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国制の変動の原因と対策。民主制と寡頭制の課題と解決。国家を成立させる最も基礎的な人口と国土。そして、政治の最大の仕事である優れた市民の育成。幸福と平等と正義の実現を目指す、最善の国制の探究を通じて投げかけられた問いこそ、現代のわたし達が答えるべき課題にほかならない。経済学も含め、法哲学、国家論、そして現代の正義論へと通じる社会思想全般の領域で、アリストテレスの思想は今日ますます重要性を増している。
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Posted by ブクログ
時代的なものを除外しても、よく体系的にまとまっていることに驚いた。人々の幸せにいかに政治が関わっていくか。一部、人権の面で、現代では不適切な部分もあるが、そこも含めて勉強になった。
翻訳の出来を云々できるレベルにはないが、分かりにくいところを補ってくれたり、指示代名詞を丁寧に訳し直してくれているのか、文章として意味を取りやすく、最後まで読み進めることができた。 この重要古典を通読できたことに達成感を感じた次第。
■この本の中心問題 国家は、欲望、部分利益、不平等により共通善が失われ、容易に混乱・分裂する。このため、アリストテレスは現実の条件に応じ、いかに共通善を維持して「市民が善く生きること」を実現するかを問題とした。 ■問題構造 アリストテレスの政治学における問題は、欲望や配分原理の対立とい...続きを読むった原因によって、配分基準の異なる階層同士の派閥化・抗争が起き、それが内乱や国制の変動につながる一方、すべての市民が高度な徳と実践知に到達できないことや、歴史的に与えられた国制条件といった制約によって、理想国家を実現し、より善く生きることが困難であるという現実にある。 ■核心概念 ○共通善:国家共同体全体が徳を実践し、より善く生きるための共同目的であり、共同体の中でこそ徳を発揮して幸福になれる個人にとって、共通善は個人の善の前提条件となる。支配者が共通善ではなく私的利益(部分利益)を目指す場合、正しい国制から逸脱した国制となり、最終的に国制の変動に至る。 ○配分的正義:価値が等しい人々に利益が等しく配分され、価値が等しくない人々には、価値に応じ配分されるべきだという配分原理のこと。価値を自由に置く民主制では人々は対等であるため等しく配分し、価値を富に置く寡頭制では、人々は財産の多寡により対等ではないため、財産の保有量に応じ配分するのが正義となる。構成員間で配分原理が対立する場合に、内乱を引き起こし国制の変動に至る。 ○国制:国制に応じた配分原理に基づき、誰が何を善とし、どのように支配するかという国家共同体の秩序原理 ■方法論 ○単一の理想を絶対視せず、条件に応じて最善を探求した。 ○先人の理論及び過去事例を比較分析して最善を探求した。 ○理論知ではなく、個別の状況に応じて判断する実践知を重視した。 ○何のために存在するか(目的)を明らかにして政治を理解した。 ■プラトン『国家』との比較 プラトンは、無制限な欲望追求に陥るアテナイ民主制を批判し、理想モデルとしての市民が「善く生きること」を目的とした単一の理想国家を提示し、理想をもって現実を統御しようとした。この際、教育による有徳な市民の育成を重視するとともに、各階層の同質化の追求や支配層の私有制限等、国家の統一性を重視した。また、政治を理論知として厳密な認識可能と捉え、善のイデアを観照した哲人による統治を最善とした。 一方、アリストテレスは、「善く生きること」を目的とした倫理共同体としての国家観、そのための徳の涵養や教育の重視といった理念を共有しつつ、最善は単一ではなく、現実の条件依存的に実現可能な最善国家を探求した。また、最善国の探求だけでなく、現実の国制をいかに改善しより善くするかという探求も重視した。この際、プラトンの過度な統一性を批判し、国家には適度な複数性や私有による自己愛の保持が必要であるとし、適度な複数性を持つ市民共同体における関係性の構築を重要視した。 また、政治学を現実の異なる条件から適切に判断して最善を求める実践知であるとし、支配層の実践知による判断の必要性を重視した。 ■現代への接続 ○現代政治は国民の欲望に歯止めがなく、起業家など、むしろ名誉欲や金銭欲に関しては、欲望の追求が称賛される欲望開放社会であり、プラトンやアリストテレスが共有していた「善く生きること」のための共通善の共有は困難となっている。現代資本主義社会においては 、金銭的成功や自己実現、旺盛な消費といった価値観の中で、部分利益より国家全体の利益を優先する共通善の価値観を確立することは可能であろうか? ○現代社会は民主制であっても対等な配分がなされず、財産、家柄等への部分利益による配分的不正義が蔓延しており、財産や家柄のほか、支持政党や世代、アイデンティティといった、より多様な区分による蛸壺的な派閥化が起こっている。多様性社会で配分原理の共有は可能であろうか? ■私の結論 アリストテレスは、プラトンを批判しつつも、「善く生きること」を目的とした倫理共同体としての国家観を共有し、その現実での実現を探求した。彼は政治学を実践知と捉え、単一の理想国家や単一の実現方法に縛られず、現実の国制の比較分析に基づき、条件依存的な最善国家を探求するとともに、既存の国制の改善方法についても政治学の役割として探求し、現実におけるより善く生きる方法を模索した。 この読書を通じ、政治とは単なる制度論でなく、共同体が「より善く生きる」ために欲望や利害で分裂・対立する共同体を、その条件に応じて共通善に導き、現実に媒介する行為であると理解できた。また、国制もただの政治制度ではなく、富・自由・徳といった何を価値基準(善)とするかという配分原理に基づき、支配の在り方を規定する秩序原理であると理解できた。
