安岡章太郎のレビュー一覧

  • 夕陽の河岸

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    戦前と戦後を行き来しつつ、取り留めのない事柄に丁寧に目を向けて書かれた作品群に好感をもった。「虫の声」で安岡は紀州に向かう。犬を見に行くためだ。そこで若き頃の中上と思われるN君が車を運転して紀州の街並みを案内する。この話を筆頭に、犬の出てくる話がその後幾つも出てきた。これまで読んできた安岡の前半期の小説に犬のイメージはなかったが、ひょっとすると晩年期にかけて安岡の生活の周りを犬が歩いていたのかもしれない。彼は犬を撫でていたのかもしれない。

    小品集とまとめられた随筆がどれもすばらしかった。「土佐案内記」では大岡昇平の人柄が垣間見え、「瓦解」では色川武大について綴られる。少ない枚数であるが、そのなかに心に留めておきたい内容が詰め込まれていた。そして、「「あめふり」の歌」。「あめふり」という歌への世代間の認識のずれ。これもまた、読めてよかった。

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    2025年07月01日
  • 質屋の女房(新潮文庫)

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    戦中から戦後、高度成長期ころにかけての半自伝的な短編が多い。母親やおそらくはモデルを同じくする友人たちが描かれる。どうにもならない将来や友人との優劣意識を伴う関係、女性体験、そして母親との葛藤‥ある種自虐的に著者独特のユーモアを交えて描かれるが、ときには自身を鋭いナイフで切り裂いたように血が流れ出す瞬間があり、はっとさせられた。

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    2024年08月04日
  • 質屋の女房(新潮文庫)

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    ネタバレ

    「ガラスの靴」は前読んだときから随分印象が変わった。以前は主人公の抱く恋愛感情に浮ついた心地よさみたいなものを強く感じたけれど、今度は僕と悦子の間にあるじめじめとした人間の匂いを一文一文から感じた。こんな文章あったっけと思うことが幾度もあった。

    「青葉しげれる」「相も変わらず」は、順太郎という主人公の登場する連作で、母との関係が描かれた話。大学生ごろの年齢設定だからか、「三四郎」「それから」っぽさを感じた。
    「相も変わらず」がこの作品集の中で一番好き。「悪い仲間」などにもあった、家族から逃れようとするも最後の最後に逃れられないことに気づくという主人公の姿にひどく共感を覚える。さりげない描写にとてつもない文章の力を感じた作品だった。

    「質屋の女房」も好き。

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    2022年06月11日
  • ガラスの靴・悪い仲間

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    ネタバレ

    1920年生まれの作者。
    ある人から「サアカスの馬」を勧められて、それを読み、よかったので、短編集に手を出してみた。
    夢中になって読んだ。
    独特な、劣等感、罪悪感、諦めの感覚、自己嫌悪、自己憐憫、ユーモア感覚、文体、に中毒のようになってしまったのだ。
    ひとまずは身辺雑記や私小説的な題材と言えるが、大きく見れば戦争の影響もあり、太宰同様見方次第でスケールが大きくなることもありそうだ。
    再読するときは、あらすじありきではなく、細部の描写や小道具やユーモアに注目せよ>未来の自分へ。

