田中康弘のレビュー一覧
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ちくまプライマリー新書289~日本は半世紀で肉の消費量が十倍になった。縄文時代から落とし穴猟は行われ、シカなどの動物を追い込んで捕っていた。肉食禁止令はそれだけ肉食が行われていたことの証である。仏教の戒律に背いて殺生をする理由は①肉を得るため②皮や毛を利用するため③田畑を守るため。そして屠殺・屠畜という営みは欠かせない。関東ではウマが、西ではウシが活躍。それらを肉とするほか、ブタ・ニワトリ・ヒツジ・ヤギも。狩猟肉としてはクマ・シカ・イノシシ・ウサギ・タヌキ・アナグマ・(ムジナ?)・クジラ・海獣類。中間に位置するのがイヌ・ネコ。1990年代まで東北でイヌ食いの記録があり、ネコは2000年あたりのネコ捕り婆が最後。ウシ・ブタは大型獣として処理され、ニワトリは別ルートの小動物専門の施設で肉となる。狩猟の現場では大変。早く内臓を抜かないと臭くなるが、運び出す人手が足りない。年寄りだけになって、捨てられる。罠猟でも檻の中で動き回る獣を殺さないと運び出せず、泥と血で汚れる~肉食が広がるとアメリカの飼料農家が儲かる仕組み! タヌキが美味いか不味いかは食べた固体の状態に因るものだった。ジビエって簡単じゃないなぁ
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Posted by ブクログ
遠野物語の現代版。
だが、その文章の質も話の深みも狙いも遠く及ばない。当然だが。
こちらはただ、不思議な話が、たまに余計な筆者のコメントをつけて記されているだけ。
本当は遠野物語もそうなのだろうが、その分やはり柳田國男のしごとぶりが光る。
あれは、この本で言う「民話の原石」ではなくて、そのまま民話になっていた。となると、やはり中身の話ではなくて、語り口なんだろう。
とはいえ、もちろんこうした怪異譚の収集は大きな仕事である。もしかしたら50年後にはいっさいが消えて、妖怪のいない国になりうるからだ。
印象に残ったエピソードを。
・尻尾を光らせてクルクル回す狐。
・冬の寂しい辻路に突如現れて消えた夜店。
・魚カゴを引っ張る狐
・狸のいたずらは大概しょうもなく、かわいらしい(ただ梅干しが欲しくてついてくる)
・山で獣に騙されないようにするためにはニンニクを持っていく。揚げ物は厳禁。
・歴史ある社を解体したら2メートルある白蛇が出てきた
・じっとマタギを凝視し、14発撃ちこんでも倒れない白鹿
・最も怖い話は「来たのは誰だ」。シャンシャンと山小屋の周囲をうろつき屋根に登り、ドンと開けた山伏の霊
・濃霧の日はなにかが起こる
・無風なのに竹林がガラガラガラと音を立てて揺れる。海の日は竹やぶに入ってはいけない
・ぎゃああああっと断末魔のような鳴き声の鳥
・人通りのない山道に山盛りご飯の器が置いてあり、それが場所を移動している。
・最も温かい話は「謎の山盛りご飯」の最後の話。父親の思い出を話しながら我が子と山道を歩むうちに、その子どもこそが本当の自分じゃないかと感じた。オヤジさんが自分になったんだと。そして景色もあの時父親と歩いたときのような風景になっていた。まるで夢十夜や内田百閒に出てきそうな美しい話。
・狐は熊にも憑く
・樹齢数百年の木を伐採すると、木の根元から命の風が吹く。
・仕留めた狐を引張って持って帰ると、その道にある家が全部火事になった。だから撃ってはいけない。 -
Posted by ブクログ
現在、絶滅が危惧されている文化の一つが山里文化である。規制が厳しくなってマタギや猟を止める人が増え、若者は厳しい山から離れていく。山での出来事を語る人が消え、聞く人が消える。ならば完全に消える前にせめて収集せねば、と著者が聞き集めて著した山里怪談集の二作目だ。
今作も山里ならではの話に溢れており、山中に臨むことの面白さと恐ろしさを伝えてくれる。いつか、同じく山に纏わる怪談を多く上梓している安曇潤平氏と対談してほしい。きっと濃い内容になるだろう。
本書にも収録されている色々な話は昔から起きていて、物の本に目を通すと、過去に亡くなった樵の霊「古杣」の仕業である、「天狗笑い」「天狗隠し」「天狗火」と呼ばれるように天狗の仕業である、と昔の人も当人なりの理屈で「そういうものだ」と結論づけている。理に適っていなくてもひとまず結論づけることで恐怖を弱め、生活のため、生きるためにいつものように山に入っていくのだ。
それを踏まえると、狐狸妖怪の仕業と断ずることも錯覚と断ずることも同じことのように思え、人の意識構造は今も昔もそんなに変わっていないように思えてしまった。