青木冨貴子のレビュー一覧

  • ジョン・レノン 運命をたどる ヒーローはなぜ撃たれたのか

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    あのジョンレノンを殺した犯人に逢いに行って「なぜ殺したのか?」と、それを聞きたいがために40数年もの歳月を経て実現させた青木冨貴子という女性はいかなる人物なのか、と興味を唆られた。
    犯人のマークチャップマンは慢性妄想型統合失調症であった。妄想が妄想を生み、こうあらねばならぬと思い込み、思い込んだら突っ走る以外に道はない、そういう病氣であった。判決では20年以上の無期懲役が言い渡された。
    著者は、ジョンレノン、ヨーコオノ、マークチャップマン、グローリア洋子(チャップマンの妻)の4人の生き様を実に克明に描いておりジャーナリスト魂を感じさせる。その鋭敏な感性はドキュメンタリー映画を観るような一見サラッとした中に、核心を突いた表現力が散見しているのだ。
    ジョンの祖父がジョンレノンと同じ名前であり、この祖父がアメリカに渡ってプロの職業歌手として人生の大半を送ったことや、父のフレッドは船乗りで1年の殆どを海上で過ごした。だから、ジョンとの接触も少なかったと思われる。ジョンの才能はむしろ祖父の血を引いているのでは•••
    小野洋子の育った環境は、所謂、上流階級で生活には何ひとつ困らなかったが家の仕来りと教育過多に悩んで両親の愛情に窮屈なものを幼心に感じながら育った。
    他方、著者とチャップマンとの電話でのやり取りの中で、際だったシーンがあった。チャップマンが「今度逢う時はあなたの写真を持参して欲しい」と言った。憧れのジョンを殺し、時に悪霊となって自失状態で暴君と化すその男の言葉に著者は戦慄を覚えたのである。それから途方もなく長い時間が流れて再び刑務所でインタビューすることになる。
    妻のグローリアとの接点も一筋縄にはいかなかった。世間からの誹謗中傷、罵詈雑言、非難の嵐は連日の如くグローリアを襲った。殺人犯を夫に持つ宿命なのか。長い間、人と逢うことを拒絶してきた。著者がグローリアに宛てた手紙の内容に触発されたグローリアは、著者と逢うことを決心する。
    この本には感動する場面がいくつもあり、単なるルポルタージュに終わっていないところに価値がある。いずれこの本を文庫化して永遠に読みつがれることを期待してやまない。
    さいごに、チャップマンはなぜジョンを殺したのか?という問いに対して、妄想の果ての「ジョンを殺さないと前へ進めない」という呪縛から逃れることが出来なかったことが真相である。

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    2026年03月26日
  • 昭和天皇とワシントンを結んだ男―「パケナム日記」が語る日本占領―

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    日本の戦後復興は、ドッジラインと対共産防衛圏化のレールに乗ったことで成し得たが、そのレジームを動かした原動力が、まさかの宮廷外交だったとは想像もしてなかった。とある日記と侮るなかれ。なぜマッカーサーはGHQを解任させられたのか?なぜ沖縄は返還されて北方四島はいまだ変換されないのか?これらの真因がさらっと書かれているからビックリ。

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    2026年03月02日
  • GHQと戦った女 沢田美喜(新潮文庫)

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    混血孤児を救うべくエリザベスサンダーホームを、創設した女性の生涯を描いたノンフィクション。もうひとつの占領史。

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    2021年05月24日
  • 731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く―(新潮文庫)

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    "うだるような暑さの今年の夏、終戦の時期に読んでみたいと思って手にした本。小説のように読者をぐいぐいと引っ張る内容で、一気に読んだ。第二次世界大戦・太平洋戦争時に満州にあった731部隊の闇の歴史をひもとく。細菌戦部隊である731部隊の部隊長石井四郎氏は戦犯とはなっていない。GHQ、アメリカとの駆け引きがあったということを、丹念な取材を積み重ねてひもといていく。参考文献も読んでみたくなった。この部隊に関する書物で有名なのが「悪魔の飽食」。この本の登場人物も書籍を残している。その人たちの本も読みたくなる。
    そして、一言だけ。戦争中には多くの人が亡くなった。戦争そのものがどういうものか、実際を知らない我々はこうした書物からその時代の空気を読み込むことしかできない。戦争という狂気が及ぼす影響の大きさを改めて感じることができた本だ。
    歴史を感じつつ、私たちは未来を築いていく。それが、先人たちへの供養となると信じている。"