    ■ガラスの靴★ 009 1951年=昭和26年=31歳。芥川賞候補。……春樹「ノルウェイの森」そっくり! ていうか、後に続く作品群とは一味違う、エバーグリーン。
    ■ジングルベル 035 ……うーん太宰治「トカトントン」を連想するなあ。戦後の象徴というか。
    ■宿題★ 051 1952年=昭和27年=32歳。芥川賞候補。……比較的長め。これはよい少年期もの。お母さんが「お前も死になさい。あたしも死ぬから」(おまえもしなさい、あたしもするからの聞き間違え)とか、小さい挿話が輝いている。……このお母さんが作品発表の数年後にああなってしまうとは(「海辺の光景」)と思うと感慨深い。
    ■愛玩★ 091 1952年=昭和27年=32歳。芥川賞候補。父への込み入った思い。
    ■蛾 109 題材は家族から少しだけ離れるが、しかし少し登場する父が、やはりいい味。一人称は私。
    ■ハウス・ガード 129 1953時事文学賞。戦後という状況を、糞真面目でも深刻でもなく描く、視点の置き方の面白さ。「あなた、ビフテキとなります」という台詞には、おかしみはあるが、恐怖もまた。
    ■陰気な愉しみ 149 1953=昭和28年=33歳、「悪い仲間」・「陰気な愉しみ」にて第29回芥川賞を受賞。1954結婚。一人称が私だが、やっぱり僕のほうがよい。この人の足取りにはどこか梶井基次郎「檸檬」が見えるなー、と思って検索してみたら、なんと、
    (以下引用)
    しかしどうしたことだろう、私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げて行った。(中略)以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだろう。
    (梶井基次郎「檸檬」)
    いったいどうしたことだろう。お金のないときには、あんなに悠々と歩けた街が、いまはこんなに気おくれしなければならないとは。
    (安岡章太郎「陰気な愉しみ」)
    「あ、そうだそうだ」その時私は袂の中の檸檬を憶い出した。
    (梶井基次郎「檸檬」)
    「そうだ……」
    そのとき突然、私は一人の婆さんを頭にうかべた。
    (安岡章太郎「陰気な愉しみ」)
    「檸檬」で檸檬が占めている位置に「婆さん」をはめ込むと「陰気な愉しみ」になる。「檸檬」の「私」は檸檬のおかげで気が晴れるが、「陰気な愉しみ」の「私」は「婆さん」のおかげで気が重くなる。「陰気な愉しみ」、ダウナー系の「檸檬」。
    ■悪い仲間★ 167 1953=昭和28年=33歳、「悪い仲間」・「陰気な愉しみ」にて第29回芥川賞を受賞。1954結婚。……比較的長め。「三者による鏡像関係」、というか、こういう関係性は奇矯なものではないが、ある時代にある社会背景(まあ戦争)が重なると、特別に見えてくる、という類いの作品だ。よい。手紙というメディアが増幅させる、というのも、SNSや一億総ナンシー関化を思い出させて、現代的。
    ■剣舞 203 ……父を巡るあれこれの記憶が、剣舞のラジオで甦る。プルースト効果だろうか。
    ■勲章 235 ……題をパイプとせずに勲章としたあたりに、読み甲斐がありそうな。蹂躙された側に視点を置く。
    ■築地小田原町 257 ……無理に自らに課した江戸趣味修行が、無駄に自分を苦しめる……風亭園倶楽部と同じものかしらん。
    ■吟遊詩人 277 ……戦後の男女立場入れ替わり。
    ■王様の耳 295 ……嘘をめぐる話だが、人の命がかかっているだけに、軽い小話にはなりえない。

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    2020年02月19日
  • ガラスの靴・悪い仲間

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     昭和26年から昭和29年(西暦でいえば1951年から1954年)にかけて発表された、全13編からなる初期短編集。
     このうち「陰気な愉しみ」と「悪い仲間」が芥川賞受賞作。
     クセがあるようでないようで、解説にも書かれていたが非常にニュートラルで読みやすい文体を書く人だな、と思う。
     かなり以前の作品であるから、使われている単語や歴史的な背景には古臭いものもあるのだが、その文体だけはとても現代的。
     思うに当時にこの文体を読んだ人は、確かに「モダンな文体だ」と思っただろう。
     殆どの作品の根底に横たわっているのは「自己嫌悪」であり「罪悪感」であり、「自己憐憫」であるように思える。
     脊髄カリエスで苦しんでいる間、ずっと自己を見続けていた結果なのかも知れないが、これらの心理描写が非常にたくみで、まるで目の前に「ほら、こんな感じでしょ」とまざまざと披露されているように思えてくる。
     その都度その都度、点としての心理描写もさることながら、心理の変遷というか、ゆるやかな変化や突然の豹変の様など、まるで読者である自分自身の心理が、作品と同期を取られるが如くコントロールされているように思えてしまう。
     私小説のようでいて、僕が私小説から受ける閉塞感みたいなものはあまりなかったように思う。
     作者自身が解説の中で「実際、小説を書くためにわざわざ架空の自己など設定しなくとも、自己というのはそれ自体が、“架空”と見えるほど奥深いものであって、それを探ることは生じっかな小説を書くことよりもずっと小説的な作業ではないか」と書いているように、そこには作者自身というよりも、もう一つ上のレベルに立った状態で自分自身を見つめたうえでの「自己」を書き写したように感じる。
     だから、そのニュートラルな文体と相まって、息苦しさを感じずに済むように思える。
     いずれにしても、とても面白く読み進めることが出来た。
     名前は以前から知っていたのだが、遅まきながら今回初めて読んだ作家。
     今年の初めに鬼門に入ってしまった作家。
     もっともっと早く読んでおくべきだった作家。
     遅まきでもいいから、他の作品もぜひ読んでみたいと心から思わせてくれる作家。
     そんな作家に出会えたことに感謝している。

