慎改康之のレビュー一覧
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序盤が少し難しいものの、最新研究に基づいたバランスの良い入門書。
フーコーについて書かれた新書の入門書は数あれど(いま買えるものだけでも5冊?)、とりあえず一冊だけ選ぶとすれば「これだろう」という感じ(2025年時点)。
フーコーの代表作を順に追っていく構成なので、一冊一冊の掘り下げはないものの、代わりに思想の変遷が明確で小気味よいです。
フーコーは、強面な風体、グロテスクな描写(監獄の誕生)、人間の終焉(言葉と物)といった強烈な印象の思想家ですが、実際は超然とした哲学者のイメージからはかけ離れていて、最後には切実で繊細なテーマに向かっていった…という印象を受けました(読みながら泣きそうになっ -
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フーコーの最後の主著の最終巻が死後30年以上たって、ついに出版され、日本語で読める。これだけで、⭐️は5つは決まったようなもの。
「性の歴史」の1巻の「知への意志」で提示されたいわゆる「生政治」「マイクロポリティクス」などなどの概念と「性の解放」に関する言説の分析の鮮やかさは、圧倒的であった。
この話しが、どう展開するのか、期待していたところにでてきた2〜3巻は、なぜかギリシア、ローマ時代の話になって、一般的な性の歴史の記述としては興味深くあるものの、フーコーに期待していたものとは、ちょっと違う感じ。語り口も、なんだか平易で、淡々としていて、死を目の前にしたフーコーの最後の枯淡の境地かな? -
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総合書?全て?そういう印象。理解が追いつかない。追いつかないなりに読み進めていた。
科学とか歴史とか医学とか文学とかイデオロギーとか、絶対化とか相対化とかそういう既存の区別や方法を一旦無化するというか、俯瞰するようなスタンス……なのかな。構造主義的な。
意味が無い、などと言って私たちは悩んだり笑ったりします。しかしながらそれらのすべての事象には意味が無いわけではありません。意味があるけれども、意味があることには意味が無いのです。(←ちょっとよくわかりません)
松岡正剛氏が言っていたことそのものだな。テクストが作られるということは、ある個人としての著者が書くというよりもずっと総合的な営為なんだ -
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「哲学100の基本」を読んだ後なので、少しは哲学に対する理解が進むかと思い読んでみたが、やはり難しかった。そもそもフーコーの当初よって立っていた「人間学」というものが何なのかが全く理解できなかったので、その後のフーコーの過去の自分の思想からの脱却という流れが理解できないまま読み終わってしまった。ただし、フーコーの考え方が歴史を残されてい文献からありのままに受け止め、そこから人間の言葉と考え方の変遷を客観的に捉えるという「考古学」という考え方と、それにより「狂気」「死」「性」などが人間にとってどのように変わっていきそれが現代にどのような影響を与えているのかということを「権力」の観点から考えるとい
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知的8
かかった時間3時間半くらい
フーコーの入門書。彼の思考の変遷を、代表的著作をとおして追っている。
筆者がかなり頭のいい人で(そりゃそうだ)、フーコーを貫く、既存の思考を疑うやり方と、自身を新しいものごとに向けるやり方を軸にしつつ、年代ごとの問題意識について概観してくれているので、わからないながらもわかりやすい。
個人的には「前フーコー的な50年代」への言及があり、そこを覆す形で「人間性の絶対視」への疑念が生まれて、それが社会制度などによって人為的に生まれたものだという変化が鮮やかで(フーコーでよく紹介される考えかたでもあるし)楽しかったが、性とか自己に関心が向いていくあたりもおもしろ -
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ミシェル・フーコーの「性の歴史」第4巻が出たという事実をネットショップで発見したときは本当に驚愕した。「性の歴史」1巻から3巻については、今から30年も前に、20歳辺りの私が大事に読み返し、ことに第1巻は何度も何度も再読した当時の愛読書だったのである。フーコー自身の死によって未完の書物として打ち切られたものと思っていたのに、その続刊がまさか今になって発行されようなどとは、夢にも思わなかった。
本書の訳者解説を読んだところ、フーコーは死ぬまえに、未公刊の遺稿は勝手に出版しないように、などと指示していたということだろうか。それがよくわからぬ経緯によって2018年にフランスで結局刊行され、邦訳が -
