アリストテレスのレビュー一覧
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共通する章を持ちながら、その結末から『政治学』の方へ誘導する『ニコマコス倫理学』とは異なり、人生の幸福を説いて終わる『エウデモス倫理学』は、その成立時期が争われているそうです。
先に『エウデモス倫理学』をものしたアリストテレスが『政治学』へ導く必要性を感じて『ニコマコス倫理学』を顕わしたのか、『政治学』への発展を不要とする別パターンとして『ニコマコス倫理学』の後に『エウデモス倫理学』を顕わしたのか。
『エウデモス倫理学』がアリストテレスの自作であることが明確になった今、先後が問われることとなったとのことです。
いずれにせよ両者の顕わす価値はそれぞれにあるので、どちらも学べるのであれば、学んでおくのが良いと思います。
古今、何人がこの本を読んできたことでしょう?
その末端に繋がることができた喜びに心が震えます。
わたしの推しはアリストテレス。
在りし日のテレスの姿をいろいろ見てみたい♡
〔作品紹介〕
下巻では、快楽について、「すぐれた友とは『もう一人のその人』である」とする友と愛について、また幸運と幸福について、そして「善美の徳」について考察する。いずれも善く生きるための倫理学書でありながら、『ニコマコス倫理学』とは異なる結論が導かれる本書の解釈そのものについて、また『ニコマコス倫理学』に対する位置づけなど、世界的な論争も踏まえた詳細な解説が付く。 -
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2300年前の人に教えを乞うことができる喜び。
万学の祖のアリストテレスは万人の師でもありました。まさにアリ師トテレス。
幸せな人生とするために何を大切にし、どう生きれば良いかを教えてくれます。
プラトン(ソクラテス)の対話編とはことなる緻密な論理構成は、近代哲学の素地となっています。
シンプルで現実的。神に祈るのではなく自身の行動で人生を切り拓いて行く。これぞ哲学。
素直に感動しました。迷った時に立ち戻りたい基地をもらったような安心感を得ました。
わたしの推しは、アリストテレス♡
アリストみのりと名乗りたいほど♡
〔作品紹介〕
アリストテレスの真作であることが確立され、近年、その評価、価値が高まっている『エウデモス倫理学』は、『ニコマコス倫理学』と並ぶアリストテレス倫理学の主著である。幸福について、また幸福のための徳について考察が進められ、その幸福を実現するうえで重要な「善美の徳」という「完全な徳」をどう身につけるかが議論される。『ニコマコス倫理学』とも重なる共通の部分とその相違、独自性について詳細な解説を付ける。 -
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アリストテレスの『詩学』は美学の古典としてあまりにも有名であり、今道友信氏の『美について』をはじめ様々に紹介されている。ところが『詩学』そのものを読み進めようと思って岩波文庫の詩学を手に取った読者は、いきなり韻律の細かい議論が展開されることに面を食らってしまうかもしれない。読みやすい翻訳としては『世界の名著』の藤沢令夫訳があり、評者は大学時代にこれを読んだ。あとは大分なものではあるが旧版アリストテレス全集の今道友信訳があり、それから新版の朴一功訳が最近刊行されている。本書、光文社古典新訳文庫の三浦洋氏による新訳は手軽さにおいて群を抜き、小見出しのついた読みやすい訳文とともに現行の詩学解釈を提示する解説が付されている。
アリストテレスの『詩学』において有名なのはミメーシスとカタルシスをめぐる議論であろう。訳者解説で詳述されるように本訳はミメーシスを模倣と一貫して訳していることに特徴がある。他にも訳語を一貫して選択し、訳し分けていないことを訳者の解説に読み取ることができる。すると文章が読みにくくなるかと言えばそうではなく、小見出しが付いた本文はアリストテレスが論じようとしている事柄を小さな単位に分割して提示してくれている。読者が本文を読み進めて立ち止まるであろう所には周到に訳注が付されており、解釈の分岐点が明示されている。そしていつの間にか通読できてしまうことに驚かされるであろう。
古典新訳文庫の特徴とも言える充実した解説においてミメーシスとカタルシスの内容が詳しく述べられる。プラトンの『国家』と対比されながら提示されるミメーシスの議論はアリストテレス研究、ひいてはプラトン研究の深部へと読者を案内する。この言葉ひとつの位置付けが両者の読解の要となることを明示しているのである。そしてカタルシスもまた後代において様々に理解されてきたが、その細部を解きほぐし著者の読解を示すのは圧巻である。詩学研究そのものがただ単にある帰結を導き出すことではなく、アリストテレスのテクストの読み直しを迫ることを知らせてくれるのである。
