大内兵衛のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
共産主義者はすべての社会秩序を暴力的に転覆することで、その目的を達成しよう。支配階級を共産主義革命の前に戦慄させよう。労働者はこの革命によって鉄の鎖のほかに失うものはない。労働者が得るものは全世界。各国の労働者は団結しよう。労働者階級の解放は労働者自身で達成するべき。マルクス&エンゲルス『共産党宣言』1848
暴力による革命ではなく、議会を通じて言論で社会主義を目指すべき。エドゥアルト・ベルンシュタイン『社会主義の問題』1896
デモクラシーは腐敗した少数者の政治にとって代わった無能な多数者による政治である▼自由は責任を意味する。そのため、たいていの人間は自由を怖れる▼人生には二つの悲劇がある。一つは願望が達成されないこと。もう一つはそれが達成されることである。バーナード・ショウ『革命主義者のための格言』1903
※フェビアン協会(後の労働党)を創設。
鳥の歌声がいつも同じ調子にしか聞こえてこないというのは、無頓着な人間の粗雑な耳だけのことです。ローザ・ルクセンブルク『獄中からの手紙』
※スパルタクス団1916、ドイツ共産党を組織1918。ポーランド人。女性。
社会主義はすべての人類に文明を行き渡らせようと欲するものである。資本主義下では、文明は少数の特権階級の独占物である。カール・リープクネヒト。演説
国家はブルジョアがプロレタリアートを支配するための道具。国家がある限り、自由はない。国家の消滅が自由を打ち立てる。議会による漸進的な改良を目指す社会民主主義けしからん。今すぐ国家を廃止しようとする無政府主義者もけしからん(階級支配がなくなれば国家は死滅に向かう)。ウラジーミル・レーニン『国家と革命』1917
銃殺隊のいない革命など意味はない。流血の上に新しい社会システムを構築する。レーニン
共産主義の急進派は現実の客観的な状勢を無視し、公式通りに行動することで、誤ったり行きすぎたりする。ウラジーミル・レーニン『左翼小児病』1920
労働組合の運動は労働者の悲惨な労働環境を改善するためのもので、いかなる政治体制とも両立できる。シドニー・ウェッブ&ベアトリス・ウェッブ『産業民主制論』1927
※フェビアン協会(後の労働党)を創設。
企業の所有と経営が分離されるに伴い、企業者の機能の一部が職員層に委譲された。これにより労働者層とは区別されるホワイトカラー層が生まれた。マルクスが想定した労働者層の結束は弱まった。クローナ―『ホワイトカラーの社会学』1962
資本主義が成長すると、会社の所有(創業一族)と経営は分離されていく。大会社の社長はサラリーマンのトップにすぎなくなる。ホワイトカラー労働者が増え、炭鉱などで集団で働く労働者たちは減り、彼ら貧しい労働者の団結力は影を潜める。普通選挙で政治は平等になり、福祉で貧しい労働者は救済される。労働組合や労使交渉の法整備が進み、階級闘争は暴力性を失う。ラルフ・ダーレンドルフ『産業社会における階級および階級闘争』1964
グローバリゼーションと市場重視の(ネオリベラルな)政策により、貧富の差が拡大している。政治家は大企業を優遇。貧しい人は政治に不信感を覚え、投票にも来ない。コリン・クラウチCrouch『ポストデモクラシー』2000 -
Posted by ブクログ
今日までのあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である。ブルジョア(雇用者)と労働者階級。社会は革命によって古い階級を新しいものに置き換えただけ。
ブルジョア階級は支配を握るに至ったところでは、封建的な、家父長的な、牧歌的な一切の関係を破壊した。彼らは人間を血の繋がったその長上者に結びつけていた色とりどりの封建的絆を容赦なく破壊し、人間と人間の間にむき出しの利害以外の絆を残さなかった。彼らは人間の価値を交換価値に変えてしまい、自由を良心をもたない商業の自由と取り替えてしまった。(あ。想定敵は資本主義)ブルジョワ階級は家族関係からその感動的な鑑賞のベールを取り払って、それを金銭関係に変えてしまっt。産業の土台から民族的な土台を切り崩した。瀬さん道具(技術)の改良と交通の発達によってどんな未開民族をも文明の中に引き入れる。農村を都市の支配に屈服させた。
プロレタリアの運動は多数者の利益のための多数者の独立運動。ブルジョアの所有の廃棄。ブルジョアの家族は私的営利に基礎をおいている。家族喪失と公娼制度がそれを補う。
ものすごいブルジョア批判されているけど実際は社会主義を唱えている人も、ここで批判されているのと同じようなことをやってると思う。むしろそっちの方が多いかな。 -
ネタバレ
これではネオリベに対抗不可
読了、個人的に色々おかしいと思う箇所があった。
まず、公認の婦人の共有って何でしょう?物扱いの共有財産ってことですか?女には人格(内面)ありません認めませんという前提?
それと、全生産を結合して個人の手に集中されると公的権力は政治的性格を失うという文もあって、驚きました。これではいつか階級内に新たな独裁者を生み出すだけでしょう。人の心は制御できません。
意見は共有できたとしても、個々の内面&身体は共有できないし、個人の立場は一つではありません。これを無視すれば机上の空論です。
人は制御可能な規格品ではないのです。