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    2018年01月06日
  • 鏡川(新潮文庫)

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    作家・安岡の母方の親族の系譜。明治以降の時代と、人物の人間味(悩み、栄達・・・)など考えさせられ、しみじみとした感慨を感じます。家族・一族が希薄になった寂しさのようなものが底流に流れています。莞爾とした自らの鏡の顔を見て、号とした初代沖縄知事・安岡莞爾(土佐藩を脱藩、後年に高知県知事を勤めたという)漢詩作家・西山麓、日生の初期の役員・入交千別、昭和恐慌時の蔵相・片岡直温などが印象に残る人たちですが、寺田寅彦、丸山明なども連なる錚々たる一族です。そして焦点は次第に自堕落な生活をしたと親族の間で評判が悪かったと言う西山麓へ。構成が見事です。

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    2013年08月25日
  • ガラスの靴・悪い仲間

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    ◼️所感
    安岡章太郎は戦中戦後の不可解な事件や一貫しない世論から世の中はよく分からんものだと悟ったらしい。それと同時に自分の内面に関心が向ったようで、今まで無意識だった感情を観察することで、はっきりと自分を認識出来るようになったとか。これを「自己認識というあそび」と表現しており、遊びと言えるぐらいのめり込んだのだろう。だからこそこの小説ような深く密度の濃い内面描写が出来るようになったのだと思われる。これを見習って「自己認識というあそび」を自分も実践してみたくなった。

    またもうひとつ安岡章太郎の面白いところは自己認識として意識される感情がだいたい自己嫌悪や劣等感に偏っている点。ただそれらは、だから自分は駄目なんだ、みたいに悲観的に捉えるわけではなく、ニュートラルにこういう感情がよぎった、とだけ捉えられている。だからこそ読んでて悪い気はしないしユーモアとして読み進めることができる。これが非常に面白い。普遍的で仏教的な感じもする。


    ◼️メモ
    「第三の新人の定義」
    ①外部の世界も、高遠かつ絶対なる思想も、おのれのうちの気分の高揚も信じないこと。
    ②おのれが優等生でなく、おのれの自我が平凡であり卑小であることを認めること。
    ③大方の私小説作家のように、深刻ぶった思いつめた顔つきをしないこと。
    ⇒戦後に現れた第三の新人と呼ばれる人の特徴は上記の3つらしい。そしてこの原型が安岡章太郎であるとか。確かにこの3つがちょうど安岡章太郎の魅力を表している。

