慎改康之のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
僕が学生時代から読もうとして、怠惰ゆえに今までほとんど読まずに過ごしてきた本、それがフーコー、ドゥルーズ、メルロ=ポンティ等の哲学書である。
先月、ブルデューの「世界の悲惨」の感想を書いたときに、《「世界の悲惨」とは、まさに哲学の悲惨に他ならない。》(「世界の悲惨Ⅲ」(監訳者あとがき))という言葉を引用したが、その言葉が自分に返ってきてしまった。
かく言うお前はどれだけの哲学書を読んで来たのか?と。
そんな訳で、いよいよ宿題に向き合わざるを得なくなった。
ちょうど昨年の12月に、フーコー「性の歴史」の第4巻「肉の告白」が出たので、大分前に読んだ第1巻からもう一度読んでみることとし、そのウォーミングアップのつもりで本書を手に取った。
新書にもかかわらず、あまり頭に入って来ないなあと思いながら読んで来て、
「第五章 「魂 」の系譜学──『監獄の誕生 』と権力分析」の所で愕然とした。
そこには、同書に対する僕の理解とは全く違う読みが示されていたのだ。
《そこで当初企てられていたのは 、刑罰の理論および制度を 、抑圧のシステムのなかに置き直して分析することであった 。 ー中略ーコレ ージュ講義においてもやはり 、まず問題とされたのは 、権力のネガティヴな作用だったのである 。》
僕の読みは、あくまでもこうした観点からのものだった。ところが、
《しかし 、研究を進めていくなかで 、フ ーコ ーは次第に 、抑圧や排除といった作用から 、権力によってもたらされるポジティヴな効果へと 、その視線を転じることになる 。つまり 、処罰形式をめぐる歴史的探究の進展が 、彼を 、権力をめぐる伝統的な考え方から引き離し 、権力の生産的な側面の分析へと導くのである 。そして 、そのようにして権力のポジティヴなメカニズムに焦点を定め直した研究が進められた後 、その成果として一九七五年に著された書物 、それが 、 『監獄の誕生 』なのだ 。》
とあるではないか。
これは、かなりショックだった。
もちろん、著者の理解が正しいのだろうが、これはぜひもう一度読んでみなければならない。
《「規律権力 ( p o u v o i r d i s c i p l i n a i r e ) 」と呼ばれるその新たな権力は 、一方の他方に対する支配力を誇示する代わりに 、すべての人々を一様に監視し管理することで 、 「従順かつ有用 」な個人を作り上げることを目指す 。》
《監獄的な監視と矯正のシステムは 、ただ単にさまざまな 「規律的 」制度のうちの一つとして機能するばかりではなく 、他の制度に対するモデルとしても役立つのだ 、と 。そして監獄のそうした範例的役割を端的に示しているものとして描き出されるのが 、 「パノプティコン 」と呼ばれる建築様式である 。》
僕は大学で哲学を学んだこともなければ、それほどたくさん読み込んでいるわけでもない。
おまけに自分の理解力にさして自信があるわけでもない。
そんな僕が哲学書を読んで行けば、これからも数々の誤読を犯すだろう。
だが、たとえそうだとしても、人生の総決算として、『誤読の旅路』を歩んで行きたい。 -
Posted by ブクログ
初期から晩年にいたるまでのフーコーの主要著作をたどり、その思索の跡を一貫したプロセスとしてえがき出している本です。
著者はまず、1950年代のフーコーが発表した、ビンスワンガー『夢と実存』への序論と、『精神疾患と心理学』という著作の検討をおこない、このときのフーコーが人間学的な地平のもとに捕らわれていたと指摘します。その後、『狂気の歴史』や『臨床医学の誕生』、『言葉と物』、『知の考古学』といった著作を通じて、フーコーが「人間」という主題の歴史的形成を解明するとともに、そこからの離脱を図っていったことが論じられます。
さらに『言説の領界』や『監獄の誕生』、晩年のセクシュアリティにかんする研究などについても紹介をおこない、「人間」からの離脱というテーマが「自己」からの離脱という問題へと引き継がれていったことを明らかにしています。同時に著者は、晩年のフーコーの思索のうちに、新たな主体性についての積極的な言説を求めることを拒否し、フーコーの仕事を、「思考をそれがひそかに思考しているものから解放し、別の仕方で思考することを可能にする」ための道具として受け止めなければならないと主張しています。
フーコーの思索のプロセスを、一本の切れ目のないストーリーとして理解することもまた、人間学的な地平のもとでの思考にほかならないのではないか、という疑問はあるものの、フーコーの思想の概説書としては手際よくまとめられている本ではないかと思います。