あらすじ
「目からウロコ」「衝撃的」「出色」と各界から絶賛の嵐!2011年度サントリー学芸賞受賞!(芸術・文学部門)。2011年度国際ポピュラー音楽学会賞(非英語部門)受賞、2011年新書大賞10位。明治・大正期の自由民権運動の中で現れ、昭和初期に衰退した「演歌」。これが60年代後半に別な文脈で復興し、「真正な日本の文化」とみなされるようになった過程と意味を、膨大な資料と具体例をもとに解き明かす。【光文社新書】
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Posted by ブクログ
非常に興味深い内容でした。
著者とは同世代ということもあり、演歌、歌謡曲、Jpopの変遷について、なるほどとうなりながら読みました。
かなり大胆な主張にも思えますが、それを裏付ける丹念な調査をされているところが凄いなと。
Posted by ブクログ
いわゆる「演歌」は日本の心である、という現代の人たちにほぼ疑いなく浸透している意識に対し、本当にそうなのか?という疑問を持った筆者の力作。
徹底的に資料を読み込み、豊富な実例を挙げながら、「演歌=日本の心」となっていく過程について丁寧に語っている。
そもそも演歌は演説歌の略称であったはずなのに、一体いつからそのような認識が広まっていったのか、一体誰がそれを作り上げたのか。
それは、左翼的文化人と、レコードを売りたいレコード会社と、そしてマスコミによる意識的/無意識的な絡まりあいであった、と理解しました。
目から鱗のことばかりで、読んでいてとても刺激的でした。
Posted by ブクログ
そもそも「演歌の定義は?」と言われると、私も前からはっきりしないなと思っていた。
例1:河島英五の「酒と泪と男と女」は演歌なのか?
演歌の歌詞の要素として誰からも異論は出ないだろう「酒」「泪」「男と女」が凝縮され、タイトルから見たらこれこそ「ザ・演歌」なのに、この歌を「演歌」に分類するのにおさまりの悪さを感じる人は多いはず。
例2:「川の流れのように」は演歌?ならば「雨の西麻布」は?
本書P269でも言及されてるけど、同じ作詞・秋元康、作曲・見岳章のコンビ作で、いわゆる兄弟関係にある作品なのに、「川の流れ~」は「日本の名曲」で「雨の~」は全然そう言えないってのもなんだかおかしくない?だって、もし「川の流れ~」をとんねるずが、「雨の~」を美空ひばりが歌っていたら、どうなってただろうか?
…っていう疑問を持ちながらこの本を手にした。著者の輪島さんも疑問があったようで、そのうえで、この“こんがらがった”状態に自分なりに整理しようとしたのか、誰も手につけようとしなかった(あるいは多分、手をつけても誰も収拾をつけられなかった)領域に、徹底した文献検索によって学術的アプローチを図り、自分なりに「演歌とは実は何なのか」ということと「なんで演歌=日本の心なのか」について回答を出そうとしている。
『回答を出そうとしている』と書いたが、演歌とは何か、については実は回答は出ていない(と思う)。と言うか回答は出せないのだ。なぜなら「演歌」の定義なんて存在しないから。
この本によると、その時代時代の業界などの「売り手側」と、レコードやカラオケなどでの「聞く側」との複雑な連関関係によって、手を変え品を変え、その時々に都合よく、キーワード的に「演歌」と言う言葉が当てこまれているからだ。と言うことは演歌の実体が明確でない以上、「日本の心」も実質のない、体よく使われている言葉ということだ。
演歌とは何?の回答は得られなくても、例1と例2の答えはわかった。売り手なり、聞き手なりが、それぞれ「これは演歌」って共通に考えれば、すなわちそれは演歌ということ。だから河島英五の歌は演歌ではないし、とんねるずの歌もそうだ。
著者が追求したかったのは「演歌の定義の探究」ではなく、美空ひばりの歌イコール演歌だ日本の心だ、と直線的に思い込むような世間の誤解に対して根拠を示し矛盾を指摘することだったのだ。
さらにこの本には直接関係しないんだけど、約20年前、私が大学生時代に夢中になった週刊スピリッツ連載の「俺節」(土田世紀作)の次のくだりも、読後、腑に落ちてきた。
-東京のある繁華街。大衆的な酒場で好きな女の子にフラれて寂しくヤケ酒を飲む青年がいて、そこにギターをかかえた“流し”が入ってきた。青年の仲間の男が顔見知りと思われるその流しに「歌ってやって」と頼み、お金を渡す。男は「堀内孝雄やってよ」と言うが、流しは「ダメダメ、あんなの演歌じゃないよ」って言って、ギターを弾きながら「片恋酒」(宮史郎)を歌い出した-当時、その違いが全然わからなかった。片恋酒なんて、いかにも宮史郎的な、ある意味下世話な歌詞とメロディーだし。
でも、少しだけ人生経験を積み、この本を読んだ今ならわかる。失恋した青年、仲間の男、そして流しが演歌として歌い、聞き、受け入れれば、それは演歌だと。俺節では、片恋酒の「つらいのよ、つらいのよ」の歌詞の箇所で、それぞれがその歌詞の言葉を胸に染み込ませるかのようなシーンとして描かれている。
そして、同じ「俺節」に出てくる次のセリフにつながると思う。「歌にも…歌い手にも…それを聴く者にもドラマがある。そいつを胸に刻んでおくんだ…それが演歌だ。」
(2015/4/19)
Posted by ブクログ
「演歌」の常識にかなり挑戦的。そして従来抱いていた「なぜ演歌はつまらないか」「規格的か」「美空ひばりは演歌か」「『頑張って歌って練習して下さいね』という訴求とは何だ」といった疑問・批判について、大変示唆に富むものだった。これは本当におもしろい本。
Posted by ブクログ
非常に丁寧に書かれた本という印象。こういう主題の本の場合、著者の問題設定にそって資料を引いてきているようなものが多い中で誠実な印象を受けます。
