ミシェル・フーコーのレビュー一覧

  • 性の歴史IV 肉の告白

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    フーコーの最後の主著の最終巻が死後30年以上たって、ついに出版され、日本語で読める。これだけで、⭐️は5つは決まったようなもの。

    「性の歴史」の1巻の「知への意志」で提示されたいわゆる「生政治」「マイクロポリティクス」などなどの概念と「性の解放」に関する言説の分析の鮮やかさは、圧倒的であった。

    この話しが、どう展開するのか、期待していたところにでてきた2〜3巻は、なぜかギリシア、ローマ時代の話になって、一般的な性の歴史の記述としては興味深くあるものの、フーコーに期待していたものとは、ちょっと違う感じ。語り口も、なんだか平易で、淡々としていて、死を目の前にしたフーコーの最後の枯淡の境地かな?

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    2023年09月17日
  • 性の歴史I 知への意志

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    フーコーは、死の直前に「性の歴史」の第2巻と3巻を発表し、最終巻の「肉の告白」の完成を目前にしてそれを果たせずになくなってしまった。その原稿は、「開けてはならない」箱に保存されたのだが、フーコーの死後十分な時間がたったということか、今年、ついに発表された。

    ということは、近いうちにその翻訳版がでるに違いないので、そこに向けて、1巻を再読し、長年読もうと思いつつ、読んでなかった「性の歴史」の2〜3巻を読むことにした。

    さて、その第1巻「知への意思」は、1976年に発表されていたのだが、翻訳版は1986年とかなり遅れている。

    当時、待望の翻訳みたいな感じで、わたしも読んだ。

    そのときの印象

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    2018年12月21日
  • 性の歴史I 知への意志

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    生権力の概念をコンパクトに展開した章が白眉。史料考証は抑えてあるものの、フーコーの統治性論のエッセンスが示されてある。同氏の70年代後半のコレージュドフランスと合わせて読むことで、綿密な考証と概念枠組みの素描が一体となり、非常に重要な著作群であることが認知されてくる。

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    2015年12月26日
  • 言説の領界

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    学生のときに中村雄二郎訳で読んだが、あいまいな表現に煙に巻かれた読後感が印象に残っている。正直、内容を理解できたとは言えなかった。
    この新訳はずいぶん印象が異なる。明晰でやさしい。以前よくわからなかったことについて腑に落ちたところがいくらかあった。半分近くを占める解説も助けになる。

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    2015年02月19日
  • 知の考古学

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    総合書?全て?そういう印象。理解が追いつかない。追いつかないなりに読み進めていた。
    科学とか歴史とか医学とか文学とかイデオロギーとか、絶対化とか相対化とかそういう既存の区別や方法を一旦無化するというか、俯瞰するようなスタンス……なのかな。構造主義的な。
    意味が無い、などと言って私たちは悩んだり笑ったりします。しかしながらそれらのすべての事象には意味が無いわけではありません。意味があるけれども、意味があることには意味が無いのです。(←ちょっとよくわかりません)

    松岡正剛氏が言っていたことそのものだな。テクストが作られるということは、ある個人としての著者が書くというよりもずっと総合的な営為なんだ

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    2013年05月28日
  • 性の歴史I 知への意志

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    一つの社会における、権力と快楽と知は、いかにして関係するか――。


    性とはそもそも、秘すべきものとしてはじめからあったのではなく、たとえばカトリック教会における告白の要請など、「制度」が性について語ることを煽動したことによって、語る=暴くために隠すようになった。
    いわば、制度の必要に伴う変化だったのである。

    「18世紀以来、性は絶えず全般的な言説的異常興奮とでも呼ぶべきものを惹き起こしてきた。しかも性についてのこれらの言説が増大したのは、権力の外で、あるいは権力に逆らってではなかった。それはまさに権力が行使されている場所で、その行使の手段として、なのであった。」(P.43)


    我々の、性

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    2012年03月18日
  • 性の歴史I 知への意志

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    めも)

    p96 一般的に認められている抑圧という事態や、また、我々が知っていると想定するものを基準に計られた無知から出発するのではなく、知を産出し、言説を増加させ、快楽を誘導し、権力を発生させるこれらの積極的なメカニズムから出発し、これらのメカニズムがどのような条件において出現し、機能するのかを追い、これらのメカニズムとの関係で、それと不可分の禁止や隠蔽の事実が如何に分配させるのかを探求しなければならぬ。一言で言えば、このような知への意志に本来的に内在する権力の戦略というものを定義すること。…

    p119  権力という語によってまず理解すべきだと思われるのは、無数の力関係であり、それらが行使

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    2010年07月14日
  • 性の歴史I 知への意志

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     フーコー。最高。性の歴史第一巻。感動した。こんな天才になりたい。また、邦訳が最高。できればフーコー全部この人に翻訳してもらいたいと思った。でも二巻から違うんだよね。。こんなに美しい本を初めて読んだような気がする。2008.4.30-3(4d).