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    2018年10月20日
  • 731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く―(新潮文庫)

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    [真暗の気脈]太平洋戦争中に生体解剖をはじめとする非人道的な行為を行いながらも、戦犯とならなかった石井四郎を筆頭とする731部隊。その裏を探った著者は、石井部隊とGHQの間に繰り広げられた、明るみにされていない裏取引にたどり着く......。戦時・戦後に股がる日本の暗い闇に迫った作品です。著者は、ニューズウィーク日本版のニューヨーク支局長を務められていた青木冨貴子。


    石井直筆の2冊のノートを見つけ出す青木氏の取材力にまずは頭が下がります。既に敗戦から半世紀以上が経過し、その間に研究が進められていてもなお、ここまで新しい発見を目にすることができるとは。感嘆せざるを得ない情報量で副題のとおりに闇を暴いていきますので、戦後史に興味のある人にはぜひオススメしたい作品です。


    731部隊に関わる人間とGHQの間のやり取りに関して言えば、いわゆる建て前(例えば国際正義や平和)と本音(例えば自国の安全保障)が切り結ぶ世界を、それを通してまざまざと見せつけられた思いがしました。また、石井自身の戦後の変貌ぶりも初めて知り、改めて占領期に起きた人心の転変という点に思いを致さずにはいられませんでした。

    〜問題は、日本の敗戦後、「禁断の兵器」に取り憑かれた妖怪たちが退治されなく温存されたことである。細菌兵器のあらがいがたい誘惑が次には戦勝国の軍人たちに乗り移って行った。石井四郎は細菌戦に手を染めたからこそ、生き延びたことを知っていただろうか。〜

    気持ちが明るくなる本ではないですが☆5つ

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    2015年03月14日
  • 昭和天皇とワシントンを結んだ男―「パケナム日記」が語る日本占領―

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    ネタバレ

    パケナムという名前は、ウィロビー/キーナン/カーなどと並んで近現代史にしばしば出てくる。とにかく「うさんくさい外人」というイメージであったが、本書によりはじめて、戦後史に彼の果たした大きな役割が明らかになった。
    神戸に生まれ、名門貴族一族に連なる英国人で有りながら、実は明治日本人としての気質を色濃く持っていたパケナムは、吉田茂、マッカーサー経由でなく、別のルートから昭和天皇に然るべき情報を伝え、更に天皇のメッセージを米国の中枢にダイレクトに伝える貴重なパイプとして活躍した。結果戦後日本の方向は相当に変わったわけである。
    青木富貴子氏は、パケナムの真実を追い求めて、世界中を綿密に取材し、資料を集め、複雑なようで意外に単純、一本気な好人物パケナムを鮮やかに描き出している。
    近現代史に感心をお持ちの方はまさに必読書といえよう。

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    2011年08月21日
  • 731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く―(新潮文庫)

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    2005年の単行本も読みましたが、文庫本で出ていたのを昨年2月に購入→積読、今頃になっての再読です。

    生半可な付け焼刃の研究でないことは読んですぐさま分かりますが、著者の執拗な追及はついに2冊の新資料の発見に至るまでとなり、いやが上にも読む者をして俄然ヒートアップさせます。

    太平洋戦争中に中国で、生きたままの中国人を解剖したりして、細菌・化学兵器の開発のための実験をした731石井四郎細菌部隊については、私たちは、すでに平岡正明の『日本人は中国で何をしたか』(1972年)や森村誠一の『悪魔の飽食』(1981年)を先駆として、今では数十冊の関連文献を持っていますが、青木冨美子はそれにも飽き足らず長年にわたって追跡したといいます。

