波多野理彩子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ・人の心は読めない
・むしろ、ある程度読めてると思ってるのはことごとく間違ってる
・なんなら、自分自身の認識についても、わりと間違ってる
・相手のことも、自分のことも、人に聞くしか理解への道はない
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・人がある選択をした理由を、それは"電気パルスと神経伝達物質と樹状細胞の複雑な連鎖反応"・・・ではあるものの、いちいちそうとは考えず、相手の心や考えを推し量る能力によって理解、判断する。人の脳が持つ能力である。
→ただ、完璧に使いこなせてるのか?
・相手の心を読み取ったり、相手に好かれてるのか嫌われてるのかを予測したりすることは、ほとんど間違ってる(自分の想像と、相手の考えは大抵ズレている)ことが統計的に証明されている。
→洞察力があるなんて、ただの幻想。
・自分についても、人は無理解である。自分の考えや思想に対して、実際の行動はえてして矛盾する。やろうと思っててもできないし。自分は人に見られてると思い込むし。
・人は自分の存在に肯定的なイメージを持っているため、自分は実際よりもイケてると思い込むし(自分の画像に対して、よりイケメンな5段階の画像とよりブサイクな5段階の画像を並べて"本当の自分を選べ"とすると、よりイケメンな画像を選ぶ)。
→人は自分の頭の中で起きていることの一部しか認識できない(大半は無意識下で処理される)ので、自分のことを完璧には理解できない。「自分自身が赤の他人」
・内省でも足りない。物語を作り出しているだけ。無意識下の思考や反応で見落としていることはたくさんある。
→自分の思考を説明する時も他人の考えを察する時の能力を使っている。
・自分のことはよくわかっているという幻想により、「他人より自分の考えのほうが優れてる、正しい」という思い込みを生む。
→「自分は思ってるほど賢くないし正しくない。逆に、他人も自分が思ってるほど間違ってない」、と知ることで、謙虚になり、他人を許せるようになるべし。
・自分と心理的・身体的・思考的に離れた存在、異なる存在、劣った存在と思ってる程、または相手の心に無関心な程、その相手に第六感(想像力)が働かず、「心がない存在」、「知性のない存在」と誤認してしまう。
→相手にも自分と同じ「心」があり、自分と同じように能力や経験を持っていると心に留めるべし。
そのためには、同じことを見たり聞いたり考えたりして関心を共有し、相手の関心の矛先を知ること。それにより、視線や表情や動きがシンクロし、心・感情も一体化することが大事(それでも相手のことを理解するのは難しいのだが)。
└仕事上で、従業員は金のために働いているのではなく(そういう面もあるだろうが)、自分と同じくいろんな理由が混在しており、よい仕事をしたいという思いもあるとみなせるかとうか、など。
・人間は、他者を通して存在する(アフリカのウブントゥという言い伝え)
・人以外(ハリケーンや車や為替の値動きやペットやぬいぐるみなど)が予測不能な動きをしたり人に似てたりすると、意志がある人のように思えてしまう。
→それらに「心がある」と感じるプロセスは、他人に心があると認めるプロセスと同じ。
・人は自己中心性バイアスを持っている(簡単には克服できない)
└起こりやすい出来事に対しては、他人より自分に起こる可能性が高いと思ってるし、起こりにくい出来事は自分のほうが経験可能性が低いと、心の中では思ってる(口に出すことと心の中は往々にして異なってたりする)
└幸福度や喜怒哀楽や恐怖・ショックなどの感情面についても、人より自分のほうがより享受してると考える
→人は自分の経験や感情についてはよくわかるが、他人のについてはよくわからない。だからといって自分が他の人より良い状態なわけないのに。
└仕事や家庭内の貢献度に対しても、自分が思う自身の貢献度よりも他人が感じてるその人の貢献度の方が低くなる。
└人は思ってるほど自分に注目してないし、気にしてないし、見てたとしても記憶に残りづらい。だから、失敗しても想像以上に大目に見てくれる(気にしてないから深刻に捉えてない)し、覚えてない。逆に、見てくれてる人は関係性がある人なので、それはそれで大目に見てくれる。
・他人も自分と同じように世界を見ていると思い込んでしまう。自分の見方は自分だけのものなのに。(簡単には克服できない)
└それは、自分の信念、考えだけでなく、知識も影響する。
└知識を持ってなかった時のことが想像できなくなるのは典型例。
└自分が必要だと思うものは他人にも必要と思ってしまう←マーケティングでハマる罠
└他人から見た自分の印象を知るには、自分が自分を見る視点を完全に捨て去る必要がある。昔の自分や細かい印象などは全く目に留まらず、簡単にわかる一般的な視点での印象部分で判断される
└メールはニュアンスが伝わらないため、その文章の真意は全く伝わらない(統計的に、当てずっぽうと同じ確率でしか伝わらないとのこと)
