
潜在意識=ハードディスク
というわかりやすい図式。
要するに、意識という処理機能を介して、潜在意識という記憶媒体に記録していく。潜在意識は、それが現実なのか創作なのかの判断はつかない。
だから、意識という処理機能をうまくコントロールすることがとても大事。
アファメーションの目的は、私たちの行動に変化を起こすこと。
私たちは、潜在意識というハードディスクに保存されたデータから情報を掘り出し、行動や意志決定する。
だから、起こしたい出来事を逐次ハードディスクに保存しておくことで、呼び覚ますことができる。
つまりだ。イメージングやアファメーションがうまくいかない時は、意識の使い方が間違っているということ。
じゃあどう使えば、というステップはこの本に書いてある。
ただステップ通りにやっても、意識がただしく思考していたかはまた別の問題で。
それは、自分でなんども試して、うまくいくパターンとそうでないパターンを試行してみることだ、というのが、私の結論です。 -
Posted by ブクログ
すべての思考は原因であり、すべての出来事は結果である。
本当は何を望んでいるのか、心を見つめ直す。
心の声=心のおしゃべりの中に望んでいるものがある。これをアファーメーションで変える。
希望する、ではなく期待する。
昼間学習したことをしっかり睡眠をとることで、身につく。
まず習慣を作る。そして、習慣が人を作る。繰り返し練習する。意識しなくてもできるようになるまで。
良い習慣を取り入れ、悪い習慣をやめる。
顕在意識、潜在意識、超意識=ユングの集合的無意識=創造的な源
アファーメーション=自己暗示
真実でなくても、真実と受け止めれば真実になる。
アファーメーションの目的は、行動に変化を起こすこと。
アファーメーションはひとつにつき10~15秒程度で、3~5回は繰り返すこと。
一度に行うアファーメーションは15個以内。
朝起きてすぐと夜眠る前に行う。
習慣になると、行わないと損をした気がするようになる。
アファーメーションの言葉ではなく、その言葉が生み出す光景=イメージを体験する。
ジュウタンの上でスキーが上達する。実際に滑る体験をする。
なんであれ、明確にイメージして潜在意識に刻みつければ、現実のものになる。
自尊心が高い人=私はできる、自分が大切、同じように他人も大切、心の声を大切にする
超意識からの語りかけに耳を澄ます。完全な回答が得られる。作曲、小説、などの創作が超意識からながれてくる。
超意識は、前向きな意欲を持っているときだけ、無限のエネルギーを提供する。
意識的な心がその問題にとらわれている限り、超意識は働かない。問題を超意識に委ねる。
失敗の原因は自信のなさと頑張りすぎ=頑張ると不安感が支配して、自滅的な結果になりやすい。願いと想像を調和させる。
富は常にある。量が決まっているものではない。ライバルが富むことを賞賛する。嫉妬は富を遠ざける。
潜在意識は他人を区別しない。しなことは返る=返報性の法則が働く
人間の感情には、愛と不安の2つしかない。人の行動はすべてこのどちらかから発している。どちらを選ぶかは自由である。不安は怒りの原因でもある。不安→恐れ→怒り、の順。
自分の意識が現実を作っている。
悟り、とはこうなりたいという自分にすでになっていることを気づくこと。 -
Posted by ブクログ
ホロコーストでは600万もの犠牲者が出たとされる。他に“社会不適合者”の安楽死断種もあった。「二度と起こさないために全てを記録しておかないとならない」
第一次大戦に彼の父も愛国心で勇敢に戦ったが、「ユダヤ人が裏切られて負けたのだ」キャンペーンには無価値だった。公職追放、商店ボイコット、自転車禁止、ダビデの星表示強制、小さな抵抗に「クリスタルの夜」全土で打ち壊し暴行→ヒトラーは「全責任は私にある」と声明してかえって名を揚げた。
まず目につかない場所に移住させ(彼等の家族はポーランド)後日絶滅収容所に集団連行。家畜のように識別入れ墨して。ポーランドのユダヤ人のなかで彼はドイツ語ができたから選別で生き残れた。軍用馬育成係に徴用されたが任務は過酷だった。彼等の前の飼育員は?(おそらく最終処分)
彼等は知らなかったがノルマンディ上陸作戦成功以降、連合軍が迫っていて証拠隠滅が企てられ数千人のうち、生き残れたのは数十人。初期の収容所解放では、飢餓者にいきなり好きなだけ食べさせて急死が多かった… -
Posted by ブクログ
ケルンで両親と平穏な日々を過ごしていた著者は、1941年12歳の時にゲットーへと移送される。父親は過酷な労働で命を落とす。その後、母親と移送されたアウシュビッツで、母親はガス室へ送られ一人取り残される。いくつかの収容所を移送されながらも、少年なりの知恵を働かせ連合軍による解放の日まで生き延びる。その後、米国にいたおじ夫婦の養子となり米国で検眼士となり、2019年に90歳で亡くなった。
二度と戻らないと誓ったドイツ・ケルンに、ケルンからゲットーへ移送された数少ない生存者として70周年の式典に参加する。その式典で、現代を生きるドイツ人が祖先の行なった蛮行を知り許してはならないことは大事だが「祖先の罪を、その息子や娘たちが背負うべきではない」とスピーチしたことに感動した。