輪島裕介のレビュー一覧
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キーワード集という体裁をとっているところが軽やかで良い。各論の内容は専門家には物足りないかもしれないが、あまり充実させすぎると百科事典みたいな本になってしまう。ソフトカバーで厚さ一・五センチ程度というこの親しみやすさが良い。
というのも、“はじめに”の中に「体系化したテキストをつくるには障壁になってしまうポピュラー音楽研究ならではの学際性・多様性をむしろポジティブに引き受け」とあるように、この幅広さがこの分野の楽しくも難しくもあるところなのだと思う。どんなテーマで研究する人も、この本に挙げられているどのキーワードに対しても「全く無関係」という態度ではいられないだろう。勉強することが多くて大変だ、とも言えるが、思いがけない人(の研究テーマ)と思いがけないところでつながっていることを発見しながら、クリティカル・ワードの網の目の中で自分(の研究テーマ)を位置付けていく作業は、ちょっと楽しそうだなとも思う。…同じ「楽」でも楽そうだとは決して思わないが。
ひとつだけ、ポピュラー音楽研究について「日本語で読める包括的なテキストが二〇一〇年代以降はなかなか見当たらない」とあるが、二〇〇〇年代までのおすすめ包括的テキストはこれ、というのがあるのなら書誌情報が欲しかった。二十年の間にどれくらい変わったのか気になる。 -
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ネタバレいわゆる「演歌」は日本の心である、という現代の人たちにほぼ疑いなく浸透している意識に対し、本当にそうなのか?という疑問を持った筆者の力作。
徹底的に資料を読み込み、豊富な実例を挙げながら、「演歌=日本の心」となっていく過程について丁寧に語っている。
そもそも演歌は演説歌の略称であったはずなのに、一体いつからそのような認識が広まっていったのか、一体誰がそれを作り上げたのか。
それは、左翼的文化人と、レコードを売りたいレコード会社と、そしてマスコミによる意識的/無意識的な絡まりあいであった、と理解しました。
目から鱗のことばかりで、読んでいてとても刺激的でした。 -
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そもそも「演歌の定義は?」と言われると、私も前からはっきりしないなと思っていた。
例1:河島英五の「酒と泪と男と女」は演歌なのか?
演歌の歌詞の要素として誰からも異論は出ないだろう「酒」「泪」「男と女」が凝縮され、タイトルから見たらこれこそ「ザ・演歌」なのに、この歌を「演歌」に分類するのにおさまりの悪さを感じる人は多いはず。
例2:「川の流れのように」は演歌?ならば「雨の西麻布」は?
本書P269でも言及されてるけど、同じ作詞・秋元康、作曲・見岳章のコンビ作で、いわゆる兄弟関係にある作品なのに、「川の流れ~」は「日本の名曲」で「雨の~」は全然そう言えないってのもなんだかおかしくない?だって、もし「川の流れ~」をとんねるずが、「雨の~」を美空ひばりが歌っていたら、どうなってただろうか?
…っていう疑問を持ちながらこの本を手にした。著者の輪島さんも疑問があったようで、そのうえで、この“こんがらがった”状態に自分なりに整理しようとしたのか、誰も手につけようとしなかった(あるいは多分、手をつけても誰も収拾をつけられなかった)領域に、徹底した文献検索によって学術的アプローチを図り、自分なりに「演歌とは実は何なのか」ということと「なんで演歌=日本の心なのか」について回答を出そうとしている。
『回答を出そうとしている』と書いたが、演歌とは何か、については実は回答は出ていない(と思う)。と言うか回答は出せないのだ。なぜなら「演歌」の定義なんて存在しないから。
この本によると、その時代時代の業界などの「売り手側」と、レコードやカラオケなどでの「聞く側」との複雑な連関関係によって、手を変え品を変え、その時々に都合よく、キーワード的に「演歌」と言う言葉が当てこまれているからだ。と言うことは演歌の実体が明確でない以上、「日本の心」も実質のない、体よく使われている言葉ということだ。
演歌とは何?の回答は得られなくても、例1と例2の答えはわかった。売り手なり、聞き手なりが、それぞれ「これは演歌」って共通に考えれば、すなわちそれは演歌ということ。だから河島英五の歌は演歌ではないし、とんねるずの歌もそうだ。