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    2009年10月07日
  • 性の歴史I 知への意志

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    凄かったなぁ。
    私達は性にまつわる言説が抑圧されているとばかり思ってきたけど、実際はむしろその逆で、人間を生きながらえさせ自らを増殖させる「生権力」により言説が煽動されているらしい。抑圧言説は性的欲望装置の域を出ないという指摘にギクリ。
    知と権力と欲望は、リゾーム状に複雑に絡み合い、現実世界で機能しているのであり、支配-被支配という単純な二項対立で世界が成立しているわけではないのである。その他人口の概念なども興味深い。5章の血と性的欲望の話は、サドやバタイユへのクリティカルな批判となっており、すごい。

    ここまで読んでフーコーがどういう生き方を目指しているのか気になった。

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    2024年06月17日
  • 性の歴史I 知への意志

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    性の歴史Ⅳの『肉の告白』が出版されたこともあり、性の歴史を改めて読むことにした。先日亡くなった渡辺守章先生の訳書でもあり、その点でも感慨深い。
    渡辺守章先生も訳者あとがきで言及されているように、フーコーが明らかにしようとしている性をめぐる言説が、ドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』を意識していることが伺えるし、リゾームのような形態をとっているのだということも理解できる。
    このフーコーの言説をどのように現代社会に活かすのか、アクチュアリティを持たせるのかは現代を生きる我々の課題なのだと思う。

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    2022年01月02日
  • 性の歴史IV 肉の告白

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     ミシェル・フーコーの「性の歴史」第4巻が出たという事実をネットショップで発見したときは本当に驚愕した。「性の歴史」1巻から3巻については、今から30年も前に、20歳辺りの私が大事に読み返し、ことに第1巻は何度も何度も再読した当時の愛読書だったのである。フーコー自身の死によって未完の書物として打ち切られたものと思っていたのに、その続刊がまさか今になって発行されようなどとは、夢にも思わなかった。
     本書の訳者解説を読んだところ、フーコーは死ぬまえに、未公刊の遺稿は勝手に出版しないように、などと指示していたということだろうか。それがよくわからぬ経緯によって2018年にフランスで結局刊行され、邦訳が

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    2021年03月07日
  • 言説の領界

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    本書はミシェル・フーコーによるコレージュ・ド・フランス開講講演(1970年12月2日)を収録したものである。
    フーコーにとっては彼の関心が1960年代の「知の考古学」から1970年代の「権力分析」へ転換の画期となった講演であるという。
    この講演記録はそれほど長くないので割とすぐに読めるのだが、フーコーの説明がちょっと難しいのと切れ目なく次の議論に入って行ったりしているので多少分かりづらい部分もあるのだが、懇切丁寧な解説があるので読者にとって理解しやすいものとなっている。

    人が話す言葉(フーコーは「言説」という)についてフーコーはある仮説を立てる。
    「あらゆる社会において、言説の産出は、いくつ

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    2020年10月11日
  • 知の考古学

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    知の考古学
    (和書)2011年02月02日 20:45
    1995 河出書房新社 ミシェル・フーコー, 中村 雄二郎, Michel Foucault


    通読だけしてみました。

    読んでいる間は頭がスッキリして何かが明確化されそうな印象を受ける本でした。ただ何処かここが凄いとか感じる訳でもなく、良い緊張感を読書中にかんじる、そういう類の本でした。

    『臨床医学の誕生』だけ主要書では読んでいないようなので何処かで手に入れて読みたい。

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    2020年09月27日
  • 性の歴史III 自己への配慮

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    第2巻の古代ギリシアから、第3巻は1〜2世紀のローマに時代は進む。

    いつものフーコーに比べると、淡々とした記述が印象的だった第2巻より、第3巻はさらにあっさりとして、さらに読みやすい。

    テキストとして取り上げられるのは、当時の夢解釈の本だとか、医学的な養生術の本だとか、よくこんなの探して来たなというもので、そういうところは、いつものフーコーかな?