    たとえ戦争だとしても、非人間的・非人道的な行為を遂行してきたことに対して、反省や批判にさらされることなく隠ぺいしてきたことの当然の結果ですが、戦後この731部隊で暗躍した内藤良一が中心となって設立した製薬会社㈱ミドリ十字は、後にあの例の悪辣・非道な薬害エイズ事件を起こすこととなります。このミドリ十字は幾度もの合併により、今は田辺三菱製薬と名前を変えています。

    そして隠ぺいして来たのは何も日本だけでなく、この実験結果がほしくてたまらないアメリカもだったのであり、そのために明らかに戦犯で死刑は免れなかったはずの石井隊長を、どのように巧妙に助け生かしたか。

    ヨーロッパ中を震え上がらせたV2 を作ったナチス・ドイツのフォン・ブラウンたちの研究の成果の上に、ジュピターやアポロなどの月ロケットが出来たのと同じように、この731の成果も、やがてベトナム戦争で枯葉剤などの細菌兵器へと受け継がれて行きます。

    例によって、アメリカ側の新資料というのは、あの、どんな極秘機密文書でも50年経てば公開するという、輝かしい眩しいアメリカ民主主義のお約束に基づいたものだと思われます。本当に血に染まった腐ってどうしようもない国なのに、やる時にはやりますね。

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    2011年11月11日
  • 731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く―(新潮文庫)

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    731の存在を否定している人もいるけど、テレビで元731だった人たちの証言を聞いた。

    人ってこんなに残酷なことができるのかって、背骨の芯までぞくっとした。

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    2009年10月04日
  • 731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く―(新潮文庫)

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    遠い昔、森村誠一の『悪魔の飽食』を読んだことがある。無知であったが故に、まさに震撼した。随分久しぶりに、その731部隊に関する著作を読んだ。不勉強な小生は青木冨貴子さんというフリーのジャーナリストを存じ上げなかった。この本も文庫になるまで知らなかった。本作で著者は、人体実験の話や満州でこの部隊が何を行ってきたかについては、ほとんど触れていない。むしろそれを周知の事実として(大前提として)、彼ら731部隊の医師達が戦後、戦犯容疑をいかに逃れることに成功したかをアメリカ公文書館の資料や石井四郎直筆のノートを駆使して読み解いていく。後に薬害エイズで批判を浴びたミドリ十字という製薬会社を創業した内藤良一に、自分を雇えと言いに行ったマッドサイエンティスト石井四郎。それを断る元部下の内藤。それぞれの戦後がある。生命科学の分野はひとたび間違えば、大量破壊兵器の生産工場と化す訳だ。決して歴史の彼方に追いやられた話ではなく現在もその危険性を孕んでいるのは言うまでもない。大作ではあるが、あっというまに読み終わるノンフィクション作品。

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    2009年10月04日
  • 731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く―(新潮文庫)

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    「海と毒薬」同様、なんとなく人体実験しているところだという認識であったところ、細菌を使った攻撃、その準備日としての人体実験をしていたことを理解。組織を率いた石井四郎の持つ背景、それを頼り許容する軍の事情、戦後のアメリカさえもこの研究結果の入手を望む様など、多角的に描かれる。

    新しい資料の発見、一次資料の読み解き、人に会い足を使って情報を探っていく姿勢に尊敬の念。

    事実でありながら、サスペンスのよう。731の関係者の口裏合わせの解明も興味深い。

    最後、誰が誰だかわからなくなってきて飛ばし読みした。関係図の整理があればよかった。自分で描けばよかったか。。

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    2025年08月25日
  • ライカでグッドバイ ――カメラマン沢田教一が撃たれた日

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    読んだ本 ライカでグッドバイ 清水富貴子 20250330