一点惜しまれるのは、参考文献から「学術論文」を排除している(と但し書きあり)のために、おそらく間違いなく参考にしていると思われる(文中にも出てきます)アドルノの著書や歌謡曲研究の古典的著書である見田宗介の本などが省かれているところです。
新書故しかたないのかも。減点するほどの欠点ではありません。
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「演歌は日本の心」論には何となく違和感を感じてきましたが、そうと言って簡単に肯定も否定も出ない。
あとがきにもあるようにこれが結論ですね(^^;)
まあ、我々が「日本の伝統や日本的」に思ってる事って案外ここ数十年~百年くらいの歴史に過ぎない。ってえのも結構あるようですし・・・。
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新書大賞2011第10位筆者は演歌誕生は1966年五木寛之小説「艶歌」よりと。69年デビュー不幸なプロフィール脚色された藤圭子による暗さ、不幸による怨歌が人気定着も80年代若者達のjpopカラオケ文化により演歌は衰退へ意外と歴史が浅い創られた演歌日本の心とはなにかを問う。
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「演歌」は昭和40年代になって成立した歌謡曲の一分野であった。演歌の歌い方には芸者歌や、いわゆる声楽系の歌唱法、ジャズなどさまざまな要素が取り入れられていて、民謡や浪曲などの要素はむしろ後付けであった。いわゆる「日本の心」を歌うものとしての演歌の意味づけは、昭和40年代に小説家・五木寛之とディレクター馬渕玄三によって、一種のアウトロー的なポジショニングをとる形でこしらえられたものだった。というあたりを、豊富な裏付けでもって説得力をもって論じる。昭和歌謡曲史としても評価できる労作。
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演歌=日本的な歌。
誰もがそう思っているようだがでは果たして演歌とはどのように生まれたのだろうか?
明治・大正期に生まれたという「演歌」との関連は?
という本
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演歌は日本の心なのかを歌謡史を追いながらあぶり出していく。
演歌の女王美空ひばりは本当に演歌の女王なのか。ある時点で評価が一転する。面白いです。
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自分の子どもの頃、1960年代前半、流行歌はあったが演歌はなかった。
少し時代は下って、「津軽海峡冬景色」を歌った頃の石川さゆりはドレス姿だった。
演歌歌手の着物姿が定着したのと演歌というジャンルが確立したのは同じ頃ではないか?
その誕生の時点ですでに演歌は形骸化し力を失っていたのではないか?
これは「演歌は日本の心」という常套句に反発を覚えてきた自分にとって、待望久しい書である。
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「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史。明治の自由民権運動の中で現れ、昭和初期に衰退し、やがて「日本の心」、「真正な日本の文化」とみなされるようになった過程と意味を論じる。「演歌」は「日本の心」か?
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「演歌は日本の心」とは果たして本当か?レコード会社の思惑や共産党の文化指導とそれにあらがう人々の足跡を膨大な史料から論じる。昭和歌謡史を辿る中でその「神話」創造を腑分けする一冊。
「日本人の心としての演歌」が定立するまでは、様々な洋楽がしみこんでいる。森進一のしわがれ声は、ルイ・アームストロングの模倣との指摘もあり。輪島裕介『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』光文社新書。その多様性が単一性へ置換されていくのが昭和歌謡史の一つの側面。
Posted by ブクログ
*日本でつくられる音楽に【日本らしさ】の条件を見出し、差異化する必要性から生まれたジャンルとして、演歌を捉える。
*歌謡曲、J-POP、演歌の曖昧なボーダーについて考えるきっかけに。
*演歌/艶歌の違いが面白い。
*豊富な曲についてのレビュー、分析。
Posted by ブクログ
2011年の今現在、「演歌は日本の心」と言われて疑問に思う人は少ないであろう…しかし、いつの間に「演歌は日本の心」などと言われ始めたのか?そもそも「演歌とは何ぞや」。大手レコード会社による専属歌手・専属作曲家・専属作詞家から供給されてきた「流行歌・歌謡曲」。それらに対する「対抗文化」として登場した戦後の「歌声運動」「フォーク・ロック」「ニューミュージック」。ところが、昭和が終わる頃に登場した「J-POP」によって「昭和歌謡」は上記を包摂してしまった。レコード会社による楽曲供給から現在までの大衆音楽の流れを詳しく分析して「いつから『演歌』が日本の心」と呼ばれるようになったのかを分析する評論。
Posted by ブクログ
歌謡曲、演歌、そんな言葉のくくり方にどこか違和感があったけれど、そこを解き明かすべく書かれた本。調べているからとはいえ、著者は30代。実際に自分の味わってこなかった時代のことを書くのは大変だったのではないだろうか。
私も知らない時代がすでにこの本の中に多々あった。しかし世の中は便利になったものでYouTubeのおかげで知らなかった曲も、タイトルと結びついていなかった曲も映像付きで見ることができる。これなしにこの本は読めなかったと思う。YouTubeで歌を調べながら読むことをお勧め。