└神や国民などの抽象的概念を話す時は大抵、自分の考えに基づいて話してしまっている。神=自分になってしまう。
・ステレオタイプ(自らの見聞き、経験、思考、意見などをもとに判断されたもの、印象。ある集団の自分なりの特徴、イメージ、平均像。)は、ある程度は正しい。ただし、完全に正しかったり間違ってたりすることは、まずない。(凄い野球選手でも、ヒットもあれば凡退もあるように)
└相手の心を単純化してしまう。本当は相手も自分と同じく、複雑なのに。
└情報が足りてなかったり、世の中的な常識や定義に引っ張られてしまったり。
└また、ステレオタイプによって理由まで推測してしまうと、ほとんどの場合間違えてる。
└また、ステレオタイプによって、自分の思い込みを自ら助長してしまうと、その方向に結果も出る(女性の方が共感力があり、自分は男性だから...と思ってると、実際に共感力が身につかない、など)
└相手の行動や、自分が見た範囲だけから判断すると、大抵読み間違える。ただ、見えたものからステレオタイプを作ってしまうのが人の脳なので、少なくともそれを知った上で「誤らない」ことを気をつけるべし。
・人の考えや感情は顔に出ないわけではないが、正しく読み取るのはほぼ不可能(統計的にも。)
・相手の意見、意志、考えは、相手に直接聞くしかない。相手をより理解するには、対話をする必要がある。
・相手の本心を言わないのは、恐怖心や不安感を持ってる時。本心を引き出すには、「親しい関係を築き、怒ったり罰や不利益を与えたりしないという信頼感を得ること」以外にない。
・相手の言うことを(ステレオタイプや自己中心性バイアスによって)誤解しないためには、自分が正しく理解できてるかどうかを確認する。つまり、自分の言葉にして伝え、確認する。
※その他
・人は、0.05秒の間に相手を判断する
・交渉術→論争・議論を解決する秘訣は、相手の関心は自分と正反対ではなく、自分の想像以上に重なってるかもしれないと認識すること。互いの関心事を包み隠さず述べて共通点を見つけ出し、互いに最大限の利益を得られるような解決法を編み出すこと。
・老化→老人を「賢い、思慮深い」など肯定的に捉えていると、自分が老人になった時にもそうなれる確率が高くなるらしい。しかも、精神的にだけでなく、身体的(病気になる確率が小さくなるとか)にも好影響になるらしい。
・行動経済学→相手の行動を変える効果的な方法は、その相手の思考ではなく、相手の置かれた状況を変えて、相手が既に望んでいることを実行しやすくすること。
・太らないためには→自分の意志を過信せず、家に食べ物を置かないことと。皿を小さくすること。(皿が大きくなくても、盛られたものを全部食べると満腹感は得られるらしい)
・意見を言う時→相手が聞きたいこと、相手がしてほしいことを話す必要がある。 -
Posted by ブクログ
先日、市川崑監督の『野火』と合わせてダルトン・トランボ監督の『ジョニーは戦場へ行った』が4Kリバイバル上映が行われており行ってきた。
映画は昔、DVDで観たときよりも遥かに画質が良く感じるレストアがされていて驚いた。そしていつの間にか小説も新訳が角川の新書判で出ており、このタイミングで改めて手に取ってみることに。
旧版はもう読んだという記憶くらいしか残っていないため比較は出来ない。だが自分の記憶では大分読みにくかった覚えがある。それに比べるとこの新訳はだいぶ読みやすくなっていた。
この箇所は全然覚えてなかったのだが、2つの章のどちらも終わりに近づくに連れてジョニーの内面がどんどん先鋭化して平和を求める声が激しくなっていく。その筆致がどんどんと心を揺さぶり胸を打つ箇所で、どちらの章も最後の数ページは何度も読み直したいほど良かった。
この数年で世界で再び戦争の足音が聞こえ始めるようになった。そんな時期にこの名作は改めて戦争の悲惨さと平和への希求を切に訴える。
今読んでもこんなに古びない、いや今の世界情勢だからこそ、より深く心に残る作品だと感じた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ読み始めたのは、8月の戦争特集としてこの映画版が上映されるけど、映像として2時間近く見切る肝がないと思って文章ならまだいいかと判断したからだった。
でも結局のところ、この原作は文章だからこその精巧さと訴求力の高さがある気がした。反戦と一口に言っても、ジョニーのような近代戦の犠牲者にローマ帝国から語らせる。人が人を虐げるということ。
皮肉や風刺だけでない肉薄ぶりの背景には、赤狩りの只中を意志を曲げずに生きたトランボ自身の屈強さもある。これが映画化された時はさらにベトナム戦争の最中で、このジョニーの生々しい叫びはまさにリアルだっただろう。
パレスチナ戦線での飢餓を強いる悲惨さを目の当たりにしている今また、その生々しさは血肉を伴ってきている。
映画版の予告のコメントに最近、「こんなことは流石にない」「思考実験だ」という声があった。しかし、トランボによればジョニーには実在のモデルがいる。その兵士はジョニーと全く同じ身障を負い15年間生きたという。