ニコマコス倫理学もそうだったが、やはり3回ほど通読してようやく輪郭がつかめてくるレベル。訳者の三浦先生の解説が本当にわかりやすく、これだけでも読む価値あるのではと思える。 近年のポピュリズム(いい加減、この名称も不適切になっている気がするが)やコミュニタリアニズムとの関連まで含めて解説されていて、非...続きを読む常に考察の参考になった。 内容は言うまでもなく古典中の古典であり、門外漢の自分がちょっと読んだ程度ではどうしても断片的な感想になってしまうのだが、それを差し引いてもニコマコスに比べると少し読みにくいと感じるのは、解説にあるような二重構造的な論理展開の故か。 自分は、4~6巻が結論的な方がおさまりが良いのではないかと思えるタイプの人間だったようで、7巻以降はプラトンの「国家」「法律」との既視感を覚える内容でかえってわかりにくかった。 本書の成立過程は諸説あるとのことだが、他者が後から編纂した、ということの方がこの一見奇妙(と自分には思える)論理構造の説明としては合っているような。 とりわけ考えさせられたのは、「(よき民主制/共和制には)善く支配することと、善く支配されることの両方を学ばねばならない」というところ。 民主制とは成員達が数の上で平等であり、それゆえに全員が平等な量を受け取ることを正義とする、という定義ならば、支配することとされることもまた平等に受け取り、支配者はなんらかのシステムに則って交代を重ねていかなければならない。 だとすれば、我々、今の民主主義国家の市民は、支配されることと支配することをセットで学んで、考えているのだろうか。善く支配することは言うに及ばず、善く支配されることすらも考えていないかも? プラトンの「法律」には、犯罪を犯したものだけでなく、それを看過したものも罪に問われる、とあった。共同体の中にあってこそ人は真に善く生きることができる、とする考えを持ち、共同体を自分たちがどう作っていくか、という考えを、果たして自分は持てているだろうか。 また、メソテース(中庸)の意義もニコマコスに続いて説かれているが、こちらは国家にとっても中庸が最も大事であることが説かれている。 結局、右か左かではなく、どちらかに寄りすぎていないか、常に考え続けることこそが、イコール共同体と、その中で善く生きることを大事にすることそのものにつながるのだとすると、相手を非難することに時間を割く政治はなおさら空虚に思えてくる。 米国の(もしかすると日本も)のリベラルが支持を失った理由の一つは、もしかすると、「人権意識を基に行動する自分たちは常に正しい」という錯覚に陥り、相手を無知で野蛮と話の前から断じるような姿勢になったせいではないか。行き過ぎた人権尊重もまた、中庸から外れた姿勢には違いがないのに。 自分はどちらかというと左派かと思っているが、相手を守旧で野蛮と非難するだけの左派もまた、別の意味で醜い存在になりうることは心にとめておかねばならない。 それにしても、 ・民主制は平等を求めるあまり富裕者の財産の没収を試みるようになり、やがて民衆指導者に導かれて体制を不安定化させ、最悪の場合、民衆指導者が独裁者と化す。 ・寡頭性は民衆に対して自らが優れると考えるがゆえに数ではなく価値に比例した対等を求め、民衆を侮るようになり対立を深め、同士討ちや民主派との相克で体制を不安定化させる。 そのまま現代に当てはまると思うと暗然としてしまう。米国だと前者が「共和」党で後者が「民主」党に当てはまりそうなのが何とも皮肉。我が国も似たようなものだが。 厄介なのはこれらの対立を仲裁して安定化させる、中庸の体現であり仲裁者である中間層が先進国で溶解していて、対立軸解消の動機がないことか。 アリストテレスは奴隷制容認とみなされて批判されることが多いが、意外とメリトクラシー寄りというか、真に優れた人間なればその価値に見合うものを受け取るべき(配分的正義)を肯定しているので、単なる時代精神というだけではなく、優れた人間にはそれなりに報いてよい、という考え方のように見える。 アリストテレスの「優れた」は徳と富を有した、まさに名士と呼べる存在なので、もし、本当にこのような存在が居るのなら、確かにその人にはある程度報いがあってもよいと思える。 人類がみな平等で、等しい権利を受くべきことに疑いはないが、だからこそ、時に立ち止まって悪平等に陥っていないかを検証することも、これからのリベラルに必要なのではないだろうか、と考えた。
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