富山和子のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
私の両親までは専業農家で田舎の実家には先祖代々の山林や土地があります。私は一人っ子で農業はせず、隣の県の都市部に住んで会社勤めをしています。
父から山の敷地や土地について場所を言われても、到底一回行くぐらいでは覚えられるものではなく、車でも入れない雑木林に覆われている多くの場所を、どのようにしていけばよいか途方に暮れていました。いっそのこと断捨離や売却などして手放すべきか、私の子どもの代に渡すことになれば固定資産税や管理などの大変さに“負の遺産”になるんじゃないかとさえ思いあぐねていた時にこの本を読みました。
命のためには水が、水のためには土が、土のためには森林が、必要な事を知りました。これまで父母やおじいちゃんおばあちゃん、そのまたおじいちゃんおばあちゃんとご先祖様が木を植えたり草を抜いたり毎日朝から晩まで畑や山へ行っていたその営みの偉大さとありがたさを知りました。
今、近くにはメガソーラー建設中で一帯の森林が伐採された山もある中で、
この本を読んで私は自分の生きている限りは実家の山林と土地を保持し続けることによって、例え手入れすることは難しいとしても、親やご先祖様が植えたり育ててくれた森林を守る(というのは大きく言い過ぎかも知れないけど)ことや、少なくとも伐採などはせずおいておく・そのままにしておくことはできるんじゃないか、それを通じて少しでも環境問題や水と川と命を守る一端になれるかもしれないということをこの本を読んで思いました。 -
購入済み
日本人は川とどう生きてきたか
1980年に発売された本。
主に中世から昭和の終わりまでの人々がどのように川と向き合って、時に生きる糧として利用しながら、時に生活を奪われ闘いながら生きてきたかを知ることができる。
川とうまく付き合ってきた山や農村の文化や産業、生活がいかに都市の論理だけで破壊されてきたか。
この本の発売から約40年。その間、都市に奪われるばかりだった川は一体どうなったんだろう。今でも山の民は奪われる一方なのだろうか。
土壌で水の汚染を浄化する方法。今はどうなっているのか。
その後の40年の「水の文化史」を知りたくなった。
-
Posted by ブクログ
淀川、利根川、木曽川、筑後川の流域の文化を通じて、日本古来からの水と緑と土によるなりわいを考察する。日本文化に関する名著の一冊と言っても過言ではないだろう。
日本人の文化について水というしてんを通じて紹介し、環境問題について警鐘を鳴らした一冊。昭和55年の作品。
文化史と名乗るだけあって奥行きが非常に深い。淀川については上流の琵琶湖、そして日本海文化の京都への影響まで。今は死語と化した裏日本という言葉とは逆の豊かな日本海側の土地。
利根川では治水、木曽川では林業、筑後川では上流から下流まで無駄なく水を使い続ける文化について。
それらの水文化が、都市化や効率化などによりなくなりつつある姿、昭和55年当時の貴重な記録である。恐らくさらにその後40年経った今では、日本の国土はさらに危機的状況にあることだろう。
進歩史観というか、人は過去よりも高度な文化を築いてように考えがちだが、実は過去の方が高度な文化を持っていたことを本書は教えてくれる。
「日本文化史の名著」のようなカテゴリーがあれば間違いなく本書もエントリーされることだろう。 -
Posted by ブクログ
自然界の「分業化」に警鐘を鳴らした日本環境論の古典。本書は1990年の時点で28版を重ね(初版は1974年)、2010年には新版が出るなど、長年にわたって読み継がれてきた本である。
著者の主張を要約すると、本来は水(河川)と緑(森林)と土(土壌)は一体のものであり、長い年月をかけて相互補完的な関係を築き上げてきたという。しかし、高度成長期の都市開発が、自然界を「分業化」させてしまい、その結果、より多くの環境問題を引き起こすことになった。例えば、治水事業として各地に築かれた「堤防」は、水と緑・土の繋がりを断ち切ってしまったため、これまで森林や土壌が吸収していた水や土砂が全て河川に閉じ込められ、より大規模な水害を引き起こすことになったと著者は批判する。また、ようやく取り組まれ始めた自然保護政策も、その「分業化」を前提にしている点では変わらず、効果は限定的であるとも述べている。
本書は、こうした都市開発による自然破壊をただ糾弾するのではなく、そうした開発を是とする人々の「思想」にまで遡って分析を行っている点が興味深い。現代の日本が抱える環境問題の”原点”を学ぶ上で、非常に参考になる一冊である。