本書はともすれば細部に拘泥しテクストの中で迷ってしまうかもしれない古典を明快な叙述を通して提示してくれる。そして読み進むうちにアリストテレスのテクストを読むことの醍醐味を感じさせる一冊と言える。一般に受け止められている印象を繰り返すことなく丁寧に紐解く本書は、詩学にまつわるテクスト内外の解釈の分岐点を明示し、読者を更なるアリストテレス読解へと招くものである。 -
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アリストテレスの政治学は言わずと知れた政治哲学の古典である。トマス・アクィナスの神学大全の人間論においてこの著作が頻繁に言及されており、トマスが豊かな洞察を得ていた書物であることがわかる。政治思想、政治理論を学ぶ上で重要な著作でありながらも、日本の読者が本書を読むには時々再版される岩波文庫の山本光雄訳か西洋古典叢書の牛田徳子訳を読むしかなかった。岩波文庫の山本訳は品切れが続いており、牛田訳は単行本のため持ち歩きには適さない。本書は光文社古典新訳文庫で詩学を訳した訳者による待望の翻訳と言えよう。
政治学は重要著作であることが指摘されていても、どこか研究がための書物であると思っていた。しかし訳者による詩学の翻訳がそうであったようにアリストテレスの政治学もまた現役の政治哲学の古典であることが知らされる。まず読み進めて目を開かれるのは、そこに記されたアリストテレス自身の瑞々しい観察である。そこには人間の生の営みを見極めようとするまなざしがある。わたしたちは政治学や政治理論はどこか机上の空論であると見なしていたりはしていないだろうか。この著作を読み進める読者は、今の現代政治において時に見失われがちな健全な政治のあり方と政治のあるべき姿とを見出すであろう。中でも印象的なのはアリストテレスのこの著作そのものがプラトンの国家篇を導きとしていることである。
先に詩学を翻訳された訳者ならではの最新の研究動向を反映した訳注は議論の所在を丁寧に解説しながら、読者をより深い読解へと導いてくれる。アリストテレスの他の著作のみならずプラトンの国家篇での議論を突き合わせる訳注は、本書を読み解くためにだけでなく、広くアリストテレスの著作を古典として享受しようとする読者にとって得難い導きとなるものである。
本書の解説は、本文の議論を拾いつつも、この著作が現代において如何に読み解かれうるかを正義論の文脈から読み解いていくものである。いまわたしたちが政治哲学において議論していることの根本に位置するアリストテレスの政治思想を明らかにするものといえよう。とはいえその解説は、読者に現代の書として政治学という著作そのものを今日という文脈に置こうとするものであり、むしろ本文を隅々まで読むことを求めている。2400年の時を超えてアリストテレスの肉声を響かせる待望の古典新訳である。 -
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上巻では人柄に関す徳の話が続いたが、
下巻では下記の内容でバラエティに富んでいる。
6章「知的な徳」7章「欲望の問題」
8~9章「愛について」10章「幸福論の結論」
6章では魂自身の性向として
「技術」「学問的知識」「思慮深さ」「知恵」「知性」
の五つの性向に分けてそれぞれ解説している。
正しい行動のためには「思慮深さ」が必要だが、
「思慮深さ」は全てを支配下に置くわけではなく、
各々の性向は別物であるという結論を出している。
7章では抑制のなさと快楽を追及して、
抑制の無い人の快楽には苦痛が伴うが、
美しいものを愛したり、立派な行動をしたり、
という快楽には苦痛が伴わないと結論を出している。
8~9章はちょっと毛色が変わり愛について説き、
人が人を愛する理由を「有用さ」「快楽」「人柄」
の3つに分けて、「人柄」が最も優れたものとし、
善き人々の間でお互いに善を願い合うのが、
愛として完全なものだという結論を出している。
10章はまとめとして幸福は「徳に基づく生活」
であるという最初の結論に立ち返り、
そのままそれを実現するための政治の話が展開され、
アリストテレスの別の著作である「政治学」に続く。
現代でも人間そのものの本質は変わっていないので、
どう生きるか考えるのに大いに参考になる講義だろう。
特に8~9章は内容もそれほど難しくないため、
色々な人に読んで欲しい内容である。 -
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アリストテレス先生「幸せって何だっけ」の巻
「幸せとは何か?」というテーマの講義だが、
早々に「徳に基づいた魂の活動」と結論を出している。
徳とはある性向における中間性のことであるとし、