    「戦後の混乱や流言で世の中は不可解と感じた。」
    「世界は不可解だが、不可解なものだと悟った。」
    「同時に自分の内面に目が向くようになった。」
    「自己認識という面白いあそびを覚えた。」
    ・戦時中から戦後の混乱期にかけては、生きることに忙しく、文学に心を傾ける余裕はなかった。もっとも戦後の混乱期は、言論思想の解放期でもあったから、すでに自己形成を了えていた人たちは、この時期、いっせいに活躍しはじめたわけだが、私たち未熟な者にとっては、文学どころか新聞一つ読んでも戸惑わされることが多く、何をどう考えていいかわからなかった。〜〜、何にしても、この頃起った三つの怪事件は、いずれも真犯人は上らぬままに終ったが、私自身はこの頃から、かえって世の中の不可解なことが不可解なりにわかってくるように思った。
    ・同時に私は、自分の内部に眼を向けて、これまで無意識に見過ごしてきたことを、あらためて意識的に捉え直してみるようになった。すると、自分という者が、これまでとは違ってハッキリと見えてくるような気がしてきた。この発見、というか自己認識は、私としては初めて知った面白いあそびであった。〜〜。この自己認識というあそびを覚えると私は、それまでの反現実主義の小説論は馬鹿ばかしいものに思われてきた。実際、小説を書くためにわざわざ架空の自己など設定しなくとも、自己というのはそれ自体が架空と見えるほど奥深いものであって、それを探ることは生じっかな小説を書くことよりも、もっとずっと小説的な作業ではないか。
    ⇒自分の外には依るべき確かなものはないと悟った点や自分の内面を掘り下げて観察する方法などに仏教っぽさを感じる。本人はそんな気ないだろうけど。
    ⇒実際に自分が感じたという確かな土台があるからこそ、内容に薄っぺらさがなく読み応えがあるように思う。

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    2025年09月23日
  • 走れトマホーク

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    安岡章太郎の73年の短編集を読む。一編目の「瀑布」、カナダ、トロント滞在中にナイアガラの滝、そしてある不用意な一言をきっかけにアメリカ、バッファローのインディアン・リザベーションに日系二世の牧師を訪ねることになる話。
    ただそこにいて好きなことをしていれば良いと言われた二ヶ月半に感じる何かを喪失したような「空白感」を持ちながらも、そこにいる事で感じ気づき、固定観念や偏見も解きほぐされる体験をしていく。
    「大体、フォールを滝と訳すことが間違っているのではないか?滝というからには、竜という超自然的な神格化された生きもののイメージがある。」「しかも翻訳されれば、“滝”の生命はフォールの中に香みこまれる他はないであろう。」
    泉鏡花の描いた滝の白糸から、言葉の表す、表せるもの、あるいは翻訳する事で失われてしまうものを思う。そして「この大陸ではほとんど抹殺されかかっている先住民族の言葉の運命を無意識に思い浮かべ」る。
    しかしナイアガラの滝に対峙すればそれに魅せられ、それまでは関心の遠くにあったインディアンの現実や、”白人“としか見えない彼らに出会うことでイメージも裏切られる。
    これは「ゼアゼア」から「コヨーテ読書」を読んだあとに出会うにはちょっと完璧かもしれない、と思ってしまうような短編小説だった。
    続く表題作の『走れトマホーク』は「アメリカ西部の山岳と贖原地帯を団体旅行」したときを描いた一編。『瀑布』の姉妹編というかその続きとして読んでいたこの話も“外に”出る事でする、せざる得ない体験と思索の話だ。
    トマホークという元はインディアンの言葉を名前に持つ馬にしがみつきアメリカ西部の山岳と贖原地帯を目的地も知らされず歩き回りながら考える、人生における移動について。
    「まるで自分の意志とは無縁なところへ連れられて行くおもいで、それは兵隊が移動させられるときによく似ていた」「自己の意志とは無関係に動かされることが、それほど不本意ではない、というより、むしろそのことに一種の放心状態に似た奇妙な安らぎを覚えるのだ。」
    移動、移住を繰り返し見知らぬ土地を転々とすることで「私はその場をその場をゴマかしてすごすことを覚えた」幼少期の記憶。それは繰り返されるモラトリアムなのかもしれない。そして今馬に跨っている自分に同年代に戦地を転々とした父親を重ね合わせ、彼のことを思い、ここでもイメージはまた覆される。“外”へ出る事で至ことが出来るものは、たしかにあるのだと思う。