     パルコの古本市で見つけて手に取りました。ベトナムの戦場カメラマン沢田教一をノンフィクションで追ったもの。昔も読んだと思うけど、改めて。
     カメラが好きで、一時はアラーキー、森山泰三、ブレッソンに土門拳なんてのがアイドルで、一ノ瀬泰三や沢田教一なんかも好きで色々読んだり観たり。中でも一ノ瀬泰三を描いた「地雷を踏んだらさようなら」なんか邦画ベスト5に入りますね。
     この「ライカでグッドバイ」は、戦場カメラマンとしてはエリートって感じの沢田教一を掘り下げている訳だけど、やっぱり危険に身をさらす人間てのはどこか意固地なとこや名誉欲に駆られてるってとこが備わってます。それが鼻につくってことではなく、魅力になるところが行動力を伴ってるってことなんでしょう。
     淡々と紡がれる沢田教一の行動とベトナムやカンボジアの情勢。死に向かって生を刻む姿が切なくも感じます。

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    2025年04月06日
  • 731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く―(新潮文庫)

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    細菌兵器の開発に携わった七三一部隊。その隊長であった石井四郎陸軍中将を本書では取り扱う。石井に関わった人たちの証言によると、彼は饒舌で自己プロデュース能力が高かったといわれる。その巧みな宣伝能力が功を奏したため、満州であのような施設を築くことができた。本書によると、スパイ容疑者、犯罪者、一般市民であろうと、憲兵に捕まった人は、一度「特移級」という烙印を押されると、実験の対象となった。

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    2025年03月29日
  • アローン・アゲイン―最愛の夫ピート・ハミルをなくして―

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    ピート・ハミルを妻が語った物語だが、有名な俳優さんが次々に出てくるのに驚いた.9/11の現場にいて、実際に起こったことを記述しているのが印象的だった.小生も例のビルは何度も見上げた記憶があるが、全くなくなってしまうとは.アメリカ人夫婦の日常が随所に出てくるが、日本のそれとは微妙に違うことがあるようだ.後半ではハミルが次々と病に取り付かれ、必死に介護する彼女の姿が何故か頼もしい感じだった.

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    2024年12月19日
  • ライカでグッドバイ ――カメラマン沢田教一が撃たれた日

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    34歳で凶弾に倒れたカメラマン・沢田教一。関係者への取材により振り返ったノンフィクション。
    危険と背中合わせで際どいショットを狙いに行く戦場カメラマンという職業を描く。
    作品が評価されていくに従い、さらに前線に向かいたくなるその様子は、男のロマンでなく逆に弱さ、繊細さのようなものを感じてしまった。

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    2022年05月07日
  • 731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く―(新潮文庫)

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    731部隊を追いかけたルポルタージュ。

    冒頭は、著者が千葉県の加茂へ取材へ向かったところから始まる。
    著者は執筆までに相当に取材を重ねてきた様で、千葉県での取材のほか、膨大な文献や当時のメモの解読、関係者インタビューまであらゆる手を施して当時の様子を読み解こうとしている。

    本書は、実際に足を運び、目で見て、読み解いた結果を、1つ1つパズルを埋めていく様に文章に書き起こしていく、その膨大な作業の末に出来上がったものだとよくわかる。

    どちらかというと論文テイストな構成のためか、本書にはドラマチックに誇張した展開はなく、文献や検証に基づいた内容が淡々と記されていく。
    脚色や演出が極力排除されることで、手に汗握る展開こそないが、狂気じみた感覚がじわじわと押し寄せてくる怖さがあった。

    ナチスドイツの親衛隊将校、アイヒマンと一見似ている様にも見えるが、それとはまた違う非凡さ、凡庸さの二面性を石井四郎にみることができると思う。

    正直、これまでは731部隊やGHQ占領下の日本についての知識はゼロに等しかったが、本書の内容は歴史認識を深める意味で大変な良書だったと思う。
    ただ、本文がめちゃくちゃ長いので根気は必要。

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    2020年04月01日
  • 731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く―(新潮文庫)