例えば「勇気」なら超過すると「向こう見ず」になり、
不足すると「臆病」中間が「勇気」であるとしている。
「向こう見ず」は勇気に似ているが、
必要の無い時は勇敢に振る舞い、
本当に恐ろしいものに耐えられない。
「勇気」は普段は穏やかだが、
必要な時は恐れるべきものにも立ち向かう。
「臆病」は恐れる必要の無いものでも恐れる。
このように様々な性向に関して検証していっている。 -
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二千年にわたり読み継がれる驚異の古典。最新訳で読んでみた。
『弁論術』といえば、説得の三要素。
エトス(ethos) 話し手そのものの信頼性。
パトス(pathos) 聞き手の感情。
ロゴス(logos) 論理や論証。
三巻による構成。
第1巻が「何を論じるか」、第2巻が「人はどう感じ、判断するか」、第3巻が「それをどう語るか」を論じる。
第1巻では、弁論を「審議的」「法廷的」「演示的」の三種類に分け、それぞれについて、どのような論点を使って説得するのかを整理していく。政治なら利益、裁判なら正義、演説なら徳や名誉、といった具合。さらに「トポス」と呼ばれる、議論を生み出すためのさまざまな型が細かく列挙される。
ここはかなり体系的だが、読んでいると「本当に客観的な分類なのか?」「抜け漏れがないと言えるのか?」という疑問も浮かんでくる。完全な分類表というより、議論の材料を見つけるための思考の道具として読むべきなのだろう。すべてを網羅することより、未知の状況でも論点を発見できることに重きが置かれる。
第2巻は、「人はどのように感じ、判断するのか」が論点になる。第1章ではエトスが扱われ、その後、怒り、恐れ、恥、愛情、憐れみ、義憤、妬み、競争心など、人間の感情が徹底的に分析される。そして最後に、例証や格言、説得推論など、ロゴスに関わる論証の仕組みの論説で締めくくられる。
第3巻は、「どう語るか」。表現、比喩、文体、リズム、弁論の構成などが論じられる。明瞭な表現を重視し、詩的すぎたり、技巧を凝らしていることが露呈したりすると説得力を失うとされるあたりが、いかにもアリストテレスらしい「技巧を使うなら、技巧を使っていることを感じさせるな」という思想。
やはり第2巻が一番面白い。
特に印象に残るのは、アリストテレスの、人間の感情に対する観察の細かさ。
まず第1章で、話し手が信頼されるための条件を「思慮・徳・好意」の三つに整理する。能力があり、誠実で、しかも自分たちのことを考えてくれている。この三つが揃って初めて、人は「この人の言うことなら信じよう」と思う。エトスという一見抽象的な概念が、鮮やかにシンプルに分解される。
そして、怒り。怒りは単なる不快感ではなく、「軽視された」「侮辱された」と感じることから生じる。そして、聴衆を怒らせるには、話し手自身が怒っていることを示すのではなく、「あなたたちが軽視されている」と感じさせることが重要だと語る。現代における政治的な演説やSNS上の炎上にも通じる、普遍で身近な心理。
恐れについては、危険そのものではなく、「不幸が差し迫っている」という認識が重要だと説く。遠い未来の危険には恐れを感じにくい。また、強大な人でさえ不幸に遭った、自分と同じような人が思いもよらない不幸に遭った、といった事実を示すことで恐れを喚起できる。エビデンスのある統計よりも具体的な事例に心を動かされる現代人の心理をも思わせる。
恥の分析も鋭い。恥ずかしさとは、悪事そのものへの苦痛ではなく、悪評につながるようなことへの苦痛だという。そして人が評価を気にするのは、悪評によって何かを失うからというより、悪評そのものが苦痛だからだとする。人間が「他人の目」をどれほど意識して生きているかを、非常に明快に捉えている。
愛情については、「相手のために良いことを望み、それが実現するよう力を尽くすこと」と定義する。そして、自分がもっとも認めてほしい部分を認めてくれる人を好きになりやすいという。人は、自分が大切にしている自己像を理解してくれる人に惹かれる。
興味深いのが、義憤・妬み・競争心の区別。不当な成功に対する苦痛が義憤、他人が成功していること自体への苦痛が妬み、そして「自分もそれを手に入れたい」という苦痛が競争心だという。同じ「他人の成功」に対する反応でも、心の向かう方向によって別の感情として分類している。特に、競争心は相手を引きずり下ろすのではなく自分を高めようとするものだから、立派な感情だとするところは意表を衝かれる。
第2巻後半では、ロゴスに関わる論証の技術が登場する。「今にも起ころうとしていたなら、それは起こったと言える」という趣旨の論法は、さすがにちょっと無理があるのではと思ってしまったが、厳密な証明というより、弁論において「ほとんど起こったも同然」という蓋然性を利用するための論法なのだろう。