著者が追求したかったのは「演歌の定義の探究」ではなく、美空ひばりの歌イコール演歌だ日本の心だ、と直線的に思い込むような世間の誤解に対して根拠を示し矛盾を指摘することだったのだ。
さらにこの本には直接関係しないんだけど、約20年前、私が大学生時代に夢中になった週刊スピリッツ連載の「俺節」(土田世紀作)の次のくだりも、読後、腑に落ちてきた。
-東京のある繁華街。大衆的な酒場で好きな女の子にフラれて寂しくヤケ酒を飲む青年がいて、そこにギターをかかえた“流し”が入ってきた。青年の仲間の男が顔見知りと思われるその流しに「歌ってやって」と頼み、お金を渡す。男は「堀内孝雄やってよ」と言うが、流しは「ダメダメ、あんなの演歌じゃないよ」って言って、ギターを弾きながら「片恋酒」(宮史郎)を歌い出した-当時、その違いが全然わからなかった。片恋酒なんて、いかにも宮史郎的な、ある意味下世話な歌詞とメロディーだし。
でも、少しだけ人生経験を積み、この本を読んだ今ならわかる。失恋した青年、仲間の男、そして流しが演歌として歌い、聞き、受け入れれば、それは演歌だと。俺節では、片恋酒の「つらいのよ、つらいのよ」の歌詞の箇所で、それぞれがその歌詞の言葉を胸に染み込ませるかのようなシーンとして描かれている。
そして、同じ「俺節」に出てくる次のセリフにつながると思う。「歌にも…歌い手にも…それを聴く者にもドラマがある。そいつを胸に刻んでおくんだ…それが演歌だ。」
(2015/4/19) -
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昭和歌謡を学術的に解き明かしたマジメな本。
音楽を踊れない、踊れる、に分けて芸術音楽と大衆音楽に分ける考え方は面白い。
いささか強引かな、とも思うけど。
戦前の西洋音楽の輸入からサンバ、ボサノヴァ、果ては日本独自のドドンパ、世界を席巻したツイスト、そしてアイドル歌謡、現在はユーロビートまで、日本で流行した「歌謡」を考察する。
大変面白い読み物でした。
今はYouTubeが有るからホントに便利。気になった音楽は、その場で確認出来る。
「ブルースブラザーズ」は凄く面白そう。
アイジョージの、ドドンパは私が作った、との後追い説明も時代を感じて興味深い。今なら通用しない言い訳ばかり。
全編通じて飽きさせない語り口でした。 -
Posted by ブクログ
笠置シヅ子と服部良一の戦前からの活躍とその音楽の魅力を、
多くの資料や文献、楽譜等を駆使し、解き明かしてゆく。
・前口上 「近代音曲史の野望」
第一章 「歌う女優」誕生~大阪時代の笠置シヅ子
第二章 服部良一と「道頓堀ジャズ」
第三章 レコード・ラジオと「国民歌謡」
第四章 スウィングのクイーン&キング~松竹楽劇団時代
第五章 関西興行資本の東京進出~松竹・東宝・吉本
第六章 時代のアイコン「ブギの女王」
第七章 服部は「ブギウギ」をどう捉えていたか
第八章 リズム音曲の画期としての「買い物ブギー」
・謝辞
朝ドラ「ブギウギ」が史実に沿って描かれていることが
改めて分かる内容で、実に多くの資料や文献、楽譜等を
調べ、音楽性をも考察した内容になっています。
大阪松竹少女歌劇団から東京の松竹楽劇団へ進出した歌姫。
音楽隊からオーケストラ、ジャズバンドを経由し、
道頓堀ジャズを体感し、東京のコロンビアと契約した作曲家。
時代は蓄音機とレコード、マイクロフォン、
ラジオ主体の国民歌謡。まさに時は今!
大阪の歌舞文化にどっぷり浸かり、独学で学んだ二人が、
東京で出会い、かの名曲「ラッパと娘」が生まれる。
日本の数々の音曲を据えたメロディーを作り上げ、
指揮棒を振り、歌姫は自由闊達に歌い、動く、実演の妙。
終戦後、復員した作曲家と魅せる歌手はコンビ復活。
「センセ、たのんまっせ」と作られた「東京ブギウギ」は、
様々な人々を惹きつけ、大ブレイクする。
そして最高傑作「買い物ブギー」の登場!・・・終焉への道へ。
時代の変遷の中での、戦前からの二人の活動と、
取り巻く音楽業界や興行を知ることが出来て良かったです。
さすがに音楽については専門的で難しかったのですが。
でも、文中の記述にある、記録が残っていない実演が、
朝ドラ「ブギウギ」で再現されたことで、
二人のパフォーマンスの凄みを再認識することが出来ました。
映画「酔いどれ天使」も観てみたいなぁ。