朝比奈弘治のレビュー一覧
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ネタバレ海底2万里で知られるフランスの作家ジューヌ・ヴェルヌの作品。
3分の2を読み過ぎたあたりからようやく地底世界に入れる。
女性が登場しないのは、ジューヌヴェルヌが女性嫌いだからだとか。
科学用語による解説がマニアックで信憑性が出てくると同時に、
科学への興味を掻き立てられる作品になっている。
<あらすじ>
鉱物学者で好奇心の塊であるリーデンブロック教授。
主人公で甥のアクセル。寡黙な山のガイドを務めるハンス。
リーデンブロックが買ってきた古書の間にメモがあり、暗号を解くと、
地球の中心への行き方がかかれていた。そこで甥のアクセルと
あくなき探究心により地底への旅に出る。
途中で不安や恐 -
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ヴェルヌは二作目。前回読んだ「十五少年漂流記」が少年の冒険譚な作品だとすると、ヴェルヌのSF小説はこれが初めて。サイエインス・フィクションの開祖として知られ、SFの父とも呼ばれる彼の作品をこれまで読んでいなかったのは、特段何か大きな理由があったわけではありませんでした。ただなんとなく「また今度でいいや」が繰り返されてきただけ。そんな彼の作品を手に取ったのは、これまた何か理由があったわけではなく、「そろそろ読んでみようかな?」という気分になったぐらい。
そんな不純?な動機で手に取った本書はヴェルヌのなかでも有名な作品です。1864年に描かれただけあって、古臭さというか、物語の展開に単調さを感じる -
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バスに乗っている帽子をかぶった男が、別の乗客に文句を言う。席が空いたのを見て、慌てて座りに行く。二時間後、別の場所で同じ男を見かける。その時は、連れの男が、帽子の男のコートに対して、ボタンを追加した方がいいと語っていた。
この本に書かれているストーリーは、これだけ。
1ページに収まる出来事を、99通りの文体で書いていく、タイトル通りの「文体練習」の本。
クノーの好奇心の高さや挑戦的な姿勢はもちろんのこと、訳者の方の苦労と努力が、訳者あとがきから察せられる。
原書のフランス語と、日本語の特徴の違いを考慮した上で、日本語での文体練習に自然となっている。
元はフランス語での試みなのに、日本語の奥深 -
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SFの祖とも云われる19世紀フランスの作家ジュール・ヴェルヌ(1828-1905)の長編小説、1864年。地理学・地質学・鉱物学・古生物学などの科学的知見と作家の想像力とが融合した空想的科学小説であり、スピーディな展開とスリルに満ちた冒険譚でもある。
本書が執筆された19世紀半ばは、交通・通信・メディアなど科学技術と産業の急速な発展が人々の世界経験を変容させていった時期と重なる。それは、詩人や芸術家を含む同時代人に、想像力のこれまでにない仕方での拡張を齎し、新たな知覚経験(視覚・速度感覚・空間知覚・時間知覚など)を提供することとなる。例えば、1858年に写真家のナダールが気球を用いて世界初の -
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❖本書は読書嫌いであったコドモの頃に読んだほとんど唯一のもの。物語世界に惹きこまれたその時の記憶は今も残る。いま読むと、大仰な語り口は空回りしている印象。少年少女向けであるからその仕様は仕方ないのかもしれない。一昨年、似た設定の同著作『黒いダイヤモンド』を読んだけれど、あちらの方はややオトナ向きであった。
地底に潜るまでに本作のほぼ半分の頁が費やされるが、その部分の特にアイスランドへの旅の行程などしっかり描き込まれていて愉しめた。死ぬ思いをしてようやく到達した地底世界、その中後半部の物語展開はやや盛り上がりに欠ける印象。絶滅した古代生物の存在など巧く物語に絡めて冒険譚にふくらみを持たせて欲 -
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これは、ものすごく面白い本だった。ある一つの、何の変哲もない文章を、99通りの文体で表現するという、バカバカしいことに大真面目に取り込んだ作品。
単に文体を変えただけのものもあれば、物語の話者を変えたもの(話者が「帽子」になることもある)、演劇風にしてしまったもの、数学的に記述したもの、など実に様々な実験をおこなっている。
一つの出来事を表現するのに、こんなにも多様な方法があるという自由さに、まず感動させられる。そして、同じ出来事の表現でも、視点や手法が違えばまったく異なる印象を読者に与えるのだということにも、驚かされた。
単純な一つのメモを素材としてすら、ここまで豊富なバリエーションが生み