    安岡章太郎は移動し続けること、“ただしい道“から外れてしまうことで、“外”からの視線を持ち続けた小説家だ。そんなことを考えはじめる。職業軍人だった父親に付いて短期間での引っ越し、移動を繰り返した幼少期。受験に失敗し続け、徴兵後には病気による強制ドロップアウトした青年期。常にそこを去ることが決められた他所者であり、“ただしい道”から外れてしまったという自覚を持ったアウトサイダーの視点があるのだと思う。
    そして家を買い定住し作家として社会的なある意味“ただしい”立場に置かれた戦後以降には、積極的に海外に出ることで“外”から日本をみる、あるいは現地でのアウトサイダーになり、その視点を得ようとする。
    それらの旅は帰ることを前提とした「日常の生活の責任から完全に逃げ出せるとは考えていない」けれど「無責任に自分の居場所を抜け出るという」ある種のモラトリアム期間でもあって。この2篇でも彼のモラトリアムは続くけれど、ナイアガラ、リザベーションを共に訪れた人物は、そこでの経験から大きな決断をし、トマホークは厩舎へ向かう「ホームストレッチ」を疾走する。“私”はまた取り残される。それらはわたしが彼の短編小説からいつも読み取る、読み取ってしまうテーマなのだった。

    幾つかの短編を挟んで最後に収録されているのは先日読んだ短編集『質屋の女房』の最後に収録されていた父親との関係を描いた2篇の更にその後、継母と老犬を間に置いた最晩年の父親との関係。ここにはひとつのモラトリアムーそれは子であることかもしれないーの終わりがあった。ここでの“私”は死によって取り残される。『生前の父と本当の意味で素直に語り合うことの出来なかった自分自身に対するイラ立たしさや、慙愧の念といったものが作品の背後に流れている』とわたしも思った。そのイラ立ち、後悔はわたしにもある、と改めて思い知る。ここにはもうモラトリアムはなく、取り返しがつかないことだけれど、それを小説に書くこと、読むことには意味がある、と思いたい。わたしはイラ立ち、後悔する他に何が出来るだろうか。なにも出来ないのだろうか。何かは残しておきたい、とは思う。
    「自己露出とは、一味も二味も違う抑制と客観化」された安岡章太郎の小説は本当に凄いと思う、と同時にわたしに主体化を促してもくる煩わしさも感じる。しかし、それが“素晴らしい”読書なのだとも思う。前半とうまく噛み合ってない散らばった文章を書いている、とも思いながら、一旦ひとつ納得と感動のため息をつき、また彼のことを考えはじめることになるのだった。

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    2025年01月25日
  • 質屋の女房(新潮文庫)

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    安岡章太郎の「質屋の女房」に収録された短編たちがフレッシュだった。小島信夫がこの文庫の解説で「ガラスの靴」について書いている「新鮮」さとは少し違う意味で。
    それぞれの短編で描かれる、戦争、徴兵までの、童貞喪失、“男”になるまでの、決めかねる将来までの、あるいは占領下、“戦後”という時代にあったモラトリアム。そこには熟れる寸前に残った青さのようなギリギリのフレッシュさがあった。
    モラトリアムは猶予された期間ではあるけれど、そこには気楽さや安心感、希望よりも「漠然とした不安の未来」「前途には悲惨なものが待っている」という思いが渦巻き不安や焦燥感が募る。それでも、周りが動いたり決めたりし始めるなか、なにも決められないまま動き出せないまま『相も変わらず』過ごすうちに時間や時代や他人が前途や未来、将来を”決めて“しまったとき、猶予期間が終わったと「そうわかった瞬間」「ふと安堵に似た溜息がもれ」る。ああ、モラトリアムとはそういうものだった。と感傷的に昔を思い出し、わたしも素晴らしい小説を読んだことに感傷が加わった溜息をもらす。
    しかし”大人“に父になったことで、時代が変わったことで、そして母親の死(を実感する様を描いた「海辺の景色」は本当に傑作)によって終わったはずのモラトリアムは最後の「家族団欒図」「軍歌」という二篇で父親の姿をして帰ってくるのだった。ああ、そうか。モラトリアムという期間は、若者だけのものではなかったのか。先の予定や期限が切られた決断、作らなくてはいけない金や時間、生きている限りある、将来や未来。幾つもの猶予と不安と焦りが人生には常にある。わたしにはある。今もある。それらを抱えながらも、決めたり決められなかったり、動いたり動かなかったり、右往左往や思い悩みながら、(わたしの人生では)多くは時間に押しつけられるように訪れるモラトリアムとその終わりがこの短編集のように繰り返される。そして何度も安堵に似た溜息を漏らす。そうやって人生は続いていくのか、ともう一度溜息が漏れたのだった。
    安岡章太郎の書く小説はその時代的には「遠い」のだけれど、そこで主人公が起こす、あるいは起こせない行動、感慨や思い悩みは普遍的というか、わたしに「近い」と思ってしまえるのだった。そして安岡章太郎も小説がめちゃくちゃうまい。毎回、うまい素晴らしい小説を読む喜びと一緒に、自分を省みたり気がついたり、人生を思ったりしてしまう。ちょっと落ち込んだりもするけれど、やはり素晴らしい読書体験なのだった。