    議論の構成は、第2巻とパラレルになっていて、養生術、夫婦関係、そして恋愛のあり方、それとの関係で同性愛の位置付けという順番で、ギリシャ時代とローマ時代との連続性と違うところが明確に論じられていく。

    ここで論じられている倫理感というのは、結構、

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    2020年03月26日
  • 性の歴史II 快楽の活用

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    「生の美学」というのが、フーコーの最後のメッセージなのかな?

    「性の歴史」第1巻は「知への意志」(1976年)で、いわゆる「生政治」という刺激的な概念を打ち出したきわめて刺激的な本だったのだが、8年間をおいて、フーコーの死の直前にだされた「快楽の活用」(1984)は、淡々とした静謐な感じの本でその差にあらためて驚く。

    出版当時は、フーコーも最後はボケてたんじゃない?病との戦いでつかれてギリシアの世界に逃避してるんじゃない?みたいな受け止めもあった気がする。

    今となっては、第1巻と第2巻の間の8年間は沈黙の時期ではなく、本としては出版されなくても、「生政治」の詳細な分析、そしてさらにそこか

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    2018年12月29日
  • 言説の領界

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    非常に短い本だが、コレージュ・ド・フランス講義シリーズのしょっぱなに行われた講演の記録らしい。時期は『知の考古学』から権力をめぐる考察へと重心が移っていく時期で、「管理される言説」という、興味深いテーマで話が進められてゆく。
    フーコーによると、少なくとも西欧社会においては、人間たちの<言説>は常に社会によって制限され、抑制されている。こうした権力下の<言説>の背後にあるものは何か。言説結社とか教説のグループという面白い概念を、フーコーは持ってくる。
    その後の「権力」の分析は、あとの著作や講義録で展開されることになる。
    個人的には、社会的に(共同的に)「管理された言説」というこのテーマを、社会的

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    2014年12月31日
  • 知の考古学

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    ネタバレ

    新刊のミシェル・フーコー(慎改康之訳)『知の考古学』河出文庫、ざっくり読んだ。連続的歴史と解釈的分析を拒絶するひとつのマニフェストと言ってよい現代の古典ですが、翻訳も素晴らしく(中村雄二郎訳も悪くはないと思うけど)、文庫収録を言祝ぎたい。手軽にアクセスできるのがよい。

    ちなみに、『知の考古学』の訳者・慎改康之先生によるフーコー『ピエール・リヴィエール』も文庫化、知らない間に、ドゥルーズの『差異と反復』、『フーコー』も河出文庫化されていた。前著は単行本で大枚をはたいたわけだけど、まあ、よろこぶべしですね。

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    2013年08月06日
  • 性の歴史II 快楽の活用

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     『性の歴史』第二巻。一巻とはうってかわって古代ギリシャ・ローマを中心に論述が始まる。
     ここでは、古代ギリシャ・ローマ時代の性に対する言説を俯瞰していくことで、「主体」への配慮がどのように形成されてきたのか、また両性というカテゴリへの考え方はいかなるものであったのか、ということが問われている。
     今日の我々が考えるようなジェンダー的概念、そして一巻で中心的に論じられていた快楽の知への意志が、近代特有のものであり、古代にはそれとまったく異なる視座があったのだということが示される。性を新しい視点から捉えなおすための具体的な史的検証であり、フーコーがそれを示そうと苦心している様がうかがえる。

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    2013年02月14日
  • 性の歴史I 知への意志

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    そういえばフーコーを読んでいなかったということに(今更)気づき、慌てて読んでみた次第。

    権力というのは最近の関心ごとの一つなのだけど、それを描写する際に性に着目したのはかなり慧眼だったのではないのかという印象を読んでいてもった。性と現代の宗教を権力という観点から比較してみたい。

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    2013年01月07日
  • 性の歴史I 知への意志

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    【2011年_11冊目】

    生きることって,性に関することなのか.よりよく生きたい=よりよく性活動をしたい.自由じゃない性活動とともによりよく生きることは本当に不可能なのか.児童買春を人権侵害だと言ってるのも,作られた見方?当たり前だと思ってたけど,そういうこと?フーコーさん.もう頭ボヤボヤ.

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    2011年11月17日