「したがって、医学的視線に対し、表層から深層へという垂直の道が課されるようになったのは、それまで見えないものなどなかったところに、見えないものが、見えるものの内的骨組のようなものとして、歴史的に構成されたからである。見えるものと見えないものとのあいだに新たな関係が結ばれたということ、新たな可視性の構造が成立したということだ。フーコーが「不可視なる可視性( l’ invisible visibilité)の構造」と呼ぶその構造においては、真理が、宿命的に視線を逃れると同時にその視線を絶えず呼び求めるようなものとして想定される。逃れつつ呼び求めること、自らを隠しつつ示すことこそが、真理の本性のようなものであるとみなされるのだ。可視性の形態と真理の在り方との関係をめぐるそうした歴史的変化があったからこそ、表層から深層へ、見えるものから見えないものへ向かうという任務が、医学的真理の探究のために可能かつ必要となったのだということを、フーコーは示そうとするのである。」