そしてコラクスの弁論術では、被告が犯人らしくないなら「私がそんなことをするはずがない」、逆に犯人らしく見えるなら「そんなに疑われることが分かっているのだから、私がそんなことをするはずがない」と、どちらの場合でも無罪を主張できるという議論が紹介される。ここには、「説得力があること」と「論理的に正しいこと」は別物であるという、『弁論術』の興味深いテーマが表れている。
例証については、過去の実例だけでなく寓話のように創作することもできるとし、寓話を作る能力の核心を「類似を見出す能力」に求めているところも印象的。説得推論の後に一つの事例を添えるなら十分だが、事例から結論を導こうとするなら、多くの事例が必要になるという。現代のプレゼンテーションにも、そのまま通じる考え方である。
『弁論術』は単なる話し方の本ではない。
エトス――誰が言うのか。
パトス――相手はどう感じるのか。
ロゴス――何を根拠に判断するのか。
三要素を組み合わせながら、人間がどのように説得され、判断を下すのかが考え抜かれている。
二千年以上前の本なのに、現代のさまざまな場面に通じることが驚異だ。 -
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ネタバレ■この本の中心問題
国家は、欲望、部分利益、不平等により共通善が失われ、容易に混乱・分裂する。このため、アリストテレスは現実の条件に応じ、いかに共通善を維持して「市民が善く生きること」を実現するかを問題とした。
■問題構造
アリストテレスの政治学における問題は、欲望や配分原理の対立といった原因によって、配分基準の異なる階層同士の派閥化・抗争が起き、それが内乱や国制の変動につながる一方、すべての市民が高度な徳と実践知に到達できないことや、歴史的に与えられた国制条件といった制約によって、理想国家を実現し、より善く生きることが困難であるという現実にある。
■核心概念
○共通善:国家共同体全体が徳を実践し、より善く生きるための共同目的であり、共同体の中でこそ徳を発揮して幸福になれる個人にとって、共通善は個人の善の前提条件となる。支配者が共通善ではなく私的利益(部分利益)を目指す場合、正しい国制から逸脱した国制となり、最終的に国制の変動に至る。
○配分的正義:価値が等しい人々に利益が等しく配分され、価値が等しくない人々には、価値に応じ配分されるべきだという配分原理のこと。価値を自由に置く民主制では人々は対等であるため等しく配分し、価値を富に置く寡頭制では、人々は財産の多寡により対等ではないため、財産の保有量に応じ配分するのが正義となる。構成員間で配分原理が対立する場合に、内乱を引き起こし国制の変動に至る。
○国制:国制に応じた配分原理に基づき、誰が何を善とし、どのように支配するかという国家共同体の秩序原理
■方法論
○単一の理想を絶対視せず、条件に応じて最善を探求した。
○先人の理論及び過去事例を比較分析して最善を探求した。
○理論知ではなく、個別の状況に応じて判断する実践知を重視した。
○何のために存在するか(目的)を明らかにして政治を理解した。
■プラトン『国家』との比較
プラトンは、無制限な欲望追求に陥るアテナイ民主制を批判し、理想モデルとしての市民が「善く生きること」を目的とした単一の理想国家を提示し、理想をもって現実を統御しようとした。この際、教育による有徳な市民の育成を重視するとともに、各階層の同質化の追求や支配層の私有制限等、国家の統一性を重視した。また、政治を理論知として厳密な認識可能と捉え、善のイデアを観照した哲人による統治を最善とした。
一方、アリストテレスは、「善く生きること」を目的とした倫理共同体としての国家観、そのための徳の涵養や教育の重視といった理念を共有しつつ、最善は単一ではなく、現実の条件依存的に実現可能な最善国家を探求した。また、最善国の探求だけでなく、現実の国制をいかに改善しより善くするかという探求も重視した。この際、プラトンの過度な統一性を批判し、国家には適度な複数性や私有による自己愛の保持が必要であるとし、適度な複数性を持つ市民共同体における関係性の構築を重要視した。
また、政治学を現実の異なる条件から適切に判断して最善を求める実践知であるとし、支配層の実践知による判断の必要性を重視した。
■現代への接続
○現代政治は国民の欲望に歯止めがなく、起業家など、むしろ名誉欲や金銭欲に関しては、欲望の追求が称賛される欲望開放社会であり、プラトンやアリストテレスが共有していた「善く生きること」のための共通善の共有は困難となっている。現代資本主義社会においては 、金銭的成功や自己実現、旺盛な消費といった価値観の中で、部分利益より国家全体の利益を優先する共通善の価値観を確立することは可能であろうか?
