あらすじ
太古の昔、サルとヒトとを分けた最大のファクター。それは未来を予測する「先見性」だ――先史時代の遺跡の研究からカラスやイルカの知性との比較まで、豊富な事例と丹念な実証で人類を地球の覇者へと導いた力の秘密を解き明かす、傑作ポピュラー・サイエンス
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Posted by ブクログ
ズデンドルフ『現実を生きるサル 空想を語るヒト』(白揚社)のいわば続編。
著者のSuddendorfはドイツ出身、修士課程までドイツ。そのため前著では著者名がズデンドルフになっていた。今回の本書では、英語圏(NZ&AU)での生活も長くなったため、英語風にスーデンドルフ。著者名で混乱する人もいるかもしれない。なお、共著者の2人は彼の教え子。
前半では、未来を思い描くというヒトの能力にスポットをあてる。出来事を詳細に記憶する能力(episodic memory)は未来に対しても用いられる。この能力こそが期待や予測をもたらし、時間の計測をもたらし、ヒト特有の旅や移動をもたらした。後半では、その延長線上で、暦や計時の装置、旅の道具、未来予測が扱われている。
心理学の本としては、後半の話題に飛ぶまえに、ワンクッション、身近な話題に触れた章があったほうがよかったかもしれない。たとえば、希望や不安、投機やギャンブル、囲碁や将棋やスポーツ、来世や宗教、神話や物語、天気や地震の予測……。その章があれば、さらにふくらみのある本になったかも。
Posted by ブクログ
前もどこかで書いたが、我々のアイデンティティとなるパトリオティズムとは「根差す物語」であり、生まれながらに集団の一員としてその社会制度や歴史認識と自我との相互作用の果てに形成される〝過去“である。他方、その集団を拡大するために取られたコスモポリタニズムこそ、宗教や思想などの「目指す物語」であり〝未来“である。
記憶は予測のために用いられるのだが、それは類型を見抜く演繹であり、予測はそこから未来を措定する帰納であって、この標榜を戦略的に操作するのが共同幻想化。複雑な事象を組み合わせて推論し、かつ我欲に結び付けて戦略的に説得するのが人間の特徴だ。
本書は、それを先見性と呼び、進化人類学、脳科学的な見地から考察を述べたもの。擦り倒されたようや論述が多くて目新しさはないが、こういう話は何度聞いても楽しくて、論文からというより、それをきっかけとした自らの思索の中で、それなりに新たな発見がある。
ー 幼児は他人の動作の意味を理解しているかどうかに関係なく、律義にまねる。この「過剰模倣」のおかげで、無知な若者でも、他人が苦労して学んだ教訓を、将来の役に立つかよくわからないまま受け継ぐことができるのだ。過剰模倣は文化を効率よく進化させる。なぜなら、問題の解決法を完全に理解していない者同士でも、その内容を伝え合うことができるからだ。
ー 無意識の文化進化ばかりが注目されている今の風潮は、人間の賢さを軽視することにもなりかねない。たしかに、人間はチンパンジーより社会的に維持された伝統に依存する度合いが高く、過剰模倣は、人間が文化的な形質を効率的に蓄積できている一因だろう。一方で、人間は認知的ニッチも活用している。先見性は、おもに二つの方法で人間の文化を進化させている。それは「教育」と「イノベーション」だ。
今回、特に頭に残ったのは〝過剰模倣“という概念。理屈や倫理観ではなく、単に模倣する習性の存在と、そこから逸脱したもの対する羨望、嫉妬、蔑みなどの内発的感情の意味について。過剰という表現もにくい。人間は理屈なく、盲目的に他者を真似ているというのだ。
多様性みたいな脱競争や競争そのものと模倣とはメカニズム的には対立しそうだが、恐らく、時系列的には最初に模倣があり、ルールを確認した上で競争が成立し、競争の中で多様性を認めていくという順序があるはずだ。未来を定めるにも、こうした順序があり、それを定説とするには、教条主義や学際主義、権威主義的な手続き論が必要。長くなりそうなのでここまでにするが、とにかく、その本質を表層的は所で分かりやすく抉る本。