    購入済み

    石井メモノートは必見

    終戦間際から戦後に掛けての731部隊関係者の動向やアメリカ政府との免責交渉は興味深かった。
    石井隊長の故郷の加茂人脈や京大閥、朝鮮戦争での米軍の細菌戦疑惑はもう少しち密に解き明かして欲しかった。

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    2019年11月27日
  • 昭和天皇とワシントンを結んだ男―「パケナム日記」が語る日本占領―

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    トマス・コンプトン・パケナム、終戦後の占領期に「ニューズウィーク」東京支局長を務めた一人の民間人。
    偶然に、彼が遺した日記を入手した著者は、コンプトン・パケナムが単なる特派員ではなく、宮内省の幹部(松平康昌)を通じて日本の皇室と繋がり、当時公職追放されていた鳩山一郎や岸信介といった後に首相となる大物政治家とも懇意の仲であったことを知ります。
    一方で、「ニューズウィーク」本社の外信部長の役にあったハリー・カーン(後にダグラス・グラマン事件において贈賄計画に関わったコンサルタントとして名前が挙がることになる人物)を通じてワシントンとも繋がり、トルーマン大統領の特使として訪日し、後にアイゼンハワー政権の国務長官となるジョン・フォレスター・ダレスの情報源になっていたことも明らかになります。
    パケナムの日記には、来日したダレスを鳩山と引き合わせた件りなどが生々しく記されています。
    終戦翌年の1946年に東京に赴任したパケナムは、マッカーサーの占領政策を批判する記事を書いたことでGHQに睨まれて一旦は日本から追放(再入国拒否)されますが、1948年末にはワシントンの後ろ盾を受けて東京に再赴任します。
    ちょうど冷戦が始まるという国際情勢の変化の中、米国の占領政策が方針変更され始めた時期と重なります。
    マッカーサー解任から講和条約締結・独立といった一連の流れの中で、パケナムは裏ルートでの日米政界の橋渡し役を務めていきます。

    そんなパケナムの出自が、日本生まれの英国人であったというのがまた面白いところです。
    パケナム家は元はアイルランドの貴族の系統。
    コンプトン・パケナム自身は、神戸の在日英国人商人家庭に生まれ、第一次大戦では英国軍に従軍し、米国に移民して大学の教員や音楽ライターの職を経て、「ニューズウィーク」のジャーナリストとして再来日を果たします。
    生涯に四度の結婚をし、最後の妻は日本人のオペラ歌手。
    伯父は、日露戦争で英国の幹線武官として司馬遼太郎の「坂の上の雲」にも登場する「ペケナム大佐」であることも明らかになります。

    著者は、日米英の血縁者や文献を隈なく調べ上げて、コンプトン・パケナムの数奇な人生を紐解いていきます。
    1957年にパケナムが急死した際に「ニューズウィーク」誌に掲載された彼の死亡記事に記されたプロフィールにも事実と異なっている点が多くあることが明らかになります。
    終章で、多磨霊園に眠るパケナムのもとを著者が訪れる件りには感慨が溢れていて感動的です。

    それにしても、このような名もなき民間人が、日本の戦後の行く末を左右する占領期の政策決定に深く関わっていたという事実には、日本人としてやや複雑な思いも湧いてきます。
    パケナムのような数奇なプロフィールを持つ人物がもしいなかったとしたら、日本の戦後はまた違ったものになっていたのでしょうか。

    さらに言えば自分のような戦後世代からするとついつい軽視しがちな占領期という期間が、戦後日本を形作る上で決定的な時代であったことを改めて思い知らされます。
    在日米軍や沖縄の問題を考えれば、この時代に為された政策決定が、今日的な問題に繋がっていることを否応なく意識させられます。
    公職追放解除も、朝鮮戦争も、講和条約も、日米安保も、けっして必然ではなかった。
    何か一つ歯車が狂っていたら、まったく異なる戦後日本が実在していたのかもしれません。

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    2019年01月06日
  • ライカでグッドバイ ――カメラマン沢田教一が撃たれた日