○現代社会は民主制であっても対等な配分がなされず、財産、家柄等への部分利益による配分的不正義が蔓延しており、財産や家柄のほか、支持政党や世代、アイデンティティといった、より多様な区分による蛸壺的な派閥化が起こっている。多様性社会で配分原理の共有は可能であろうか?
■私の結論
アリストテレスは、プラトンを批判しつつも、「善く生きること」を目的とした倫理共同体としての国家観を共有し、その現実での実現を探求した。彼は政治学を実践知と捉え、単一の理想国家や単一の実現方法に縛られず、現実の国制の比較分析に基づき、条件依存的な最善国家を探求するとともに、既存の国制の改善方法についても政治学の役割として探求し、現実におけるより善く生きる方法を模索した。
この読書を通じ、政治とは単なる制度論でなく、共同体が「より善く生きる」ために欲望や利害で分裂・対立する共同体を、その条件に応じて共通善に導き、現実に媒介する行為であると理解できた。また、国制もただの政治制度ではなく、富・自由・徳といった何を価値基準(善)とするかという配分原理に基づき、支配の在り方を規定する秩序原理であると理解できた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレニコマコス倫理学もそうだったが、やはり3回ほど通読してようやく輪郭がつかめてくるレベル。訳者の三浦先生の解説が本当にわかりやすく、これだけでも読む価値あるのではと思える。
近年のポピュリズム(いい加減、この名称も不適切になっている気がするが)やコミュニタリアニズムとの関連まで含めて解説されていて、非常に考察の参考になった。
内容は言うまでもなく古典中の古典であり、門外漢の自分がちょっと読んだ程度ではどうしても断片的な感想になってしまうのだが、それを差し引いてもニコマコスに比べると少し読みにくいと感じるのは、解説にあるような二重構造的な論理展開の故か。
自分は、4~6巻が結論的な方がおさまりが良いのではないかと思えるタイプの人間だったようで、7巻以降はプラトンの「国家」「法律」との既視感を覚える内容でかえってわかりにくかった。
本書の成立過程は諸説あるとのことだが、他者が後から編纂した、ということの方がこの一見奇妙(と自分には思える)論理構造の説明としては合っているような。
とりわけ考えさせられたのは、「(よき民主制/共和制には)善く支配することと、善く支配されることの両方を学ばねばならない」というところ。
民主制とは成員達が数の上で平等であり、それゆえに全員が平等な量を受け取ることを正義とする、という定義ならば、支配することとされることもまた平等に受け取り、支配者はなんらかのシステムに則って交代を重ねていかなければならない。
だとすれば、我々、今の民主主義国家の市民は、支配されることと支配することをセットで学んで、考えているのだろうか。善く支配することは言うに及ばず、善く支配されることすらも考えていないかも?