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    2024年12月21日
  • ガラスの靴・悪い仲間

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    もちろん内容は現代向きではないけど、第三の新人と言われた人なだけあって、現代作家さんにも見られる文体や作風を感じることができる。暗い中になんとも可笑みのある気の抜ける表現はとても面白くセンスの塊だと思った。

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    2023年05月23日
  • 質屋の女房(新潮文庫)

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    ネタバレ

    肥った女

    源氏名君太郎が面白すぎる。
    最後はちょっぴり切ない

    吉原のシーンは暗夜行路の影響受けてそう

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    2021年09月25日
  • 僕の昭和史

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    大正生まれの作家、安岡章太郎氏による、私的な昭和史。

    教科書的な歴史では分からない、リアルな市民目線の歴史の変遷が感じられる。

    あと何年で徴兵に取られると怯えながら過ごす高校、大学時代の青春を実体験できる。

    徴兵されて戦地に送られたものの、発病して日本に送還された。同じ部隊の仲間は南方で玉砕、またはシベリア送還になった。戦後はカリエスを患って寝たり起きたりで作家活動し、結局90歳近くまで天寿を全うした安岡さんは強運というしかない。

    呑気で鷹揚な感じの安岡タッチだが、悲運で死んだ友人は数知れず。結構ふてぶてしくなかったらこんな苛烈な時代には生きていかれないだろう。

    東京オリンピック、ベトナム戦争前後のアメリカの雰囲気もリアルにわかって面白かった。

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    2019年07月27日
  • 夕陽の河岸

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    ★3.5のおまけで。
    上手い作家の上手い文章、珠玉とはまさにこういうことなんでしょう。エッセイ的な感じではあるものの、そこを超えて「景色」を読者に喚起する力は並大抵のもんじゃぁないでしょう。
    今まで読んできたエッセイ的作品の中でも相当に上位にある作品かと思われ。

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    2018年11月11日
  • ガラスの靴・悪い仲間