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    ピュリツァー賞の沢田教一の生涯を描いた作品。
    強烈だった。
    こうありたいとはならないが、圧倒される生き方。

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    2018年03月21日
  • ライカでグッドバイ ――カメラマン沢田教一が撃たれた日

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    ベトナム戦争を撮った「安全への逃避(Flee to Safety)」でピュリツァー賞を受賞し、34歳でカンボジアに散ったカメラマン・沢田教一の一生を、関係者への取材により振り返ったノンフィクション。1981年に出版され、1985年文庫化、2013年にちくま文庫で復刊された。著者の青木冨貴子は本作品でデビューし、その後ニューヨークでニューズウィーク日本版の編集長を務めたジャーナリスト。夫は映画「幸福の黄色いハンカチ」の原作を書いたコラムニストのピート・ハミル。
    沢田は、1936年に青森市に生まれ、東北のアメリカと呼ばれた三沢基地のカメラ店から、UPI通信社東京支局写真部を経て、ベトナム戦地へ「三段跳び」の人生を送り、1970年にカンボジアで取材中に殺害された。その間、「安全への逃避」で、1965年にヨーロッパで最も権威あるハーグ世界報道写真展のグランプリ、1966年にピュリツァー賞を受賞。また、「泥まみれの死」、「敵を連れて」で、1966年のハーグ世界報道写真展の第1位、第2位を獲得した。
    現在は、戦場を取材するジャーナリストについて、(拘束されたり殺害されたりすると、特に日本では)その行動の是非について侃々諤々の議論が巻き起こるが、ジャーナリスト側の主張は概ね「戦場であろうと、誰かがそれを取材して、そこで起こっている真実を世界の人々に伝えなくてはならない。それが民主主義の基本である」というもので、私も基本的にはそれに賛同している。しかし、民間による戦争報道が初めて一般化した半世紀前のベトナム戦争当時にもそうした理念はあったのか、沢田はなぜベトナムを撮り続けたのか、ということが、私が本書を手に取った最大のきっかけだった。
    そして、「「展覧会に出すための写真を撮りたい。」沢田教一にベトナム行きを決意させた理由は明快だった。沢田はベトナム戦争で、第二のロバート・キャパになりたいと思っていた一青年でしかなかった。そのためには“決定的瞬間”に身を置くことを自分のルールにした。そして激戦に次ぐ激戦のさ中へ飛び込んでいった」こと、更に、ピュリツァー賞受賞でこの世界の頂点を極めた後も、何かに取憑かれたようにベトナム戦争、カンボジア内戦を撮り続けたことを知った。後者についての理由は、沢田は語っていないし、著者もはっきり記してはいないが、想像するに、世界記録を出したり金メダルを取ったアスリートが、その自分を超えるために体力の限界まで競技を続けるような、或いは、植村直己氏が五大陸最高峰制覇後も、次々と新たな冒険を行ったようなものだったのではあるまいか。即ち、戦場で写真を撮ることにより自分を自分たらしめていた。
    そう考えると、本書は、ある道を究め(ようとし)た若者・人間の記録のひとつとして読み得るものなのであろう。
    また、著者の徹底した取材により、ベトナム戦争の一面を知るための貴重な資料ともなっている。
    (2016年1月了)

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    2016年01月11日
  • ライカでグッドバイ ――カメラマン沢田教一が撃たれた日

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     ベトナム戦争の写真で名前は知っていた。後、不肖氏の著書でも。日本人屈指の戦場カメラマンの生涯を記録、取材した本。もとは30年近く前の初版。それが最近再文庫化された模様。あの有名な写真の家族にその後再会しているとは知らなかった。そしてベトナムからカンボジアへ向かい、そこで命を絶たれたことも。
     その後も何名ものカメラマン、ジャーナリストが戦地に散っている。しかし新たな挑戦に挑む者も続いている。恐怖しか思いつかない場に、表現できない魔の魅力があるとのこと。恐怖が先にたつ自分には不明の世界だが、撮像のインパクトは強烈である。それは見続けたい。

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    2014年04月07日