プラトンの「法律」には、犯罪を犯したものだけでなく、それを看過したものも罪に問われる、とあった。共同体の中にあってこそ人は真に善く生きることができる、とする考えを持ち、共同体を自分たちがどう作っていくか、という考えを、果たして自分は持てているだろうか。
また、メソテース(中庸)の意義もニコマコスに続いて説かれているが、こちらは国家にとっても中庸が最も大事であることが説かれている。
結局、右か左かではなく、どちらかに寄りすぎていないか、常に考え続けることこそが、イコール共同体と、その中で善く生きることを大事にすることそのものにつながるのだとすると、相手を非難することに時間を割く政治はなおさら空虚に思えてくる。
米国の(もしかすると日本も)のリベラルが支持を失った理由の一つは、もしかすると、「人権意識を基に行動する自分たちは常に正しい」という錯覚に陥り、相手を無知で野蛮と話の前から断じるような姿勢になったせいではないか。行き過ぎた人権尊重もまた、中庸から外れた姿勢には違いがないのに。
自分はどちらかというと左派かと思っているが、相手を守旧で野蛮と非難するだけの左派もまた、別の意味で醜い存在になりうることは心にとめておかねばならない。
それにしても、
・民主制は平等を求めるあまり富裕者の財産の没収を試みるようになり、やがて民衆指導者に導かれて体制を不安定化させ、最悪の場合、民衆指導者が独裁者と化す。
・寡頭性は民衆に対して自らが優れると考えるがゆえに数ではなく価値に比例した対等を求め、民衆を侮るようになり対立を深め、同士討ちや民主派との相克で体制を不安定化させる。
そのまま現代に当てはまると思うと暗然としてしまう。米国だと前者が「共和」党で後者が「民主」党に当てはまりそうなのが何とも皮肉。我が国も似たようなものだが。
厄介なのはこれらの対立を仲裁して安定化させる、中庸の体現であり仲裁者である中間層が先進国で溶解していて、対立軸解消の動機がないことか。
アリストテレスは奴隷制容認とみなされて批判されることが多いが、意外とメリトクラシー寄りというか、真に優れた人間なればその価値に見合うものを受け取るべき(配分的正義)を肯定しているので、単なる時代精神というだけではなく、優れた人間にはそれなりに報いてよい、という考え方のように見える。
アリストテレスの「優れた」は徳と富を有した、まさに名士と呼べる存在なので、もし、本当にこのような存在が居るのなら、確かにその人にはある程度報いがあってもよいと思える。
人類がみな平等で、等しい権利を受くべきことに疑いはないが、だからこそ、時に立ち止まって悪平等に陥っていないかを検証することも、これからのリベラルに必要なのではないだろうか、と考えた。 -
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アリストテレスの説明の仕方は、当時の文化、価値観に即したものであるが、読んでいくと、「現代と一緒じゃん」となる価値観がほとんどだ。「人は愛するよりも愛されることの方が嬉しいと思っている」とか「友人こそ最も重要である」とか。
「もっとも」と言う単語を多用しすぎている気がしていて、何が最も(1番)大切なのかが明確になっていない。加えて、少し説明が細かすぎて冗長でもある。本書は哲学本と言うよりは自己啓発本に近いのかなと感じており、もし哲学本だとするならば、相当読みやすいなと感じた。
「アリストテレスもそう言ってた」という引用の仕方で、自分の主張の正しさを補強するのもありなのかもしれない。 -
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創作に関する世界最古のハウツー本。本書はアリストテレスが、古代ギリシア悲劇を定義したうえで、ホメロスやギリシア悲劇を分析して、そこから詩作においてポイントとなる要素を抽出する。特に第6章「悲劇とは、真面目の行為の、それも一定の大きさを持ちながら完結した行為の模倣であり、作品の部分ごとに別々の種類の快く響く言葉を用いて、叙述して伝えるのではなく演じる仕方により、憐れみと怖れを通じ、そうした諸感情からカタルシス(浄化)をなし遂げるものである」(p50)は、詩学に限らず、あらゆるストーリーに当てはまる普遍的な要素ではないだろうか。人間とは生まれた時代に関わらず、感情を持つ生き物であり、それを揺さぶる出来事に出くわすと、良い意味でも悪い意味でも影響を受ける。そのため、心を動かすための要素を、所々散りばめないといけない。このように、本書は人間の本質的な要素を突いたものだといえる。また解説では、プラトンとアリストテレスでは、人間の感情に対して意見の相違があることも興味深い。プラトンは喜劇や悲劇が、人間を理性で物事を捉えられないというのに対して、アリストテレスは感情によって理性を滅ぼすことはないという。