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    自分は小説を読むのが好きですが、選り好みが激しいです。
    たとえば、戦後の作家ですと、「第一次戦後派」「第二次戦後派」と呼ばれる作家たちは結構つまみ食いしてきましたが、その後に登場した「第三の新人」はほとんど手付かず。
    小島信夫を少し齧ったくらいです。
    第三の新人を飛ばして「内向の世代」は古井由吉さんが大好き。
    大江健三郎以降は割と万遍なく目配りしていて、近年もきっかけがあれば手に取ってきました。
    ただ、文壇で重要な地位を占める作家も含め、取りこぼしがかなり多いです。
    端的に言うと、系統的な読書をしてこなかったということですね(そんな読書は不健全なので向後もするつもりはありませんが)。
    ただ、食わず嫌いは避けたい。
    食指が動けば、いつでも読もうという気持ちはありました。
    で、先年、村上春樹の「若い読者のための短編小説案内」を読み、第三の新人たちの作品の魅力に触れて俄然、興味が沸きました。
    前置きが長くてすみません。
    というわけで、まずは安岡章太郎。
    本書は安岡の初期作品を集めた短編集です。
    初めて読みましたが、今読んでも色褪せない。
    石原慎太郎流に言えば、アクチュアルなものを含んでいるな、と感じました。
    それはどこに依拠するのかと考えて、登場人物ではないかと思いました。
    本書に収録されている作品の主人公は、今で言えば、「負け組」に分類される人たちでしょう。
    しかし、そのことを主人公たちは悲しんでもいなければ、逆に楽しんでいるわけでもない。
    非常にニュートラルに現実を受け入れているのですね。
    その構えが現代的(都会的とも言えるかもしれません)ですし、作品としても間口の広さにつながっていると感じました。
    個人的には安岡の初期の代表作とされ、表題にもなっている「ガラスの靴」や「悪い仲間」も良かったですが、「愛玩」や「剣舞」が気に入りました。
    愛玩で仲買人が兎を始末するシーンは、静かに戦慄したものです(中上健二の作品にもあんな場面があったような…)。
    ちなみに、現在、純文学のジャンルで活躍している作家の多くは、この第三の新人の系譜を好むと好まざるとに関わらず引いているのだとか。
    戦争や天変地異など大状況の変化がない中、文学は洗練へと向かわざるを得ません。
    平凡な日常の中に題材を見つけ、人間の本質に迫る現代作家の作品を随分と読んできましたが、その端緒が安岡ら第三の新人にあるのだと言われれば、なるほどと得心します。
    なお、個人的な見立てでは、東日本大震災後、震災の記憶を携えてものを書き始めた作家は、後年、「震災後派」と呼ばれるようになるのではと見ていますが、今思い浮かぶのは、先年、芥川賞を受賞した沼田真佑さんくらいで、まだ塊とはなっていません。
    もう少し時間がかかるかもしれませんね。

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    2018年01月27日
  • ガラスの靴・悪い仲間

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    # ガラスの靴・悪い仲間

    戦前戦後の雰囲気が味わえる。
    今と変わらない人々が暮らしていたんだなあと。
    いい文章。

    ## ガラスの靴
    ファンタジーの時間は終わる。それも外的な力により強制的に。
    シンデレラのガラスの靴のように残されたかのように見えた時間も、あっという間に割れて消える。
    素直に読める。青春。
    戦後すぐの話。

    ## ジングルベル
    父親の就職の世話をする話。
    終戦直後。

    ## 宿題
    小学生時代の思い出。
    夏休みの宿題をやらずに学校に行けなくなる。
    戦前。

    ## 愛玩
    ダメ父親の話。毛を売るためにウサギを飼育するがうまくいかない。
    終戦直後。

    ## 蛾
    耳に蛾が入る。
    戦後かなあ?

    ## ハウス・ガード
    米軍に接収された、ボヤで半分焼けたままの家の住み込み管理人となる。
    終戦直後。

    ## 陰気な愉しみ
    野毛山の役所に戦傷者慰労金をもらいにいく。
    終戦直後。

    ## 悪い仲間
    大学予科に通う少年が友達とささやかな悪行を繰り返すが、こんなことばかりはしていられないと気付き、迷いながらも抜け出す。
    素直に読める。青春。
    開戦直前の話。

    ## 剣舞
    ダメ父親の話。父親にハウス・ガードを紹介するもうまくいかない。
    終戦直後。

    ## 勲章
    終戦直後、勲章と交換に米兵からタバコをもらう。

    ## 築地小田原町
    悪い仲間に似ている。

    ## 吟遊詩人
    メリヤス問屋でろくな働きもしていないが、なぜか社長の親戚と見合いをし、気に入られる。社歌を作った。
    戦後かなあ。

    ## 王様の耳
    自分の内にいる卑怯者は自分だけが知っている。友人を戦地に送り、自分は残る。
    開戦直前。

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    2018年10月19日
  • 質屋の女房(新潮文庫)

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    学生時代(出征前)を描いた作品が一番多く、終戦直後がひとつ、戦後10年以上経った時代を舞台にしたものが2つ。芥川賞受賞作を含む。
    発表された時期はバラバラ。安岡章太郎の代表作を集めたと言っていいだろう。
    「ガラスの靴」は恋愛(それも未熟な恋愛)小説の傑作。若さと才能だけではなく、あの時代に生きていたからこそ書けた。今の上手い作家が同じ時代を舞台にしたところで、これは絶対に書けない。「待つことが、僕の仕事だった。」忘れられない。
    代表作だけあって、どれも良かったし、戦争中に浪人していた、母に愛された取り柄のない一人っ子の気分というのは、彼だからこそ書けたと思うが、自分が中年となり、かつては不在ながらも存在感と威圧感のあった父が老いた姿を描いた最後の2作も素晴らしい。
    もっと読みたい、安岡章太郎。