そういう悲惨がフィクションだと思われる世の中で、ジョニーの結末が怖いほどリアリティーを帯びてくる。
「生ける屍」つまり生き残ったものでなく戦地で死に声を持たなかったものたちのほうの代弁者であるジョニーの捨て身の発言。
医学の脅威として重宝されるかと思いきや、迷うことなく彼の口は塞がれてしまう。
この結末はあまりに重いけどリアルだ。
現在では戦地の現実が目に見えてすらフェイクニュースだと思いたがる。
そんな現実にジョニーの顛末が重なりすぎてあまりに悲しい。 -
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ズデンドルフ『現実を生きるサル 空想を語るヒト』(白揚社)のいわば続編。
著者のSuddendorfはドイツ出身、修士課程までドイツ。そのため前著では著者名がズデンドルフになっていた。今回の本書では、英語圏(NZ&AU)での生活も長くなったため、英語風にスーデンドルフ。著者名で混乱する人もいるかもしれない。なお、共著者の2人は彼の教え子。
前半では、未来を思い描くというヒトの能力にスポットをあてる。出来事を詳細に記憶する能力(episodic memory)は未来に対しても用いられる。この能力こそが期待や予測をもたらし、時間の計測をもたらし、ヒト特有の旅や移動をもたらした。後半では、その延長線上で、暦や計時の装置、旅の道具、未来予測が扱われている。
心理学の本としては、後半の話題に飛ぶまえに、ワンクッション、身近な話題に触れた章があったほうがよかったかもしれない。たとえば、希望や不安、投機やギャンブル、囲碁や将棋やスポーツ、来世や宗教、神話や物語、天気や地震の予測……。その章があれば、さらにふくらみのある本になったかも。 -
Posted by ブクログ
終戦80周年企画として、映画版の本作が4Kリバイバル上映されることになり興味が湧いたので映画を観る前に原作である小説の方も目を通しておこうと思い、この本を手に取りました。
すでに映画版も観てからの投稿になるのですが、小説版でしか感じ取れない底のない恐怖がこの本にはあったと思います。
「意識のある戦死体」というトリッキーな設定により、本来話すことの出来ない死人からの叫びを用いた反戦メッセージの主張を実現させることによって死へのリアルな恐怖と生にたいする渇望が読者にのしかかってくるようなインパクトがありました。
四肢断裂かつ触覚以外の感覚器官を失ったジョーはいま現実を見てるのか?思い出に耽っているのか?悪夢にうなされているか?
ジョーの意識がぐちゃぐちゃになっていく表現はさすがハリウッド脚本家のダルトン・トランボであり本書の秀逸さを感じます。
本作で主張される反戦メッセージからは愛国者による戦争プロパガンダや魂の不滅性を謳うキリスト教への強い批判が読み取れますが、同時に国家問題と個人問題のジレンマも考えさせられ、国と人との関係性に生じる矛盾について向き合う必要があると思いました。
体のほとんどを失い、意識が混濁しながらも懸命に生きようとするジョーが行き着く先は一体どこなのか?
非常に重い内容ではありますが、人として生きることの大切さをもう一度考えさせられる素晴らしい本でした。 -
Posted by ブクログ
ネタバレアポロ計画。マーケティング的に見ることでその理解度が増した気がする。
様々なプロが協働してことをなしていた時代。なんて贅沢なそしてレベルが高かったのかを思い知らされた。
アポロ計画の時代の技術。今あるものはほとんどあった。しかし全てがアナログ。機械式時計。プレスキットは当然紙製。ミッションは経過時間で管理されるが、それと実時間の変換ができる紙製の道具。今ならスマホアプリというところだろう。
テレビの生中継は何とかできていた。問題は録画だろう。生放送にこだわっているのは、録画がままならないから。今残っている映像は、テレビ画面をフイルムで撮影したものだ。電子的当時の記録は失われている。
CGは無いが科学者とイラストレーターがコラボしてシミュレーションの紙芝居を予め準備していたようだ。その画像の緻密さリアルさは驚嘆のレベル。今のCGと見比べたらどうしようも無いが、臨場感もあり理解度は高まっただろう。
とにかく人が多い。ひとつのことをやるにも手間も時間もかかったはず。ある意味驚嘆である。
そこから考えれば今の私たちはとんでもない道具を持っている。スマホ1台あれば当時の100人分のことは出来そうだ。しかし問題はプロではない。稚拙だということ。大衆化は手軽になった反面、質は下げている。
そして私たちはさらに生成AIなる道具を手に入れる。ここで注目すべきは、チューンナップできるものはプロレベルのものが出てくること。いまのところ稚拙なものも、性能・機能・工夫でより良くなる。プロを超えてくる。これが性能AIが人を惹きつけてやまないのだろう。
ひとつひとつのスキルではなく、プロデュース力が問われるのだと思う。