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本書はミシェル・フーコーによるコレージュ・ド・フランス開講講演(1970年12月2日)を収録したものである。
フーコーにとっては彼の関心が1960年代の「知の考古学」から1970年代の「権力分析」へ転換の画期となった講演であるという。
この講演記録はそれほど長くないので割とすぐに読めるのだが、フーコーの説明がちょっと難しいのと切れ目なく次の議論に入って行ったりしているので多少分かりづらい部分もあるのだが、懇切丁寧な解説があるので読者にとって理解しやすいものとなっている。
人が話す言葉(フーコーは「言説」という)についてフーコーはある仮説を立てる。
「あらゆる社会において、言説の産出は、いくつ -
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フーコーの著作と主張の移り変わりを西洋知の文脈を踏まえて、端的にまとめている。
最後にある通り、彼の問題意識は「主体と真理」の関係の問題化にあった。
『言葉と物』で人間の有限性への覚醒を促す。人間を基礎づける無意識なようなものはないのだ。
『知の考古学』で歴史の連続性の否定と歴史解釈の拒絶を通して、人間主体の至上権を打ち倒す。宗教やイデオロギーへの対抗か。
『言説の領海』では、言説に拘束力を及ぼし、言説を希少化するようなシステムがいたるところに存在している、と説く。同書では、生を抑圧する権力のあり方が検討されたが、逆転して、生を規制しつつ促す、権力のポジティブな面が『監獄の誕生』で扱わ -
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非常に短い本だが、コレージュ・ド・フランス講義シリーズのしょっぱなに行われた講演の記録らしい。時期は『知の考古学』から権力をめぐる考察へと重心が移っていく時期で、「管理される言説」という、興味深いテーマで話が進められてゆく。
フーコーによると、少なくとも西欧社会においては、人間たちの<言説>は常に社会によって制限され、抑制されている。こうした権力下の<言説>の背後にあるものは何か。言説結社とか教説のグループという面白い概念を、フーコーは持ってくる。
その後の「権力」の分析は、あとの著作や講義録で展開されることになる。
個人的には、社会的に(共同的に)「管理された言説」というこのテーマを、社会的 -
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ここまで、ナメクジが這うように膨大な時間をかけて、断続的に『性の歴史』全四巻を読んできたが、残念ながら僕にはフーコーが何を言いたいのかピンと来なかった。というか、はっきり言ってつまらなかった。
ということで、以下の感想はほとんどの人にとって何の参考にもならないだろう。/
フーコーが何を言いたいのか分かっていないのだから、批判などできようはずもないが、それでも若干の不満が心に残った。
フーコーは、本書で「欲望の解釈学」を展開するにあたって、2〜5世紀のキリスト教教父たちの文献を分析しているが、それは何故なのだろう?
世界にはたくさんの宗教が存在し、その構成は次のとおりだ。
1. キリスト教 -
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この本に限っては、上記星三つの評価は本の評価では全くなく、当方の能力を超えていて理解が進まなかったため、5分の3理解できていればいいなあ、という個人の希望的評価。分かる人が読めばおそらく6つ、7つ星なのだろうと思う。コレージュ・ド・フランスの講義だから当然だが、読み手である私の能力不足がこれでもかと明らかになる読書だった。加えてやはり、ダイレクトに日本語にならない語彙が多いように見え、たとえば主題になっているdiscoursと「言説」という日本語から受ける印象と範囲が、個人的には異なっていたりして、文章を多少離れた位置から眺めつつ読み進めたという印象。
本筋ではないが面白いと思ったのは、「算術 -
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僕が学生時代から読もうとして、怠惰ゆえに今までほとんど読まずに過ごしてきた本、それがフーコー、ドゥルーズ、メルロ=ポンティ等の哲学書である。
先月、ブルデューの「世界の悲惨」の感想を書いたときに、《「世界の悲惨」とは、まさに哲学の悲惨に他ならない。》(「世界の悲惨Ⅲ」(監訳者あとがき))という言葉を引用したが、その言葉が自分に返ってきてしまった。
かく言うお前はどれだけの哲学書を読んで来たのか?と。
そんな訳で、いよいよ宿題に向き合わざるを得なくなった。
ちょうど昨年の12月に、フーコー「性の歴史」の第4巻「肉の告白」が出たので、大分前に読んだ第1巻からもう一度読んでみることとし、そのウォー