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    2016年02月29日
  • 質屋の女房(新潮文庫)

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    短編集

    個人的には表題作の『質屋の女房』よりも、
    『悪い仲間』や『陰気な愉しみ』の方が好きで、
    社会に劣等感を抱きつつ中々前に進めない登場人物たちに非常に好感が持てます。

    『ガラスの靴』も読後感の素晴らしい作品です。

    短編で読みやすい作品ばかりですので、是非手に取ってほしいです。

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    2015年02月15日
  • 質屋の女房(新潮文庫)

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    青春期はある意味、モラトリアムであるとおもいます。
    産みの苦しみを経て青年は次のステージへと進んでいくのが一般的な成長だと思うのです。

    しかし、ここでの主人公はモラトリアムとも言えない、本当に無駄な時間、糞みたいな時間を過ごしています。
    「誇り」も「覚悟」も無いから、女も抱けず、軍人にもならず、学生にもなれず、母親からも独立できずにいます。

    こんなクソ野郎が主人公のくせに、苦悩感が薄くさらりと仕上がっています。
    でも、それでも苦悩感が残っているんです。

    そんなバランスがとても心地よかったです。

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    2014年11月21日
  • 質屋の女房(新潮文庫)

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    ネタバレ

    ■ガラスの靴
     バイトをさぼって配達先のメイドとよろしくやっちゃう話。「魅力のとぼしい」女に惹かれるっていうのがこの作品に共通して不思議なところ。

    ■陰気な愉しみ
     戦争で働けない身体になってしまい、現代で言うナマポ的なものを受け取ることで劣等感を感じる(と、同時にそれを愉しみにもしている)主人公のお話。自分と境遇は違うが、その気持ちは不思議と分かる気がする。

    ■悪い仲間
     伊坂幸太郎が書く型破りな友人キャラに近いものを感じるけど、みんなそれぞれに背伸びしてるところが面白い。

    ■夢みる女
     この本の中で異彩を放つ童話的な話。なんか怖い。

    ■肥った女
     やっぱりここでも外見的には醜い感じの女性に引かれる主人公。お母さんもぼっちゃり系女子(笑)だったようだし、何か母性でも感じちゃうのかしら。このあたりからグダグダ浪人生の話が続く。

    ■青葉しげれる
     落第してもあっけらかんとしてる。どことなく憎めないやつら。

    ■相も変らず
     ほんと相も変らずグダグダしてんなー(笑)
     医学部に入ったのに文学部に通うなんてもったいねえよ!! と思ってしまうのだった。

    ■質屋の女房
     おっ……おセンベツ!! 質屋の女房の色気がすごい。
     女房もちょっと恋心抱いてたんじゃないかしらなんて思う。

    ■家族団欒図
     ここから2作は戦争が終わって、高知県(K県となっている)のオヤジ登場。ちっとも枯れ切ってない(笑)オヤジもなかなかダメなやつだった。
     結末はなかなかハッピーな感じ……かと思いきや。

    ■軍歌
     ついに主人公が大爆発する(いや、短編なので別に同じ主人公とは一言も書かれていないのだけど、作者の私小説風の作品なので)。この大爆発を、学生のころの作者はずっと避けていたような感じがする。そのくせ、親に黙って遊び歩いたり、遊郭に行ってみたり、文科に行ってみたりするんだな。


     比喩表現のセンスに脱帽。たとえツッコミ芸人もびっくりだぜ。

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    2012年11月05日
  • 質屋の女房(新潮文庫)

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    10の短編集。しっかりとした文章が印象的。「陰気な愉しみ」は「檸檬」を彷彿とさせる。他の作品では総じて、母、父との関係、家族であるがゆえの空虚感や重圧感が、苛々と覆ってくる。12.6.20

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    2012年06月22日